9月27日②

 ……と、言うようなほろ苦い回想を私が頭の中で押し広げている間に、私たち3人は喫茶paradisoに着いた。ほとんど嫌がらせのような急角度の階段を、3人揃って眉根を寄せながら上り、60kgはあるだろうと思われる程重い扉を開け、いつもの窓際の席に座る。

 店内ではビートルズの『ペニー・レイン』が流れていた。それを聞きながら、窓越しに見える駅の改札口を見ていると、私たちの高校の学生がひっきりなしにやってきて、改札へと吸い込まれていく様が観察できる。それから格子柄の薄手のセーターを着た主婦が、駅から出ようとして改札のゲートに弾かれる困り顔が見えたり、スマホで通話しながらせかせかと大股で歩く、裾丈が妙に短い紺色のスーツを身に着けたサラリーマンなんかが見えたりした。

 “ペニー・レイン(ペニー通り)を行き交う人々は、皆立ち止まってあいさつをするんだ”と、ポール・マッカートニーが唄った……なんだか気立ての良いおとぎ話みたいで、アニメやゲームみたいなイラストではなく、実際の人物がそうしている光景は、私には上手く想像出来なかった。

 そんな風に、午後のまどろみにも似た生暖かい空気感で、注文した飲み物を待っていたら、黒猫のレヴが優雅な足取りでゆっくりこちらにやってきて、ケイの膝の上で丸くなった。今日は機嫌が良いようで何よりだった。


「明日3人で買い物に行こうよ!」と、クリームソーダのクリームを口いっぱいに頬張りながらサキちゃんがだしぬけに言った。

「なんかね、この前、着れなくなっちゃった服とか整理してたら、春とか秋に着るいい感じの服、ほとんど無いことに気づいちゃってさ! 見に行きたいんだ」

 私は少し考えてから「いいよ」と言った。

「ただ、ちょっと午前中は用事があるんだ。多分そんなに時間かからないと思うから、その後だったら大丈夫だよ」

「オッケー! じゃあYC駅の前で1時に待ち合わせ! ……ケイは?」

 ケイは、カフェオレとシロップの割合がおよそ5対5になるよう慎重に分量を合わせている最中だった。それから、本当にそうしたんじゃないかと言わんばかりのシロップを流し込んだカフェオレを、満足そうな顔つきでかき混ぜながら、「パス」と言った。サキちゃんは大げさにため息をついた……この流れはもう50回くらい見ている。

「たまには外出ようよ! いつも休みの日、引きこもるじゃん」

 サキちゃんがそう言うと、ケイは「うるさい」とマドラーを彼女に向けて“訳知り顔”でゆらゆら上下させる。

「週5日も外、出てるじゃん――これ以上、私の本体である“私の部屋”から離れすぎると、生命活動にすら支障を来す」

 それでも君はかまわないというのかね、とケイは言葉を結んでマドラーをコップに鋭く戻した。私はそれを受けて”いつも通り”提案した。

「じゃあ、レヴさんに聞いてみよう」

 サキちゃんは二度うなずき、ケイは奇妙なうめき声と共にしぶしぶ同意した。ケイは緩慢な動作で、丸くなって動かなくなった黒猫の前足の脇下に手を入れる。彼は目を開け、あくびをひとつしてから、特に抵抗する様子もなく、されるがままになることを決心した。それから、だる~ん、といった擬音が良く似合うような様子で持ち上げられた彼の目を覗き込みながら、私は芝居がかった調子で言った。

「レヴさん、レヴさん、明日は休日です。決して激務に追われて、この世のあらゆるものにくしゃくしゃにされた営業さんが迎える、久しぶりの休日ではありません。私たちは高校生です。そんなこんなで相談があります。私たちは3人で買い物に行こうと思っています。でも一人乗り気じゃありません」

 私は一旦区切ってから、「私とサキちゃんの二人で行くべきでしょうか?」と尋ねる。レヴは瞬きをした後、「ニャァー」と長い返事を返した。

「それでは3人で行くべきでしょうか?」

 小さな顎がすぐさま開き、ニャッと肯定の意を表した。それから、猫の後ろから「分かったよう」、と諦めの言葉が日本語で聞こえた。

「分かったよ、1時ね……」

 ケイはレヴさんを元の位置に戻しながら、起きれるかなあとひとりごちた。

 ――そういう訳で、明日は3人で遊ぶことになった。


 帰り際、入り口のドアノブに手をかけながら、ふと店内を振り返ると、窓辺から広がる夕日に照らされて赤く煌めくparadisoが視界に広がった。目の前のカウンターにあるレジスター横に、ちょこんと座って見送りをしてくれているレヴナントと目があった。

「レヴさん、昨日のラジオの投書、本当に“彼女”なのかな?」

 私は幻想的な様子に当てられたのか、ふと、彼に向かってつい尋ねてしまった。彼はしばらくじっと私を静かに見つめながら、やがて目を細めて「ニャッ」と鳴いた。突然のことに私は、次に何を言ったら良いか分からなくなってしまった。やがて私は例えようのない、何か諦めにも似たような心持ちで、口を開いた。

「――“彼女”、生きてる?」

 夕闇に浮かび上がる彼は、何も応えなかった。その小さな輪郭を微動だにもせず、丸く真っ黒な瞳孔を、ただただ私に突きつけ続けるだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る