ティアーデ ~黒い島の双巨~

紅零四

序島(章)


曇天の下。

村には水晶の様な眼と鋭い牙や爪を持った様々な“魔物”たちが雪崩れ込んでいく。

齎されるのは破壊と殺戮である。


一体でも耳障りな鳴き声と恐怖心を駆り立てる存在感を放つと言うのに。

そんな魔物が大量に襲い掛かっている姿はあまりに悍ましく。

まるでこの世界の子供たちが幼い頃から何度も耳にする旧い伝承【大災害】の一幕の様だ。


唯一異なるのは“巨人”の姿がないことくらいだろうか。



「グガアアアアッ!!」

「グギャアアアウッ!!」



魔物特有の耳障りな咆哮の数は増えるばかり。

一方でほんの少し前まで聞こえていた“助けて”や“くたばれ”と言った悲鳴や怒号はいつの間にか聞こえなくなっていた。

視線を動かせばあちらこちらに見えた魔物から逃げ惑う人や魔物と戦う人の姿も見えなくなっている。


そうした現実に込み上げて来る恐怖と不安に押し潰されそうになりながら。

少年は懸命に“生きよう”としていた。



「はぁ・・・はぁ・・・」



金髪蒼眼のその少年は剣を構えていた。

しかし、その呼吸は荒く彼の視界はぼやけていた。

身体のあちこちに擦り傷や切り傷、打撲痕が見られそれらの痛みに苦しんでいる。

もっとも酷いのは背中の切り傷だろう。

血が流れ続けているその傷はまるで背を焼いている様な猛烈な痛みを少年に齎していた。


その様な状態である為、剣を握っている手の感覚も時折なくなる。

心身の疲労と恐怖が合わさって足も震えていた。

更に追い打ちを掛けるように“魔力”の使い過ぎで身体がとても重かった。


どう考えても拙い状態だ。

一刻も早い治療が必要なことは疑いない。

それが無理ならせめて止血して休ませる必要があるだろう。

しかし、少年を殺そうとする魔物たちが数を増やす一方である現状に休むことなど出来る筈もない。


少年の一瞬意識が飛び掛けた。

何とか踏み止まって剣を構え直すがその間に魔物が飛び掛かっていた。

とても迎撃は間に合わないから慌てて回避を・・・と頭では避けたつもりだったのに。

思う様に動かない身体では避け切れず右肩に魔物の体当たりを受けてしまった。

吹き飛ばされた少年は畑と道を隔てる木柵を壊しながら地面を転げた。


身体の痛みが一瞬消えた気がしたのはまた意識をほんの僅かな間だけ失ったからだろうか。

だがすぐに身体中に痛みが走り少年は声にならない声を発した後、荒い呼吸を繰り返す。


それでも少年は痛みに苦しみながらも起き上がろうとした。

立ってもまともに戦える状態ではない。

それでも立たなければ確実に殺される。

立っていればまだ、生き延びる可能性がある。


起き上がりながらも意識が朦朧として視界が揺れる。

身体は痛いのか感覚がないのか訳がわからなくなってきた。

このまま起き上がらない方が楽かもしれないと言う想いが過る。



「・・・まだっ・・・!」



それでも少年は諦めなかった。

必死に生きようとした。

そのことが少年には可笑しかった。


この村で生まれ育った彼はこれまで決して自分の命に価値を見出しては来なかった。

それなのに今、驚くくらい生への執着を見せている。


少年が生きようと必死になる理由。

それは彼が死を目前にして命が惜しくなったからではない。

自分を生かす為に命を落とした人がいる。

つまりその人の死を無駄にしたくない。

その人が救ってくれた命を価値あるものにしたくて。

だから生きようと必死に抗い、生に踏み止まろうとしていた。



「・・・あああああああああっ」



少年は不意に苛立ちを覚えて叫び声を発した。

その苛立ちは思う様に動かない自分の身体に対する怒りか。

それとも大切な人を失うまで生きることを無駄と考えていた自分の幼さに対するものか。


どちらなのかは少年にわからなかった。

それでも少年は立ち上がった。

手足の感覚と痛みが同時に戻ってくる中。

それらの痛みを堪えながらまだ生きようとする。



「グゴオオオオッ!!」



魔物特有の耳障りな咆哮に視線を向けた。

ぼやけた視界の中で黒い塊が迫って来るのがわかった。

もうまともに見ることも出来ない状態だ。

それでも剣を構えようとして少年はようやく自分が剣を持っていないことに気づいた。

先ほど吹き飛ばされた際に落としていたのだ。


いよいよ諦めるかのかと思えば、少年は諦めなかった。

足元に何かが転がっているのがぼんやりと見えた彼はよろめきながらもそれを手に取った。

感触から木材だとわかった。

吹き飛ばされた時にぶつかった木柵の破片だった。


だが少年にとってはなんでも良かった。

自分を殺そうと迫る魔物に通用するかどうかも関係ない。

ただ抗う為の何かを得たのであればそれを使って生きようとするだけだ。



「グガッ・・・!?」



木片を手に心許ない構えをした直後。

何かが上から魔物に向けて降って来たかと思うと再び上へと舞い上がった。

少年が訝しんでいると迫っていた魔物が妙な声を発した後に滑るようにして地面に倒れ込んだ。


視界がぼやけて何が起きたのかわからずとも近づいていた魔物が動きを止めたことはわかった。

少年が戸惑いながら呼吸を整え目を凝らすと魔物が紫色の血を流して息絶えていた。



「なに・・・が・・・?」


「ルルゥッ」



少年の口から戸惑いが漏れ出ていると上空から何かの鳴き声が聞こえた。

上からと言うことは鳥だろうか。

だが聞き覚えの無い鳴き声だ。

そんなことを思いながらも少年は空を見上げることはなかった。

もう、そんな力すら残っていなかったのだ。



「はぁぁっ!!」



立っているだけで限界な少年の視界の端。

雄々しい声と共に何かが降り立ったように見えた。

視線を向けてもぼやけて見えない。


頭を振ってからもう一度視線を向けた少年が見えたのは一人の女性。

鍛え抜かれた緑色の身体のその人は自身の背と同じくらい大きな剣を持っていて。

周囲には複数の魔物の死体が転がっていた。



「ほいっと!」



呆然とその人を見つめていると掛け声と共に女性が剣を横薙ぎに振った。

すると物凄い風が生じて女性に向かって突進していた二体の魔物が血を流しながら滑るように倒れ込んだ。

まるで“風の刃”を放ったかの様だ。


少年がその光景を見つめていると彼に気づいた女性が視線を向けた。

白っぽい灰色の長髪を一つ結いにした薄赤色の瞳の彼女は少年に向かって優しく微笑んだで。



「助けに来たよ」



そう言って女性は背を向けて。

迫り来る魔物の大群に真正面からぶつかった。


“ティアーデ”と呼ばれる世界における一〇八三年のある日。

後に“ウェストランデ大魔嵐”と称される災害を生き延びた一人の少年は彼女のその凛々しい姿を目に焼き付けて。

眠るように意識を失った。



物語はその六年後から始まる。

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