第25話 制御の果ての決意

セクター7副制御室、2038年7月26日、正午過ぎ


ティムは肩を大きく上下させながら、荒い息を整えようとしていた。胸が火のように熱く、肺が膨らむたびに鋭い痛みが走る。汗で濡れた額をジャケットの袖で拭い、掠れた声で呟いた。


「ここが…レイナの言ってた分室の副制御室か」


喉は乾いていて、言葉を発するたびに砂を飲み込むような違和感があった。肩に担いでいたプラズマ砲をそっと壁に立てかけると、金属がコンクリートに触れて擦れるような音が響いた。


部屋は薄暗く、埃っぽい空気が鼻腔を刺激し、湿ったコンクリートの匂いが肺に染み込むようだった。古いビルの地下室のような冷気が肌を刺し、息をするたびに白い霧が立ち上った。制御パネルの緑色の光が不規則に点滅し、浮遊する埃の粒子を浮かび上がらせていた。星空のような美しさと、置かれた状況の危機感が不思議な対比を見せていた。


壁には緑色の苔が薄く広がり、時間の経過を物語っていた。天井から吊るされた裸電球がオレンジ色の光を放ち、フィラメントが時折震えると、壁に映る影もまた不規則に動いた。天井のひび割れから時折落ちる水滴が、床に小さな水たまりを作り、その音が心臓の鼓動のように規則的に響いていた。


部屋の奥の古いコンソールは厚い埃に覆われ、モニター画面が低く唸っていた。横には、焼け焦げたランドマスターの部品が散らばり、革と金属が焼けた臭いを放っていた。手で触れると、まだ熱を持っていて、つい先ほどまでの戦いの激しさを物語っていた。


壁には大きなセクター7の設計図が貼られ、黄ばみ、端が破れていた。「分室地下 - 副制御室」と赤く印が付けられ、地下深くへ続く複雑な通路網が示されていた。


メアリーは子供たちを壁際に寄せたまま、震える手をカーディガンの袖に隠し、静かに言った。


「ティム、間に合ったかな?」


彼女の声には安堵と緊張が混じっていた。眼鏡は埃で曇り、その奥に疲労の色が見えたが、冷静さは保たれていた。


『レイナが託した未来、ここにあるんだね?』


アールは両手で缶詰を握りしめたまま、眼鏡を上げた。


「パパ、やれるよね?」


彼の言葉には不安と期待が同居し、子供らしい純粋さと大人びた判断力が垣間見えた。


ヴァージニアはスケッチブックを胸に抱き、紙の質感から勇気を得ているようだった。


「レイナさんの意志だよ」


ジュディはぬいぐるみを両手で握りしめ、その柔らかさに安心感を得ていた。


「ウーちゃん、助けて」


彼女の目は大きく、恐怖に揺れていたが、ぬいぐるみを抱く腕には力が入り、小さな勇気を振り絞っていた。


トミーは母親の毛布に身を隠し、「ママ、怖い」と震えた。母親は息子を抱きしめ、「もう少しだよ」と囁いた。身体全体で子を守るように姿勢を低くしていた。


警備員がコンソールの前に立ち、唸る画面を見つめながら言った。


「制御率が下がった…だがロックはまだ外せねえ」


彼の声は機械的で冷たく、装甲スーツが彼の動きを制限しているようだった。手がスイッチに触れると、金属の手袋に緑の光が反射して模様を描いた。


ティムはコンソールに近づき、「アール、コンピューターはお前の方が得意だ。頼むぞ」と言った。


アールは短く頷き、コンソールに駆け寄った。表面の埃を払うと、キーボードに触れた途端、画面が青白い光を放ち、「副制御室アクセス - パスワード入力」という文字が現れた。


メアリーがポケットを探り、レイナから渡された血と灰で汚れたメモ紙を取り出した。


「これ…レイナが私に託したものよ」


彼女の声には特別な使命感があり、レイナとの絆を感じさせた。眼鏡の奥で目が決意に輝いていた。


紙は黄ばみ、端が擦り切れていたが、「Dahlia」という殴り書きが辛うじて読めた。急いで書かれたその文字には、託された思いの重さが宿っていた。


アールが「Dahlia」とキーボードを打つと、画面に「副制御室アクセス許可 - 地下実験ドーム接続」という文字が現れた。短い電子音が響き、部屋の壁の一部が軋みながら動き始めた。埃が舞い上がり、空気が重くなる。


壁が開くと、地下への階段が現れ、暗い通路から冷たい空気が立ち上った。階段は苔に覆われ、湿った石の匂いが漂っていた。奥からは水の流れる音が微かに聞こえ、不思議な違和感を覚えさせた。


突然、静寂を破るように、スピーカーからノイズ混じりの音声が流れてきた。


「ティム…メアリー…地下へ…」


途切れた声にアールが目を見開いて叫んだ。


「これ、レイナさんの声だ!」


声は小さく、雑音に埋もれそうになりながらも、レイナ特有の力強さが確かに感じられた。金属的な響きの中に、生命の温かさが宿っていた。


メアリーは「レイナ…まだ導いてくれるのね」と呟き、頬が紅潮した。科学者としての分析と、友人への思いが交錯する表情だった。


ティムは「急げ、アール。レイナが仕掛けた何かだ」と言い、アールの肩に手を置いた。その接触に少年は安心感を覚え、さらに集中してキーボードを叩いた。


アールは「もう一つ…パスワードがいるみたい」と言った。画面の光が眼鏡に反射し、真剣な表情が際立っていた。


警備員が設計図を指差し、「地下実験ドームへの道だ。レイナが残した手がかりがあるはず」と言った。装甲スーツの動きに伴って金属音が響いた。


住民の一人が不安そうに「まだナノマシンが…外で動いてる」と言い、扉の外を覗いた。触手の唸り声が遠くで響き、彼の体は小刻みに震えていた。壁もまた微かに揺れ、天井のひび割れから黒い粒子が少しずつ染み出してきた。


ティムは「落ち着け!レイナが信じた未来だ。ここで諦めるな」と声を張り上げた。喉は掠れていたが、それでも一行の士気を高めるには十分だった。


メアリーはメモ紙を再び見つめ、何かに気づいたように言った。


「チューリップ…レイナが最後に呟いてた」


彼女の記憶がよみがえり、レイナが血に濡れた手でメモ紙を渡し、「私の代わりに未来を…託す…」と言った瞬間が蘇った。その記憶は痛みと使命感を同時に呼び覚ました。


アールが「Tulip」とキーボードに打ち込むと、画面が「第二段階解除」と表示し、階段の奥がさらに開いていった。コンソールが唸り、緑色の光が強まった。複雑なデータが画面上を流れ始めた。


ティムが再びプラズマ砲を手に取り、「実験ドーム…そこにナノマシンを止める答えがあるのかも」と言った。砲の重みが肩に食い込み、筋肉が緊張で硬くなっていた。


メアリーは「レイナの意志が私たちを導くわ。地下へ行きましょう」と言い、子供たちを見る目に母としての愛情が浮かんでいた。


アールは「レイナさん、ありがとう」と小さく呟き、眼鏡を上げた。


ジュディは「ウーちゃんと一緒に行くよ」と微笑み、小さな体の中に隠された勇気を示した。


ティムは一行を見渡し、「全員、準備しろ。地下でエリザのナノマシンを止める手がかりを見つけるぞ」と言い、暗い階段を見下ろして呟いた。


「レイナ…もう少しだ、待っててくれ!」


一行は階段を下り始め、足音がコンクリートの壁に反響した。階段の表面は苔で滑りやすく、冷たい感触が足裏に伝わった。手すりは錆び、触れると茶色の粉が手に付いた。


彼らの前には未知の真実が待ち受けていた。暗い階段の先で、エリザの過去と彼らの未来が交錯することになるとは、誰も予想できなかった。壁を伝う水滴が、時を刻むように落ちていき、彼らの足音と混ざり合って地下への道のリズムとなった。

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