第11話 人生というものは、
薪で焚く風呂は、とてつもなく熱い。
風呂を沸かす手順は一般的な家庭と違う。まずは、湯船に水を張る。それから、外の釜に薪を入れて火をつける。そうして風呂の水が完全にお湯へ変わるまでには、2時間はかかる。その間、薪当番は定期的に窯の様子を見て薪を足したりしなくちゃいけない。
そんなものだから、水温の管理は無理だ。大抵の場合、冷たすぎるか、熱過ぎる。スパゲッティが茹でられそうなぐらいの熱湯になったりする。それを水で冷まして調整しながら入浴するのだ。熱々の風呂の底は何も無いと火傷するから、底に板を敷いて浸かる。
ただ蛇口を捻ったらお湯が出て、冷たくなってきたら追い焚きをすればいいだけの風呂とはずいぶん違って、だいぶ不便だ。それでも仁さんが、慶一郎さんが毎日こんなお風呂に入っている理由を、僕もわかってきた。
風呂桶全体が熱くなっているから、湯が冷めにくい。体の芯からホコホコ温まっていく感じがして、とても気持ちいいのだ。まるで毎日温泉に入っているような心地になる。ただの水道水らしいけど。僕もこのお風呂が好きになった。
僕は一番風呂の栄誉を頂いていて、最初に入らせてもらっている。まあ、まっさらのお湯へ浸かれる代わりに、水温に振り回されるから、一番風呂がいいことなのかは微妙なところだった。僕の後に慶一郎さん、そして火の管理をする仁さんが入ることになっていた。
その時も、僕はどうにかアツアツの湯を適温まで冷まし、ゆったりと湯船へ入った。ふぅ、と溜息を吐くと全身から力が抜けて、溶けだしていくようだ。
冷えた風呂場には白い湯気が立ち込めて、時折天井からぴちょんと水滴が落ちてくる。外からはゴソゴソと仁さんが窯をいじっている気配と、パチンと薪が爆ぜる音。僕はこの静かな時間も好きだった。
「陽翔~、湯加減はどうだ」
外から仁さんが声をかけてくる。
「いい感じです」
僕のできるだけ大きく答えた声は、風呂場に反響してなんだか変な感じだ。
「そうかそうか。今日の風呂は格別だろ。メイドイン陽翔の薪を使ってるからな」
メイドイン、ってそういう使い方であっているんだっけ。首を傾げたけど、まあいいや。確かに、僕が割った薪だと思うとなんだか嬉しくて、体の芯からポカポカ温まるような心地がした。
しばらく過ごして、僕は今日一日を振り返る。慶一郎さんは、話しかけさせすれば答えてくれた。なら仁さんも、答えてくれるんだろうか。
「仁さん」
「んー?」
「仁さんは、どうしてここに住んでるんですか?」
この家は相川家先祖伝来のものだけど、しばらく誰も住んでいなかったはずだ。そこへ仁さんが相続してまで帰って来たのはどうしてなんだろう。素朴な疑問だった。
「あー……」
仁さんは考えるように声を出して、それから話してくれた。
「俺は末っ子の三男坊なんだけどよ。陽翔も同じだったよな?」
「はい、ええと僕は、兄と姉がいるので厳密には次男ですけど」
「あーそうか。まあいいや。要するに、末っ子っていうのはよ。住む家ねえんだわ。田舎じゃ特にさ」
家督、という問題だ。仁さんはそう語った。
令和の今になっても、実家は長男が継ぐもの、という考えは根強く生き残っている。相川家もそうだったらしい。じゃあ長男以外は、というと、女は嫁に行き男はどこかで新しい所帯を持つ。そうして広く家の血を各地へ広める。
もちろん、僕の家だってそうだ。相川家の次男だった父さんは、ここから遠く離れた地で一ノ瀬家へ婿入りすることになった。そして生まれたのが僕というわけ。
仁さんももちろん、そうだったらしい。この実家を出て普通に就職し、家だって持っていた。相川家は当然長男が相続する予定だったそうだ。
ところが大問題が起こった。長男は便利な街に大きな家を建てていたから、こんな山奥の家なんて相続したくないと言いだしたらしい。父さんだって、もう遠くに暮らしているし一ノ瀬家の一員だ。で、三兄弟でこの家の押し付け合いになった。
「相川家先祖伝来のありがた~い実家は、俺たちにとって厄介なものになってた、ってわけだな。でも悲しいことじゃねえか。爺さんたちが切り開いてわざわざ作った土地と家だぜ? それが百年も経たないうちに、兄弟同士でいらねえって言い合うようなもんになるなんてさ」
当時のことだ、めちゃめちゃ苦労して開墾とかしたんだろうにさ。
仁さんは、風呂場の中からでもわかるぐらいの大きな溜息を吐いている。僕はなんとコメントするべきかわからず、相槌を打ちながら仁さんの話へ耳を傾けていた。
「大体、親父もアニキも、長男が家督を継ぐもの~、みたいな顔してたのにさ、今になって俺にまでどうかって言ってくるんだぜ。人間って自分勝手だよなぁ~、って腹も立ってさ。俺だって仕事も家も有るんですけど~! ってな」
「……それは、その。大変だったでしょうね」
「あーもうそりゃ久しぶりの兄弟大げんかとなったわけよ。で、叔父さんは怒ったから、この家をもらうことにしたってわけ」
「え? ……え?」
怒ったから、この家をもらうことにした? なんだかよく理解できなくて聞き返すと、仁さんは笑って言った。
「ここをな、男の夢が詰まった俺のワンダーランドにしてやるって決めたんだよ。俺たち兄弟の厄介な荷物じゃなくて、俺が好きに作り直した宝物にしてやろうってな」
だから、ニワトリも飼うし畑もする。薪の風呂はそのままにしたし、果樹園はやらねぇけど、そこら中に果樹を植える。なんならツリーハウスを作ったっていいし、露天風呂とかサウナとか作ってもいい。流しそうめんとか、庭でキャンプなんてしてもおもしろいんじゃねえか?
そう語る仁さんの声は、なんだか楽しそうで。風呂の壁を隔てて、僕までなんだかワクワクした気持ちになってきた。
確かに、そんな風になんでもできたら、とても素敵な場所かもしれない。
「いいですね、すごく楽しそう」
「だろ~? そう考えたら仕事なんかパーッと辞めちまってさ、ここに住んじまってた。そんでここは俺の城だから慶も呼んだし、陽翔も大歓迎。……おーそうだ! 露天風呂作ろうぜ露天風呂! 絶対楽しいぞ~」
温泉なんかねぇけど、外に湯船がありゃ露天風呂だろ。そう言って笑う仁さんにつられて、僕も笑顔になった。確かに、とっても楽しそうだ。自宅の庭に、露天風呂があるなんて。まるで子供の頃に思い描く夢の家。
きっと、仁さんはそんな楽しい夢を現実にしようとしているんだ。
「いいですね、露天風呂。僕も入ってみたいです」
「だろだろ~? なんせここは俺んちだしな! もう仕事にも家にも縛られない、俺は本当の自由人ってわけだ。いや~、人生どう転ぶかわかんねえよなあ」
「ホントですね。それに、そうやってこの家へ移り住むのを決められた仁さんってすごいです。できるってわかってても、なかなか決意するのは難しそうですし……」
「なあに、俺はテキトーに生きてるだけだよ。だけどなぁ、陽翔。まあ俺を見てたら、人生何がどう転んでいい結果になるかわかんねえって感じするだろ?」
「? はい、そうですね」
首を傾げると、仁さんはそれまでの笑い話とは違って、柔らかいトーンの声で。
「だから、陽翔もあんま気負うなよ。何がいいことで何が悪いことかなんてな、後になってからじゃねえとわかんねぇんだから」
その言葉に、僕は一瞬考えて、それから笑顔で頷いた。
なんだか顔も体も熱い。はにかみながら水温計を見ると、いつのまにか湯音が上がってしまっている。僕は慌てて蛇口へ手をかけた。
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男3人、いなかですごす。 なずとず @nazutozu
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