破天荒な令嬢
押し倒されて私が目を回している間も、その少女はなにか口早に話しているようでした。
いったいなにが起こっているのでしょうか。そもそもこの花畑は私しか知らない場所のはずです。この子はいったい……?
「いつまで寝てるのよ!」
「ふぇぁ……?」
いつのまにか起こされていた私は、肩を大袈裟に揺する少女の呼びかけに我を取り戻しました。
「まったく、こんな場所で転んじゃうなんて相当なドジっ子さんなのね!」
「いやあの、あなたが急に飛びついてきたからなのでは……」
「はぁ!? 私のせいにする気!? なによなによなによ!!」
プンスカと怒りをあらわにして地団駄を踏み始める少女。あまりの横暴さと理不尽さに「えぇ……?」と漏らしながら、それでも飲み込んで会話を続けることを選びました。
「えっと、あなたは……?」
「私? 私の名前はアヴェリア・バーバル! 辺境伯家きっての大天才なんだから!」
「……はい?」
まるで夢でも見ているのかと疑わずにはいられませんでした。
バーバル。その名前は私たちの村を含めたバーバル領を統治している辺境伯家の家名と全くもって同じ……というかそれ以前に彼女自身が「辺境伯家」であると明言していますので、つまるところ彼女はこう言いたいわけであるらしいのです。
「領主家の方、ということですか……?」
「領主の一人娘よ!」
「……」
絶句しました。人生において絶句するという瞬間が、まさか本当に現れるとは思っていませんでした。
そんな私にお構いなしに、辺境伯令嬢アヴェリアを名乗る少女は続けました。
「ねぇ、この近くの村に案内してくれない? というかあなたのお家にいれてもらうわ。領主屋敷から歩いてここまで来て迷子になっちゃったのよ」
「え? ここから領主屋敷って、歩いて三日ほどかかるはずでは……」
「根性と準備があれば三日くらい持つわ」
とんでもありません。
私は先ほどから規格外に圧倒されまくって頭は爆発しそうになっています。私はただいつものように花を摘んでいただけ。どうしてこんなことに?
「ほら! 早く行くわよ! あちこち迷いまくってもう一週間もお風呂に入れてないんだもの!」
「……」
「なにぼーっとしてんのよ!」
完全にパンクした私に、彼女はまた怒り狂うように地団駄を踏みました。
◇ ◇ ◇
「なんでお風呂がないの!?」
この世にそんなことがあってはならない、とでも言うように叫ぶアヴェリア様に、私はお手上げするしかありませんでした。
アヴェリア・バーバル。それはバーバル辺境伯家のご令嬢であり、灰色の髪に深緑色の瞳を持った見目麗しい姫君であると知られています。しかしそれ以上におてんばで、自由気ままで、手の付けられない暴れ馬のような人柄であるとして有名で、まさに今目の前にいる彼女とその特徴が完全に合致していることに私は頭を抱えました。
なんで、なんで貴族のお偉いさんが私のボロ小屋なんかに来てるんでしょうか……? なにをどこでどう間違ったらこんなことに……?
「この際もうあったかいお湯で背中を流せればなんでもいいわ! 湯浴みの準備を手伝いなさい!」
「え、ちょっ」
「このお水、全部使うわね!」
アヴェリア様は「ふんっ!」と声を出すと、危なっかしい手つきで水がめを持ち上げてかまどの上にまで運ぼうとしました。
「アヴェリア様!? 割れます! 割れますから!」
そして結局アヴェリア様を宥め、私が湯浴みの準備をすることになりました。水がめの水もあとで汲みなおさなければいけません。とほほです……
とまぁ、こういうわけで私は水がめの水を大鍋で、少しずつ沸かしながら湯浴み用の風呂桶に入れていき、あったかいお湯をどんどんと溜めていきます。
そうして水がめの中身が空っぽになったころに、ようやくアヴェリア様が満足するくらいのお湯を張ることができました。
「ふんふんふ~ん!」
めちゃくちゃご機嫌そうです。このあと水汲みに行かせてやりたいです。
そう思いながら一仕事終えて床にへたり込みます。そんな私に、アヴェリア様は身に纏っていた衣服を脱ぎながら話しかけてきました。
「感謝するわ! あんた役に立つわね!」
「も、もったいなきお言葉です……」
「もったいなくなんかないわよ! この私の感謝なんだからすごいに決まってるじゃない!」
とんでもない自己肯定力……むしろ見習いたいまでありますね。
今日は朝から晩まで働き通しだった私はもう力なく笑うことしかできず、そのまま地面に背中を預けて天井を見つめるのが精いっぱいでした。
「この調子で明日もよろしく頼むわね!」
「はい?」
前言撤回。力なく笑っていることすらできなさそうです。
私はアヴェリア様の言葉に跳ね起きて、背中に一筋の汗を流しました。
「あの、明日には帰られたりしないのでしょうか……?」
「しないわよ。だってわざわざこっそり抜け出して来たんだもの」
「はい?」
「それにしてもあんたを見つけられて本当によかったわ! これからしばらくお世話になるわね!」
「……」
嘘、ですよね……?
背中を伝っていた汗が一筋から二筋、三筋となって、口角が痙攣するかのようにピクピク勝手に動きました。
祈るようにアヴェリア様が冗談だと言ってくれるのを待ってもみますが、彼女の口からそれ以上言うことももはやなさそうな様子。つまり、本気です。
「だ、ダメですアヴェリア様! 領主家の人がこんな辺境の村で、しかも家来の一人も連れずになんて危険すぎます!」
私は心の底から、これ以上ないほど必死に、アヴェリア様に考え直していただくようにお伝えしました。
当然でしょう。ただの一介の農民の娘が、どうして身分の違いすぎる貴族令嬢なんかと一つ屋根の下で暮らせというのですか。なにか一つでも粗相をしでかしたら冗談ではなく、本当に首が飛ぶことになりえる上に、アヴェリア様のこの性格に振り回されることは絶対に避けられないことは容易に想像できてしまいます。
というか毎日毎日、湯浴みで水がめの水をすべて消費されるとか普通に耐えられるものじゃありません。ここから村の井戸までわりと距離あるんですから。
「……そうね。さすがの私も、一週間の迷子で一人が危険なことは身に染みて分かったわ」
「そうでしょう! ね、だからここは一旦のところ、公騎士連隊の方を通じて辺境伯にお迎えにいらっしゃっていただけるようにご連絡を……」
「つまりはあんたを家来にすれば解決ね!」
……はい?
「ちょちょちょ、何言ってるのかよくわからないです」
私の聞き間違いだと思うのですが、今なんか普通にあり得ないことをおっしゃっているように聞こえてしまいました。
そうですね、おそらく聞き間違いでしょう。まさかまさか、そんなことあっていいはずが……
「あんたを家来にするわ! 私に仕えなさい!」
「……」
そんな私の儚い希望は、元気いっぱいのアヴェリア様の断言によって音を立てて崩れ去ったのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます