キャバと、社会と、その他もろもろ

清川陽葵

他人の沙汰には基本クビを突っ込むな

 地獄の沙汰も金次第、という言葉がある。


 地獄だろうが何だろうが、金があればなんとかなる、というワケなのだが。


 自分や他人やその他もろもろの事情を見ていて、どうにも、そういうわけではないぞ、ということがわかってきた。


 金があれば下馬評をたてられ、見た目が良ければひがまれる。かといって正論を打ち立てても、実績がなけりゃ「うるせーよ」の一言で終わる。まったく生きにくい。


「生きやすい人なんて。そもそも、いるかどうかも怪しいところよ、ツバメ」


「いや、まぁ、そうなんですけどねぇ…」


 夜は更けるも騒がしい、深夜一時の繁華街。

 飲み屋が続く大通りを一本中に入れば、そこは酒とたばこと化粧の匂いが漂う大人の世界。


 そんな街のあるキャバクラ裏手のバックヤードに、準備中のキャバ嬢がふたり。


 その片割れのキャバ嬢は、夜の女としてこの店で働いているザ・家出少女の

末路ことツバメである。


「なんだかねぇ、隣の家の芝生は青い、と言いますか。

 自分と比べると、ほかの同年代の人が眩しく見えて。

 ちょっと情けなくなっちゃう。ねぇ、レイカねえさん」


 そう言って作業用テーブルにつっぷしたツバメは、潜水の前の長い息継ぎのようにたっぷり息を吸ってから、


「自分が悪いとわかっていても、受け入れられぬがひとの性。


 風に揺られて生きてみれば、たどり着いたは歌舞伎町。居場所をみつけたはいい

 

 ものの、それは若さの制限つき。なにも武器を持たないキャバ嬢には、世間様は

 

 味方してくれないようです」


 一息に言った。


「さすがはウチのおしゃべりナンバーワン。スピーチの腕はさすがね」


 化粧を終えたもう一人のキャバ嬢、レイカが言った。そして、ジャラジャラした大量の髪飾りを引き出しから取り出す。あれ絡まらないのかな。


「あなたねぇ、その話術を他の何かに生かしたりしないの。この仕事だって、天職

 じゃない。最近始めた派遣の仕事だって、給料はここよりずっと少な…」


「キャバの基本は、客の話を聞くことでしょう」


 レイカの言葉を遮り、ツバメがだるそうに、むくりと上体を起こす。


「私はここキャバで生き残れないですよ、たぶん。若い女が小気味いいテン 

 ポでしゃべり散らかすのが好きな客が、私の指名客には多かったです。

 でも、若さは時間制限つきです。ちゃんと会社に就職して、まっとうに

 しなくちゃ」


「でも…」


 何か言いたそうに目を泳がすレイカを傍目に、化粧下地を手に取り、肌に塗り広げるツバメ。


「それでも、この仕事はまだ続けるのね。

 いつまで続けるつもり?」


 若干の棘を含んだレイカの言葉に、クッションファンデを塗る手が一瞬止まる。


「金を稼げるうちは、です」


 したたかで、残酷な。働く人の笑みを浮かべた。


「まったくもう。人手不足がまた加速しちゃうじゃない」


 苦笑しながら、ふたりできらびやかで張りぼてのホールへと足を踏み入れた。





ピピピピッ、ピピピピッ———


「うーん…」


 一声うなり、スマホを叩いて黙らせる。画面を見ると、なんと時刻は7:30。


「ヤバッ」


 ツバメがガバッと上体を布団に起こすと、ズキッと頭が痛む。


「痛った…」


 頭を振ると、大地震もかくや、というように世界がぐらぐら動く。胃の中心から湧き出てくるような気持ちの悪さ。二日酔いだ。


 昨日の客、夜遅くまで飲みやがって。こっちは商売だから、断るに断れないのだけれども。


 こめかみを抑え、散乱した酒瓶とスナック菓子の袋を踏み越える。そして、万年

椅子に掛けっぱなしのブラウスを着込む。


 食パンをトースターに放り込み、その間に化粧を済ます。

 キャバの時とは違い、薄くBBクリームを肌に仕込む。オフィスはこれで十分。

 軽くアイメイクとチークをし、眉毛を整えたら終わり。ものの五分もかからない。朝飯前だ。実際朝飯前なのだが。




「いってきまーす」


 誰も返事をしないけれども自分への礼儀として一応言い、玄関を開ける。


 いつもと何ら変わらない満員電車に乗り込み、つり革につかまる。


 こうやって電車乗ってるわたし見て、だれもキャバ嬢って気付かないんだろうな。



 会社に着いて一番にやることは、万国共通、メールチェックである。

 お気に入りのキーホルダーがついたオフィスバッグを下ろし、メールチェックをしている最中に、コツコツとヒールの音を響かせつつ、ツバメに近づくスーツ姿の女。


「三上さん。プロジェクト、進んでいますか?」


 三上さん、というのはツバメのことだが…。当の本人は一瞬ポカンと硬直した。が、遅れて言葉が口からあふれ出す。


「あ、はい。進んでます。先方に昨日確認メールを送って、今その確認待ちで

 す。先方に伝えること、あります?」


 パラパラと言葉を吐き出すツバメに、スーツ姿のツバメの同僚、佐伯華さえきはなは、


「いいえ、進捗を確認したかっただけです」

 鋭く遮る。


「わかりました。何か私が追加でやることはありますか?」

「特にないと思います」

「わかりました!」


 ニコニコ笑顔を顔に張り付けたツバメとは反対に、佐伯華の言葉は全体的にひんやりしている。


 佐伯華が席から離れた瞬間に、ツバメの顔から笑顔が消える。


 キャバで何十人の客を捌いてきたか知れない。たかが数件のプロジェクトの進行

など、今のツバメには余裕だ。










 窓の外が真っ暗になってしばらくたったあと。ツバメは、自宅でスマホを握りしめていた。


「はぁ…」


 ため息をついて立ち上がり、片手にレザーバッグを持ち、家を出る。

 最近気に入っているキーホルダーをオフィスバッグからレザーバッグにつけかえるのも忘れない。


「いってきまーす」






 ところ変わって夜は深まるが眠らない街、繁華街。酒とたばこと化粧の匂いが漂う、とあるキャバクラ裏手。バックヤードの作業机に、ツバメは突っ伏していた。


「仕事したくない…話したくない…」


「相変わらずの気分屋ね、あなたは」


 そう言って、煙管きせる片手に完璧で鉄壁な微笑みをたたえたのは、レイカである。


「お客様の前で雄弁に喋ってみせたと思ったら。裏に回ったらこれだもの。

 恐ろしいくらいの気分屋ね」


「姐さんはいつも落ち着きすぎてる…」


 煙管きせるの煙を裸電球にふきかけ、腕を組むレイカ。


「一度外に出て気分転換したら?あなたのことだから、気分が変わるのも早いで

 しょう」





 外に出ると、霞のかかった三日月が、空に寂しく浮かんでいた。


 「うう…」


 身を縮めて腕をさする。布面積がいささか心もとないキャバ嬢衣装では、夜の

冷たさが骨身に染みる。ジャンパー着て来ればよかった。


 眠らない町の雑踏のなかを猫背で歩く。

 きらびやかなネオン。うねる人波。どこかで酔っ払いが騒いでいる音がする。

 どうやら、スーツ姿の女が絡まれているようだ。


「こぉら、女なら男を敬うことぐらいできんかい!」

「ネエチャン、どこの馬の骨だ、おぉ?店殴り込みしちゃるばい!!」


 何弁かわからない日本語で叫びまくる若い男の酔っ払いと、肩を震わせて立ちすくむ女。


 …気分転換だと思って助けてやるか。




「おめぇらぁ!!なぁにカタギに迷惑かけとんじゃボケェ!!」


 女と酔っ払いの間に割り込み、長年の歓楽街勤務で培った大声と巻き舌で

キャバ衣装のまま一括。そして、


「おまえら、ホストクラブOOのキャッチだろ。つぎやったら支店長に報告だ」

 小声でトドメ。


「チェッ」


 おおよそ小物らしい捨て台詞とともに、去っていく酔っ払い。



「ありがとうございました」


 さっきの震えはどこへやら、さっとツバメに会釈したのは、




ツバメの派遣先の同僚、佐伯華さえきはなだった。



「それでは失礼いたします」


「はい…どうも…」


 踵をかえし、ヒールをこつこつ鳴らしながら背筋よく歩いていく佐伯を見送り、


「私も戻ろ」


 さっきの威勢はどこへやら。店へと体を傾ける、猫背に戻ったツバメなのだった。





 人は誰しも秘密を抱えている。


 それはたぶん全世界共通、巷で言われている"ぐろぅばるすたんだぁど”だ。

 それは職場の先輩、佐伯華にも共通している…はず…。


「うーん」


 バックヤードのソファーに寝ころび、頭を抱えるツバメ。


 佐伯華。ヒールが少し高めの靴をこつこつ鳴らし、いつも背筋をしゃんと伸ばして歩いている。会議中に手を挙げるときでさえ、しゃんと腕を伸ばしている。


 そんな人間だ。


「うーん」


 そんな人間が、なぜこんな歓楽街へ…?

 そんなことより…。


「しっかしまぁ、ベタな展開すぎるだろ」






「ねぇ、姐さん」


 自分一人で頭を抱えるのに飽きてきたツバメは、レイカにかくかくしかじか事情を話す。


顎に手を当て、一拍おいてレイカが一言。


「それ、あなたが歓楽街で働いてるって同僚さんにバレて大丈夫なの?」


「……………え……?」


 表情が漂白されたように消えるツバメ。


「………………」


「………………」


 体感でカップラーメンができそうなくらい時間がたったあと。


「あ———————!!!」


 ツバメの絶叫が、バックヤードにこだまする。しかし、ホールの喧騒と店外の雑踏にまぎれ、その大声は、他の人はさほど気にしなかったという。

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