――不動峰――
神社とも寺とも協会ともつかない全てが歪に融合し、なにを象徴すべきか判然としない建造物の前に、緋毛氈を敷いたアルミ雛壇を設置し、雛壇頂上には十字に輪っかを引っ掛けた作りの十字架が掲げられていた。
この宗派では正式な作りなのか、ただ簡易的に用意されたものかは判別出来ない。山間の瓦礫と鬱蒼とした木々の中で、毛氈の赤さが異常な毒々しさを漂わせていた。
「月霧霞隠命からのお告げです。心して聞きなさい」
黒いローブを身に纏い、雛壇の上に立つ男が声を張り上げた。深くフードが被られ顔は見えないが、声音の感じから年は五十を越してそうだ。
演説会のように雛壇の周囲には人が集まり、一様に男を見上げて佇んでいる。
「皆さん、僕との約束を破った村人がいるようですね」
男は誰かの口調や声を真似て語りだした。
雛壇を見上げる数十人の住民が、固唾を飲み男の言葉に耳を傾ける。
「さあ、よく考えて選択してください。皆さんの生きる道は犯人を殺すか、全員僕に殺されるか――。条件は、明日未明までに犯人を見つけ出し、僕の前に晒してください。さもなくば――、全員処刑します」
処刑など現実味のない言葉だが、ここの住人には身近なものだ。一瞬にして全員の表情が強張り、差し迫った雰囲気に包まれた。既にほとんどの住人が周囲を警戒し、重心を下げて臨戦態勢に入っている。
男は住人の緊迫感を嘲笑うように、繰り返します――とふざけた声真似で言った。
「最後の通告です。裏切り者をその一家もろとも処刑するか、裏切り者を庇い全員が僕に殺されるか――よく考えてお選びください」
フードの隙間から、わずかに見える口許を気味悪く歪め、男は颯爽と宗教的建造物の中へ姿を消した。
住人も一斉に自宅と称した廃屋に駆け込んでいき、雛壇の前には不穏な冷気だけが残っていた。
たった今、集落の住人同士で殺し合いをするよう宣告された。標的は反逆者と見なされた者。それは、外部の人間(よそ者)に情報を漏らした者。
公平は全身に粘りのある冷や汗をかき、不安と恐怖に押し潰されそうになっていた。今にも胸中の叫びが口をついて音となり、吐き出してしまいそうになっていた。
なにが、起きている――公平は鉈を握り締めた手をぶるぶると震わせていた。
身を萎縮させる長女の悲鳴が響き渡った。服を剥ぎ取られ、両手足を男たちに拘束され辱しめを受けている。
妻と長男は、殴られ蹴られ刃物で斬られ、拷問を受けていた。絶叫が耳の奥に深く刻まれ、反響し続け鳴り止まない。
剪定鋸の歯が、長男の膝の上で前後に揺れ動き、グブグブと肉を裂き食い込んでいく。響いた長男の断末魔に、公平はゾッと肝が冷え、おどおどと鉈を握る手の甲に噛みつき悲鳴を圧し殺した。
「男は痛みに弱いって本当なんだな。呆気なく逝きやがった」
長男の血肉で、真っ赤に染まった鋸を片手に男が言った。うすら寒い笑みを口許に浮かべている。
長男の亡骸の隣には、首を跳ねられた母の頭が転がっていた。完膚なきまでの地獄絵図だ。
苦痛と絶望に染まった妻の絶叫が轟き、血飛沫を上げながら右腕が飛んだ。妻は白目を剥き口から泡を吹いて、跳び跳ねるほど激しく痙攣している。
「お前らのせいで殺されるところだったんだから、容赦しねえぞ」
誰かがそう叫び、妻の脳天に鉈を振り下ろした。
スイカ割りの音が鳴った。愛しかった妻の顔は顎の下まで裂け、口や鼻は半分になり、目と目が異常に離れている。血なのか肉なのか脳ミソなのかわからない、赤くて白くて黄色い、個体や液体や粘土のようなものが入り交じった、汚い吐瀉物みたいなものが割れた内側からドロドロと流れ出て、辺りに飛び散っていた。
長女が絶叫した。
腹部に深々と刃物が刺さり、両足を左右に大きく広げられていた。
開かれた股に目が行き、公平は目を覆いたくなる惨劇を見せ付けられる。
長女の膣には鋸が根もとまで突き刺さり、肛門には草切り鎌が刺さっていた。痛みに悶絶しながらも、長女は生きていた。
膣に刺さった鋸を、手を真っ赤に染めた誰かが押し引きし、膣から出し入れする。水道の蛇口を捻ったように、長女の性器から大量の血が流れ出た。顔を真っ赤にし、目や歯を剥いて長女は獣のように呻き、嘔吐し、吐瀉物を撒き散らす。
「張本人はまだ見つかんねえのか?」
誰かの台詞に、公平の股間がきゅっと縮こまる。股慄して逃げ出したいのに、立ち上がることさえ出来ない。
ここまで、わずか十数分の出来事だった――。
武器を握り締め家族揃って外に出た瞬間、公平は絶望した。
既に凶器を手にした他の住人たちが、公平の家屋をぐるりと囲んでいたのだ。
初めから知られていたのだと悟った。裏切り者は公平を指していると、全員が知っていたのだ。公平一家にはなす術がなかった。
「おや、こんなところで」
音もなく忍びよった悪魔が、耳のわずか数センチの距離で言った。
ひいっ――と公平は悲鳴を上げ仰け反る。
「家族を犠牲に全滅をお選びになったんですか? では逃げ切らなければ。こんな所で油を売っている暇はないんじゃあありません?」
悪魔は淡々と言葉を並べた。凍てつく氷柱のように鋭利な声を持つ、真っ黒に塗り潰された輪郭だけの姿。
逃げなきゃ――悪魔は若く清澄な男の声で言った。
公平の背丈を優に越える、長く延びた背丈。鞭のように延びる体格に不釣り合いな長さの両腕。剥き出した黄ばんだ歯と、不気味に光る眼光は歪に笑っていた。
悪魔は公平の置かれている状況を楽しみ、取り憑かれたように血肉に餓えている。じわじわと真綿で首を絞めるなんて生温く感じてしまうほど、周到な計画で運命さえ操りゆっくりと追い詰めてくる。
プツッと針を指すように皮膚を薄く斬り付け、何度も何度も同じ傷口を同じ力で斬り付け、最終的に腹を切り開いてしまうように迫りくる。恐怖と苦痛を煽り立て、一段ずつ階段を登るように、一つ一つ順序よく積み上げる。
悪魔だ――。天性の悪魔だ。
家族が大切だとほざきながら、恐怖に尻込み手を駒根いている公平を嘲笑っているのだ。悔しさにきつく奥歯を食い縛った。
「お前が全ての元凶だ――! 悪魔め! この、怪物め!」
公平は渾身の力を振り絞り吠えると、悪魔の頭部が不思議そうにくりんと傾いた。顎が真上を向きそうな角度だ。
「ふざけるな、俺は家族と幸せに暮らしてた。誠実にまともな人生を歩んで――」
「誠実――、ですか」
悪魔の声音がいっそう冷たくなり凄味を増した。
一切の感情を切り捨てた、聞くに耐えない絶望の色をしている。悪魔は変わらないトーンで淡々と続けた。
「裏組織の麻薬産業を担っていたあなたが吐く台詞ですか。どれだけの人々が犠牲になったのかも考えないのですか」
笑う悪魔には一切の表情がない。
不気味なんてものじゃなかった。股間から体液を垂れ流していることに気付かないほど、絶望と恐怖しかなかった。
なにを言われても、どんなに煽られても、やはり上を行くものは恐怖で、下半身の震えは治まらない。悪魔の冷笑に恐怖が増す。上下の歯がカチカチぶつかり合い、顔面の筋肉は硬直し、急激に体温が奪われた。
この悪魔にさえ出会わなければ――濁流の如く押し寄せる後悔に涙が込み上げる。
権力を振りかざし、ふんぞり返っていた警察時代が懐かしくなった。はい、はいと無条件に返事をする部下、一生懸命に胡麻をすってくる無能な部下、反抗したり地位を脅かす優秀な人材は容赦なく切り捨ててきた。気持ちがよかった。クズどもを牛耳っているのだと思うと、たまらなく快感だった。
「そんなものが、快感――」
梟のように悪魔の首がぐりぐりと上下左右に動き回る。
「そうさ――、苛めは楽しい。権力を振りかざすのも、自分が一番強いと思うのも、なにもかもが気持ちよかった。俺は強者だ! 勝ち組だ!」
高らかに笑い公平は吐き捨てた。自身でもなにを言っているのかさっぱりわからない。それでも欲望のままに、ボロボロと言葉が滑り出る。
「俺のいるべき場所だ、俺のあるべき姿だ、俺は人の上に立つべき人間なんだ――!」
「上とか下とか、僕にはよくわかりませんが――。まあ、お好きなようになさってください」
悪魔は一度言葉を区切り、それより――と、含み笑い言った。
「大声を出したりしてよかったんですか?」
公平は全てを理解した。そして、絶望した。
出し切ったはずの体液が、股間から脚を伝い地面に広がった。固まった身体は動かない。焦点は不吉に笑う悪魔の目から動かせない。
悪魔に従属する獣たちの荒い息遣いが、すぐ背後で聞こえていた。一人や二人じゃなく、何十人もの、驚異的な恐怖に駆られ、嗜虐に染まった呼吸音だった。
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