第6話 相川仁の家
お昼ご飯が済んでから、少し家の周りを散歩することにした。
そもそも、この山奥の家は、相川家先祖伝来の土地……ということになっている。ひいお爺ちゃんが山を切り開いて家を持ったのが始まりらしい。
家の入り口辺りから、その奥の林と山まで全てが相川家の土地だそうだ。かつてはここで果樹園や畑をやりつつ、たくさんの親族が暮らしていたみたいだけど、時代の流れと共に散り散りになった。最後には相川家の当主も、便利な街なかへと移り住み、ここにはしばらく誰も住んでいなかった、と聞いている。
それを相続したのが、仁叔父さん。で、たぶん移り住むにあたってリフォームとかをして、どうしてだかわからないけど慶一郎さんと一緒に暮らしている。そんな感じなんだと思う。
家の周りには果樹園をしていた名残がところどころにある。例えば、相川果樹園と書かれた古びた看板が打ち捨てられていたり、たくさんの果樹と思われる木が植わっていたり。でも、仁さんは果樹園を再開する気はなさそうだ。もしその気があるなら、リフォームのついでにこの看板も直しているだろうし。
家の敷地から出て、コンクリートの道をくだっていく。風に揺れる木の葉の音と、どこからか小さなせせらぎ、鳥の声が聞こえるばかりの、静かな道をてくてく進む。竹林、荒れ果てた田んぼ、もう誰も住んでいなさそうな廃屋が並ぶ道を進んでも、誰一人歩いていない。
いい場所だな、と思うと同時に、こんなところでひとり暮らしをしたら、ものすごく寂しいだろうな、とも感じる。もしかしたら、仁さんが慶一郎さんを呼んだのかもしれないな、とぼんやり考えた。
と。
「うん?」
コッコ、コッコ、と小さな声が聞こえる。そちらへ行って見ると、藪の中でニワトリが地面をつついているのが見えた。たぶん、仁さんの飼っているニワトリだ。ハルコさんかどうかはわからないけど。
「こんなとこまで歩いて来るんだ……大丈夫なのかな」
心配になってキョロキョロ周りを見るけど、他に民家も無いから車も人も来ない。それに、仁さんも放し飼いにしていると言っていたし、いつもこんなものなのかも。僕は肩を竦めて、さらに道を進んでみた。
結局、かなり山を下ったところに分岐があり、その先には人が住んでいそうな家も建っていた。ここは孤立無援の山奥、というわけでもなさそうだけど、でも相当特殊な暮らしなのは間違いない。それ以上下るのはやめて帰ることにした。今度はひたすら上り坂を進むことになって、若干後悔する。
仕事を辞めてしばらく部屋へ籠りがちだったせいで、すっかり体力が落ちているみたいだった。ここでお世話になっているうちに体もよくなってほしいな、と思いつつも、休み休み登っていく。冬の空気は冷たいのに、ホカホカして上着を脱ぎたくなるぐらいだった。
ふぅふぅ呼吸をしていると、後ろからエンジン音が聞こえてくる。振り返ると、軽バンが近付いていた。よく業務車で見るような白いやつだ。運転しているのはごく普通の男性で、彼は僕の近くへくると「こんにちはー!」と元気よく笑顔で挨拶をした。それに慌てて返事をしている間にも、車は坂を登っていく。
仁さんか慶一郎さんの知り合いか、もしくは宅配の人かな。そんな風に考えながら歩いた。来るときに見た茂みで、まだニワトリが遊んでいるのを見たりしながら。
家へようやく戻る頃には、宅配車とすれ違った。その時も「ありがとうございましたー!」と挨拶をされ、僕は慌てて会釈をする。田舎の人って元気いっぱいだなあ。そんなことを考えながら家へ戻ると、仁さんが庭先へ大きなダンボールを運んでいるところだった。きっと届いた荷物なんだろう。
「仁さん、手伝いましょうか」
声をかけると、仁さんは笑って頷いた。
「そいつはありがてぇ、試しに組み立ててみようと思ってな」
「それ、なんですか?」
「テーブルセットだよ。屋外用の、折りたたむやつ」
あったかくなったら、外でバーベキューでもしようぜ。まー寒くてもいいけど。3人ならこーゆーやつもあったほうが便利だろ。
仁さんがそう言いながら、ダンボールをポンポン叩く。僕は瞬きをして、それから少し複雑な心境になった。
仁さんは、僕に春までここへいていいと言っているんだ。でも、温かくなってもまだここでくすぶっていることが、本当にいいことなんだろうか。僕にはまだわからない。
わからないけど、僕はそんな優しいことを言ってくれる仁さんの、慶一郎さんの役に立ちたい。僕は暗くなりそうな気持ちを放り出して、仁さんとテーブルセットを広げた。
アルミフレームの4人掛けテーブルセットには日傘も取り付けられる。ここなら近所も気にせずバーベキューできるし、花火もやりたい放題だぜ、と仁さんは笑った。僕もそんな日を想像すると待ち遠しくなってきて、空を見上げた。
冬の空は澄み渡っている。この冷たい空気がほころんで、春が来ることを想像すると心も温かくなった。明日を、未来を想像して心が躍るなんて、随分久しぶりのことのように思う。
長い間、明日なんて来なければいいと思っていたような気がするから。
冬の時間がすぎるのはあっという間で、仁さんに自慢の畑を見せてもらったりしていたら夕飯作りの時間になってしまった。
僕は昨日と同じく、夕飯担当の慶一郎さんを手伝うために、台所へ行っていた。慶一郎さんに指示されるとおり、ほうれん草を洗い、カブをスライサーで薄切りにしていく。
慶一郎さんは仁さんとは違ってとても無口な人のようだった。最初こそ、あまり歓迎されていないのかとも思ったけど、どうやら元々こんなローテンションの人のような気がする。
問題は僕のほうも根暗なだから、初対面の人にどう切り出していいか悩むことだ。なにか話しかけなきゃ、でもなにを? どうしてここにいるんですか、とか、ミシンで何をしているんですか、とか聞くのはまだ早いかな、なんて頭でぐるぐる考えるだけで、時間が過ぎていってしまう。その間、慶一郎さんもなにも言わないから、ただただ料理が進んでいくばかりだった。
そんな少しだけ気まずい台所に、仁さんの大声が飛び込んできた。
「慶~! ナツコさん知らねぇか~?」
「知らない」
隣で鶏肉を焼いていた慶一郎さんが、ぼそりと答える。当然、それは台所の外にいる仁さんへは届かない。「慶~~~~!」とまた大声を上げている。僕は慶一郎さんの顔を見てから、慌てて廊下へと出た。
「仁さん、慶一郎さんは知らないらしいです」
「マジか。よわったなぁ、どこまで行っちまったんだ、トシコさん……」
「……?」
あれ、さっきはナツコさんって言ってたのに、今度はトシコさんになってる。そこでようやく、それがニワトリのことだと気付いた。
「いやさ、夜はニワトリたちにも小屋へ帰ってもらうんだが、1羽足りないんだ。それがアキコさんな」
あぁ、仁さんはニワトリにハルコ、ナツコ、アキコ、トシコ、それでたぶんフユコみたいな名前をつけていて、見分けがついてないから雑に名前を呼んでいるんだ。そう理解して、「なるほど」と頷く。
「暗くなるとニワトリは前が見えなくなっちまうからさ~。家の周りを探したけど見当たらねぇんだ。手が空きそうなら一緒に探してくれないか、陽翔」
「わかりました…………あ」
その時僕は思い出した。散歩で山道を降りていた時に、藪の中で遊んでいたニワトリ。もしかして、あの子がそうなんだろうか。
「僕、その子見たかもしれません!」
僕はそう答えて、走りだした。
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