第15話 エリザの尋問
時間: 2038年6月27日、午前10時
場所: セクター7中央タワー、隔離監視室
労働を終えて束の間の休息を得たティム一家は、寝袋に腰を下ろしていた。テントの外では灰が息をするように舞い、布地を時折強く叩いては引いていく不規則なリズムを刻んでいた。遠くから住民たちの声が風に乗って断片的に届いた。
テント内は薄暗く湿った空気が漂い、寝袋の表面を覆う灰が指先に触れるとザラついた。家族の服には乾いた汗と土が染み込み、新たな生活が彼らの身体にも刻まれつつあった。
「次はいつ働くの? カイとまたカート押したいな」
アールは寝袋の上で膝を抱え、好奇心にあふれた瞳で空を見つめた。灰で汚れたトレーナーの袖を無意識に整えながら、彼の指先が空中で踊るように動いた—「この世界の仕組み、解明できたらな」という思いが彼の胸に広がった。
「手、まだ冷たいよ。水が冷たすぎた」
ヴァージニアは両手を擦り合わせながら呟いた。緑の瞳が周囲の灰色の世界をなぞり、「こんな単調な色彩でも、光と影の表現ならスケッチできるかも」という小さな希望が芽生えていた。
「ママ、パン食べたい。ウーちゃんも食べたいって…」
ジュディは母親に寄り添い、ウーちゃんを胸に抱きながら、人形の耳を優しく撫でた。
「少しだけあるわ、ゆっくり食べてね」
メアリーはジュディの頭を撫でながら静かに言った。
突然、重い足音が近づき、テントの布に影が落ちた。扉口に現れた灰色の装甲スーツの警備員は、赤く点滅するセンサーが不吉な光をテント内に投げかけていた。
「ティム・マクレーン、全員連れて中央タワーへ来い。命令だ」
機械的な声は感情を欠き、無機質にテント内に響いた。
「俺たちに何の用だ?」
ティムは立ち上がり、声に怒りを宿らせた。両手が無意識に拳を作り、爪が掌に食い込んだ。
「家族全員で?どうして?」
メアリーは子供たちを引き寄せながら、動揺を隠せない声で尋ねた。学校での緊急事態の記憶がフラッシュバックのように蘇った。今度こそ全員を守らねばという決意が新たに湧き上がった。
「怖いよ…また何か怖いこと?」アールの声が震えた。
「嫌だ、行きたくない」ヴァージニアはセーターを胸に抱き締めた。
「パパ、ママ」ジュディの小さな手が親を求めて伸びた。
警備員は冷たく言い放った。「黙って従え」
電撃棒から青い火花が散り、テントの布に不穏な影を投げかけた。
リサが隣のテントから顔を出し、小声で警告した。
「気をつけてね。普通は呼ばれることなんてないのに」
カイの肩に手を置いて奥へ下がらせながら、心配そうな目でティム一家を見守った。
「遅れると処罰だ」
警備員は冷たく付け加え、一行を強引に外へ導いた。
中央タワーへの道は灰に埋もれ、周囲で働く住民たちの姿は灰嵐に霞んでいた。風が髪を揺らし、冷たい空気が頬を刺す。
タワーの基部に近づくと、圧倒的な存在感の鋼鉄の扉が彼らを迎えた。錆びた表面には赤いセンサーが点滅し、複数の監視カメラが無機質に家族の動きを追った。「中央タワー」というプレートは半分剥がれ、風に揺れるたびに不穏な音を立てていた。
警備員がIDカードをスキャナーに通すと、低い機械音と共に重い扉が開いた。冷気が吹き出し、舞い上がった灰が目に刺さる感覚をもたらした。
通路は狭く圧迫感に満ち、コンクリートの壁には赤い結晶が脈動するように埋め込まれていた。金属の床が足音を増幅させ、天井からは自動銃のレーザーが一行を監視していた。
「封印エリアか…分室でも見たな」
ティムの目が壁の薄れた文字に留まった。
「一緒なら大丈夫よ」
メアリーは子供たちの手を握り、安心させるように囁いた。その声には揺るぎない決意が宿っていた。
一行はセキュリティゲートを通過し、顔認証を経て、エレベーターに乗り込んだ。表示パネルに「隔離監視室」という文字が浮かび上がった。
「厳重ね部屋だな。何が待ってんだ?」
ティムは緊張を滲ませながら言った。かつて農場に害獣が侵入した時、罠を仕掛けた彼自身が今、罠にかかった獲物のような感覚に襲われた。
「気をつけて」
メアリーが小さく囁き、子供たちを守るように抱き寄せた。
エレベーターが軋む音と共に降下し、扉が開くと隔離監視室が姿を現した。
部屋は科学的精密さと冷たさが同居する空間だった。点滅するモニター群、薄い灰の層が積もった床、赤く光る制御盤、唸りを上げるナノマシン解析装置。空気には金属と消毒液の混じった匂いが漂っていた。
部屋の中央には威厳ある女性が立っていた—エリザ。
灰色の制服に白いコートを纏い、鋭く冷徹な青い瞳が一行を見据えていた。短い黒髪は額にかかり、頬の傷跡が彼女の過去の苦難を物語っていた。
「ティム・マクレーンとその家族。2025年から来た特異者ですね」
彼女の声は氷のように冷たく澄み渡り、それでいて研究者としての鋭さを秘めていた。青い瞳は一人一人を値踏みするように観察していた。
エリザはナノマシン検出器を向け、微かな光が点滅すると甲高い音が一瞬響いた。
「どうしてそれを知ってるんだ?」
ティムの声には混乱と怒りが入り混じっていた。
「静かにしなさい」
エリザは鋭く遮り、データパッドを握る指にわずかな震えが見えた。メアリーはその細部に気づき、この女性が表面の冷淡さとは別の感情を抱えていることを直感した。教師として長年人の表情を読んできた彼女には、エリザの目に宿る怒りの奥にある深い痛みが見て取れた。
「検疫記録に残ってるわ。2025年6月20日、隔離フィールドの異常で時間軸がズレた。その証拠があなたたちよ」
エリザのパッドには「ウェイド・インダストリーズ、ナノマシン実験」という文字とレイナの記録が映し出されていた。
「レイナが言ってた…私たちは隔離フィールドに巻き込まれたって」
メアリーの言葉に、バンガローでの青白い光の記憶が蘇った。耳を圧する風の音と子供たちの叫び声。全てが変わった瞬間。
「レイナ・ハートね」
エリザの表情に緊張が走った。
「私の助手だった女がなぜあなたたちと一緒なのかしら」
彼女はモニターに手を当て、青い瞳に怒りと何か深い感情が交錯した。
「あなたたちがここにいる理由を彼女は隠してるはず。時空の法則を操作する何かを」
科学者としての冷静さと個人的感情の狭間で揺れる様子が彼女から伝わってきた。
「俺たちは何も知らねえ。レイナに助けられただけだ。本部へ行ったって言ってた」
ティムは腕を組み、メアリーと子供たちを守るように前に立ちはだかった。農場で嵐から家族を守った時と同じ姿勢。
「本部? 嘘をつくな」
エリザの声は鋭さを増した。
「彼女が本部に行くなら、私が知らないはずがない。レイナは何か企んでるわね」
頬の傷跡が顔に影を落とし、過去の研究の記憶が彼女の中で疼いていることが伝わってきた。表面の怒りの下に痛みを隠していた。
「レイナを信じよう」
ティムはメアリーに小さく囁き、共に困難を乗り越える意思を確認し合った。
「あなたたち、レイナから何を聞いた? 隠すと追放処分よ」
エリザが一歩近づき、声に威圧感が増した。足音が床に鋭く響き、コートの裾が灰を舞い上がらせた。普段の冷静さに乱れが生じていた。
「何も知らねえって言ってるだろ」
ティムは怒りを抑え切れない様子で答えた。
「彼女は私たちを助けてくれただけよ。データが残ってれば過去に戻れる可能性も理解できるかもって…」
メアリーは教室で混乱した生徒を落ち着かせるような冷静さで語ろうとしたが、声は微かに震えていた。
「データ? なるほどね」
エリザの口元に皮肉な笑みが浮かんだ。
「レイナがそんな甘い夢を見せたのね」
彼女の声には科学者としての冷徹さと何か個人的な感情が混じり合っていた。
「確かに私の実験には時空転移の技術があったわ。でも、それは失敗したのよ。制御不能になって…この世界ができた」
青い瞳が暗く陰り、データパッドを握る指に力が入った。科学者としての自負と破壊的な結末との間で引き裂かれる苦悩が垣間見えた。
「失敗したなら、なぜ俺たちを疑うんだ?」
ティムの詰問にエリザは瞬時に反論した。
「レイナがまだ信じてるなら、何か企んでる証拠よ」
メアリーは子供たちを守るように抱き寄せながら静かに言った。
「私たちはただ生き残りたいだけ」
「レイナ、どこに行ったの?」
アールの素直な疑問に、エリザは少し表情を和らげた。
「彼女がどこにいるかは私が知りたいくらいよ。分室で何か見つけたなら…危険な賭けに出てるわね」
子供に向ける声には、わずかに柔らかさが混じっていた。
「レイナ、助けてくれるよね?」
ヴァージニアの小さな声に、エリザは冷たく返した。
「助ける? 彼女は自分の目的のために動いてるだけよ。あなたたちを利用してる可能性だってある」
話しながら、彼女の視線が壁の赤い結晶に向き、一瞬だけ不安が浮かんだ。
「レイナさん、優しかったよ」
ジュディの無邪気な反論に、エリザの表情が一瞬崩れた。何か心に響くものがあったように見えた。
「優しさなんて、この世界じゃ脆いだけよ」
彼女の声には苦さが滲み、コートのポケットに手を入れて何かを握りしめた。過去の痛みを思い起こさせるような仕草だった。
「見てみなさい」
エリザは背後の隔離パネルを指し示した。中にはナノマシンに侵された男が閉じ込められ、赤い結晶が脈打ち、半ば金属化した体がガラスに擦れて耳障りな音を立てていた。赤く光る目は獣のように家族を睨みつけていた。
「これがナノマシンの末路よ。レイナがあなたたちに何を話したか知らないけど、彼女が私を裏切った結果がこれ」
エリザの声には冷酷さと怒りが満ちていたが、その奥には深い悲しみも潜んでいた。
「裏切った? 何だそれ」
ティムの困惑に、エリザは静かに答えた。
「13年前、彼女は私の助手だった。実験の失敗を止められなかった…いや、止める気もなかったのかもしれないわ」
パッドを握る手の震えに、彼女の執念が現れていた。傷ついた科学者の怒りと使命感が交錯していた。
「そんな…レイナが?」
メアリーの声に驚きと疑念が混じった。
「あなたたちは私の監視下に置くわ。レイナが戻れば、彼女から直接聞く。もしあなたたちが何か隠してるなら…その時は容赦しない」
背後のモニターに赤い警告灯が点滅し、遠くから唸るような音が響いてきた。
「行きなさい。仕事に戻って生き延びなさい。それがあなたたちにできることよ」
警備員の促しで一行は通路へ押し出された。
「いったい何がどうなっているんだ」ティムは低く呻いた。
メアリーは子供たちの頭を優しく撫でながら応えた。
「でも、何があっても私たちは一緒よ」
その言葉には温かさと決意が宿り、どんな逆境も共に乗り越えていくという誓いが込められていた。
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