近くの文化

元気モリ子

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先日、住宅街を歩いていると、向こうから大きなリュックサックを背負った男性が歩いてきた。


ここまでは良い、好きにしてくれ。

問題はここからである。


彼は片手に、なみなみとワインが注がれたワイングラスを持っていた。

言い方を変える。

大きなリュックサックを背負った男性が、グラスワインを片手に住宅街を歩いていた。

(日本語とは本当に難しい)


これは私の引き出しにないだけで、令和7年にもなると普通にあり得る光景なのだろうか。


あの男性を形容する際、私は間違いなく「グラスワインの男」と称することになるが、ワイングラスを片手に歩くことが当たり前の世界で育った人は、彼を「大きなリュックサックの男」と表現するのだろうか。

なんだか良いものを見た。


しかし、気になる点が3つある。


まず1つ目は、「なぜグラスワインを持って歩いているのか」、これに尽きる。


しかし、仮りにこれを尋ねたところで、私は何が返ってきても「あ、そうですか」以外に返せる自信がない。

なぜなら、知ったところで大して興味がないからだ。


物事は「なんで!なんで!」とあれこれ考えている時が一番楽しいのであって、それを「いやいや、こうでしょ」と聞いてもいない真実を教えてくれる知らん輩は、博識だか何だか知らないが本当にどっかへ行っててくれと思う。

ああいう輩は、誕生日プレゼントにその人が欲しがっているものよりも、自分があげたい物をあげるタイプだ!

それをあげている自分が好きなのだ!

絶対にそうだ!


失礼、取り乱した。

兎にも角にも、自分から話を振っておきながら、その話を広げられないのならすべきではない。

それがエチケットというものである。

そのため、この疑問は胸の中に閉まっておくこととする。


2つ目は、「往路か復路か」、これである。

どこかにグラスワインを持って行っている途中なのか、はたまたグラスワインを持って家に帰る途中なのか。

住宅街という場所がこのどちらにも捉えられ、状況を難解にしている。


例えば、往路だとする。

台所でグラスにワインを注ぎ、靴を履く際には一度下駄箱の上に置き、もう一度持ち直し、家を出ている訳である。

これは、よっぽどグラスワインを持って行きたい人がするムーブである。


同じパターンで、今日こそは絶対に返そうと思っていた本などを、そのまま下駄箱の上に忘れるということがある。

男性はこの周到なトラップにも引っかからず、かなり強い意志を持って、グラスワイン片手に家を出ていることになる。


そんなに強い気持ちがあるのなら、なぜ今飲まない…

どうしても飲ませたい誰かがいるのか…?

それは素敵なことだが、なら向こうで注ぐべきだ…



次に復路だとする。

私の人生には、「お持ち帰りのグラスワイン」というものが存在しないため、彼が自分でグラスワインを買ったという選択肢をまず捨てる。

帰り際、誰かから思いがけず「これ!これ美味しいから!これだけでも持って帰って!」と半ば強引に渡された、これが最有力ではないだろうか。


だとして、なぜその時に飲まない…

グラスはまた返しに行くのか…

お裾分けを貰った時の、「タッパーはまた今度で良いから!」の、あれなのか…


2つ目の疑問は、考えれば考えるほど枝分かれ的に更なる疑問を増やすだけなので、一旦ここまでに止めるとする。



3つ目の疑問である。

それは、「私は何に対して違和感を覚えているのか」ということである。


『住宅街で、大きなリュックサックを背負った男性が、グラスワイン片手に歩いている。』


これの何がいけないのか。

厳密には何も悪くない。

ではなぜ私はこれ程までに、彼の姿に違和感を覚えているのか。


もし彼が、燕尾服を着てグラスワインを持っていたとすると、今度は大きなリュックサックを背負っていることに違和感が出る。


さらに、もし明日にも同じ光景を見かけたとすると、今度はそれを見て驚いている人に違和感を覚えることになる。

なぜなら、私はすでにそれを見たことがあるからだ。


そうなると、違和感などというものは、瞬間的に生まれて、次の瞬間にはなくなっている、儚いものである。

私は何も見ていないのと差して変わらず、私の世界に今日、「ワイングラスを片手に歩く文化」が加わっただけのことなのだ。

喜ばしいことだ。


家までの残りの道中、そのようなことをひとり考えながら歩いた。

いつも通る道には、今時珍しい空き地があり、その真ん中に野良猫が一匹鎮座している。

生い茂った名前の知らない草木に揺られながら、目を細めていつもウトウトとしている。

隠れるためにそこに居るのではなく、好んでそこに居るような風格があり、私はなるだけ気配を消して足早に通り抜けるよう心がけている。

それが私のスタイルであり、彼のスタイルなのだ。


空き地の真ん中で伸びる黒猫

スーパーからの大荷物を提げ、足早に駆け抜ける私

ワイングラスを片手に歩くリュックの彼

そんな私たちの元に、春の西日は差し込み、それぞれの場所でそれぞれの影が伸びる。

違和感はない。



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