第42話 大スフィンクス、神殿巫女

 ムラーの寝室で、彼がさっさと大スフィンクスをスケッチした。知性体だけあって、データバンクから取り出した記憶をプリンターみたいにあっという間に書き出した。


「断面はこんな感じと思ったが」と彼が言う。

「ムラー、このスケッチ、頭部がやけに大きくない?私の記憶と違う」

「八千年前のオリジナルはこのくらいの頭部だと思う。どうみても現在の頭部は小さすぎる。いつの時点かわからないが、ファラオの頭に削り直したんだと思う。八千年前のオリジナルの時は、ファラオは存在していない。たぶん、ライオンか何かの頭部だったんだろう。鼻が欠けているのは、ナポレオンがエジプト遠征で大砲の標的にしたからだ。野蛮人め!」という。なるほど。理にかなっている。


「こんな感じで、一枚岩から削り出して、側面は、別に岩石を張ったんだろうな。断面はこれだ。前脚の位置から20~30メートル下に地下通路があって、かなり大きなスモールチャンバーとビックチャンバーがある。1980年代の調査でチャンバーを発見したんだ。前脚からそこに降りる道はない」

「パピルス文書には前脚の間から降りろと書いてあったんじゃない?」

「行ってみねえとわかんねえな。それに今は砂に埋れているとムサカが言ってるだろう?ということは、現在の地表から30~40メートルのところが地下通路になる」


「ショベルカーが要るわね?そんなものないけど」

「俺とお前とアイリスで砂を吹っ飛ばそう。もちろん、気づかれないようにそっとやるが」

「今、工場が稼働しているとすると、その工場への通路があるわよね?」

「そこを通るとクレオパトラにバレちまう。別の道を探すほかはない。それから、この20世紀の断面図のチャンバーはどうみても小さい。近代工場ならこの数倍の大きさだ。だから、チャンバーのさらに下に工場があるんじゃないかと思う」

「そうよね。半神半獣を作ったり、兵器を作ったり・・・発電施設もどこかにないといけない」

「発電は水力だろうな。ナイル川の水底でタービンを回せばいい」

「もしかしたら、秘密の入り口はナイル川の水面下?」

「俺もその可能性を考えている。3つの呪いも気になる。絵美も考えておいてくれ」

「アイリスにも聞いておくわ。このスケッチ、持っていって良い?」

「ああ、使ってくれ」


殿


 二人で甲板に出た。アフロダイテ号、アルテミス号は小さな漁港の沖合に停泊している。漁港のみすぼらしい集落が見えた。集落は、アレキサンドリアから西に続く街道沿いにあった。ラクダに乗ったキャラバンが行き交うのが見えた。


「紀元前46年の世界で、こんなに人間の往来があるなんて思わなかったわ」

「20世紀の人間の想像以上に交易とかが盛んだったんだ。もうこの辺はローマのアフリカ属領だろう?エジプトと属領との交易で、アレキサンドリアに集積された世界中のものが、この街道や海上の交易路で西に南に運ばれているのさ。20世紀の歴史の教科書には書いてなかっただろう?」

「不思議よねえ。来てみないとわからなかったわ。面白い」

「はるばる、二千年の時を越えて来たかいがあったかもしれん」

「来たくなかったけどね・・・」

「それはアルファ本体に文句を言うことだな」


 私が今晩と明日のどんちゃん騒ぎの準備はどうするの?と聞いた。ああ、子羊を買ってこさせよう。それと小舟を出して、地中海マグロを釣らせよう。ラム肉とツナでバーベキューにする。


「ねえ、アフロダイテ号とアルテミス号で、男は60人くらいでしょ?女が足りないじゃない。売らなかったアラブ女とギリシャ女が5人。ピティアスの買ってきたエジプト女が10人。男4人に女1人よ。女がボロボロになっちゃうわよ?」あら、だんだん、奴隷商人の妻の思考になってきたわ。マズイわよね?


「それは、ここいらあたりから調達しよう」

「こんな辺鄙な漁港に女がいるわけないじゃない?」

「世界最古の職業は売春なんだぜ。ローマの貨幣が流通して、女を買いやすくなった。相場は銀貨1枚(4千円)ってとこかな。こういう街道じゃあ、旅籠に娼婦を置いているんだ。だから、この船でパーティーをすると噂を立てれば、すぐ集まってくる。だが、質が悪いだろう。病気を手下にうつされちゃあかなわん」


「売春婦はダメなんだね?」

「だから、神殿に抱えられた奴隷娼婦を呼ぼう」

「神殿に娼婦がいるの?」

「ファラオは、戦争をするたびに、敵を捕虜にして、男は穀物倉に、女は神殿に仕えさせたんだよ。アレキサンドリアでも祭りを見たろう?神殿の外の楽師や踊り子を務める女性たちは、売春婦だ。一般の女性たちも、宗教的なお祭りになると普段課せられている禁制のいくつかが解かれるので、自分から進んで男性に身を任せることもあった。紀元前のエジプトはモラルのゆるい社会なんだ」


「ひどいわね。人身売買に売春なんて」

「20世紀のモラルで考えるな。古代エジプトでは売春を恥ずべき事だとはあまり認識していなかったのさ。言い伝えによると、有名なクフ王は、自分のピラミッドを作る資金が足りないことに気づいて、娘に売春させてピラミッド建設の足しにしたっていうぞ」


 古代ギリシアでも、売春は盛んで、アテネでは地元民だけでなく外国の旅人や商人をも相手にした売春宿が営まれていたんだ。20世紀のポルノ(porn)という単語は、ギリシャ語で売春、売春婦を意味する「ポルナイ(pornai)」が語源なんだ。


 ギリシアでは、ポルナイとヘタイラという二種類の売春形態があった。ポルナイは、売春宿や街路で大衆の客を相手にする娼婦で、『ついてきて』とサンダルに書いて、客を勧誘することもあった。ヘタイラはポルナイよりもより高級で、芸術などの教養を兼ね備えていて、客層も上流階級の人間が多かった。


 アテネの男性は晩婚傾向で、30代になる前に結婚することは珍しいことだった。多くの若者が結婚前に売春宿に出入りしていた。娼婦が客の妾となったり、正妻となることもあった。


 女だけじゃない。売春をする男性、いわゆる男娼もいた。男娼は『ポルノイ(pornoi)』と呼ばれていて、客のほとんどは男だ。汚ねえ話だ。ま、20世紀もかなり淫らだけど、紀元前はもっと淫らだ。


「この売春産業で、アテネは評判を落としたが、旅人や商人がこの町に停留するきっかけとなって、多くの富と繁栄をもたらしていたという話だ。同じことで、エジプトにやけに神殿が多いのは、信仰のためもあるが、街道筋の旅籠近くに神殿を設置して、そこに神殿巫女をおいて、奴隷娼婦にすれば、街道沿いの部落にも金が落ちるってことだ。経済の流通に売春が一役かっているんだ」


「20世紀のモラルじゃあ計れないのねえ。慣れなきゃダメなのね」

「まあ、そういうことさ。奴隷娼婦どもが集まってきたら、性病とシラミ検査をして、体を洗わせて、キレイな服を支給する。こっちの女奴隷が15人いるから、15人くらい選んで集めよう。男60人に女30人なら足りるだろ?ガス抜きしとかないと、手下ども、面倒を起こすからな。奴隷娼婦を集める噂を立てる話と奴隷娼婦の身体検査の話をソフィアとジュリアにしといてくれ。後は彼女らに任せればいい」

「・・・なんとなく腑に落ちないけど、わかったわ。準備させる」

「奴隷娼婦だって、金があれば飢えなくてすむ。家族も養える。慈善事業と考えることだ」

「ハイハイ・・・」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る