第2話 異世界ティータイム

「紅茶でございます」

「ありがとう」


 湯気を立てるカップから立ち上る香りは、鼻腔を優しくくすぐる。

 正直、紅茶の銘柄なんて詳しくないが、どこか落ち着く良い香りな気がする。

 ゆっくりとカップに口をつけ、一口含む。舌の上で広がるほんのりとした苦味と、後から追いかけてくるような優しい甘さがお上品だ。

 こういうお洒落な飲み物って、確かスコーンとかと一緒に味わうものだったか?

 だけどまあ。


「良いお茶だ。リラックスができたよ」

「光栄にございます」


 セシリアは、優雅な所作で深々と頭を下げた。

 その美しい姿を眺めながら、もう一口紅茶を味わう。

 これが巷で噂のアフタヌーンティーというやつなのだろうか。

 本場の味も今が本当に午後なのかも全く分からないけれど。


「さて、そろそろ状況を整理しようか」

「はい」


 俺がそう切り出すと、セシリアは向かいの椅子に姿勢を正して座った。

 ここからは、少しばかり真面目な話になる。


「まず、俺は異世界転移、或いはそれに準ずる何かをした」

「はい」


 見慣れない木々が生い茂る土地。

 全く未知の魔力という感覚。

 そして───


「そして俺はスキル、とでも呼ぶべき力が手に入った」

「その成果の一つが私ですね」


 私を最初にマテリアライズしてくださって嬉しいですわ。と、セシリアは満面の笑みで、自分のために用意したティーカップに口をつけた。

 そう。マテリアライズ。セシリアがそう呼んだそれは、紛れもなく俺の力だ。

 端的に言えば、俺はある特定の資源を代償として、様々なものを具現化できるらしい。

 不思議とその力の行使の仕方が分かるようになっている。勝手に脳内に知識をインストールされたかのようで不安になるが、今の状況では便利なので利用しない手はない。


「その代価となるのが」

「マナクリスタル、でございますわ」


 マナクリスタル。

 今の俺にとって、それは万能の素材と言っても過言ではない。様々なものを生み出すための、緑色に輝く美しい原石。

 そして、そのマナクリスタルの生成方法は───


「例の巨大狼の、いや、モンスターの遺骸から生み出せる、と」

「その通りですわ」


 生成方法は驚くほど簡単だった。狼の残骸に向かって手をかざし、心の中で「マナクリスタル変換」と念じるだけ。

 すると、みるみるうちに、その遺骸を一回り小さくしたような緑色の結晶が現れたのだ。


「そして今は、このマナクリスタルを使って午後のティータイムセットを作り出した、というわけだ」


 マテリアライズの原理もまた、シンプルだった。生成したマナクリスタルに触れ、頭の中で作りたいものを鮮明にイメージする。

 実に便利な能力だ。

 このティーセット程度のものなら、先ほど生成したマナクリスタルの十分の一も消費していないようだ。変換レートについては今後の検証が必要だろう。

 もっとも、どんなものでも創造できるわけではなかった。

 セシリアに促され、ティーテーブルをマテリアライズしようとした瞬間、脳裏に浮かんできたのは、今まで自分が作り上げてきたプラモデルの数々…… どうやら俺の創造範囲は、過去に作ったプラモに限られるらしい。


「メイドらしいおもてなしができて、私もとても満足ですわ」


 素晴らしいですわ、ご主人様! と、セシリアはキラキラとした瞳で俺を褒め称える。

 ああ、もっと褒めてくれても構わないんだぞ。


「ところで、俺はこの世界に来た時の記憶が無いんだが、セシリアはどう?」


 セシリアは、俺がかつて熱中して作り上げたプラモだ。

 いわゆる美少女プラモ、通称『美プラ』と呼ばれるジャンルのものになる。

 中でも彼女は、複数の表情パーツやボディ、手足を自由に組み合わせて自分だけのオリジナルキャラクターを作り上げられる、カスタム性の高いシリーズの出身だ。

 『あなただけの相棒を作る』

 それがそのシリーズのキャッチコピーであり、コンセプトだった。

 そのコンセプトに則って、俺の趣味を詰め込んで作り上げたのが、目の前にいる彼女だった。

 クラシカルなロングスカートのメイド服。大きめの胸部と、全体のバランスを考慮した身長はこだわりポイント。

 透けるように白い肌に、ホワイトブリムがよく似合うセミロングの銀髪。

 そして、無地のフェイスパーツに何度もやり直して丁寧に貼り付けたアイスブルーの瞳。

 あれは俺のプラモ人生においても屈指の傑作だと自負している。

 改めて見ても本当に可愛いな、コイツは。


「この世界の記憶、というものはご主人様にマテリアライズされた瞬間からですね」


 セシリアは、優しい微笑みを絶やすことなく、俺を見つめてくる。

 その視線は、心臓に直接届くようで、ドキドキしてしまう。


「ふむ」

「私が意識を取り戻した時、目の前には見慣れない森林が広がり、その中でご主人様が倒れていらっしゃいました」


 私、とても心配しましたのよ。と、いつの間にか俺の手を両手で包み込みながら、セシリアは言った。

 彼女の温もりが俺の心臓までじんわりと温めていく。


「そこで俺を起こそうと思ったら、あれに追いかけられて現在に至る。と」


 そっと握り返すと、彼女はさらに力を込めて俺の手を握り返してきた。可愛いな。


「その通りでございます」


 俺の知るプラモデルのセシリアは、どちらかと言えば無表情で、少しシリアスな顔立ちだった。

 だからこそ、今見せてくれるこの柔らかな笑顔は破壊力抜群だ。

 一体、何がそんなに嬉しいのだろうか。


「迷惑かけてスマンね」

「いいえ。ご主人様をお守りすることこそ、今の私の務めだと感じましたから」

「それって、メイドだから?」

「いいえ、一番近い言葉で表現するなら……

メイドは、私の趣味、ですわ」


 趣味? え、じゃあ、趣味でご主人様って呼んでくれるのか?

 なんだかすごく嬉しいな。


「じゃあ、どうして俺に尽くしてくれるんだ?」

「少し考察も入りますが、ご説明させていただきます。

 まず、私はご主人様に好意を抱いております。ご主人様をお助けしたり、メイド服を着ている直接的な理由は、そこにございますわ」

「お、おう」


 真剣な表情で懇切丁寧に説明されると、さすがに照れてしまう。

 しかし、ここまで好かれる理由がいまだに分からない。


「そして私は『あなただけの相棒を作る』というコンセプトに基づいて生み出されました。

 つまり、ありとあらゆるものがご主人様の思うがままなのです」


 困ったことに彼女の意図が伝わってしまった。


「……要するに俺が、君に"俺を好きでいてほしい"と願ったからこうなったと?」

「はい。そこに加えて、元の世界でご主人様が他のプラモより時間と手間暇をかけて私を作ってくださった記憶があるので愛情倍増ですよ」


 ご主人様専用のチョロイン、好感度MAXのガラテア状態ですわ!と宣言すると、いつの間にか向かいから俺の隣へと椅子ごと移動して、セシリアは遠慮なくじゃれついてきた。ピグマリオンとかどこから知ったのかな?

 しかし、彼女の好意が俺の無意識の願いによって生み出されたものだと考えると、どうしても罪悪感に苛まれてしまう。


「マジかー……」

「マジですわ。ですが、敢えて申し上げますなら、あまり重くお考えにならない方がよろしいかと」

「と言うと?」

「私が今のこの気持ちを決して嫌だと思っていないからです。今の、ご主人様を好きな私自身を良いと思っていますわ。

 それに、ご主人様が意図的に私にこの気持ちを押し付けたわけではないのでしょう?

 ならば、その点は深く考えず、受け入れてくだされば嬉しいです。

 そうしないと、ご主人様が潰れてしまいます」


 きっとプラスから始まる人間関係も素敵ですわ。と、彼女は微笑む

 それにしたってここまでの好意から始まるのは珍しいと思うが…… 彼女の言う通り、あまり気に病むべきではないのかもしれない

 だって、こうして軽い会話を交わしているだけでも、俺自身、彼女に惹かれているのだから。

 始まりがどうであれ、今、ここにある感情が全てなのだろう。


「そうですそうです。ご主人様とこうして触れ合える幸せな今に比べたら、始まりなんて些細なことですわ」

「お、言うねぇ。平静さ保てないよ俺」

「ご主人様はツンデレより素直クールがお好きと覚えてますので」


 その通りだけどさあ。一体どこまで筒抜けなんだ?


 すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干しながら、なんとか平静を取り戻す。

 何もかも問題がなければ、このまま、この甘い雰囲気に浸っていたい。

 俺好みの可愛い女の子が、これほどまでに好意を示してくるのだ。当然の反応だろう。


 だが、今は、そんな感傷に浸っている場合ではない。


「さて……」


 とても名残惜しいが、そろそろ切り替えなければならない。


「そろそろ、楽しいティータイムはお開きにしようか」

「そうですね」


 セシリアは少しだけ名残惜しそうな表情を浮かべながら、向かいの椅子に座り直した。

 離れていく温もりに、ほんの少しの寂しさを覚えつつ、話を本題に戻す。


「今は喫緊の課題に取り組まなければならない」

「ご主人様の食事と、寝床の確保、ですね」


 セシリアの表情が、先ほどまでの穏やかなものから一変し、キリッとしたものに変わった。

 そうそれ。セシリアのお陰で冷静でいられるが状況としては限界サバイバルである。

 無論、マテリアライズという強力な能力を持っている以上、絶望的な状況ではないのだが。


「寝床はとりあえずテントで凌ぐし、食料もすぐには問題にならないが……」

「現状、確保できる食料は、先ほどのティータイム用のスコーンと、あとは…… カップ麺ですわね」


 先ほども言った通り、厄介なことに、俺のマテリアライズで生み出せるのは、俺が過去に作ったプラモデルに限られる。幸か不幸か、俺はテントのプラモだけでなく、カップ麺のプラモすら作ったことがあるのだ。本当に、世の中にはそんなマニアックなプラモが存在するのだ。

 しかし、そんな趣味に偏りすぎた俺でさえ、生み出せる食料はあまりにも限定的すぎる。

 贅沢は言えないが、偏った食事はいつか必ず体を蝕むだろう。一応、食料の自動販売機のプラモも作った記憶があるが、それにしても、供給には限界があるだろう。

 そもそも、それらをマテリアライズするためには、マナクリスタルという貴重な資源が必要なのだ。


「この状況を打開するためには……」

「ご主人様の力、つまり、マナクリスタルを安定して確保する必要があります」


 モンスター討伐用の武器の準備。この周辺の探索。そして、食料と安全な寝床の確保。

 俺のスキルでそれらの多くを比較的容易に実現できる点は心強いが、それは裏を返せば危険なモンスターとの戦いを避けられない、ということでもある。

 俺の命、足りるかな……


「何にせよ、まずはモンスターと戦うための武器を作るしかないよね」

「はい。これはこの状況を打破するための大いなる第一歩です。まさにジャイアントステップですよ」


 アームストロングだっけ、それ。アポロの。

 彼女の記憶がどこから来てるのか気になる俺であった。

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