第7話 声だけの同居人と怖がり少女
「さて、私はここで何をしているんだろう。」
私は小さく呟いた。
一人取り残された、“ある女の子の部屋”で。
ほんの数時間前の出来事だった。
「事前に言ってくれれば、いつでもどこでも行くよ。
どうせ暇なんだから。」
そう言った瞬間から、明日の瞳の輝きは止まらなかった。
その後の他愛もない会話の間中、ずっとキラキラと嬉しそうに笑っていて。
……あの眩しいほどの表情。
あの瞬間、私は強く思った――何があっても、この笑顔は守り抜かなくちゃいけないって。
「そういえばあすかって、私といないときは何してるの?
“行く場所がない”って言ってたけど、私が帰った後とか、どこにいるの?」
――さっきまでの“優しさゆえの動揺”はどこへやら。
単なる幽霊疑惑より、よっぽど失礼な質問なんじゃないかと私は思ったけど……まあ、今は許してあげる。
今は――まだ、ね。
「別に、何もしてないよ?
眠くもならないし、お腹も空かない。喉も渇かない。
だから、ただ夜の街をフラフラ歩いてるだけ。」
「“夜の街”って……なんか怪しい響き!」
明日は笑いを堪えてる“ふり”だけして、すぐに吹き出した。
遠慮も配慮もゼロの大爆笑だ。
――たしかに、言い方ミスったかも。
なんとなく顔が熱くなってくる。
見えてたら絶対、からかわれるパターンだこれ。
私から反論がないのをいいことに、明日はそのまま話を続ける。
「うちに来ない?」
明日は、ごく自然な口調でそう言ってきた。
……やっぱり、来たか。
この提案が飛んでくるのは、正直ちょっと想定してた。
どこか“依存”に似た、無邪気で軽率なこの子の一面が、いつかそう言うだろうって。
だけど今の明日は、ただの甘えでもわがままでもない。
私にすがりつくような、ほんの少し不安げな目をしていた。
私は一度、呼吸を整える。
きっと今ここでノーって言うのが、正解なんだと思う。
この子のためにも、自分のためにも。
でも――
少しの沈黙が流れた。
その間に、明日の笑顔がわずかに揺れた気がして。
「……うん。」
気づいたら、口が勝手に動いていた。
その瞬間、明日の目がぱっと光る。
表情がぱぁっと明るくなって、全身から嬉しさがあふれ出しているのが伝わってくる。
――ほんと、カメレオンみたいだな。
私は内心で苦笑する。
本当は迷ってたこと、ためらってたこと。
この子には、たぶん気づかれてない。
でも今はそれでいい。
この笑顔を曇らせる方が、きっともっと後悔する。
「また振り回されるな、これは。……でもまあ、いいか。今はまだ。」
私はそっと、言葉にならない思いを胸の奥にしまい込んだ。
そうして――私は今、明日の部屋にいる。
ほんの数時間前のあのやりとりの結果が、これだ。
一人取り残された、“ある女の子の部屋”。
「めいちゃん? ご飯もうできてるから、手を洗ってきてねー」
ただいまの挨拶もないまま明日と一緒に家に入った瞬間、キッチンの方から、明らかに“お母さん”と思われる優しげな声が飛んできた。
だけど明日は、それに返事をすることもなく、まるで私といたときとは別人のように、黙って靴を脱ぎ、さっさと玄関を上がっていく。
「今、いる?」
小さな声で、明日は私にだけ届くように尋ねてきた。
「……うん。」
私の声は明日にしか届かないのに、なぜか自分までひそひそ声になる。
「これからご飯になっちゃうんだけど……先に、私の部屋に行っててもらっていい? 二階の一番奥。」
その声音は、どこか気まずそうで――でも、それでも信頼して任せてくれているようにも聞こえた。
「……わかった。」
私は小さく返事をして、そっと二階へと足を運ぶ。
物音ひとつ立てないように、まるで泥棒か何かのように忍び足で階段を上がる。
そして、明日の言っていた「一番奥の部屋」へ。
中学生の女の子の部屋にしては飾りっ気のない、地味なドア。
薄くシールか何かが貼られていた後はついていたが、それはしっかり見ないとわからないくらいの薄さだった。
私はその前で一度だけ深呼吸をして、ゆっくりと扉を開いた。
――そして、いま現在。
私はこの静けさの中で、ぽつんと立ち尽くしている。
彼女の部屋は、“普通の中学生の女の子の部屋”っていうイメージとは、どこかかけ離れていた。
キャラクターものも、可愛いぬいぐるみもない。
飾り気のある小物も見当たらない。
あるのは、一冊のスケッチブックが置かれた勉強机と、絵の道具が並んだ棚。
その隣に、シンプルなベッドと、簡易的なハンガーラックがひとつ。
……それだけだった。
壁にも棚にも、写真立てのひとつもない。
中学生の部屋によくあるような、“思い出”の気配が、どこにもなかった。
でも私は、そんな光景にどこか懐かしさを覚えていた。
……ああ、私の部屋も、こんな時期があったっけ。
ふと、思い出したくなかったはずの、あの頃の部屋のことを思い出す。
何の飾りもなかった、ただ息をするためだけに存在していた部屋。
私は明日の部屋を静かに見渡す。
窓の外にはベランダもある。
あの子は、あそこから飛んだことがあるのかな――
いや、きっとないだろう。
校舎の死角まで考慮していた明日のことだ。
こんな開けた場所で、無防備に空を飛ぶようなことは、しない。
理由のない懐かしさ。
この部屋の持ち主が抱えてきたものへの、静かな共感。
そして、机の上にぽつんと置かれたスケッチブックへの、素直な興味。
この部屋で、“明日”が何を感じ、何を描いてきたのか。
それを見たいというよりは、知りたいという気持ちが近い。
ただの趣味かもしれないけれど――
今の彼女にとって、それは“拠り所”のようにも見えた。
けれど、私はスケッチブックには手を伸ばさない。
触れてはいけない気がした。
――いや。
きっと今はまだ、その中を覗く覚悟が、私にはできていなかった。
しばらくして、部屋のドアがそっと開く。
明日は自分の部屋に足を踏み入れて、丁寧にそのドアを閉めた。
それから、どこかぎこちない動きで部屋の中をきょろきょろと見回す。
まるで、見えるはずのない私の姿を、探しているかのように。
「私ならここにいるよ。」
そう言って、場所を示すために、私は“トン”と軽く机を叩いた。
「ひゃっ!?」
明日はビクッと肩を震わせて、反射的に一歩飛びのいた。
その動きは完全に、“ホラー映画の被害者”だった。
……いや、あなたが反応するってわかっててやったけど、それにしても反応が良すぎる。
「ねぇ、幽霊かもしれない存在と二ヶ月仲良くしてきたんだから、今さら物音でそんなに驚かないでくれる?」
思わず呆れてツッコミを入れる。
ほんと、こっちが驚くわ。
「ち、違うの! 声だけだったらセーフだったの!
“机ドン”は反則!ホラー演出すぎ!」
明日はムッとした顔で反論してきたけど、その言い訳は説得力ゼロ。
むしろ今の動揺っぷりが、ホラー映画のワンシーンみたいで笑いをこらえるのに必死だった。
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