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「獣人はただの人間の変異種だ。珍しいだけでお前だけ特別なわけじゃない」

 さらさらと本に書かれている文章のように言われた。

「身体的特徴、あとは気質と性格の問題。初等部で習うことも知らないくせに、勉強が得意なんてよく言えたな」

「ちゃんと知ってるよ! 病院でも言われたもん。でも現実はそうじゃない。楽しいことなんて……幸せなんて、ないし」


 猫の姿で楽しかったのは一度だけだ。


 だからそれを思い出して魔法使いに縋ろうと考えた。

 たった一時。その幸せなあったかい思い出をずっと大事に抱きしめている。もう二度と手に入ることのない。そうでもしないと寂しくて生きていけなかった。


「レイムさんは、困ってるなら協力してくれるって言った」

「仕事の範囲で、だ。薬屋としてなら協力するが、それ以外は私の仕事ではない」


 レイムは本に目を落としながら淡々と語る。


「それに魔法で獣人化は治せない」

「う、嘘だ! エイミーの師匠は治せるって」


 それまで、ずっと本から目を離さなかったレイムは突然顔を上げる。まじまじと観察するようにノアの顔を見つめてきた。


「貴様。今、なんて言った」

 何か気に触ることがあったのだろうか。レイムはノアから目を離さない。

「だ、だからエイミーの師匠?」

「あぁ」


 レイムが先を促したので話を続けた。

「えっと、昔この森で会ったんだ。エイミーって黒猫の弟子がいる、すごい力のある魔法使いに」

「……そう。けど、その天才魔法使いも「治す」とは言ってなかったんじゃないか」

「それは」


 確かに銀髪の魔法使いは「元に戻す」と言っていた。獣人化を治すとは言っていない。


「姿を変化させるのは、どんな魔法使いでも出来るだろうな。それこそ、お前を今日、獣の姿にした魔法学校の無能な先生でも」

「い、一時的でもいいよ。俺は普通の人間になりたい。獣化してもすぐに魔法で元の姿に戻れたら、きっと今より」

 普通に人の世界で暮らせると思った。

「なぜそこまで、獣人を嫌う。自分のことだろう」

「獣人だと、迫害、されるから」

「それがどうした」


 ノアが獣人である自分について話すたびにレイムは不機嫌になる。

 冷たい、氷みたいな目だった。心底軽蔑されているように感じる。レイムに睨まれると頭の先から足の先まで一瞬で冷たくなってしまう。何がレイムをこんなに怒らせているのかノアには分からなかった。


「そ、それがって! それはレイムさんが普通の人間だから言えるんだ! 魔法使いで自分でいろんなことが自由にできて、だから」


 ノアはその場に立ち上がって声を荒らげる。親に疎まれ周囲の人間から迫害される。誰からも愛されない。そんな境遇じゃないから「それがどうした」なんて言えるんだと思った。


「では貴様が言うところの普通の人間の定義とはなんだ。魔法使いの定義は、いろんなことが自由にできる、か? まぁ、そんなことはないが。そういうことにしておいてやる」

「普通の、人間」

「自分で言ったんだろう。普通の人間になりたいと。それを理解しないと話にならない」


 ノアにとって普通の人間は、自分以外の人間全てだ。ノアが欲しいって思っているものを全部持っている。


「お、親が子供に優しくしてくれる」

「優しくない親なんて、世界に溢れているな」

「でも、普通、親は子を殴ったり蹴ったりしない」

「親以前にそんなことをする人間は、そもそも人間じゃない。親の定義じゃなかったのか? そんな親は自分で捨てればいい」

「捨てるって」

「それくらいの権利は、お前にもあるだろう」

「それは……でも」

「ちなみに、私には親がいない」


 レイムのピシャリとした「親がいない」の一言でノアは一瞬怯む。

 話題を変えようと思った。


「が、学校で、と、友達がいて」


 ノアは獣人だから友人に恵まれなかった。獣の子とは友達になれないと言われた。遊んでいて楽しくなると、すぐに耳と尻尾が出てしまった。そんなノアを周囲の人間は気持ち悪いと言った。普通の人間でいようと人前で笑わないように学校では下ばかり向くようになった。

 人と関わるときは、心を常に平坦にするように気をつけていた。


「私は生まれたとき捨てられ、魔法使いの家に拾われた。当然学校に通ったことがない。子供の頃は友人もいなかった」

「よ、夜の森に置いていかれたり、家の離れに閉じ込められた」

「魔法使いの折檻は、もっと恐ろしい。それでも貴様は魔法使いの弟子になりたいのか?」


 ノアは、そこで一度言葉を止めた。言えば言うほどレイムは、自分がもっと酷い境遇だったと言い返してくる気がした。


「どうした。他にはないのか。貴様の不幸自慢」

「不幸自慢じゃない」

「同じようなものだろ。そんなもの言い出したらきりがない。くだらない」


 レイムの言っていることは正しい。人には人それぞれ苦しいことがある。自分を取り巻く全部が幸せなわけじゃない。けれど、ノアはどうすればレイムに受け入れてもらえるのか分からない。

 ノアは可哀想な自分しか知らないから。頑張っても何一つ認められたことがないから。自分の価値をレイムに示すことができない。

 だからメリットがないと言われたら何も言えなくなる。


「は、発情期、があるから、周りに迷惑、かける。だから、治さないといけない」


 ノアの顔は真っ赤だった。


「それは、ただの動物の本能だろう」

「ほ、本能だとしても、人間にはない、よ」

「人間にも生殖機能はある。好みの人間の前で理性的に振る舞えない人間もいる」

「でも!」


 誰彼かまわず望まない性行為を強いるなんて相手を傷つけるだけだ。ノアの場合はそれを人間のように理性でコントロール出来ない。


「貴様が、獣人の人生を受け入れたら。それで解決する」

「獣人の人生なんて、俺は受け入れられない」

「お前が勝手に不幸になっているだけだな。聞いて損をした。私がお前を弟子に取る必要性が微塵も感じられなかった」


 レイムが杖を取り出し左右に振るとノアが座っていた椅子がふっとその場から消える。その拍子で床に膝をついて座り込んでしまった。悔しくて毛足の長い絨毯にぎゅっと爪を立てた。


「話して気が済んだなら帰るといい。外へ出て真っ直ぐ歩けば王都に出る」

「い、嫌だ!」


 ノアは慌ててレイムが座っているソファーの横に立った。


「駄目だ。帰れ」

「じゃあ、なんで俺を家まで連れて来たんだよ!」

「さぁね」

「さぁって! 何かメリットがあると思ったからじゃないの。それを教えてくれたら、俺だって」

「強いて言うなら、この森にはやっかいな魔法がかかっているからだ」

「森の魔法? それって会いたい人に会えるって」

「そう。だから、どんな理由で私に会いに来たのか、善意で聞いてやっただけだ。そうでないと、森の魔法にかかった貴様は目的を達するまで永遠にこの森から出られない」

「永遠って」

「死ぬまで、だな」


 何故、先代の魔法使いが森にそんな魔法を残したのか、ノアには分からない。けれど、目の前のレイムと違って先代は面白い人だった気がした。会いたい人に会えるなんてロマンチックな魔法を森にかけたのだから。


「けど、さ、魔法学校の先生が言っていた。過去に常闇の魔法使いは一人弟子を取ったって」

「そんな奴はいなかった。もし居たとしたら、先代に弟子入りした私のことだろう」

「嘘だ」

「嘘じゃない」


 レイムはさっき学校には通っていなかったと言っていた。だからここに弟子入りしたことがあるのは、王都の魔法学校に通っていた人間。間違いなくレイムに弟子入りした魔法学校の卒業生だ。

 それ以上は話を聞かないみたいにぴしゃりと打ち切られてしまった。

「俺、レイムさんが弟子にとってくれなかったら、どこにも行くところがない」

 家を出るつもりで魔法学校の試験を受けた。魔法学校の寮生活も叶わない以上、もう実家へ帰ったところでノアに居場所はない。


「知るか。獣人なら、獣人のメリットを活かして生きればいいだろう」

「獣人のメリットなんてない」

「貴様が探していないだけだろう」

「お願いします! レイムさんのところに置いてください! なんでもします!」

 テコでも動かないとソファーにしがみついていたら、急に体がふわりと浮き上がった。

「う、うわっ!」

 ちょうどレイムと顔を合わせる位置で浮いている。


「……本当にうるさい猫だな。そこまで言うなら、一週間」

「一週間」

「どうせ、お前も出て行くだろう。一週間だけ置いてやる。その間に今後の身の振り方を考えろ」

「お前もって、もしかして前のお弟子さん一週間で出て行ったの」

「貴様には関係がないことだ」


 前の弟子がどの程度の意志でここへやって来たのか知らない。けれど少なくともノアの場合は、絶対に魔法使いになるまで帰れない理由があった。

 どんな厳しい修行か分からない。でも一週間でやめたいなんて言うような生半可な覚悟じゃなかった。


「俺は大丈夫だよ! レイムさんの家から絶対出て行ったりしないから。安心して!」

「いや、私は出て行って欲しいんだが」

 ノアは急に態度を軟化させたレイムに、ごろごろとなつくように擦り寄ろうとした。でも空中に浮いていたし、手が届きそうなとこで杖を横に振られて台所に飛ばされてしまった。台所の床で顔を上げると目の前にレイムが立っていた。

「……はぁ。あのまま森に置いて来れば良かった」


 レイムは大きくため息をついて頭を抱える。


「レイムさんって優しいね。だって俺が森で一晩中さ迷ってたら可哀想って思ったんでしょ」

「家の近所で死体になるよりマシかと思ったのが間違いだった」

「え」

「先代の残した魔法は一晩で切れるようなモノじゃない。呪いだと言っただろう。願ったが最後、叶うまで森から出られない」


 ノアは、もしレイムがノアに会ってくれていなかったら、と思うと怖くなって床でぶるぶると体を震わせた。

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