内緒話


「川に行くの? 途中まで一緒に行こうか」

「え、あ」


 フレッドに声をかけられて気づいた。

 そもそもノアは森にある川に行ったことがない。

 レイムは釣果は期待していないと言っていた。そもそもノアが一人で川まで辿りつけると思っていなかったのだろう。さっき見た入り口の地図で方向くらいは覚えている。けれど迷わず行ける自信がなかった。ノアはフレッドに駆け寄ってぺこりと頭を下げた。

 初対面の人と道中を共にするなんて緊張する。けれど、どうしてもレイムに魚を釣って帰りたかった。


「あ、お願いします。俺、ノアっていいます」

「ノアくんね。おじさんはフレッド。フレッド・アージィ。薬局っていうより何でも屋さんかな。田舎に住んでるから」

「この店には、よく来るんですか」


 ノアはフレッドの隣を歩くが、歩幅が違うので自然と早足になってしまう。

「先代のアーベルトさんの頃からだね。週に一回くらいは顔を出してるかな。で、どういう経緯で、あの偏屈で有名な魔法使いのとこ来たんだ?」

「えっと」


 ノアは口籠る。自分と違ってフレッドは人見知りなんてしないらしい。そもそもノアより年上だから、子供と遊んでいる感覚なのだろうか。


「なになに訳あり? 教えてよ」


 何から説明すればいいのか頭の中で言葉を探す。けれどノアが獣人であることを話さないことには話が進まない。レイムの店の常連のお客なら、これから何度も顔を合わすだろう。ノアは意を決して口を開く。


「すみません! 俺、獣人で」

 心臓がばくばくしている。自分から獣人だと告白したのは、小さな子どもだったときを除けば、二人目だった。レイムの場合は最初から猫だとバレていた。

「へえ、そうなんだ。さっき、店でアイツが猫がどうとかって言ってたけど」

「は……はい」


 体が緊張で硬くなっている。


「うん。それでそれで?」

 あっさりと返されてしまって目をぱちくりと瞬かせる。フレッドにとっては、なんでもないことなのだろうか。ノアはフレッドの反応に戸惑う。


「えっと、それで、俺、人間になる魔法を使いたくて、王都の魔法学校の試験受けたんですけど、追い出されちゃって」

「あぁ、そっか、そういうことか。田舎町じゃ、そういうのあんまり気にしてないから」

「気に、しない?」

「王都じゃ獣人って迫害されるんだったか、気の毒なことだよ。まぁ、うちの田舎でも、珍しいのはそうなんだけど。子供の頃に学校で一人いたよネズミで」


 ノアは自分と同じ境遇の人間と出会ったことがなかった。ノアの世界は自分の住んでいる王都のなかだけだった。


「あの、み、見たことあるんですか!」

 ノアは驚いて手に持っていたバケツを地面に落としてしまった。落としたバケツは転がってフレッドの足元に落ちる。ノアの驚いた大きな声を聞いて今度はフレッドが目を丸くした。


「お、おぉ。あるよ。色々大変そうだったなぁ突然変身しちゃうから、周りもびっくりして」

 フレッドはノアが落としたバケツを拾って手渡してくれた。

「嫌ですよね。人間じゃないから、気持ち悪いって」

「いんや。驚きはしたけど、それだけかな」

「そ、それだけって」

「ときどきネズミに変身する。それだけ」

「え……」

「まぁ、そいつが、すげー嫌な奴だったら話は別だけど、友達だったしなぁ」


 フレッドの話にノアは戸惑いを隠せない。しばらく無言で歩いていると、湿った土の匂いがした。穏やかな水の流れの音も聞こえてくる。

 顔を上げると、フレッドが草をかき分けて、ノアに向かって手を伸ばしてくれた。

 ノアは伸ばされた手をおずおずと握り返す。

 草むらを抜けると森の深い緑を映す川があった。流れはゆったりとしている。泳いでる魚の姿は川岸からは見えなかった。川底が見えないくらい深いのだろうか。


「ここだよ。釣り方知ってる? 王都じゃ釣りなんてやらないだろ。俺、結構得意だよ」

 ノアが川辺でぼんやりしている間に、フレッドは手早く川に釣り糸を垂らした。

「はい。どうぞ」

「あ、ど……どうも、ありがとう、ございます」


 釣り竿を手渡されてノアは、腰まである大きな石の上に腰掛けて川面を見下ろした。

 木々の隙間から差し込む太陽の光が優しく波打っている。そのゆらゆらした光をじっと眺めていた。そわそわして落ち着かない。


「どんな魚が釣れるんですか」

「ローチとかテンチかなぁ。香魚みたいなのは、この辺じゃ釣れないかも」


 名前を聞いても、どんな味がするのか全然想像出来ない。

 釣り初心者のノアをフレッドが隣でニコニコしながら見ている。ノアを川へ案内したら帰ってしまうのかと思っていたが、どうやらノアの釣りに付き合うつもりらしい。


(変わった人、だな)


 獣人だと告白しても自分に笑いかけてくれるフレッド。小さな頃森で出会った優しい魔法使いと弟子の黒猫。あんまり笑ってくれないけど、当たり前のように獣人として接してくれるレイム。


 ――レイムさんも、もっと笑ってくれたらいいのにな。


 知らないだけで探せば、自分を受け入れてくれる人が他にもいるのだろうか。

 ノアが諦めないで探し続ければ。

 けれど、今まで仕事が上手く行き始めてもすぐにダメになった。

 ノアは今の自分に期待しなくなった。幸せな思い出に縋って、魔法使いになろうなんて考えるくらい。

 自分では、どうしようもないことで嫌われるのは、心を切り裂かれるほどに苦しいことだった。

 自分がやっと変われる道を見つけた。だから、魔法使いになりたい。


「あの、フレッドさんは、レイムさんの前のお弟子さんって知ってますか?」

 フレッドは川岸に胡座をかいて座っている。ノアはフレッドにおずおずと話しかけてみた。

「あー、まぁね。一回しか見てないけど」


 ノアの質問にフレッドは言葉を濁した。

「俺、魔法使いになって、普通に……人間みたいに暮したいって思ってるんです」

「普通ねぇ。なかなか難しいもんよ。普通って」

「え?」

 レイムの冷たい感じとは違うが、フレッドも同じように「普通」が引っかかるのかノアの言葉を繰り返した。

「ま、俺は応援するよ」

 フレッドはノアの顔を覗き込んだ。

「魔法使いは、昔から他人のことばっかり考えてんだよねぇ」

「他人って」

「魔法使いは人のために魔法を使うべしって、そういう昔からの教えがあるんだと。自分のためだけに魔法を使い続けると力が弱くなるんだとか」

「そう、なんですね」


 誰にも迷惑をかけないように生きる。ノアの頭は小さいころからそればっかりだった。ノアがいない方が人のためになるとさえ思っている。

 フレッドは近くの小石を拾って、ノアが釣竿を垂らしているほうとは反対側に投げる。

 石は川面を生き物みたいに跳ねていった。


「きっと、バランスなんだろうなぁ。欲しいものが全て手に入るような魔法はないよねぇ。って先代のアーベルトは笑って言っていたよ」


 フレッドに言われた言葉に、ちくりと胸が痛んだ。ノアは自分のために魔法を使いたいって思っている。幸せになるために魔法の力を欲している。それは悪だと言われている気がした。


「ま、前の弟子みたいに露骨なことはしてくれるなよ。ただでさえあいつ、人間嫌いだからさぁ」

 フレッドは目を細めて笑った。

「露骨って」

「あ、これ、俺が言ったって黙っててね」

「は、はい」


 ノアがこくこくと頷いたとき重石につけた小枝がピクっと動いた。慌てて竿を上げると、小魚が針の先に二匹いた。


「釣れた! 二匹も!」

「おぉ! 初めてにしては上出来じゃん。ま、小魚じゃ腹は膨れないけどなぁ」


 フレッドに大きな声で笑われる。どんなに小さくても初めて自分で魚を釣ったことが嬉しかった。ノアは、その魚を宝物みたいに静かにバケツの中に入れた。


「あのっ」

「何だい?」


 ノアが向き直ってフレッドと目を合わせた。どうしても確認したいことがあった。レイムが教えてくれないこと。フレッドは立ち上がると、ニカッと白い歯を見せてノアを見下ろす。


「前の弟子って、魔法学校の卒業生だったんですよね」

 ノアの質問にフレッドは、どう伝えるべきか迷っているふうに見えた。顎の下を人差し指で触って考え込んでいる。

「レイムに弟子入りっていうより、あの子はアーベルトが持っている常闇の力が欲しかったんだろうなぁ。レイムも最初から分かってたんじゃねーの、だから……こう」


 フレッドは指をくるくると動かした。


「もしかして、殺、ころし……」

 ノアは、ごくりと息を呑む。そんなビクビクしながら返答を待っているノアを見て、フレッドは大口を開けて笑う。


「違う違う。アイツのことなんだと思ってんの? 流石に殺しはしないって。厳しくされて一週間で逃げて行った? みたいな。あいつ、超いじめっ子だしねぇ。それで――」


 フレッドがそう言ったところで、後ろの草むらがガサガサと音を立てた。野うさぎでもいるのだろうかと思って振り返ると、そこにはレイムが立っていた。


「――二人でコソコソ何をしているのかと思ったら。余計なことを」

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