Thaw water

@raionusagi

第1話

氷を削るエッジの音。

風になびくブルーの衣装。

歓喜にわく会場の空気。


リンクの中央で佇む君は、憎たらしいほど優雅で可憐で美しくて……。


嫉妬、憧れ、妬み。


それらの負の感情が身体の随から波打って、俺の心をキツク締め付けた。


大会前日の公式練習だというのに、会場はほぼ満員。

当日券を求める人が会場前に溢れ返って、マスコミも騒ぎに便乗し囃し立てた。


目当ての品は、リンク内で見事なレイバックスピンをしている彼女。


安藤美優。十五才にしてJr.チャンピオンとなった天才スケーター。


レイバックポジションからキャッチフット。そしてビールマンスピン。


軸がぶれることなく高速で回転するスピンは、素人の目から見ても最高難易度Level4。


GOEでプラスの加点もつくだろう。


他にも数人の選手が最終確認をかねて滑っているが、観客・取材人・大会関係者。

さらには俺みたいにロッカールームで待機していた各国の選手までもが、美優に視線を奪われていた。


ー美優選手の優勝は間違いないー


周囲からの期待の声。


スポーツ競技に絶対なんてないけれど、美優ならなんなくやってしまうだろうという根拠のない自信が満ち溢れていた。


フィギュアスケート・グランプリシリーズ。


三大大会の一角として開催されるこの大会は、世界六ヶ国で開催されるグランプリシリーズ上位六名が、本選であるグランプリファイナルに出場することが許される。


実力はもちろん体調管理をも重要になるこの大会の初戦、アメリカ大会にJr.チャンピオンとして美優は参戦する。


そして、俺も。


美優と俺は一つ違いの幼なじみ。互いに一人っ子で家も隣同士だったからか、本当の兄妹のように接してきた。


俺がスケートを始めたのは六歳の時。


最初は近くにリンク場が建てられて、親の勝手な独断でスケート教室に通わされた。


最初はイヤイヤだったが、次第にその魅力にはまっていき、ほぼ毎日と言っていいほどリンク場に通いつめていた。


風を切る感覚が走るものとは桁違いの心地よさで、回転した時の世界が普段とは違う表情を見せて……といった感じで美優にスケートの良さを力説していたら、美優もやってみたいと言い出した。


美優はいつも俺の後を追う奴で、スケートを始めたのも確実に俺の影響だ。


最初は滑るだけで精一杯。おっかなびっくりで見てるこちらが不安になる。


俺は割と運動神経が良い方なのか、みるみる上達していった。


美優はおっちょこちょいだから、なかなか上達しなくて俺がワンツーマンで教えてやった。


ジャンプの踏み切りはこうだとか、スピンの重心移動はこうだとか。俺の指導のかいあって、美優もメキメキと実力を付けていた。


俺が大会に出ると来年は同じ大会に美優も出る。


俺が新しい技を覚えると美優も真似して覚える。


俺がメダルを取ると次は美優がメダルを取る。


俺の後ばかりつけていた美優。そんな関係が崩れ始めたのは俺が十五、美優が十四の時だ。


俺と美優は全日本Jr.選手権で優勝した。


全日本Jr.で好成績を収めた選手は、年齢に関わらず特例で全日本選手権に出場することが出来る(全日本では十五歳未満の選手は出場できないのだ)


そこで美優は、やってのけた。


初出場で三位表彰台。しかも女子では数人しか跳べていないトリプルアクセル(三回転半)を決めて。


翌日の新聞には、『天才少女現る!』と一面に載っていた。


九位と惨敗した俺のことなどもちろん載っているわけはなく、優勝した選手を差し置いて美優が載った。


一気に、離れた気がした。


俺の後ろをついていた美優が、遠く離れた存在に思えたんだ。


美優の努力は俺が一番理解していたし、技術の上達も俺が他の誰よりも知っていた。


才能があるのも、少なからず感じていた。


だけどこうも、実際に得点という形で表されると、酷く胸が苦しむんだ。


美優が大舞台でメダルを取れたことは嬉しい。


だけどそれに比例して、悔しさがドンドン溢れ出し波打つ。


いつの間にトリプルアクセルが跳べるようになったんだよとか、なんで女子の美優の方が男子の俺より得点が上なんだよとか、一方的な敵意が膨れて歯を食いしばる。


くだらないプライド。


素直におめでとうと言えない自分自身にも腹が立ち、この時から美優と微妙に距離をとっていた。


幸いなことに、一躍時の人となった美優にはマスコミが付きまとうから、俺と会うことすら必然的になくなった。


電話もメールもしないまま時だけが過ぎ、世界Jr.選手権で優勝した美優はシニアに転向した。


俺も同じ大会で三位になり(とはいえライバル選手のミスが目立ち、ノーミスの俺が表彰台に繰り上がったようなものだ)シニアに転向。


くしくも美優と同じ大会に被ってしまったのだ。


数ヶ月ぶりに直接出会う。


ホテルも同じだし、日本人選手は俺と美優しか出場していない。


避けることは、まず不可能。


出国するタイミングやホテルのチェックインなどはずらして極力鉢合わせないようしてきたが、この公式練習だけは時間操作はできない。


別に公式練習には出なくても問題はないのだが、ジャッジは公式練習を参考にして本番に得点をつける。


公式練習に出ないということは参考にするものがない。つまり得点が伸びにくい。


俺も例外なく、渋々コーチに促されて会場へと足を進めた。


どう声をかければいいのか分からない。どう接すればいいのか分からない。


試合以上の緊張感が支配するなかリンクに立つと、華麗にスピンをしていた美優が俺に気づき、近付いてきた。


高鳴る鼓動。溢れる手汗。


緊張の一瞬。


「おっす」


叩かれた肩は、妙に熱を感じた。


屈託のない笑みを見せながら俺の右肩を軽快に叩いて、美優はリンクの中央に戻って行った。


……なんなんだ今のは?


久しぶりの再開なのに、「おっす」の一言で済まされるなんて、拍子抜けもいいとこだ。


美優の意図が全く読み取れない。


結局、美優はすぐさま練習を打ち切り、マスコミに囲まれながら会場から去って行った。


胸のモヤモヤを置き去りにしたまま。







練習も終わりホテルに戻る。


カードキーをドアに差し込み鍵を開けると、背後から肩を掴まれた。


「お疲れ様」


そこにいたのは、俺がもっとも逢いたくない人。


「……お疲れ」


「ちょっと話しない?」


巻末入れずにそう告げると、俺の言葉を待たずして、強引に人の部屋に侵入した。


強引というか、マイペースというか。昔と全く変わってない。


……いや、違う。俺と美優には決定的な差があるのだ。


どうしようもない、実力の差が。


すでに普段着(というよりは寝間着)のジャージに着替えていた美優は、冷蔵庫をあさってペットボトルに入っている水を飲み始めた。


俺は荷物をベッドに投げ捨て、その縁に腰を下ろした。


会話の糸口が見つからない。


仮に見つかったとしても、一方的な妬みや嫉妬で美優を傷付ける言葉を吐くからもしれないから、糸口なんて見つからなくて良いのだけど。


静寂が染み渡る部屋に、時計の秒針が奏でる時が響き渡る。


先に口火を切ったのは、美優からだった。


「私のこと、避けてるよね」


直球すぎて、言葉が出ない。


美優の強い視線が俺を真っ直ぐに見据え、心の中までも射る。


直視なんて出来るわけなくて、俯いたまま言葉を探した。


「そんなことーーー」


「離れないから」


それはあまりにも突然で、


「天才少女と言われても、マスコミに付きまとわれても」


自信に満ちた美優らしい、


「私は離れていかない。側にいる」


決意の言葉。


嗚呼、そうか。やっと分かった。


俺が美優に抱いていた蟠りは、嫉妬とか憧れなんてものじゃなくて。


ただ単に、俺から離れて行くのを恐れていたんだ。


ドンドン有名になって、色んな人から尊敬されて、俺なんかに目もくれなくなるのを。


美優はそのことを分かっていたから言ったんだ。


離れないって。側にいるって。


馬鹿だな俺って、美優は昔となんら、全くもって変わってない。


ドジでマヌケで強情で、でも人のことをちゃんと見て理解して安心させる言葉をそっと投げかけてくれる。


美優はやっぱ、凄い奴だ。


「なにそれ、愛の告白?」


「貴方様の技術を根こそぎ盗み取ってやるってことですよ」


「イヤミか?」


「本気ですよ、若きホープさん」


雪解け水は、春の訪れを知らせる季節の転換。


傷付くのを恐れ自ら壁を作っていた蟠りも、次第に溶けて美しい花を咲かせる。


美優に投げ渡されたこの水も、俺の想いの転換を告げているのかもしれない。


全てを水に流そう。流水の跡には綺麗な花が咲くはずだから、と。


この感情をなんと説明すればいいのか分からない。だけどこれだけは確かなこと。


美優の側にいたい。親友として、幼なじみとして。


できれば、美優の大切な人として。







君との距離

(いつか必ず追い越してみせる)

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