【2-7k】魔法無効系主人公、初めての敗北。 “わたしのばしょ”は、彼女ごと消された。
チャリを停めたのは、リドリーには見慣れたベランダ兼廊下の前だった。わたしの部屋。わたしのばしょがあるトコロ。
リドリーが嬉しそうに笑う。
「奮発して宅食サービス頼んでたの。ささやかだけど……あなたの歓迎会にしましょ」
まるで少女のような笑顔だった。ケンは、それが自然に返せた。
リドリーは駆け足で扉を開けた。
しかし、そこには——
——そこには、別の住人がいた。
「……どちら様?」
ケンは違和感を覚えながらもリドリーに視線を戻す。だが彼女の顔が凍りついていた。
「ここ……わたしの——」
「この部屋? ずっと私が住んでますよ?」
女性はそう言って笑った。何の悪意もない、しかし底知れぬ不気味さがあった。
そんなはずはない、だって表札に書いてある「リドリー7310」と
リ リ 73 0
リ 0
表札の文字が消えてゆく——
そのとき、背後から二つの足音。
黒服の男たちが、音もなく近づいてくる。
ひとりは静かに告げた。
「収容済みだ」
それは、ふたり組だった。一見して同じ制服。けれど、どう見ても「おそろい」ではなかった。
どちらも、黒のチェインメイルに、黒布のタバードを羽織っていた。胸元には銀糸の紋──ひび割れた心臓を、鎖でつないだ意匠。愛情省「収容業務」。いまこの瞬間の愛、感情、王国の整いを“壊れる前に”封じるための部隊。正義の名のもとに、思想の統制と心の再配置を請け負う省庁。その現場の最前線だ。
タバードも、鎖帷子も、ぴしりと整っている。だがその整いすぎた均一さは、むしろ“貸与されたもの”であることを隠せなかった。洗濯と補修の痕跡すら、あらかじめ処理されている。制度が与えた、借り物の正義。
けれど、その下に穿いているズボンは──まるで別物だった。
ひとりは細身で、すそが整っている。くるぶしにかかる布には皺ひとつなく、動けば静かに揺れるだけの、軽快な足取り。腰には左右一本ずつ短剣。身のこなしも、戦いより処理を得意とする者のように見えた。
もうひとりは、大柄で、厚みのある体格をしていた。ズボンのすそはほつれ、膝はすり減り、裾の裏地には泥と汗が染み込んでいる。その肉体は明らかに、使い込まれ、鍛えられ、消耗していた。両手は空だが、腰から生えた機械仕掛けの第三の腕が、重い盾を掲げている。それはまるで、彼自身ではなく、制度の代弁者として盾を上げているかのようだった。
ふたりとも、顔は目も隠された無表情な覆面に隠されていた。名も、素顔も、語ることなく。ただ、命じられた通りに「わたしのばしょ」を収容するだけ。
リドリーが硬直する。ケンが前に出ようとしたその瞬間、盾のほうの男、丸太のような太い腕を持つが穏やかな口調で遮った。
「おっと、できたら大人しくしてくれ。痛い思いはさせたくないんだ」
2本の短剣の方が言う。。
「ここはお前の場所だったかもしれない。……でもいまは俺たち——国家の場所だ」
その声には、どこか空っぽな理性があった。相手を見下すでもなく、共感するでもなく、ただ世界を受け入れているような。
「私掠免状持ちか? だったら奪い返してみればいい。…できるものなら」
ケンは拳を握った。
言葉より先に、身体が動いていた。ぐっと地を踏み、肩を引く。振りかぶる気配を、盾の男が察知する。
「──バインド」
低く、魔術の起動語が発せられた。だが、何も起こらない。
「おおっ!?」
空気すら震えず、魔法は不発のまま霧散した。
驚いた盾の男に変わり、細身の男が一歩、前に出た。すでに、ケンの拳が伸びていた。
──が、止められる。
指先すら届かない位置で、拳は空を打った。その腕ごと、ひねるようにして受け流される。動きは軽い、だが重い。「慣れている」手だった。
「キャンセラーか。なるほどな」男の瞳が一瞬だけ、ケンの「パーソナル」を読み取っていた。
「魔法は効かない。しかしな──」
ぐ、と力が入る。
次の瞬間、ケンの体がいなされて、床にたたきつけられる。細身の男が、そのまま流れるように腕を返す。
──同じ拳。だが今度は。
ドンッッッ!!!
一拍遅れて、世界が追いついた。ケンの頭のすぐ横。拳が叩き込まれた場所から、床が爆ぜた。
ただ砕けたのではない。石板が波紋のようにめくれ、ひびが走り、破片が爆風のように宙へ舞い上がる。床板が歪み、構造そのものが軋んだ音を立てる。
視界が白い粉塵に覆われ、世界が一瞬、真っ白になった。
息を呑む隙もなく、ケンは地を這っていた。細身の男は、そのまま拳を抜き、砕けた床を見下ろしてつぶやく。
「……これが、“思い”だ。…
語りかける声は、変わらず静かだった。けれど、その静けさこそが恐ろしかった。制度に命を与えられた力は、怒りすら持たない。
「キャンセラーだって? 魔法は効かない? ──だから、行けると?」
男は首を傾げた。
「残念。暴力なら──こっちにもある。これは魔法じゃない。国家の祈りだ。暴力だ。正義だ。おまえの“意思”ひとつで、抗えると思うなよ──キャンセラー。」
粉塵の中、拳のあとにぽっかりと空いた床の“穴”が、国家の暴力が開けた口のように、静かにこちらを飲み込もうとしていた。
冷ややかな声。
「慣れてねぇんだろ、戦いも、この世界も。転生者ってのは大抵そうだ、いまのは見逃してやるよ。だが、まぁ…抵抗するなら、俺たちも“武器”を使用せざるを得ないが……」 ゆっくりと、男は腰の刀を抜いた。 無音。「骨の折り方も、神経の潰し方も……ちゃんと訓練されてる、お前らの世界だけじゃねぇんだ。俺たちの“最先端の暴力”、試してみるか?」盾の男はやめとけやめとけ、なんて軽い口調で言っているが、いつでもいつでも行動できるように重心を低く構えている。
ケンは何も返せなかった。
圧倒的な実力差。
「やめて」
そのとき、リドリーが前に出た。
「ケン、これ以上は…いい…」
彼女の目には、諦めがあった。
「……わたし、もう大丈夫だから。ここには……何もないから」
そう言って、彼女はふと外に目をやった。路地の先、黒い壁にぽっかりと開いた収集口。まるでそこがこの世界の終点であるかのように、沈黙の中で口を開けていた。
その手前には、**彼女の“証明”**が、無造作に積まれていた。
ほつれた毛布。手縫いの巾着。小さな鉢植え。くるまれたスカーフ。そのどれもが、日々をつないできた断片だった。名前のつかない愛着の形。けれど、今やそれは「不適切な私物」として分類されていた。
そして、あの箱。貴族御用達、ベラ・リーヴの白とラベンダーの下着セットの箱。
それを見た盾の男──ビフが、ふと手を止めた。
拾い上げて、一度だけ、視線が泳ぐ。
「……ああ、すまんな。そういう意図はないんだ」
その声だけは、少しだけ、本物だった。だが、彼の手は止まらない。
「しかし……下着ねぇ……支給品があるのに、こうゆうのはおれら、健全な市民にゃ、あんまりよろしくないんじゃないか?」
リドリーは答えなかった。羞恥、ではなかった。もっと深いところで、何かが削がれる音がした。なぜだろう、顔が熱いのに、胸の奥は空っぽだった。
ビフはその箱を、片手で軽々と掲げた。「まぁ……たまにはカミさんにつけてほしいもんだ…とはおもうがね。」
そう呟いて、ぽん、と、穴へ放った。
空中で、箱がひとつ回転する。そして次の瞬間、光の粒となって、風に解けた。
ひとつひとつの粒が、形を持たないまま散っていく。ほつれた毛布。手縫いの巾着。小さな鉢植え。くるまれたスカーフ。、淡く溶けて消えていく。まるで、“意味”そのものを分解する魔法だった。
「……こんなガラクタや箱くらい燃やすだけでいいかとおもいきや、完全分解とはな。徹底してんな、収容プロトコル」
誰かがぼやく声が、遠くで揺れた。
リドリーは立ち尽くしていた。
手は動いていないのに、何かを離した感覚があった。指のあいだから、見えない砂がこぼれ落ちるような錯覚。自分という器の底に、小さな穴が開いたような──そんな、かすかな喪失。
「……わたしの」
声が出なかった。いや、出したはずなのに、言葉にならなかった。
その下着が欲しかった理由なんて、誰にも説明できない。でも、たしかに“それ”があったことだけは──いま、この瞬間まで、たしかだったのに。
その“意味”は、もうない。
ただ、消された。
制度によって。効率によって。正しさの名のもとに。
リドリーは、ただ見ていた。あの箱が空に溶けるのを。自分が、自分でなくなる一歩手前を。
そして、目を閉じた。
ほんのわずか、唇が動いた。けれど、それもまた誰にも読めないように、風にさらわれていった。
「こい」短刀のほうが短く指示すると
リドリーは、黙って手を差し出した。
男たちはそれを拘束する。彼女は振り向かなかった。
「ありがとう、ケン。……ちょっとだけどたのしかった。」
彼女の背が、遠ざかる。
「でも、わたしのことは …わすれて」
引きちぎられるような沈黙だけが、その場に残った。
ケンの足元に、赤いステータスウィンドウが浮かんでいた。
『所有権変更通知:該当対象(ID7310)は愛情省管轄下に移行されました』
私掠免状の権限すら、いまや意味をなさない。
黒塗りの空飛ぶオムニバスが無音で横付けされる。
リドリーは乗せられ、何も言わず、窓越しにこちらを見た。
その瞳にはもう、何も残っていなかった。
ケンは、ただそこに立ち尽くした。
膝を覆ってくれた、バンドエイドの中の傷が じゅくりと 痛んだ。
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