第9話 二人だけの夜に
村田工業との交渉は思ったよりも時間がかかってしまって、もう夕暮れ時だ。
どうしようかな、このまま家に帰ってのんびりすることだってできる。
けど、遠野さんと二人で、なんとか重たい仕事を終えることができた。
お疲れ様を兼ねて、ご飯でも一緒に食べるのも、ありかもしれないな。
彼女の方がOKしてくれるのならだけど。
「えっと……そうですね。もしよかったら、軽くご飯でも食べて帰りませんか? 俺はこのまま帰っても、どうせコンビニ弁当になるだけなんです。 ご迷惑じゃなかったら」
緊張しながら口にすると、彼女はほわっと頬を緩めてくれた。
「迷惑じゃないですよ。今日の仕事は勉強になりましたし、お礼もしたいです。久我山さんとはあまりお話もできていないし、嬉しいです」
いきなりのダメ出しではなかったので、ひとまずほっとした。
こんなの、全然慣れていないから。
仕事上での関係とはいえ、相手が女の人だと、やっぱり気は使ってしまうんだ。
「そうですか。お礼なんて別にいいけど、そう言ってもらえると、俺も嬉しいです。じゃあどうしようかな……」
何せ大阪に来たばかりで、土地勘がほとんど無いんだ。
「何がいいですかね? ちょっと店を調べてみましょうか」
「そうですね、何でもいいですけど……この前の歓迎会が和食でしたから、それ以外にしてみましょうか? 洋風レストランとか、イタリアンとか?」
「お、いいですね。じゃあちょっと探してみますね」
個人スマホで検索アプリを立ち上げて、近くにありそうな店を探す。
沢山あって迷うけれど、その中から、
「イタリアンが美味しそうなお店が、近くにありますね」
「そうですか。じゃあそこ、行ってみましょうか?」
「ええ、そうしましょう」
お互いに頷き合って、そこから短い時間で移動した先にあったのは、路面に面した洋風でお洒落な店舗だ。
少し込み合ってはいたけれど、幸い席は空いていたので、すぐに中に通してもらった。
「本当、どれも美味しそうですね」
遠山さんは、メニューの上で目線を動かす。
アプリの口コミでは、本格的なイタリアンがリーズナブルに楽しめるとのことだった。
「好きなのを選んで下さい。ワインも美味しそうですね」
「そうですね。どれにしようかなあ……」
二人で少し悩んでから、ピッツァマルゲリータに子羊の香草焼き、それにスパゲッティカルボナーラを注文した。
それに、ボトルの赤ワインを一本。
軽い雑談をポツポツとしていると、お料理と冷えたワインが運ばれてきたので、グラスを合わせて乾杯した。
「う~ん、パリッとしていて美味しいなあ」
ピザを口に運びながら、遠野さんの顔に笑顔が浮かぶ。
ほどよいトマトの酸味と香草の香りのバランスがよくて、生地にもしっかりとした甘みがある。
ワインにもよく合って、ついもう一切れ手を伸ばてしまう。
食べながら、話したいことを、いくつか頭に思い浮べた。
「遠野さん、ちょっと訊いてもいいですか?」
「ええ、何でしょう?」
「今の会社に入る前までは、別の場所で仕事をされていたんですか?」
「……はい……」
あれ?
食べる手を止めて、なんだか表情が曇ったような……
もしかして、良くないことを訊いてしまったのかな……
村田工業での話し合いの時に、別の会社の名前を耳にしたから。
でも、あまり個人的なことを訊くのも、よくないんだ。
「そ、そうですか! 俺はずっと同じ会社で営業畑ですが、四月から東京から大阪に転勤になりました。あはははは!」
咄嗟に話題を変えようかと、自分のことを話してみた。
「そうですか……私は東京にある、小さな
「……それって、さっき話していた、星宮工機ですか?」
「はい。大学を卒業してから、そこで2年ほど働いていたのですが、退職して美濃山商事に応募しました。そしたら採用されて、大阪配属になったんです」
「そうですか……」
小さな町工場から、大手商社へ……どうしてだろう?
気になるけれど、それ以上訊いていいのかどうなのか、よく分からない。
遠山さんの表情が、陰を落としているように見えるから。
それ以上は口にせずに、黙って赤ワインを口に含んでいると、
「実は私、結婚を前提に、お付き合いをしていた人がいたんです。星宮工機は、その人のお父さんが社長をやられている会社で。そこで一緒に働いていたんです」
…………そっか…………
それは、簡単に触れていい話じゃなかったかもしれない。
プライベートなことに触れてしまうし、なんだか申し訳ない。
けど、だったらなんで、今の会社に入って、しかも大阪に……?
疑問に思うけれど、これ以上質問はしない方がいいのかもと思う。
単なる会社の同僚が、個人的なことにあまり突っ込むのはよくない。
その代わりに、ボトルを差し出した。
「グラスが空ですね。注ぎましょうか?」
「あ、ありがとうございます」
遠野さんはグラスを重ねていって、頬がほんのりと赤みを帯びていく。
赤ワインのボトルは、もうすっかり空だ。
「よかったら、もう一本注文しましょうか? 今度は白ワインでも?」
「あ、はい。お願いします。ここ、本当に美味しいですね。お肉も柔らかくて」
初めての店だけれど、お気に召してもらったのなら良かった。
追加のワインも口にしながら、ゆっくりとした時間が過ぎていく。
外はもうすっかり暗くなって、車のヘッドライトが通りを行き交っている。
「星宮のお父さんに、背中を押されたんです。君はこんな小さな工場にとどまっている必要はない。もっと羽ばたいてみたらいいって。半ば強引に説得されて、退職を決意したんです」
遠野さんが、不意にそんなことを口にした。
「お父さんに、ですか。じゃあそのお付き合いをしている人とも、離れ離れなのですね?」
遠野さんのような人に、いい人がいない訳がない。
分かってはいるこれど、何故だか、心の中が重たくなる。
でもだとすると、今は遠距離恋愛ということにもなる。
そんな人がいるのに元々の会社を辞めて、今は大阪に?
そこに違和感を感じてしまって思わず発した問いに、彼女はぐっと俯いた。
そしてややあってから、
「久我山さんと、温泉でお会いしたじゃないですか。あれは私なりに、前を向くためのものだったんです」
「……前を、向く……?」
「はい。その彼と最後に訪れたのが、あの温泉だったんです。同じ宿に泊まって、同じお店に行きました。ずっと引きずってはいけないのだけれど、でももう一度、思い出に浸りたくて」
「……あの……話したくなかったら、無理をしなくてもいいですよ? 大切な話みたいですし」
慌てて言葉を送ると、彼女は静かに首を横に振って、
「よかったら……聴いてもらえたら、嬉しいです」
「……はい……俺は別に、構いませんが」
「その人は、病気で亡くなったんです。1年ほど前に」
………え………?
………………………………
そんな……まさか……
そんなの、気軽に触れていい話じゃないじゃないか。
猛烈な罪悪感と後悔が、津波のように押し寄せてくる。
何て無神経な奴なんだろう、俺……
「そうだったんですか。ごめんなさい、辛いことを訊いてしまいました」
「ううん。私こそごめんなさい。こんな話をしてしまって」
視線を下に落として、言葉に力は無い。
仕方がないだろう、結婚まで考えていた人を失って、まだそれほど時間は経っていないのだから。
慰める言葉も見つからない。
でも……
「遠野さん、大事な話をしてくれてありがとう。そんな君にどんな言葉をかけてあげたらいいのか、今の俺にはよく分からない、申し訳ないけれど。でも俺なんかでよかったら、話はいくらでも聴きますよ」
何ができるのかは分からない。
でも、何か少しでも、力になれたらいいなと思う。
こんな俺なんかでよかったら。
「……ありがとう。ちょっと気持ちが、軽くなったな」
彼女は表情に少しだけ明るさが戻って、またワイングラスに口を付けた。
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