第9話 空の果ての青

「ここは何にもないけど、何でもあるからな。楽しんで行ってくれよ。俺も何か困ったことがあったら相談乗るし」


 拓海さんの笑顔は裏表なんてないと思えるような、明るくて眩しいものだ。僕はなんとなく、社交辞令じゃないのかもしれないと感じた。


「拓海、今は荷物を確認して」


「あーそうだった! えーと、ここまでやったっけ……」


 拓海さんは慌てて荷物を確認し始める。段ボールや紙袋にはそれぞれバーコードが貼り付けられていて、それを機械でスキャンしては何か印刷するを繰り返していた。


「えと……慶一郎さん、これは一体……?」


「荷物」


「…………ええと……」


 即答されて、そこからどう会話を広げたらいいかわからなくなる。モゴモゴしていると、慶一郎さんはこっちを見た。無表情のまま、彼は「中身が気になる?」と尋ねてくる。


「は、……はい、すいません……」


 気まずくて謝ると、慶一郎さんは不思議そうに首を傾げてから答えた。


「僕が作ったもの。売ってるの」


「……えっ、ハンドメイドってことですか? それとも仕事として?」


「今はどっちもかな。見ての通り、それなりに売れてるし」


 いったいどんなものを作っているんだろう。いつもミシンを動かしているし、裁縫をしているのかな。慶一郎さんって髪もグレーに染めててクールだし、かっこいい服とか……?


 気になる。気になるけど、深掘りしていいんだろうか。


 なにかリアクションをしようと考えていると、「はい、オッケー」と拓海さんが頷く。


「荷物の確認できたんで、持って帰るよ」


「うん、いつもありがとう」


「何言ってんだよ、これが仕事だから。じゃあまたな。陽翔君もまたね!」


「あっ、は、はい……」


 手際よく荷物を軽バンに運んだ拓海さんは、大きく手を振りながら消えていった。残されたのはまた、慶一郎さんと僕。


 慶一郎さんはスタスタと自分の部屋へ帰ろうとしている。僕はそんな彼に、咄嗟に声をかけていた。


「あっ、あの、慶一郎さん」


「なに?」


 立ち止まって振り向いた慶一郎さんに、僕は視線を泳がせてから、勇気を出しおずおずと切り出す。


「……け、慶一郎さんがどんなものを作ってるか……その。み、見せてもらえません、か……?」


「…………」


 慶一郎さんの返事が無い。僕もそれ以上何も言えない。廊下は不気味なぐらいシンと静まり返っていて、ものすごく気まずい。


 やっちゃった。こんな空気になるぐらいなら、言わなきゃよかった。慶一郎さんのことはまだまだよくわからなくて、内心後悔しながら縮こまっていると。


「いいよ」


 慶一郎さんは別に表情を変えたりもせずそう答えて、僕を部屋へと招き入れてくれた。





 改めて足を踏み入れた慶一郎さんの部屋。初めて入った時には、おっかなびっくりでよくわからなかったけど、今度は招かれたので周りをよく見る余裕も有った。


 壁際の棚には、丸めた何かがたくさん置かれている。それが何かはやっぱりわからないが、どうも何色にも分かれているみたいだ。大きなテーブルには、同じほど大きなカッターマットが敷かれている。スチール製の移動する棚には、工具がたくさん乗せられていた。ハサミ、定規、カッターナイフ……他にもいろいろ、何に使うのかわからないものが。


 部屋の奥の壁には、足踏みミシンが置かれている。ずいぶんレトロなもののようで、本当に全然電気を使わないらしくコンセントの類は伸びていない。それでどうやって縫うんだろう、と首を傾げる。と、窓際に机が置いてあるのが目に入った。


 なんというか、その机だけ他とは明らかに様子が違う。濃い焦げ茶色の木目はアンティークのような風合いで、壁はそこだけ壁紙を貼ってあって真っ白だ。そこには造花や木のトレイ、専用の照明や、机の上をスマホで撮影する用ような三脚なんかも置かれていた。


 そして、そんな中にバッグがポツンと置かれている。丸いフォルムをした女性ものと思わしきバッグは、黒と赤をベースにした色とりどりの布を縫い合わせているものみたいだ。パッチワーク、っていうんだったっけ。そこに刺繍のリボンが縫い付けられ、鮮やかさと繊細さが混ざり合っていて、なんとも。


「すごい、すっごくオシャレです! えっ、もしかしてコレが、慶一郎さんの?」


「うん」


「えっ、すごいです、これ、ハンドメイドで作れるんですね……!」


「こういうのもあるよ」


「わ!」


 引き出しからまた違うデザインのバッグや小物の類が出てきて、僕はその出来栄えに感動しながらそれらを見た。


 まるでお店に売っているもののような完成度だ。それに、どれもたくさんの布を上手く組み合わせていて、全体として調和がとれている。とてもオシャレだ。かわいい雰囲気のものも、クールな配色のものもある。たくさんの作品を手にとっては感動した。


「すごいです慶一郎さん。僕、これ好きです」


「そう、あげようか?」


「えっ、いやダメですよ、売り物でしょう?」


「別にいいよ。好きなのあげる。君はうちの一員だし」


 うちの一員。その言葉に、僕は目を丸める。慶一郎さんもそう思っていてくれたのだと再確認して、なんだか胸が熱くなった。こみ上げてくる色んなものから、なんだか自然に笑ってしまって、それからおずおずと青いトートバッグを指差した。


「これ、一番好きです」


「そう。こういう青色が好き?」


「はい、なんだか宇宙みたいで。ああいや、ええっと、宇宙っていうか、青空を見上げてると、なんだかいわゆる空色じゃなくて、真上のほうはちょっと黒みがかった深い青色に見えるんです。そこには昼間でも見えない星がいっぱい輝いてるって考えると、なんだかドキドキして……。だからその色みたいな、深みのある濃い青が……」


 そう説明している間にも、慶一郎さんはそのトートバッグを慣れた手付きでクラフト紙でラッピングしていく。細いリボンを結んでブランドカードを刺し込み、シーリングスタンプ風のシールを貼ったりして。一連の出来事を、僕は目を瞬かせながら見つめていた。


 こういう表現は良くないかもしれないけど、なんだか、女の人みたいだと思った。なんというか、細やかさとか、そういう小物選びのセンスとかが。


「はいどうぞ」


「あ、ありがとうございます……本当にいいんですか?」


「うん」


「だ、大事に使います……」


「そう。好きにしていいからね。もうこの瞬間から君のものなんだし」


 すっかりプレゼントになったトートバッグを受け取って、僕は晴れやかな気持ちになる。人に優しさをもらうのって、本当に温かくて嬉しいものだ。


 それでふと思い出す。ああそうだ、僕はこんな気持ちを人にあげる側になりたいと思ったんだった。そして、誰かへいいことをしている時には、なんだか自分もあったかい気持ちになる。それが、好きだったから、接客の仕事をしたいと思ったんだった。


 ちら、と慶一郎さんを見る。彼はいつも通り無表情だったけど、本当は僕がそうなるのと同じように、慶一郎さんも嬉しいんだろうか。


 今なら、聞いてもいいだろうか。僕はトートバッグをぎゅっと抱いたまま、おずおずと切り出した。


「あ、あの。ぼ、僕、もっと慶一郎さんのことを知りたくて……」


「僕のこと?」


「はい。えっと、しばらく一緒に暮らさせてもらうことになるし……、まだ仁さんのこともよくしらないけど、慶一郎さんのこともちゃんと知っておきたくて……」


「……それなら、僕も君のことを知っておかないといけないね、陽翔君」


「えっ、あ……あれ? 仁さんから何も聞いてないんですか?」


 僕はてっきり、父さんから全部仁さん、果ては慶一郎まで知れ渡っているのだと思っていたのに。慶一郎さんは肩を竦めて首を振った。


「あの仁だよ? 「色々あって甥っ子が来るらしいからよろしくなー」しか言わなかった」


 仁さんが笑顔でサラっと言ってるところが目に浮かぶようだ。僕はアハハと乾いた笑いを漏らして、少し安心した。そっか。知らなかったんだ。なら、慶一郎さんとはお互いに話をしたほうがいいだろう。彼も僕のことを全然知らないのだから。


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