9月28日③
ラジオ局はM通りにある。M通りは、複数の大型商業施設が林立するYC街の真っ只中で、唯一50年前からの景観と雰囲気を保っている地域だ。
……こう書くとYC街の規模感に誤解を生みそうなので付け加えるが、この地区はいわゆる“田舎の都会”といった趣が強い。一応、繁華街ではある。駅と施設が一体化した大型ショッピングモール、映画館、それから少し歩いた先にある、
他所と明確に違う個性としては、アメリカ海軍の駐屯地としての“異国情緒の散りばめられた街”という側面。大きくて絶対にかぶりつけないであろうハンバーガーや、ホットドッグ、ブリトーといった軽食が楽しめるアメリカンな食堂、怪しげなネオンサインが壁一面に目立つバー、外国人向けの大きめのサイズを扱っている服屋等など――100mも歩けばいたる所でこういった“ご機嫌”なお店に出会う事が出来る。
私は入れないけど、お父さんは近所の友人数人と一緒に1ヶ月に一度くらいの頻度で、ここにあるバンドライブの楽しめるバーに通っている。ジャズとボサノヴァ、それから勿論ロックン・ロール――学生時代に本気でプロを目指していたらしい彼は、時折、頼まれては飛び入りで演奏に参加し、昔取った杵柄でギターをかき鳴らす事もあるらしい。
閑話休題。観光地としての新しさと、戦後から通底している古めかしさの入り乱れるこの街において、M通りはテナントの入れ替わりこそあれど、喫茶店や魚屋、ブティックといった“懐かしい面々”が常に営業している古強者だった。その商店街の一角にラジオ局はあった。入り口の全面がガラス張りで、その中でラジオパーソナリティがマイクに向かって語りかける様子が見える。入り口脇には、事務所に通じているであろう扉があった。私は一呼吸置いてから、扉脇のインターホンを使う。少しの
「突然お邪魔してすみません、私はY高校に通う者で――」
“地域密着”のラジオ局ならこういった語り出しが有効だと思ったのだ。
「ひとつ、こちらとご相談したい事がありまして――少しだけお時間を頂く事は出来ますでしょうか?」
少々お待ち下さい、とインターホン越しの会話が途切れ、ドアが開いた。スーツを着た女性が姿を表す。私は瞬きするのも忘れて、用意してきた学生証をせかせかと提示する。彼女はにっこり笑ってから、どうぞこちらへと二階の応接間に案内された。
彼女は長椅子を勧めてくれたので、言われた通りにする。作り置きで申し訳ないのだけれど、と私にコーヒーを持ってきてくれる。それから彼女は自分の分を持ってきて対面に座った。私はしゃちほこばった手つきでカップを持ち、一口コーヒーを啜ってから改めて自己紹介をした。すると女性はにっこり笑って言う。
「はじめまして、私は望月、望月カンナと申します。ここの従業員の一人ですよ」
落ち着いた声音。さすがラジオ局、働く人も良い声なんだなあ、と妙に間の抜けた感想が湧き出てくる。私はさっきから、自分の心臓が肋骨の間からはみ出すほど暴れている様子にうんざりしていた訳だが、彼女の声を聞いていると、少しずつ収まっていくようだった。
「何年生なんですか?」
とカンナさんが尋ねる。
「1年です」
「へえー、それじゃあ私の弟と同じ学年ですね」と彼女は言って、コーヒーを飲んだ。
「彼もY高校なんですよ」
流石、ジモト。往来歩けば、あちらこちらに知人の知人――思わず乾いた笑いが出てしまう。少し考えてから私は、もしかして、と思い当たった。
「同じクラスに望月リョウタ君っていう人がいますけど」
その名前を聴いたカンナさんは、得心がいった顔で、そうそう! と頷く。
「すごい偶然ですね! 弟と同じ高校の同じクラスの子が尋ねてくるなんて!」
私はというと、あまりぴんと来なかったが、そうですねえと間の抜けた声で同意した。
あの器用な寝方で、授業をやり過ごそうとした望月クン。結局駄目だったけど、君の知らない所で君は成し遂げたんだよ、と今度伝えてあげよう。彼やカンナさんには少し申し訳なかったけれど、この偶然は良い方向に働きそうだと思った。私は、本題を切り出す。
「あの、今日伺ったのはすごく個人的なご相談になるんです」
私が話を持ち出すと、彼女は一転、少し俯きながら真剣そうな顔つきに変わる。私は続けた。
「単刀直入になっちゃうんですけど……。9月26日の夕方――多分18時くらいですかね?――その時間に、こちらのラジオ内で投書の紹介があったんですけど――」
それから私は、早口にならないよう慎重に気を配りながら、“非常な早口”でもって事情をカンナさんに説明した。当然、ナナミの事も正直に話した。
私がまくし立てるように言葉を並べる間、カンナさんは時折小さく頷きながら聴いてくれた。話が終わった後、彼女はコーヒーカップに視線を据えながら、しばらく何も言わないでいた。私は何気なく壁掛けの時計を見やる――12時32分。
「亡くなったお友達と同じラジオネームを使う投書が気にかかる、という事ですね」
カンナさんがカップを見つめながら言った。私は俯いたまま頷く。彼女はまた数秒押し黙った後、私に微笑を向けた。
「結論から言うと、ごめんなさい。分かっていると思いますが、投書をあなたに見せることは――そうですねえ、“プライバシーやら、煩雑ななんやかんや”があって、お見せする事はできません」
ごめんなさいね、と彼女は結ぶ。それからすぐに、「ただ――」と彼女は続ける。
「私が調べて、何か関係がありそうかどうかを、それとな~く教えることは出来ますよ」
私がはっとして顔を上げると、ウィンクしながら微笑む彼女が見えた。それを見た私はとっさに、掛け値なしの心からの感謝の念と、“ウィンク下手だなー”という少々困った感想とが同時に湧き出てくる。閉じた右目の方にめちゃめちゃに力が入りすぎて、“可愛らしい感じ”より、“おや、無事かな?” という心配が勝ってしまう表情。
とにかく私は、ありがとうございます!! と若干無理やりにして、強めに言葉を伝えた。
カンナさんが早速デスクのPCで調べだす。
「ラジオネーム、なんて言いましたっけ?」
私はちょっと躊躇いながら「だしぬけファンショー」と言った。
「なるほど、だ・し・ぬ・け、っと――ファンショーって、人の名前かな?」
「“鍵のかかった部屋”、です」
私は言った。
「ポール・オースターっていう、アメリカの作家が書いた作品に出てくるキャラクターなんです」
へえー、とカンナさんが息を吐くような調子で感嘆する。
「読書家さんだったんですね、ナナミさん。それから、あなたも」
「いえ、私は読んだことないんです。私は、ゲームとか漫画とかのジャンクフード好きです」
「好きなゲームって何ですか?」と、何やら画面をマウス・ホイールでしきりにスクロールしながら彼女が言う。私はちょっと考えて、「世界樹の迷宮」と答えると、カンナさんが突然ニヤける。
「それ、ちょっとシブいチョイスですねぇ、良いですねえ。今一番新しいのはX(クロス)だったかな。」
「それしかやったことないですけど……というか、ご存知なんですね」
「初代からやってますよ」
歴戦の冒険者を前に、私は畏怖と尊敬の念を覚える。……こんなような雑談をしながら時を過ごしていると、しばらくして、画面とにらめっこしているカンナさんが首を傾げる。続けて「おかしいですね」と独り言のように呟いた。
「番組内容や紹介した投書は全部このデータベースに入っているはずなのですが――何度調べても該当するものはありませんね」
私は黙っていた。少なくなったコーヒーの表面に出来た波模様を見ながら、彼女が次の言葉を発するのを待っていた。
「申し訳ありません。日付や検索文字を変えて色々やってみたんですが、ダメでした」
私は観念して立ち上がった。
「いえ、もしかしたら私の聞き違いだったのかもしれません。お手数をおかけしてしまい、すみませんでした」
カンナさんは諦めきれないのか、少し意地になっている様子でまだ調査を続けている。
「そこに無いということは、多分そういうことなんじゃないかなって思います。勘違いでお仕事の邪魔をしてしまい、本当にごめんなさい」
私が帰ろうとすると、肩越しに「待ってください」と聞こえた。私が振り返ると、困り顔で何か言いたげに、そわそわしているカンナさんが見える。私が何も言わず頭を下げると、何か諦めたような様子で彼女も同じようにした。
ごめんなさい、と私は何度か心のなかで彼女に謝った。それは何も、ひとつの事柄に対してではなかった。
物事には色々な見方がある。見る角度を変えれば形を変えるし、同じ方向からでも見る人が変われば、形や色でさえ先程とは同様ではない。ようするに私たちはそうやって生きている。好むと好まざるとにかかわらず。
例えば、虚言癖の高校生。カンナさんがどこまで私を信用したかは置いておいて、そもそも彼女が私を“どう見たのか”、それを確認する術は私には無かった。
例えば、調べるふりをして、私に偽の情報を手渡したラジオ局勤務の女性。たった一人の、突然訪ねてきた信用ならない子供の為に、業務上、何か問題になるような事に手を染める訳にはいかないのかもしれない。しかし私にはそもそも、彼女の言葉を信じたり疑ったりする術は無かった。
様々な見方がある。あるいはどちらも間違っているのかもしれない。私が謝ったのは恐らく彼女は、私の力になりたいという気はあったのだろう、と思ったからだ。それから何度か謝ったのは、私が彼女の見せた誠意に、充分に応えられる態度を見せられなかったからだ。
私は呆然としながら、スマホで時計を見た。12時40分。
待ち合わせ場所に向かおう。そしていつもの日常に戻ろう。明日の日曜日は、私が見たかった映画でも見に行こう。今日たっぷり遊んで、キリの良い所で、皆で映画を見る約束を取り付けるんだ。そう思った。
私はそうしても良いし、しなくても良い――駅前でぼんやり時間を潰していると、『世界樹の迷宮』の有名な言い回しが頭に浮かんできて、私にそう告げた。
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