説明力

島尾

言葉など

 人に説明することは難しい。その人がどの程度の理解力を有しているかという問題もあるが、自分自身がどのような言葉を連結させるのか、そしてどの程度事柄と言語の一致をさせることができるのかという課題もある。

 私がほとんど諦めているのは、一回で相手に理解してもらうことである。身近に、説明がとても分かりやすい人がいる。子育てママで、物事を単純化して伝える技術を身につけていて、大きめの声ではっきりと伝えることを意識していると思われる。しかし私の周りの人は常には一回で理解できない。それは、作業内容自体が複雑な場合である。現実の運動は3次元空間で起こっているわけで、複雑化すればするほど言葉の選択肢も文章量も増えていく。

 私は声が小さく、はっきりとした発音をするのが苦手だと自覚している。もし正確な説明を脳内でできたとしても、脳の外に出す際に喉が支障をきたす。また、私などに説明されることが嫌、という人もいそうである。そういう人に対してボソボソ言うと、ただひたすらに嫌われるだけだろう。

 場数を踏むことしかないとすれば、まず場数を踏むために必要な心持ちが何か知っておくことだろう。兼好法師は、恥をかかずして大成することはないと言っている。それが本当に正しいかどうか証明することは私などにはできないが、恥を自ら喜んでかきにゆくと、恥という実際には恐怖心に慣れることができると思う。子育てママは子供に「分かんない」と言われ続けて、自分が説明能力0なんだという恥をかいて、それでも何もしないわけにはいかないから何とかもがいて説明を続けたと思う。やっと子供が少し理解してくれるようなある程度の説明力を身につけたとき、既に、大人にとってはかなり分かりやすい説明をできるようになったのではないか。

 昔は、見て覚えろ、という師が過半数だったと思う。それは、言葉を知らないことと恥をかきたくないという感情、それらをひた隠すための激怒だったのではないか。もちろん事柄が複雑になると恥どうこうは関係なくなってくるが……例えばパソコンのコピーペーストのやり方程度であっても見て覚えろと突き放す人は、恥をかきたくないだけだと思う。私はそういう小者にはなりたくない。

 自分ができるから横の人に説明することなく自分でやってしまう、ということがある。これは、せっかくのチャンスを逃すことであり、大抵そういうときの自分は苛立っている。そのチャンスをつかめば、少なくとも場数を1増やすことは確定するというのに。

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説明力 島尾 @shimaoshimao

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