第31話 同じ時間、同じ場所

 戸口から、薄明かりが差し込んでいる。

 チョンチュンと小鳥が鳴いていて、すぐ隣には彼女が……


 ということには、もちろんなっていない。

 お互いのベッドの上で、朝まで眠りについた。

 ただ俺はかなり寝不足気味だ。


 暗がりの中に浮かぶ白い寝顔をチラ見したり、スースーと耳孔をかすめる寝息が気になったり、寝がえりで布団が擦れる音に気持ちを高ぶらせたり。

 隣のベッドの様子が気になって、中々寝付くことができなかった。


 変な期待は持ってはいなかったけれど、やっぱり千冬さんと二人きりの夜というのは、想像以上に非日常だった。


「おはよう、信君」


「ああ、おはよう千冬さん。起こしちゃったかな。よく眠れた?」


「うん、ぐっすり。気持ち良かったあ」


 清々しい顔で、ぐんと両手を上に突き出して、背伸びをしている。

 どうやら千冬さんの安眠は、確保できたみたいだ。


 二人で散歩に出ると、海辺の朝は少しひんやりとしていて、衣服を揺らす海風が心地いい。

 昇ったばかりの朝日が、二人を優しく照らしてくれる。


「コーヒーを入れようか?」


「うん、ありがとう」


 海の景色を遠くまで眺めながら、温かいコーヒーと一緒に、朝食のサンドウィッチを口にする。


「なんだかあっという間だったなあ」


「ホントだね。楽しいと、時間が経つのが速く感じるよ」


 短く感じた時間だったけれど、俺にとっては色々なことがあった。

 若菜と偶然出会って、彼女の胸の内に触れたこと。

 遠野さんと二人きりのゆっくりとした時間、その中で、千冬さんと呼べるようになったこと。

 そして、開放的な建物の中ではあったけれど、一緒に夜を過ごしたこと。

 どれも特別なことだ。


 朝食を終えて一休みをすると、チェックアウトの時間が迫ってくる。

 これからまた車を走らせて、日常の世界へと帰って行くんだ。


 片付けを終えると、支払いがクレジットで終わっているから、これでもうやることはない。


「じゃあ帰りは、私が運転するよ」


「そう? 悪いね、じゃあお願いするよ」


 運転の方は千冬さんにお任せして、こちらは助手席でゆったりとくつろぐ。

 旅行先から戻る時には少し陰とした気持ちになることが多いけれど、今日はそんな感じは無い。

 名残惜しくはあるけれど、でも次に何かが待っている、そんな根拠のない期待感もあって。


 元来た道を辿って、いつもの喧騒へと戻り来た。

 今度は二人でレンタカー屋を訪れて、そこで車を返却した。


「あ~、戻って来たなあ。楽しかった」


「俺もだよ。あんなの初めてだったし」


「……ねえ信君、北条さんとは、また会うの?」


 若菜のことか……千冬さん、気にしているのかな。


「ううん、その予定はないよ。何か用事ができない限りはね」


「そっか……」


 アスファルトに視線を落として、少し唇を尖らせている千冬さんだ。

 何か心配でもさせてしまっているのだろうか。

 物の奥が、チクンと痛くなる。


 いつものマンションの前、少し古びた横断歩道の傍らで、今日はお別れだ。


「じゃあまたね」


「うん。あ、信君、良かったら今夜、いつもの場所で」


「うん。いつもの場所でね」


 今夜も、20メートルの距離を挟んで、一緒に過ごすことになりそうだ。

 けれど今までよりも、ずっと距離を短く感じる俺だった。




 ◇◇◇


 ぐっすり朝寝をしたり、部屋の片づけをしたり、麻雀ゲームに没頭していたりすると、連休はあっと言う間に過ぎ去っていった。

 その間も、千冬さんとのベランダでの交流は続いている。

 そして今は連休最終日の夕方だ。


「ごめんね、いっぱい持ってもらって」


「ううん、大丈夫。平気だよ」


 洋服やお菓子が入った大きな紙袋やビニール袋を両手に下げて、ようやくいつものマンションに辿り着いた。

 今日は一日千冬さんと、大阪のキタと呼ばれるエリアを歩いていた。

 そこはいくつもの路線が乗り入れていて、大阪駅の傍には数多くのファッションビルやビジネスビルがそびえ立つ。

 大阪の中心地と言っても過言は無いだろう。


 そこで、千冬さんの買い物にお付き合いをした。

 途中でたこ焼きミュージアムに立ち寄って、しっかりと昼飲みもしたのだけれど。


「晩御飯はどうしようかな、今日」


 横断歩道の前で呟く千冬さんに、思い切って声をかけた。


「あのさ、カレーで良かったら俺でもできるから、一緒に作ろうか?」


 すると意表をつかれたのか、きょとんとした表情が返ってくる。


「え、いいの?」


「うん。休み中に一回くらいは自炊をしようかと思って材料を買ったんだけど、それがそのままなんだ。だから丁度いいかなって。この前ご飯を作ってもらったお礼もあるからさ」


「そうなんだ……ありがとう。じゃあ、お願いしちゃおうかな」

 

「うん。じゃあ出来上がたら、そっちへ持って行くよ」


 そう伝えて背を向けると、「信君!」という声に呼び止められた。


「何、どうかした?」


「その……どうせだったらさ、一緒に食べた方が、面倒くさくないかなって、思ったんだけど……」


 それは、確かにその通りかな、出来立てを食べることだってできるし。

 けど……それって………え………?

 今日一番の、胸の高鳴りを感じる。

 きっとそれは、そういうことだよな……

 …………どうする俺…………ここは勇気を出せ。


「あの、それじゃ、うちの部屋に、来る……?」


「う、うん。そうすればさ、私もお料理するの、手伝えるしさ!」


「あ、ええと、それは心強いな。ははは……」


「じゃあ着替えたら、信君のお部屋、いくね?」


「う、うん。じゃあ、そういうことにしようか」


 女性を自分の部屋に、しかも二人きりで呼ぶなんてこと、よほどのことが無いとできはしない。

 けれど、グランピングで一緒に過ごした夜があったから、なんとか勇気を振り絞ることができたんだ。


 いそいそと部屋に戻って、ぐるりと中を確認する。

 幸い掃除をしたばかりなので、恥ずかしい所は見当たらない。

 急いで部屋着に着替えて、まな板や野菜を並べていると、インターホンの音が軽やかに鳴った。


「あの、ど、どうぞ」


「お、お邪魔します……」


 小さく頭を下げると、ちょっと大きめのスウェット姿の千冬さんは、玄関のドアを潜ってくれた。

 落ち着くんだ俺、ここは平常心だ……と、自分に言い聞かせる。


 キッチンで並んで、一緒にカレー作りだ。

 とはいえ狭い場所だし、まな板も1つしかないから、野菜の皮の剥き方や切り方を千冬さんに教えてもらいながら、慣れない手つきで包丁をふるっていく。

 その間に、お米を炊くために、炊飯器のスウィッチをONにする。

 切った野菜や牛肉を油で炒めて、水を入れてしばし煮込む。

 頃合いを見て、カレーのルーを入れて出来上がりだ。

 香辛料の香りが鼻を突いて心地いい。


「わ~、いい匂い。味しそう」


「よし、食べようか。福神漬けも買ってあるからね」


 リビングに置いてある小さなテーブルを二人で囲み、缶ビールを重ね合わせて乾杯した。


「うん、美味いな」


 普通のカレーライスのはずなのに、いつもよりも美味しく感じて、つい呟いてしまった。


「うふふ。ベランダじゃなくて、こんなの初めてだね」


「ああ、だね」


 カレーの辛さとは反対に、甘く感じる時間が流れていく。

 これでまた少し、距離が近づいたように感じる。

 通りを隔てて20メートルあった距離が、今は1メートルほども無いなのだから。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る