まともな畑
当初、サンチャイルド公国はエルフの保護政策を進めていました。敵国であるロンブライン教会自治領と旧帝国に反旗を翻したハムナス王国の掲げるケスタロト教に対して、精霊信仰の象徴でもある魔法に長ける部族を放っておくわけがありません。
ですが世界樹が燃やされたことでエルフは公国を去っていき、彼らが住んでいた遺構もヒューマンたちの開拓が進むにつれてその数を減らしていきました。
「それがまさか、こんなに近くに……」
私が今目にしているのは紛れも無い、エルフの集落です。住んだ空気にはほんのり光っている粒子のようなものが浮かんでいます。それは精霊でした。まだ名前も持たないような小さく弱い精霊たちですが、これだけの精霊たちがいる場所などそう多くはないはずです。
「ね! だから言ったでしょ! ここも村だと思うんだけど、前に来たときは人がいなかったの! だけど確かあっちの方に……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
アヴェリア様は集落のなかをズンズンと進んでいきます。私も後ろから着いていきました。
見渡せばそこらの家々は、まるで木のように地面から生えてきたかのような……ともすれば完全に、家と木との中間とさえ言えるほどに森の中で溶け込んでいました。
「綺麗な場所ですね。まるで異世界みたいです」
「あら、面白い例えね。あんたもケスタロト叙事詩を知ってるの?」
「叙事詩、は知りませんが……昔会った人が教えてくれたんです。勇者の物語を」
遥か昔、この大陸には魔王と呼ばれる存在がいました。魔王は闇から魔物を呼び出し、人々を襲ってその勢力を拡大しました。魔王軍の苛烈な勢いになす術のなかった人類は最後の希望を秘術に託し、そうして異世界から勇者を呼び出しました。
これがのちにロンブライン教会自治領が掲げるケスタロト教の主神、人の神ケスタロトと呼ばれる異世界の勇者の物語です。
「へぇ、不思議な出会いもあるものね。公国のなかでは異教を布教するのは極刑ものなんだけど」
「……今のは聞かなかったことにしてください」
「そんなに気にしなくてもいいわよ。こんなことに真剣にこだわってるのなんて今じゃ公爵殿下だけだと思うし。屋敷でも詩の稽古で普通に教えてもらえたわよ?」
そう言うとアヴェリア様は物は試しと、そのケスタロト叙事詩の一部と思わしき詩を口ずさみ始めました。
「 『昔、昔、遠い昔。』 」
「 『人の英雄ケスタロトは、かつて大陸の覇者にならんとした魔王を、討ち滅ぼさんと仲間を引き連れ、人々を救う旅に出た。』 」
「 『ケスタロトの活躍によって無事に魔王は滅ぼされ、英雄は王都へ帰還し盛大な歓喜に包まれるはずだった。』 」
「 『だがしかし、ケスタロトは命を落とした。』 」
木の葉が擦れる音が遠く聞こえ、太陽の音が聞こえるほど静かで。この場所のすべてがアヴェリア様のその声に耳を傾けているかのよう。私もその中の一つに混じり、少しばかり見惚れてしまっていました。
アヴェリア様は最後の一息まで丁寧に吐き切り、それからまたいつもの様子で自慢げにしていました。
「どうかしら! ウェッダにすら『吟遊詩人にも引けをとりません』と言わしめた私の詩吟は!」
「ウェッダさんが誰かはわかりませんけど、素晴らしかったです。思わず聞き惚れてしまいました」
「ふっふーん!」
正直これに関しては世辞抜きで手放しに称賛ができます。今までに聞いた歌声のなかでも特に美しい声で詩を詠むアヴェリア様は、いつもの数割増しでその姿が麗しく見えました。
「でもフィーナの詩吟もとっても良かったわよ?」
「人前で歌ったことはなかったはずなんですけど……」
「歌ってたじゃない、あのお花畑で。あれが聞こえたおかげで私もあの場所に辿り着いたんだから」
「……お耳汚しで申し訳ありません」
「なによ、褒めてんだから素直に受け取りなさいっての。でも聞いたことのない詩だったからそれはちょっと不思議だったわね。あのとき何の詩を歌ってたの?」
アヴェリア様に聞かれて、私は口をつぐみました。というのもこの詩は教えてもらった人から口止めをされているもので、むやみに他人に言いふらしてはならないのだと言われていたのです。
精霊への呼びかけは詩は詩でも語り継ぐための詩ではなく、祈りでなくてはならない。彼女はそう言っていました。
「申し訳ありません。教えてはいけないと言われていたもので」
「えぇー!? そんなのズルよズル!! ズルいわよ! 私にも教えなさい!」
「ズルでもなんでもダメなんです……!」
アヴェリア様が地団駄を踏んでいますが、ことここに至っては私も譲ることはできません。断固とした私の態度にアヴェリア様もついに諦めた様子で「ケチぃ!」と捨て台詞を吐きました。
……ちょっと後が怖いですね
「……帰ったら一緒にお風呂でも入りにいきます?」
「いいの!? わかったわ一緒に入りましょ絶対よ約束ね!」
「勢いすごっ」
効果は抜群なようでした。これで帳尻を合わせることができたでしょうか。
と、まぁそんな他愛もない話をしているとアヴェリア様の足が止まり、私の方を振り向いてその場所を見せました。
「じゃじゃーん! この村にも畑があるの!」
「……あ、ありえません」
連れて来られたその場所には確かによく耕されたふくやかな土が敷かれていて、付近に落ちている農具のクワや灌漑設備を見るにここが農地として使われていたことも明らかに思えました。
ですが、それこそが不可思議なのです。長く人の手を離れていたはずの畑が、どうしてこんなに整えられた状態で残っているのでしょう?
「つかぬことをお聞きしますが、アヴェリア様が一度目にここにいらっしゃった際もこの畑はいまと変わっていませんでしたか?」
「え? そうね、なんにも変わらないわよ?」
「……もしかしたらこの村、まだだれかいるのかもしれません」
考えられる可能性はそれだけです。
森の中の畑なんて、それこそ維持管理ができていなければすぐダメになってしまうようなものですから。放置されたままこの状態を保つことなど、精霊の悪戯にしても冗談のような話です。
「そんなのおかしいわ。村じゃなくてこんな場所に住むなんて、税は取られないけれど不便すぎるじゃない」
「もしかしたらまだ残っているのかもしれません。この村の本来の住人が……」
「本来の住人?」
「……探してみましょう。この村を」
まだこの村にエルフの生き残りが住んでいるのだとしたら。あるいは放浪しているエルフが、この場所に帰ってきているのだとしたら。
私は、会わないわけにはいきませんでした。
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