第38話 ジェノサイドドラゴン

「バルマー! 戦いは終わってないのだよ! 立ちたまえ!」


 副ギルド支部長が呼びかけても、バルマーは床に伏したままブツブツと呟くだけだ。

 痺れを切らしたギルド支部長はバルマーを蹴り飛ばした。


「貴様を雇うのにいくらかけたと思っている! やはり暗殺者など、正面きって戦えばこんなものか!」

「あなた、本当に怖いものに出会ったことはありますかねぇ?」

「いきなり何の話だ!」

「私はあるんですよねぇ。一度目は二十年前、後の史上最強の冒険者と呼ばれることになるブリード……あれは恐ろしかったねぇ。冒険者で怖いと思った奴は後にも先にもあいつだけだねぇ」


 ブリードと聞いて赤ずきんは声が出そうになった。

 自分の父親の名前が暗殺者の口から語られたことで、妙に誇らしげな気分になる。


(お父さん……やっぱり昔から強かったんだ!)


 赤ずきんは小躍りしたくなる気分を抑えた。


「ブリード……その昔はパーティから追放された情けない男だと聞いている。そんな男が史上最強など、本当に安い世界だ」


 副ギルド支部長の言葉に赤ずきんは思考が停止した。

 その言葉によって彼女の頭に猛烈な勢いで血が昇っている。


(情けない男……?)


 クレアンは冷えた目つきで副ギルド支部長を見据えた。


「二度目はそこにいる赤ずきん……。副ギルド支部長さんよ、私はもう下りるねぇ。今の戦いで暗殺者を引退する決意が固まったねぇ。願わくば、あの赤ずきんが見逃してくれることを」


 バルマーが最後まで言葉を紡ぐことはなかった。

 首筋から鮮血が飛んで、副ギルド支部長の正面を汚す。

 彼のナイフからポタポタと血が落ちた。


「私も焼きが回ったものだ。とんだ無駄金を使ってしまった。なぁ、赤ずきん。お前もそう思うだろう?」


 副ギルド支部長がバルマーの死体を蹴って転がした。


「今のようなゴミの相手をさせてしまったのは私の不徳といたすところだ。非礼を詫びよう。赤ずきん、お前は強い」

「……だから?」

「お詫びと言っては何だがね、最高の相手を用意しよう」


 副ギルド支部長は巨大な魔法陣を天上と床の上下に出現させた。

 バチバチと雷が迸り、それがやがて激しさを増す。


「こいつを出すのは躊躇したんだがね。何せこいつは私ですら制御がきかない可能性がある」


 魔法陣の雷の中から一歩、巨大な爪足が踏み出した。

 地下のフロアに響くその足音はリゼルやアルバンドどころか、ライセファーに冷や汗をかかせるほどだ。


「あ、赤ずきん……これは、ダメだ……逃げろ……」


 ライセファーが絞り出すようにして声を発した。

 生まれて初めて遭遇する未知の感情に、彼はすっかり飲まれていた。


「オレは滅多に恐怖というものを感じないのだが……あれはダメだ……」


 魔法陣が消えて、それがついに顕現した。

 地下のフロアをぶち抜くほどの巨体、六足歩行の竜、尾は二股に分かれている。

 鱗が金属のような光沢があり、それが何重も張りついていることで堅牢さを物語っていた。


「グウゥゥアアォォーーーーーッ!」


 咆哮だけで地下フロアがまた軋んだ。


「ジェノサイドドラゴンッ! そこの赤い悪魔を血の一滴も残さず消し飛ばせぇ! そいつはこの世にいてはならんのだ!」


 ジェノサイドドラゴンは合計六つの真紅の瞳を動かしてまた吠えた。


「フハハハハッ! 終わりだ!」

「グウアアォォォーーーーーー!」


 副ギルド支部長の叫びは咆哮によってかき消された。


「あ、あ、赤ずきんさん! 逃げましょう! いくらなんでもあの大きさじゃ、太刀打ちできません!」

「そこにいる冒険者達を見捨てて?」

「あ……」


 リゼルの魔技スキルによって回復したものの、冒険者達は未だ現状を把握していない。

 そこにいるジェノサイドドラゴンすらも寝ぼけたような目で見上げていた。


「皆さん! 逃げてくださいッ!」

「え? あー……」


 冒険者の一人が気の抜けた返事をする。

 傷が回復したとはいえ、精神面が癒されるには時間がかかる。

 いわば彼らは廃人一歩手前だ。

 凄惨な状況に追い込まれた時のショックはそう簡単には消えない。

 どうすることもできないのかとリゼルは膝を叩いた。


「ライセファーさん、下がっていて」


 ライセファーを拘束していたシルバーゼラチナが無数の斬撃で吹き飛んだ。

 ようやく自由を取り戻せたライセファーだが、それでも赤ずきんの背を前にすることしかできない。


「まさか、まさかそれと戦おうというのか? 質量を考えろ! それにあの鱗! まともな手段では傷一つつけられない!」


 ライセファーが叫んだと同時にジェノサイドドラゴンが口から光を放たれる。

 異常なまでの熱を持ったそれはマグマに似た火炎弾だ。


「まずいッ!」


 ライセファーが拾い上げた剣で魔技スキルを発動した瞬間、火炎弾が裂かれて消滅していく。

 それが赤ずきんが振ったナイフによるものだと気づくのに時間がかかった。


「な、何を……?」

「すぐ終わるから」


 超越自在の女神ビッグバンメイデンでナイフによる斬撃の威力を高めつつ、風圧によって火炎弾を消し飛ばしていた。

 そんな真相など知る由もないライセファーはただ結果を受け入れるしかない。


「魔法、か?」


 かつてこの世界に存在したそれの名を口にしたライセファーでさえ、荒唐無稽だと思っている。

 見たこともない魔法に例える滑稽さは彼が一番よくわかっていた。


「グウウウゥゥッ! グウゥアアァァーーーーーッ!」


 ジェノサイドドラゴンが再び大口を開けた。


「これ以上暴れないで」


 赤ずきんが静かにナイフを水平に動かした。


「グ、ウゥ、ア……」


 ジェノサイドドラゴンの体が水平に分かれた。

 続いて縦に分かれて四頭分、斜め右、左、ありとあらゆるパターンの斬撃が刻まれる。


「……は? なんで?」


 ライセファー、リゼル、アルバンド。

 誰がそう言ったのか、或いは全員か。

 誰であろうと、そうとしか言いようがなかった。

 副ギルド支部長に至っては言葉を失っている。


「……これは夢だ」


 それがかすかに残った思考で絞り出した言葉だった。


「終わり」


 赤ずきんが踵を返すと、細切れになったジェノサイドドラゴンが地下フロアに大きな音を立てて次々と落ちた。

 何事もなかったように赤ずきんは冒険者達の無事を確認する。


「……ライセファーさん、リゼルさん、アルバンドさん。皆をお願い」

「ん? あぁ、わかっ……た……」


 唯一、ライセファーだけが赤ずきんに返事ができた。

 彼としてはその頼みを聞き入れて行動すべきだ。

 しかし、どうしても去り行く赤ずきんの後ろ姿から目を離したくなかった。


(クレアン……お前は何者なんだ……)


 そんな疑問に答えてくれる人物はいない。

 見失うまいとして、彼は赤ずきんから目を離さなかった。

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