Opuscula mihi ab amicis verecundis commissa

可笑林

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 昨今世間を騒がせているものといえば、とかく分断だとか、エリート層への復讐だとか、衆愚政治だとか、戦争だとか、フィクションとして遠巻きに享受できると思っていたものが、疑う余地のない現実として、そして、実に卑近な訪問者として、我々の巣穴の淵で腕を組んで佇んでいる。

 

 私はその点においては実に幸運で、背中の産毛に薄ら寒いものを感じながらもこの地は平和と言えるし、政治的腐敗は根深いものの俯瞰して見ればまだ喜劇的といえる範疇に収まるのではないかと思える程度であるし、夏は酷く冬は厳しいが四季が明確と言えば風流に聞こえるし、つまるところ、改善の余地は多分にあるものの、総合的にはおおいに『マシ』なのである。


 さておき、この場においては、そのような全体主義的な、もしくはパトリオット的なことがらに言及にしたいわけではなく、私を取り巻くより逼迫した問題と、それによって引き起こされた心境の変化について、ある種セルフセラピーのような形式で書き留めたいと思う。もしかしたら、この短い文章は誰かに託すかもしれない。完全に自分のために腕を動かしているとはいえ、誰かが読むかもしれないという緊張感と、なにより目的意識が思考を整理させるものだ。


 『私を取り巻く、より逼迫した問題』とは、他でもない天災のことである。

 安住の地、終の棲家として申し分のないこの地だが、完璧なものなど存在しないのがこの無慈悲な世界のルール。ご多分に漏れず、解決の目途も立たない天災によって、我々は常に脅かされている。

 

 この地が最も繁栄したのは、客観的に見ておおよそ三十年~四十年ほど前で、私はその頃まだ生まれてはいないから、具体的にはどういう空気だったのかは分からないが、今より進歩的でないにしろ、少なくとも「何もかもが今よりもうまくいく」と誰しもが思っていた時代だったようだ。

 いつまでも上調子でなどいられないことは誰しもが分かっていたことだろうが、アリのような目線を持っていたとしてもキリギリスのように生きてしまうのが我々というもので、後の世代ために何かを残そうという意志は、どうやらあまり十分ではなかったようだ。


 泡が弾けるように繁栄の時は終わり、避けられぬ天災により、我々の住処はますます少なくなり、それに伴い夏の暑さは昔よりもさらに顕著になり、冬の寒さは我々をより一層苛むようになっている。

 少しずつ同胞も減り行き、かといって増やそうと努力は口をついては出るものの具体的な成果はなく、緩やかな破滅に向かって、確かな足取りで我々は進んでいる。


 昨今、この地を離れる覚悟をする者も多いようだ。

 危険を顧みず、機会を伺って、えいやとばかりに跳躍して、新たな地に降り立つ彼らに対する軽蔑の念など、私はすこしも持ち合わせはいない。

 彼らは節操がないように見えて、実に堅実で、リスクを恐れず、つまりは勇敢であり、私はむしろ、彼らのことを尊敬している。

 

 実を言うと、私の親も同じような経緯でこの地へ移り住んできたのだ。

 彼らの生まれ故郷は、かつて栄華を誇っていたものの、大きな災害があり(もしこの文章が誰かの目についたときに、万に一つも誰かの深すぎる傷を抉ることのないように、おおむね詳細は伏せるが、例の『_.. .. _._. .... ._.. ___ ._. ___ _.. .. .--. .... . _._. _.__ . ._.. _ ._. .. _._. .... ._.. ___ ._. ___ . _ .... ._ _. .』に関することである)、命からがら、亡命のような形でこの地へと転がり込んできた。

 異郷の地で、ほとんどすべてを捨てて、無一文からやり直した彼らには敬服するばかりである。


 さておき、ようやく本題に入るのだが、まずもって、私はこの滅びゆく世界を飛び出してどこか新天地を目指すという意志はないのである。

 何があってもこの地に骨を埋める……というような覚悟ではなくて、もちろん私がこの地で所帯を持ったということもあるし、今この地に残っている多くの者たちのそれと同じように、踏ん切りがついていないだけだとか、正常性バイアスだとか、そういった消極的な要因であることもそうだが、それとなく、私はこの地を『故郷』だと思っているのである。

 これは不思議な話で、先述した通り、この地は私の両親にとってはまったくもって故郷ではなく、したがって彼らは私を生んだ後も都合に応じて住処を転々としてきた。

 「爺さんも、そのまた爺さんも、そしてそのまた爺さんも住んだ土地だから」というものではまったくないのに、すなわち、私のアイデンティティ、もっと言うと魂はこの地と結びついていないのに、いざ生存にかかわる危機が目前に迫っているというのに、私はどことなくこの地に拘泥しているのである。

 

 立ち返って考えてみると、私の両親には故郷がある。彼らは捨てたと考えているかもしれないが、魂を置く場所はあるのだと私は思う。

 無論、私の妻にもある。彼女はこの地の生まれで、雑然とした場所だから口では悪く言うこともあるが、心の中、それもそう深くないところで故郷を愛しているだろうと感じる。

 いわば、私には故郷がないのである。

 何にも束縛されていないと言えば聞こえはいいが、これは、大げさに言えば究極の孤独である。

 どれだけこの地に馴染もうとしても、私は決定的に異邦人であり、それはこの先の生でも変わることがないだろう。

 帰る場所はあっても還る場所はない、ということについて、この頃ますます考えるようになった。

 さらに立ち返って、冒頭にも言及したように、分断だとか、戦争だとか、そういった身近でない話題の中にも、今なお増え続けるその究極的な孤独の中にいる者たちのことを思うと、間近に彼らの嗚咽や嘆息が聞こえてきそうな気がする。

 どれだけ愛されていようとも、暖かに抱擁されていようとも、そもそもそれは『解決』がある問題ではなく、受容の話でもないのである。

 非常に大げさに言えば、どこにも命綱が繋がっていないような気がする。どこかへ飛び出せば、そのまま宙に投げ出されてどこか虚空の暗闇の中へ吸い込まれそうな気がする。

 だから、私はこの地にとどまりたいと思っているのだろうか?

 難しい、誰かに読んでもらうつもりで書き出せば整理できると思っていたが、私の六本の腕ではまだ足らないようだった。

 

 ただ、私の子供たちはそうではない。白い卵たちを眺めていると、彼らにとっての故郷は間違いなくここであると明言できる。

 彼らを抱えて別の地へ飛び立てば、彼らもまた永遠の孤独を抱えることになる。

 それが許されるのだろうか?

 迫りくる危機の前で、それは些少な問題のように思えるだろうが、現実的な話をしたいわけではないのである。

 

 まったくもって実に悩ましい!

 私にしか抱え得ないこの孤独というものを、あるいは唯一無二の宝物だととらえて、後生大事にするのも手かもしれない。

 ふたを開けて見れば、存外宝石のようにきらめている可能性も否定できないではないか。


 ともかく、夕飯時だから、このあたりにしたいと思う。

 『向こうの水も赤いとは限らない』。

 当分はこのことわざを言い訳にすることになりそうである。

 

 



 


 

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