サイカテンプク

ベール/Veil

第一話 さようなら。そして、よろしく

 生まれつき体が弱かった。

 運動なんか出来ないのが普通で、おまけに病弱でよく学校を休んでいた。


 生まれつき頭が悪かった。

 記憶力は良い方だが成績が非常に悪く、数学なんて何一つ理解できなかった。


 それがあってか、よく虐められていた。

 馬鹿だの死ねだの、そんなのは当たり前で、聞き慣れて何も感じなくなっていた。

 殴られ蹴られ、たまに血を吐いて、それも普通で涙すら出なくなったいた。


 両親は俺を産んで早くに亡くなったらしい。

 だから親戚に育てられた。でも、俺が高校生になってから死んだ。

 卒業までくらいの金は遺してくれたけど、それも今は盗まれた。

 何かをしようとすれば必ず失敗するし、些細なことが大きくなって必ず俺に被害が及ぶ。

 その影響が俺だけで済めばまだ良かったが、周りの人にもその不幸が及ぶのだから、誰も助けてはくれない。


 『不幸の塊』だって誰かに言われた。

 俺もそうだと思う。


「でも、そんな暮らしも、今日で最後かな」


 学校の屋上の柵を越えて縁に立つ。

 ここから一歩でも進めば落ちるってことくらい、誰だって分かる。

 眼下には有象無象の生徒たちが居る。

 殆どが野次馬で、その中には俺を虐めていた奴らも居た。


 静かに落ちたかったのに、誰にも気付かれずに死にたかったのに、こういう不幸もあるんだな。


「おーちーろ。おーちーろ」


 あいつらはそう掛け声をする。

 その大きな声に混ざるように、案ずる声も聞こえた。


「ダメだって! 早まるな!」

「は、はははっ……!」


 思わず乾いた笑いが出た。

 

 早まるな? いいや、充分待ったさ。耐えたさ。それでももう無理だ。それに、今になってやっと心配する。見て見ぬフリをしてきた奴らは、事が大きくなるとやっと心配をし始める。心配をだ。助けようとはしない。教師は何をしている? 野次馬は解散させるべきだ。それに、立ち入り禁止の屋上に俺が立ってるのに誰も来ないのか?

 本当に助けたいなら、下にマットか何かを敷きつつ上から無理矢理にでも戻そうとするはずだ。


 でもそうはならない。してくれない。

 何度も、助けを求めたのに。


 所詮人間。自分が一番可愛いんだ。

 かく言う俺も、楽な道を進もうとしている。


「ははっ」


 呆れて笑いが出る。

 

 最後くらい、胸を張って、元気に行こうか。


「じゃあな!」


 大きく手を振りつつ、一歩。身体が重力を感じて浮遊感に襲われる。

 

 行ったことないけど、ジェットコースターってこんな感じなのだろうか。


 瞬間、今までの風景が頭をよぎる。

 走馬灯は本来、過去を振り返ってその状況を打破する方法を探すためにあると、どこかで聞いたことがあるけど、目に浮かぶのは傷しかなかった。

 

 心の傷。体外の傷。体内の傷。

 

 死に近づくほど、時間が遅くなっていく。


 死んだ後って、どうなるんだろう?

 

 今更だが、ふと、そんな疑問が思い浮かんだ。

 その瞬間、怒涛の如く恐怖が押し寄せてきた。


 意識が無くなる? そうなったらどうなる? 無になる? 無って何? どんな感じ? それすらも感じない?


 怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 嫌だ。死にたくない。


「た――――――」







 ◆◆◆










 目を覚ますと黒かった。暗いのではなく、黒だった。

 いや、目を覚ましてはいないのかもしれない。

 何も映らず、何も匂わず、何も聞こえず、何も触れられない。

 前後左右上下の感覚すら無く、自分の身体の感覚すら無いため、動いているのかすら分からない。

 ただ意識、思考だけが存在するような、そんな感じだ。


 これが、無なのか?


 何故か好奇心が湧いてきて、喋ってみようと思った。


 こんにちは――――――――――


 喋れているかは分からない。

 意味の無いことをしたと思い少し落胆した。


『………………こんにちは』


 え?

 何か聞こえた。いや、そう感じた?


『あなたは今、死して魂のみの存在となっている』


 女性の声だ。少しだけ低くて、初めて聞く種類の声だ。

 今まで聞いたことの無い、優しさに溢れた声。


『姿を見せることが出来ずにごめんなさい。わたしは創造主。あなたの声は聞こえています。安心して、お話しましょう』


 謎の声に会話を求められている。怪しいことこの上無いが、この無の中で話し相手がいてくれるのはありがたい。

 だから、それに応じてみる。


「何の話ですか?」

『あなたは、わたしが見てきた全てのものの中で、最も不運に見舞われたもの』

「そうですか」


 いきなり何を言うのかと思えば……わざわざ言うことか?


『不運を宿命づけられたあなたを、わたしは目を逸らすことが出来なかった。瞼を閉じたかったけど、出来なかった。見て見ぬフリを……出来なかった…………』

「っっ――――――!」


 誰も、見ていないと思っていた。

 誰もが、見て見ぬフリしていると思っていた。

 彼女が誰だかは分からない。

 でも、それでもこんな所に、こんな所に……


「もっと早く言ってよ………」

『ごめんなさい。わたしが触れられるのは魂だけで、生者には干渉できなかった。でも、これで大丈夫』

「……大丈夫って?」

『転生させることが出来る』


 転生。それはつまり、また人生を歩むということだ。

 普通なら喜ぶことだろう。

 でも、俺は再び生きることに意味を見出すことが出来そうになかった。


『ただ、この世界では記憶を引き継がせることが難しい。だから、別の世界に魂を移す。そして今度は強靭な肉体と、充分な才能を得られるようにします。これで、不運の宿命に抗うことができる』


 何を、言っているんだ? 別の世界? 宿命? 魂?

 よく分からない。でも、彼女が贔屓してくれているのは分かった。


「なんで…………なんでそこまでしてくれるの……?」


 もう涙なんて出ないけど、それでも俺は今泣いていた。


『あなたに生きて欲しいから。本来、それは許されないことだけれど……』


 ああ。これは彼女の私情だ。規則を破るほど、俺に報われて欲しいんだ。

 自意識過剰かもしれないけど、そう思うことでやっと心が救われていく。


『あとは、あなたにその意志があるかどうか』


 ここまでされたら、やるしかないだろう。これは人生最後の強がりだ。もう死んでるけど。


「行かせてください。転生、します」

『本当ですか……?』

「自分から提案したことなんだから聞き返さなくていい。あなたの言う通り、俺は生きてやる。今度こそまともに生きて、あんたの言う通り幸せになって、いつか、恩を返す!」


 その瞬間、光が見えた。

 次第に無だった感覚が輪郭を帯びていく。

 きっと、転生が始まったのだろう。


『ありがとう』

「こちらこそ、ありがとう」


 光が増していくとともに、俺の魂はそれに同化していく。

 その光で、一瞬彼女の姿が見えた気がした。


『今度こそ――――――』


 次の瞬間、全てが白に塗り返された。

 途中までしか聞こえなかったが、言おうとしていることは分かった気がする。




 ◇◇◇



 

 目を覚ませば、そこに顔が二つあった。


「そうだな。それにしよう」 

「フェリシア。私たちの可愛い赤ちゃん。これからよろしくね〜」


 ん? ああ、生まれたのか。流石転生といったところか、生まれ変わっても記憶はバッチリだった。


「あぅ」


 おっと、ついつい声が出てしまった。

 今は赤子だからか、前世の感覚で体を動かそうとすると、逆に難しくなって動かせない。


「可愛いわね」

「ああ。リアに似て、可愛い女の子に育ちそうだ」


 え? 女の子――――――!!?

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