第19話 空照らす、月だけが見ていた。
「……急に何言ってんだい? 確かに、そうだけどさ」
唐突な私の言葉に、ドミニクの声が変わる。
ああ。
綺麗だ。
やはり、ドミニクが一番美しいのは、剣士である時だ。
きっとドミニクが聞けば、身勝手だと詰るだろう感慨が浮かんでくる。
私は、このドミニクを独り占めしたかったのだ。
「ふとね、思い出したのですよ。あなたと出会った、あの夜。
あの日からきっと、ずっと、私はあなたが欲しかった」
「……もう随分とあんたのもんになってると思ってたんだがね?」
「あなただって、わかっているのでしょう?」
答える彼女は、いつもの顔を作ろうとしていた。
でも、出来ない。あの、いつだって飄々としていた彼女が。だから、そのことが、嬉しい。
「私が望んでいるあなたは、当たり前の形では手に入らない。
ずっと、忘れていた。もしかしたら、忘れている振りをしていた。
でも、思い出してしまった」
誰に向かって言っているのだろう。
彼女に対して? 自分に向けて?
わからない、けれど。一つだけ、わかること。
私は、ゆっくりと空を見上げた。
「……こんなに、月が綺麗な夜だから。だから、死合いましょう?」
随分と馬鹿げたラブコール。
頭がおかしくなったと笑われても仕方のない私の誘いに。
彼女が返したのは、溜息だった。
「ったくさぁ……これだから、やなんだよ。あたしのことを、よくわかってやがる」
彼女もまた、空を見上げて。
月を、その目に刻み込むようにしばし睨み付けて。
「そんな酔狂なお誘いされたら、さ。断れないじゃないか」
視線が、下りてくる。
剣士の、それが。
彼女は傭兵で、相棒で。そして、やはり、剣士だった。
「ええ、わかってますよ。何せ、相棒ですから」
「ばっかやろう、そんな顔で言ってんじゃないよ」
はて、私はどんな顔をしているのだろう。
聞いてみたい気もするけれど、知らない方がいいかも知れない。
それに何よりも。
もう、待ちきれない。抑えきれない。
逸る心の割に、剣の柄にかけた手は、随分と静かで、滑らかだった。
音も無く引き抜かれる刃。
ああ、今までで一番上手く、抜けた。
間違いなく、今日の私は、最高のコンディションだ。
「さあ、いきますよ」
「ああ、来なよ」
開始の合図は、それで充分だった。
互いの呼吸がわかっているから、急に私が仕掛けても、不意打ちにもなりはしない。
渾身の、そして会心の一撃は彼女の刃でいなされる。
下手に受ければ刀身ごと身体を両断したろうに、まるで風を斬ったかのような手応え。
即座に飛べば、私が一瞬前にいたその場を彼女の刃が薙ぐ。
追撃に出ようとした彼女へと、下から斬り上げる一太刀。
見切られて、踏みとどまった彼女の目の前を通り過ぎる刃を、そのまま返して上段に構える。
普通の人間なら今のでもう二度斬っているというのに、彼女にはまるで届かない。
楽しい。
やはり、彼女だ。彼女こそが求めていた人だ。
彼女を斬ることが出来れば、その時私は。
ああ。
今ならわかる。私はきっと、笑っている。
笑いながら彼女へと、刃を振るっているのだ。
愛しい彼女へと。
冴え冴えとした月の光の下、白い光が二筋走る。
私の刃と彼女の刃。
剛の刃と柔の刃を体現したような私達。
まるで性質の違う太刀筋が、これ以上なく息を合わせたかのように振るわれる。
わかる。
私達は今、登り詰めている。剣の道を、今まで以上に。今までになく。
もっと、もっと高いところへ。
誰もたどり着けなかったところへ。
恍惚感にも似た高揚の中、幾度も、幾度も刃が振るわれて。
そして。
見えた。
彼女を斬る事が出来る、刃の道筋。
そこへと振るわれたのは、間違いなく生涯最高の一太刀と確信したもの。
だったというのに。
ああ。これが、彼女だ。
これだけの、鎬を削るようなやり取りの中で。
私は、誘われた。そして、彼女が望むままに。もしかしたら、望まない形で。
私は、刃を振るった。
最高の一撃は、それ以上の捌きで逸らされて。
私が反応するよりも速く返された刃は、私の目でも追えないほどの鋭さで、私の胸を捉えたのだった。
彼女の刃が引き抜かれるに合わせて、私の身体から力が抜けていく。
立っていることも出来なくなった私はその場に崩れ落ち、すぐさま彼女が私を支えてくれた。
「ほんとさ、何やってんだよ、相棒」
彼女が、泣いている。
初めて見るその珍しい表情に、私は思わず笑ってしまう。
力の入らない身体が横たえられる間も、ずっと。
「……残念。あなたを私のものに、し損ねました」
本当に、残念だ。彼女を斬れたら、きっと永遠に私の血肉となっただろうに。
まあ、これはこれで悪くない。
「でも……これで私は、永遠にあなたのもの、ですよ……」
「……ああ、あんたは永遠に、あたしのものさ」
「そう、良かった……嬉しい」
私を斬った彼女に、私が刻まれたことだろう。
少し残念だけれど、それでも、私は満たされた。望んだ形ではなかったけれど、彼女と一つになれたのだから。
ぼんやりとした目で、空を見上げる。
「……月が、綺麗ですね」
「死んでもいいくらいに、かい」
「ええ、そうですね……きっと、そう」
だから私は、それを見上げて。
彼女の泣き顔を、最後に見つめて。
それから、目を閉じた。
彼女の嗚咽が、耳の奥で聞こえ……それも、聞こえなくなった。
それは、月が綺麗な夜だった。
初めて出会ったあの日のような。もしかしたら、それ以上に。
とても、とても綺麗な月だった。
そして私の意識は、闇へと、その先へと落ちていった。
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