第3話 “悪逆貴族”のやり方で報復する
「うちの特産品だ。屋敷の地下室で特別に培養した貴重なカビまで付いている。さぁ、一口どうぞ」
「は? 何を言って――」
グリードが困惑した顔で、口を半開きにする。
予想外の出来事に直面し、混乱しているようだ。
しかし、グリードが状況を理解するまで、わざわざ待ってやる必要などない。
ノクスは左足で床を蹴った。
その動きには一切の迷いがない。
ノクスの足先は、グリードの腰元、上着の内側に巧妙に隠されていたナイフの柄へと、正確に叩き込まれた。
金属と踵が触れ合う鋭い音が、静寂を切り裂く。
蹴り飛ばされたナイフは、石畳の上をカラカラと転がっていった。
ノクスはグリードの一挙手一投足を完璧に読み切っていた。
「っ……! てめぇ何を……!?」
グリードは動揺した様子で視線を落とした。
大切な武器を失ったことに気づいたものの、もはや手遅れだ。
焦りの色が次第にグリードの表情を支配していく。
ノクスは躊躇なく踏み込むと、無駄のない動きで間合いを詰めた。
そのまま、空いた右手でグリードの後頭部をがっちりと掴む。
ノクスの掌には、これまで抱いた怒りのすべてが込められていた。
「ぐっ……が、がっ……!? やめ……」
グリードの巨体が後ろへとのけぞる。
だが、ノクスは握力を強めて離さなかった。
そのまま、手にした黴パンをグリードの口元へ突きつける。
「おい、やめ――もぐうっ!?」
抵抗の言葉を漏らした隙を突き、容赦なく黴パンを押し込む。
「ほら、遠慮するな。おまえが誠意を見せろと言ったんだ。これこそがアルヴェイン家の誠意だ」
ゴッと鈍い音とともに、石のような黴パンがグリードの口内へめり込む。
その硬さときたら、まるで何か月も乾燥させた煉瓦そのものだ。
「む、んぐぅっ……! ぐっ、ぶぅっ……! げぇっ……!」
黴の臭気と乾いた粉が一気に喉奥へ流れ込み、グリードの目が見開かれる。
緑がかった胞子が空気中に舞い、その異様な香りが周囲に漂った。
呼吸器を塞がれたグリードは、むせ返りながら暴れようとしたが、ノクスは動きを封じ続けた。
(魔法を使うまでもないな)
体格差は歴然としていたが、ノクスは貴族の嗜みとして、武芸や魔法を極めている。
暴力を避けるという制約とグリードへの恐怖心さえ振り払えば、ノクスが敗北することなどありえなかった。
その事実が、今ここで証明されたわけだ。
しかも、100回のループの中で、ノクスはグリードの行動を観察してきた。
だからこそノクスは、グリードの動きの癖を完璧に理解していた。
反射的に繰り出される腕の軌道、その角度と速度まで、全てがノクスの頭に刻み込まれている。
重心の微細な変化、バランスを崩す瞬間の予兆、体重のかかり方、そのすべてを読めた。
「おまえが次にどう動くかなんて、呼吸のリズム一つで見抜ける」
ノクスがそう宣言すると、背後にいるリリィが息を呑んだ。
「嘘……。ノクス様、こんなにお強かったなんて……!」
ノクスは、視界の端でリリィの姿を確認した。
リリィの瞳は、驚きのあまり大きく見開かれていた。
その反応も当然だ。
これまでノクスは、リリィに戦う姿を見せたことがなかった。
そもそも、自身が戦いの才を持っていることさえ、リリィには隠し通してきたのだ。
ノクスにとって、武芸の才は誇るべきことでも、普段から語るべきことでもなかった。
今まで何も知らなかったリリィが、ノクスの圧倒的な強さに衝撃を受けたのは自然なことだろう。
そんなふうに考えながら、ノクスは意識を再びグリードへと向け直した。
グリードの巨躯は、制御を失ったかのように震えていた。
冷や汗が額から流れ落ち、顔面は蒼白に変色している。
グリードが無様な姿を晒している隙を狙い、ノクスは静かに指先を滑らせた。
グリードの衣の内側をわずかにかすめたその動きは、あまりにも自然だった。
だから、グリードは自分が今何をされたのかまったく気づかなかった。
しかし、ノクスのほうは確かな手応えを感じている。
(これで、ついでの用事も済んだ)
心の奥で満足げに呟いたノクスは、子供が飽きたおもちゃを捨てるように、無関心な態度で手を離した。
解放されたグリードは、げえげえと嗚咽を漏らしながら、口の中の黴パンを必死に吐き出そうとした。
グリードの目には、屈辱と恐怖の涙が浮かんでいた。
普段の横柄な態度は、嘘のように消え失せ、まるで別人のように惨めな姿だ。
ノクスは静かにグリードを見下ろした。
その眼差しには、貴族としての気品と、幾度となく死に直面した者特有の危うさが混じり合っていた。
「グリード。おまえが再びくだらない理由で顔を出したときのため、もっと面白い歓迎の仕方を用意しておこう。遠慮なく訪ねてくるといい。次はデザートつきで迎えてやる」
「あ、あああっ……」
「今の警告を心に刻んでおけ。次は――遊びでは済まさない」
「ひっ……ひぃいいいッッ……!」
脅されたグリードは必死に体を起こすと、足元をもつれさせながら立ち上がった。
それから、恐怖に取り憑かれた獣のように、無様にのたうち回りながら逃げていった。
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