♂性別転換♀
@raionusagi
第1話
「つつつつつつ、付き合ってください!」
夕暮れにのびる二つの陰。
一つは「つ」を馬鹿みたいに連呼した、つつつ星人こと俺の陰。
もう一つは「は?」と眉をひそめて口の右端だけを器用につり上げる美姫先輩。
告白する場所ベスト5に入る体育館裏での出来事。
どう見ても告白失敗だ。
だってほら、美姫先輩の怪訝な顔付き。
いくら不器用な俺でも、あの顔見ればわかるって。
ま、別にいいけどさ。バツゲームで告白しただけだし。
昼休み。暇潰しにやった王様ゲームで、俺は見事、王様から命令を受ける下僕に任命された。
王様からの命令は「あの有名な美姫先輩に告ること」
とんだババを引いてしまった。
美姫先輩の暴挙の数々は、いずれ話すとして。
ともかく、俺はなーんとも想っていない美姫先輩に告白しなくてはならなくなったのだ。
一度も告白などということをしたことがない俺にとって、バツゲームとはいえ非常に恥ずかしい。
いや、誰でも恥ずかしいか。
平気でポンポン告白出来る奴は、相当自分に自信があるナルシストか、脳味噌つるっつるの輩しかいない。
一般ピープルの俺も例外なく、恥ずかしさの余り顔に熱を帯る。
運よく夕暮れ時で辺り一面、茜色に染まり完熟トマトになった顔がバレずに済んだが。
「ごめん、付き合えないわ」
さらっと小川のごとく吐き捨てる美姫先輩。
わかってたけどさ、こうもあっさりフラレたら傷つくって。
男って繊細な生き物なのよ。もうちょいオブラートに包んでほしい。
なんて思いながら、俺は美姫先輩に、
「あの……俺のどこが駄目ですか?」
ふった理由を尋ねてみた。
女々しいと思うかもしれない。だけど今後の教訓のために、聞いてみようと考えたわけだ。
案の定、下等生物を見下すような冷酷な視線を俺に注ぐ美姫先輩。
身長もわずかに先輩の方が高いからか、なおさら迫力が増す。
先輩は面倒臭そうに、ゆっくりと唇を動かした。
「私よりチビな男は、男として見れないの。低身長で生まれた己の運命を呪うのね」
大きく高笑いする美姫先輩。
ぷちっと、俺の中で何かがキレた。
この女、俺の地雷を踏みやがったな。
「だーれがチビじゃ! 俺だって先輩みたいな、野蛮でガサツで性格ブスな女なんか好きになるか!」
「んだと貴様ーーー!!」
「ぎゃぁあああ!」
茜色の校舎の壁に、赤黒い液体が飛び散ったのは言うまでもない。
夕日も沈み始めた帰り道。
凸凹になった頬を擦りながら、帰路につく。
人数は少ないが、時折、通りかかる人々の視線が俺に注がれる。
相当酷い顔なのだろう。
中には隠れて写メを撮る奴もいるし。
にしてもあの女、集中的に顔ばかり攻撃しやがって。
「顔はやめな、ボディにしな」という名言を知らないのだろうか?
やはり噂は本当だったなと確信していると、ふいに制服の裾を何者かに掴まれた。
後ろを振り向く。そこには小学校四・五年生くらいの少年が俺を見上げていた。
はて、俺をこの子と知り合いか?
記憶の中を探ってみたが、親戚にも知人にも、こんなガキンチョは存在しない。
俺の顔が珍しすぎて、もっと近くで見たいのか?
ほほぅ、いい度胸してんじゃん。
だったら見せてやろうじゃねーか。クソガキが。
「どうした僕?」
目線を合わせるため、しゃがみこむ。
少年は俺を見据え、満面の笑みを浮かべた。
そして、全く予期せぬ発言を言い放った。
「僕だけのお姉ちゃんになって」
……お姉ちゃん?
お兄ちゃんじゃなくて、敢えてのお姉ちゃん?
確かに俺は決して身長は高くないし、女顔って言われるけど、どこからどう見ても純粋な男だ。
しかも制服のブレザーも着てるし、見間違いたくても見間違えない。
もしかしてあれか、この子は頭のネジが数百本くらい抜けてるイタイ子か?
それとも確信犯で、俺をからかっているのか?
おいおい僕。男子高校生を舐めてると痛い目みるぜ。
俺は大袈裟に「なんだって!?」と後退りしながら、両手を上げた。
これで満足か、僕ちゃん?
「お姉ちゃんになって、お兄ちゃん」
どうやら俺が男だと理解しているらしい。
ということは後者が正解か。
「でもね僕、俺は男なわけでお姉ちゃんにはなれないんだよ。
おちんちん切らなくちゃいけないだろ?」
「イエスかノーかで答えて! お姉ちゃんになるの? ならないの? どっち!」
物凄い剣幕で俺を睨みつける少年。
不覚にも少し恐怖心を抱き、たじろいてしまう。
ターゲットを絞り、今にも噛みついてきそうな強い眼差し。
俺はなんにも悪くないのに、ライオンに怯える子うさぎみたいに縮こまってしまった。
「わ……わかったよ。好きにしてください」
どうせ一人っ子が抱く、姉弟の憧れだろう。
俺も二人兄弟の末っ子で、どうして弟が欲しくて欲しくて、近所のオジサンが飼ってる馬鹿犬タロウを弟に見立てたほどだ。
多分この子もそんな感じ。
本当はお姉ちゃんがいいけど、たまたま俺が通りかかったから妥協したんだ。
時刻も六時五分前。おこちゃまはそろそろ、お家に帰る時間帯。
だったらちょっくら、お姉ちゃんになってやろうじゃないか。
俺も大人だ。純粋な少年の夢を叶えてやろうぞ。
「ありがとう、お兄ちゃん」
剣幕から一転。目を覆いたくなるような、キラキラ笑顔になる少年。
錯覚で星が見えるぜ。グサグサ刺さってるよ。
でも、お姉ちゃんって何をすればいいんだ?
まさか女装なんてことはないだろうけど……。
ままごとか何かか?
「それで、俺はなにすればいい?」
「僕に任せて、お兄ちゃん」
言葉を遮り、右手の人差し指を立たせる少年。
それをクルクルと回しながら、なにやら唱えだした。
「チチンプイプイ、チキンプイプイ。お姉ちゃんにな~れ!」
わー、なんとも典型的な呪文だこと。
しかも後半チキンになってるしね、チキンに。
「チキン野郎にな~れ!」てか、おい。
あーもー俺、頭おかしいわ。顔フルボッコされたからか?
などと詠唱時間わすが数秒に間に色々ツッコんでいると、「な~れ!」の所で俺に向けた人差し指から、金色の光が飛び出した。
突然のことで身動き出来ず直撃。
直撃した腹部から強烈な発光が生じ、視界は白い世界へと変わる。
自動的にシャッターが降りたが白い世界は変わらない。
瞼をも通過する光。次第に白から黒へと落ち着き、ゆっくりと目を開けた。
真っ先に写ったのは、広角を名一杯上げて白い歯を覗かせている少年。
なんだなんだと辺りを見回す。
特に変わった所はなく、頭上にはハテナマークの大群が。
一体どんなマジックを使ったんだ?
「これで僕だけのお姉ちゃんね」
「なぁ、さっきの光はなんだよ。どんなマジック?」
「自分の胸に聞いてみたら?」
ニヤニヤしながら不適な笑み。
言われるがまま、胸に手を置く。
だがもちろん「このマジックの種はね」などと答えてくれるわけがなく、からかわれてると判断した。
「おい、いい加減にしないと怒るぞ!」
「まだ気付かないの?」
「は?」
そういえば、なにやら柔らかい物が手に当たっているような……。
「て、なんじゃこりゃ―――!?」
俺の手の中には、無駄に巨大な脂肪の塊が二つ。
こ、これは、属に言うおっぱいと呼ばれる神秘的で神々しくて、男共の夢と希望が詰まっている細胞器官なのかい?
それが俺の手中に……否、俺の体の一部と貸している。
「まさか!」
そっと手を、股間に移す。
「………ない!?」
そこにあるはずの肉棒が綺麗さっぱり消えていた。
なんてことだ。
決しては立派とはいえぬが、男の象徴がなくなるなんて。
俺と人生を共にしていた、ソーセージがなくなるなんて。
ところかまわずトランスフォームして、俺を悩ませていた象さんがいなくなるなんて。
なんだかもう、頭の中が真っ白だ。
「さーて、ビビデバビデブー!」
少年の声が微かに耳に届く。
気付くと今度は、銀色の光が少年の指から飛び出し、数ページ前と同じ状況に。
そして目を開けると、
「にゃにゃにゃにゃにゃ、にゃんじゃこりゃぁあああ!?」
身にまとっていたブレザーが、女性用になっていた。
それは足元から変化しており、靴底ペラペラ&カカトが潰れたローファーは、泥一つはねていない新品同様のピカピカに。
靴下はハイソックスになり、ズボンはスカート。細く真っ白な美脚を覗かせる。
ネクタイもリボンに変わり、体も見た目も女の子になってしまった。
「なんだよこれ……なんだよこれ……」
言葉が出ない。力が入らない。何も考えられない。
パニック状態で、グチャグチャで、こんがらがって、わけわかんなくて。
頭ん中スパゲッティになっちまう。
ヘニャヘニャと膝を付き、その場に座り込む。
絶望なのか悲しみなのか。
負の感情が複雑に絡み合って、正常な判断が出来なくなっていた。
視界には何も写らない。
脳味噌スパゲッティの頭は、外からの情報を一切拒絶している。
目が死んでるって、こういうことかも知れないな。
現実を受け入れたくない時、一番の情報収集力がある視覚を遮断するんだ。
いや、待て待て。これは現実か?
そうだ、これは現実なんかじゃない。夢だ! 夢なんだ!
美姫先輩に告ったことも、謎の少年に出会ったことも、お姉ちゃんにされたことも、
みんなみんな夢なんだ!
「俺としたことが、夢と現実の区別が出来んとわ。まだまだ修行がたりんな」
「夢じゃないよ」
パチンと少年が指パッチン。
すると頭上から小さな爆発音が無数に鳴り響き、白い煙が太陽光を遮断した。
だが、俺はいたって冷静なCOOL boy。
所詮夢なのだ。なにがあろうと恐くない。
かかってこいやー! と頭上を凝視していると、次第に煙がはれていく。
その隙間からキラリと輝く銀色の無機物が目についた。
「五月雨 鋭利千本の陣」
言葉では言い尽せないほど(おそらく千本)の刃物が地面へと、その切っ先を向けていた。
日本刀はもちろん。剣、槍、レイピア、斧、ナイフなどの武器。
さらに、ハサミやカッター包丁などの日常洋品までもが宙に浮いている。
「夢なら死なないよね?」
無邪気な裏に隠された、血も涙もない冷酷な笑み。
足が震え、まともに立つことさえままならない。
冷や汗が溢れ、寒気がする。
まさに蛇に睨まれた蛙。
これは本当に……夢か?
パチンと軽快な音が再び空に響く。
それを合図に、重力に逆らっていたものが、その身を地球へと預けた。
「ぬうわぁぁぁあああ!!」
剣が槍がレイピアが、五月雨のごとく地上へと降り注ぐ。
絶叫しながら、俺は華麗なステップで避け続ける。
落下点を瞬時に計算し見切わめ、全神経を回避運動にまわし紙一重でそれをかわす。
まさしく人間場馴れした計算処理能力と反射神経。
人間その気になれば、なんだって出来るのだ。
雨がようやく止み、地面には様々な武器が突き刺さっている。
息が上がり肩で呼吸していると、パチパチと激しく手を叩く音がした。
「さすがお姉ちゃん、すごいすごい!」
生まれて初めて、本気で殺意がわいた。
「なにすんだよ! 死んじまうじゃねぇか!」
心の底から溢れる怒号。
だが少年は全く悪気がないのか、ケロッとした表情で手を叩き続けている。
「これで現実ってわかったでしょ? これからよろしくね」
少年の周りには、色とりどりのお花達がたくさん咲いていた。
というか「これからよろしくね」てなんだよ。
俺は今すぐにでも、お前をケチョンケチョンのギッタンギッタンのボッコボコにしてやりたいんだよ。
お前に未来はないんだよ。キル・ユーだぜ。キル・ユー。
「早く俺を元に戻せ! さもないとーーー」
「戻せないよ。それにお姉ちゃんになったんだから、僕と一緒に暮らすんだからね」
……一緒にクラス?
おいおいおい、ちょっと待ってたもれ。
高校生と小学生じゃ、同じクラスにはなれないぜ。
やっぱ考えてることが、おこちゃまだな。お姉ちゃんとずっと一緒にいたいってか?
ハハハハハ、笑いが止まらないぜ。
「クラスじゃなくて暮らす。死線こえそうになって、おかしくなっちゃった?」
完全に思考を読まれている。
精神的にも体力的にも、俺の体は限界をゆうに突破していた。
お家に帰ろ、と天使の微笑みで息切れをしている俺に右手を差し出す少年。
俺は奴の手を払い除け、睨みつけた。
「聞いてなかったのか、さっさと俺を元にもど」
ん、ちょっと待て。
皆さん一ページ前に戻りましょう。
そして少年のセリフにご注目。
―戻せないよ。それにお姉ちゃんになったんだから、僕と一緒に暮らすんだからね―
「お前、さっき“戻せないよ”て言ったよな?」
「うん。魔力全部使い切っちゃったからね。回復するには、か―な―り時間かかるよ」
「ハハハ……そう、なの、ね……」
疲労に加え、望みを失った喪失感。
目の前が真っ暗になり、俺はその場で気絶した。
「起きて、お姉ちゃん」
耳元がくすぐったい。腹には何やら圧迫感。
そして、
「起きてって言ってるでしょ!」
頬に強烈な痛み。
一発で目を覚ますと、巨大なハリセンを持って、俺の腹に股がっている少年が。
そうだ、俺は美姫先輩にボコボコにされて、少年に会って、お姉ちゃんにされて、女性用の制服にされて、殺されかけて、気絶して。
「て、そうだ!」
少年を払い除け、上半身を起こす。
ぎゃっと少年がベットから落っこちたが、今はそれどころではない。
俺は両手を、自分の胸へと運んだ。
やっぱり付いてる、おっぱいが。
初めてもんだおっぱいは、とっても柔らかく気持いい……。
なんて勧奨に浸れるわけもなく、それは俺が本当に女になったのだと現実をつきつけた。
「どう、お姉ちゃん? 女の子の体は」
「うんサイコー。あんなことやこんなことを……て言うわけないだろ、このクソガキが!」
少年の胸ぐらを掴む。
女・子供には手を出さないと守り続けていたが、今はそんなこと言ってられん。
己のポリシーより、己の体の方がよっぽど大事だ。
戻せ戻せと言いながら、少年を前後へ揺らす。
すると奴は「説明するから離して」と言うではないか。
よーし、だったら説明してもらおうじゃねぇか。
満足いく説明じゃなかったら、アヒルが孵化する寸前の卵を食ってもらうぜ。
「それでは、一通り説明しまーす」
コホンと咳払いすると、少年は説明をしだした。
「まず最初に、僕の名前は大翔(ひろと)小学校四年生ね。
もうわかってると思うけど、僕は魔法使いです。すごいでしょ?」
確かにすごいが、もんのすごく迷惑だ。
「単刀直入に言うね。お姉ちゃんを男の子に戻す魔力は残ってないの。
回復するにはかなりの時間がかかるから、当分の間は僕のお姉ちゃんとして生活してもらいます」
「本当に戻せないのか?」
「本当に戻せない。そんな簡単に性別を変えられると思う?」
少年……大翔の言う通りだ。
性別をコロコロ変えられるとは思わないけどさ。
だからって何で俺が女にならなきゃならんのだ。
俺はそこんとこを聞きたいんだ。
その旨を告げると、
「お姉ちゃんが好きにしろって言ったじゃん。元男だろ。男に二言はないんでしょ?」
「うっ……そりゃそうだけどさ。他に方法はないのかよ」
首を傾げながら腕を組み、頬杖をつく大翔。
新たな答えを発見したのか、大翔は伏し目がちに表情を曇らせながら言った。
「可能性は0に近いけど、僕以外の魔法使いを見付けて頼むしかないね」
「そんなの、一生かかっちまうじゃねーか」
「そうだね、あるいは……」
「あるいは?」
「僕を殺せば、魔法が解けるかもね」
大翔のトーンが落ちる。先程の明るさ消え、瞳も悲しげにうるませる。
こんなにも居心地が悪い空間は初めてだ。
「それでも僕を殺す? お姉ちゃん……」
殺せるわけないだろ。
いくら俺の体を弄んだ憎っくき相手だとしてもだ。
前科者にはなりたくないし、子供を殺して元に戻るくらいなら死んだ方がマシだ。
俺だって迂濶に承諾したのが悪いんだ。
それに一生、女として生きてくわけじゃない。
時間はかかるみたいだが、男に戻れるんだ。
だったら女の子デビューしてやろうじゃん!
前々から女ってもんは、どんな生活をしてんのか気になってたし。
こんな体験、一生どころか何万回生まれ変わったって出来ねえもんな。
さすがに家族にはなれないけど、ちょくちょく遊んでやれば大翔も満足するだろう。
奴にだって家族と学校があるんだ、四六時中お姉ちゃんでいなくてもいい。
ただ問題は、父さん母さん、それに兄貴にどう説明するかだな。
顔は見てないけど、かなり変わってるだろうし、声も高くなってやがる。
説明しても俺だとわかるだろうか?
まーなんとかなるか。俺の癖や家族しか知らない事を並べて、無理にでも理解させてやる。
それに兄貴は魔法とか信じる方だし。
母さんも女の子が欲しかったと嘆いてたしな。
親孝行だ、親孝行。うんうん。
「殺しゃしねーよ。魔力が回復したら男に戻せよ。な?」
あやすように、大翔の頭を撫でる。
大翔はあの潤んだ瞳で、ベットに座る俺を見上げた。
よく見ると、なかなか可愛い顔をしているな。
変な魔法をかけられたり殺されそうになったりと死線をさ迷っていたせいか、大翔の顔をはっきり眺めたのはこれが初だ。
て、あれ? 俺、男に可愛いって思っちゃったぞ。
まさか、体が女になったから恋愛対象も女から男に……。
「違う違う! これは一種の気の迷いで、母性本能ってやつだ。俺は女が好きなんだー!」
「お、お姉ちゃん?」
「俺は子供好きなんだ! ショタとかロリとかじゃなくて、純粋に子供が好きなんだよ、きっと!」
「お姉ちゃん、落ち着いて……」
「きっとじゃねぇ、間違いない! だってこんなガキの裸を想像したって、勃つもんも勃た」
「猛虎 鋭利千本の舞」
※只今、主人公二人がハッスル中のため、今しばらくお待ちください。
「とりあえず、自分の姿を見てみたら? お姉ちゃんも絶対気に入るよ」
つい数分まで俺の命を狙っていた魔法使い大翔が、部屋の隅にある化粧台を指差す。
そういや、まだ自分の全体像を見ていないっけ。
槍が刺さっていないか確認するため、鏡に写る自分の姿を凝視した。
肩まで伸びたキューティクル抜群のサラサラツヤツヤ、ストレートブラックヘヤー。
おめめぱっちり、唇プルプル。
雪のように白く、小顔できめ細やかなスベスベツルツルのお肌。
そこにいるのは、誰もが羨む絶世の美女!
「……て、ちょっと待てやー!?」
紛れもなく鏡に写る顔は、
男時代の俺だった。
「お姉ちゃんは女顔で背も低かったから、そこだけは変えなかったんだ。魔力の節約節約」
わー、なんとも地球に優しいエコ魔法使いだこと。
魔力も節約しないとね☆て、うぉい!
人のコンプレックスを、そのまま使い回すなよ。
知り合いが見たら、女装してる変態野郎じゃないか!
どうせ女にするなら、とことんやってくれよ少年。
使い回すくらい女顔の俺って、一体……。
「ま、これはこれで好都合かな? 胸をさらしで巻いとけば、男として家に帰れるからな。うん」
一人(無理矢理)納得していると、容赦ない大翔の言葉が降りかかる。
「家に帰らない方がいいよ」
「は? なんでだよ」
大翔は母性本能キラーの笑みで、重大な真実を告げた。
「お姉ちゃんと関わった全ての人の記憶から、お姉ちゃんに関する記憶だけ消しといたからね。家に帰っても、お姉ちゃんの居場所はないよ」
「そうかそうか、記憶がない……はっ!?」
記憶を消しといたから?
それってつまり、俺のことを忘れてるってことか。
いや、俺はこの世に存在してなかったってことになるのか?
駄目だ、頭がまたこんがらがってきた。
わけかんねぇよ、意味不明だよ。ちゃんと説明してくれよ。
「記憶を消したって、どういうことだよ!」
「そのまんまだよ」
状況が掴めない俺をあざ笑うかのごとく、大翔の言葉が俺の心を傷付ける。
「お姉ちゃんのことを知る人は、この世に存在しない」
そして最後にトドメをさす。
「事実上、お姉ちゃんは一人ぼっちになっちゃったんだよ」
ー一人ぼっちー
その単語が頭の中で妙に響く。
俺のこと知る人は、この世にいない。
言い換えれば、俺はこの世に存在しない。
……そんなはずはない。
俺は今こうして存在しているんだ。
意識もあるし自我もある。
五体満足で健康な体もある。
喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだり、感情きちんもある。
家族もいるし親戚もいる。
友達もちょっと苦手な奴も秘かに想っている人もいる。
なのに、俺は存在しない?
そんなわけあるか。こんなことがあってたまるか。
俺は十六年間、男として生きてきたんだ。
十六年間の記憶が、魔法なんかで失われてたまるか!
「お姉ちゃん!?」
俺は部屋を飛び出した。
この目でちゃんと確かめてやる。
俺の過去を、思い出を、存在を……。
きちんと俺自身の目で見極めてやるんだ!
「パンツ丸見え!」
廊下の壁にヘッドダイビング。
額から血がドクドク流れるが、今はパンツが最重要問題だ。
視線を落とす。
そこにはフリルがついた純白のパンティーが!
そうか、大翔の攻撃を避けていた時、スカートが破けたのか。
にしても、こんなピチピチの生地を着たのは小学生以来だ。
やばい、ちょっと興奮してきたかも。
女の下着なんて、母さんの汚いのしか見たことないからな。
「そんな姿で出ていったら、ただの変態さんだよ」
クローゼットに替えがある。大翔がそう続け、俺はクローゼットからスカートを取りだした。
にしても、出鼻を砕かれこの感じ。
ドラマなら「次回! 物語は急展開をむかえる!」とナレーションが入って、エンディングなのに。
これじゃ、視聴者は食い付かないぞ。俺のやる気も下がるばかりだ。
スカートの試着に苦戦しながら、なんとかはく。
股の間がスースーして、風通しは抜群だぜ。
「じゃ、家に帰るから」
本当は男物の服がよかったが、クローゼットには制服のスペアしかなかったから、渋々諦めた。
そういや、今は何時なんだ?
外は明るく、太陽が出てるみたいだが。
ま、いいや。今は家に帰るのが先決だ。
「行ってらっしゃ~い。明るい内に帰ってくるんだよ」
「誰が帰るか、バーカ!」
大翔の見送りを背に受け、俺は今度こそ部屋を飛び出した。
右手の親指に微かに残る傷痕を眺めながら。
最悪、これが最大の証拠になるんだろうな。
日付はすっかり変わっていて、今は朝の七時。
俺と大翔がいた所は、巷で有名な超高級高層マンション。
しかも屋上だぜ、屋上。
月、数十万はくだらない家賃だろ。きっと。
魔法でも使って金を出したのか、はたまた親が金持ちなのか。
謎は深まるばかりだが、奴がかなりのリッチマンだとわかる。
そんなに金があるんなら、どっかの国からお姉ちゃんを人身売買すればいいのに……。
おっといけね、あんま眺めてる場合じゃないな。
身を翻し、マンションから目を背ける。
マンションと自宅は同じ地区にあるから、この辺りの地理はバッチシだ。
徒歩圏内に自宅があるため、歩いて帰る。
もちろん周りを厳重に警戒しながら。
顔と背丈だけは元のままだから、知人に見られるわけにはいかない。
大翔は記憶を消したと言ったが、魔法使いなんて非現実的な輩の言うことなど信じられるか。
実在したのは認めるがな。
そんなことより、この姿。
体は女でも心は男だ。
スカートを穿いているなんて、顔から火が出るくらい恥ずかしい。
ヘソじゃなくて、顔で茶が沸けるよ。ほんと。
周りの視線を気にしながら、足早に帰路へついた。
大通りを避け裏路地を進む。
そして着いた念願の我が家。
大きくもなく小さくもない、なんとも普通な二階だての一軒家。
この時間帯なら大学生の兄貴と母さんがいるはずだ。
目の前にたたずむ玄関の扉が、地獄へ通じる門みたく重々しい空気が漂う。
なにビビッてんだよ俺。しっかりしろよ俺。
ここは正真正銘、俺の家じゃないか。
父さんが死んだら、遺産の半分がもらえるんだぜ。
自身に喝を入れて、感情を高ぶらせる。
こうでもしなきゃ、この扉を開けることは出来ないでいた。
心のどこかで、大翔の言葉が引っ掛かっているのは確かだ。
心の迷いが、扉を開けるのを迷わせる。
開けなきゃ前には進めない。開けるんだ、開けるんだ、開けるんだ!
勢いで開けちまえ作戦。
感情をMAXまで高めて、迷いを打ち消す。
肺に空気を取り込んで、勢いよく扉を開けた。
「ただいま!」
「あら?」
トドがいた。
間違えた、メタボな母さんが靴べらを使ってスニーカーを履いていた。
これから買い物に出かけるのか、化粧という仮面を被っている。
ビィトンのバックが可哀想だ。ほんと。
「えっと、その、なんだ? この制服には深ーい意味があってだな……」
目が点になって俺をボケーと見つめる母さん。
十七年間、男として育てた息子が髪を伸ばしてスカートを穿いてたらショックだろうな。
俺だって、兄貴がスカート穿いてたら吐くぜ、吐く。
なんとかして、俺が女になった説明をしなくては。
俺は必死で言葉を探していたが、
「どちら様?」
恐れていた事態が起こった。
「どちら様って、俺だよ。光(ひかる)だよ」
「望(のぞむ)のお友達ですか?」
「本当に記憶がねぇのかよ……」
俺は母さんを押し退け、家へ入った。
後ろから悲鳴にも似た怒号が聞こえるが、記憶が戻れる可能性があるならなんだってしてやる。
二階の突き当たりにある俺の部屋。
記憶が消されても、俺の部屋はあるはずだ。
そこから記憶の鍵穴をこじ開けて、俺のことを思い出させてやる。
扉に吊されたクマのプレート。
このプレートが、俺の部屋の証。
「なによあなた! 警察呼ぶわよ!」
母さんの言葉を無視し、ドアノブをひねる。
「……え?」
そこにある光景に、絶句した。
ベット・机・本棚・テレビ。
そこにあるはずの物が、綺麗さっぱり消えており、空き部屋に変わっていたのだ。
「誰よあなた、人様の家に勝手に上がり込んで! 出ていきなさい!」
「母さん……本当に憶えてないの? 光だよ! 正真正銘、母さんの息子だよ!
ほら、この右手の傷、覚えてるだろ?」
母さんに詰め寄り、右手の傷を見せる。
だが母さんの顔から怒りは消えず、強烈な平手打ちを喰らわされた。
「私の息子は望だけよ! あなたなんか産んだ憶えはないわ!」
―産んだ憶えはない―
ある程度の覚悟はしていた。
だが、想定と現実では言葉の重みが全く違う。
俺の心に深く突き刺さった言葉のナイフは、赤く腫れた右頬なんかより痛くて、
目がしらに哀しみの雫を貯めさせた。
「母さ」
「母さんなんて呼ばないで! 気色悪い。望、助けて!」
「……っくぅ」
歯を悔い縛り、その場を駆け出す。
この家に俺の居場所はない。
違う、俺の居場所などどこにも存在していない。
俺は、光という存在は……。
完全に消滅してしまったんだ。
堪えていた涙が溢れだす。
大翔のマンションと自宅のちょうど間にある公園のブランコに揺られながら、全力疾走して失われた体力を回復させた。
なにもかも嫌になる。
誰もいない公園も。
赤く錆び付いたブランコの鎖も。
ポツリポツリと、黒いシミが増えるスカートも。
途中、転んですりむいた膝も。
砂だらけの制服も。
耳から離れない母さんの言葉も。
止まらない嗚咽も。
泣き虫で弱い自分も。
なにもかも嫌だ。嫌いだ。消えてなくなれ。
自暴自棄にさいなまれる。
もう嫌だ。本当に嫌だ。
なんで俺がこんな目に会わなくちゃいけないんだ。
こんな理不尽があってたまるか。
「ごめんね、お姉ちゃん……」
突如、頭上から声が降る。
乱暴に袖で涙を拭い、顔を上げた。
「……大翔」
「まさか、こんなにショックを受けるなんて思ってなくて……本当にごめんなさい」
頭を下げる大翔。
なぜだろう。俺を不幸のどん底に突き落とした張本人なのに、不思議と怒りが沸いてこない。
嗚呼、俺はもう何もかも諦めてしまったのかも知れない。
男に戻ることも。家族の記憶を戻すことも。大翔に怒りをぶち撒けることも。
涙と一緒に流れ落ちたんだ。
「もういいよ」
「でも、僕のせいで……」
「いいって言ってんだろ!」
大翔の肩がビクッと震える。
視線をそらしたまま呟いた。
「もういいから、さ」
「うん、わかったー」
……はい?
なんだ、今のとてつもなく緊張感がない明るい声は?
急いで視線を向けると、そこにはさんさんと輝く微笑みが。
「あの~、俺泣いてたんですが」
「うん知ってる」
「いやいやいや、知ってるじゃなくてさ。申し訳ないと思ってんだろ? お姉ちゃんゴメンって」
「もういいって言ったじゃん」
なにごとも無かったように言いやがった、このクソガキ。
「ちょ、それは虚勢ってやつで、内心はドス黒い感情が渦巻いていて……」
「男に二言は無い! お家に帰ろ」
俺を無視して無理矢理手を引く大翔。
ブランコに座りながら引っ張られたため、バランスを崩して転倒した。
顔面強打。鼻血ブー。
しかもそのまま俺を引きづり回し、俺等が通った後には赤黒い道が続いていた。
あんな小さな体のどこに、これほどパワーが隠されているのだ。
「ぢょっどまでっづ」
「なにー? 聞こえなーい」
口に砂が入ってうまく喋れない。
傷口からの出血量がハンパない。
周りの鋭い視線が非常に痛い。
「ど、どんだぁけぇええぼぅわぃあぐえれにゅぬぅ!?」
思わず叫んではいけない。
口にカエルが入った。
もう嫌、こんな羞恥プレイ……。
悲しみも怒りも憎しみも。
負の感情は一瞬にして払拭してしまった。
純粋無垢というか。無邪気というか。掴みどころが無いというか。
大翔に振り回されっぱなしで、これからの身の振り方を考えてる暇などない。
だが、これだけは確かだ。
俺は今日から女として生活し、大翔のお姉ちゃんとして、魔力が回復するまで一緒に生活をしなくてはならないということ。
俺はこれからどうなってしまうのか?
好奇の目に晒されて。口内で暴れるカエルを飲み込まぬよう努力して。
今後の生活に、不安を隠せないでいた。
俺は今、人生最大のピンチを迎えております。
あの後うっかりカエルちゃんを噛み……いや、言わない。言ったら思い出すから言わない。
ともかく、うっかり核爆弾を発射しちゃった級の衝撃と恐怖を味わった俺は、引きずられながら失神。
気付くと翌日の朝になっており、制服からパジャマに衣替えしていた。
大翔が処置したのか、身体中に出来た傷を消えており、砂や土も綺麗さっぱり落ちていた。
改めて自分の体を確認。
やっぱりなと呟いて、俺は立ち上がり部屋から出た。
寝室を出るとリビングになっていた。
このマンションはめちゃくちゃ豪華で、リビングは体操競技が出来そうなくらい広く、シャンデリアもついてやがる。
そのリビングで大翔が食パンをほうばっていた。
食パン、スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、牛乳。
栄養バランスを正確に把握した朝食。
こんな完璧な朝食、テレビドラマ以外で初めて見たよ。
「お姉ちゃんおはよう」
牛乳に手を伸ばし、ニコニコしながら俺にあいさつ。
俺も適当に朝のあいさつを済まし、席についた。
「にしても、よく立ち直ったよね」
イチゴジャムを塗ったトーストを食わえていると、唐突に大翔が言う。
「ふぁひぃが?」
「ものすごく泣いちゃってさ。自殺しちゃうかと思った」
「ふぁっちなんじゃったもんたひょうじゃねぃか」
「なに言ってるかわからないよ」
目を細めてクスクス笑う。
念願のお姉ちゃんをゲット出来てかなり嬉しそうだ。
トーストを口に詰め込み、牛乳で胃へと流す。
ゴクリと喉を鳴らして、手の甲で口の周りを拭った。
「なっちまったもんは、しょうがねえだろ」
「しょうがない?」
「そ、いつまでも泣いてたってしょうがない。いつかは戻れるんだからさ、なんとかなるなる」
そう、くよくよしたってしょうがない。
逃れられない運命ならば、運命に応じて楽しいことを考えて、実行した方が断然いい。
人生ポジティブに行かなくちゃ。
前向きだね、と大翔が呟く。
おうよ! と胸を叩いて見せた。
その拍子に巨乳……いや、爆乳に手が触れた。
憧れのおぱーいが我が手中に納められているとは、一度も考えたことなかったな。
ひとまず揉んでみた。
すげー、こんなに柔らかい。ぷにぷにだよ。ぽよぽよだよ。
にしても邪魔だ。でかすぎる。
パジャマのボタンがはち切れそうだ(少し言いすぎか)
「なー、これって何カップ?」
「FとGの間くらいかな」
英語で言われても理解しがたい。
なので指折り数えてみた。
「ABCDEF……七番目!?」
すげー! 片手じゃ数えられないデカさじゃん。
こんなデカイのビテオや雑誌でしか見たことねえよ。
「Gか~、俺はもうちょい小ぶりの方がいいけどなぁ」
そう言いながらも、顔は自然とニヤツク。
なんだかんだ言っても、さくらんぼ少年にとってOPPAIは、犯してはいけない神の領域なのだ。
「ご堪能してるところ悪いけどね」
口の右端を上げて、完全ドン引きの瞳でOPPAIと戯れている俺を静止するように言う大翔。
ママの母乳を飲んでるおこちゃまには、まだわからんさ。OPPAIの魅力など。
なに? と返事。大翔はソファに脱ぎ捨てられた制服を親指で指し、
「今日から学校だよ」
いきなり登校命令を下した。
学校って、ちょい待てや。
俺の体だけではなく、わざわざ学校の制服も変化させたのは、このための布石か?
俺はてっきり、羞恥プレイを無意識の内に楽しんでいたサディスト小学生かと思っていたが。
でも学校には行っとかないと。
来年は受験もあるし、これ以上バカになったら、お婿(お嫁?)に行けなくなっちまう。
でもこの制服、以前の俺が通っていた高校のだが……。
「もしかして、同じ高校に通えってか?」
「もちろん。転校生として通ってもらうからね。
わかってるとは思うけど、友達の記憶も操作しといたから、一から友達を作ってね」
食器を洗面台に片付けながら大翔が言う。
「すぐに友達は出来るけどね。だって自慢のお姉ちゃんだもん」
その自信はどこから湧いてくるんだか。
苦笑いを浮かべる俺を横目で確認しながら、ジャブジャブと食器を洗っている。
「ちゃんと女の子らしくしててよね。百パーセントないけど、もしお姉ちゃんが魔法で女の子にされたって知れ渡ったら、僕がどんな目に会うかわからないから。
それはお姉ちゃんも一緒だからね。魔法の解明という理由で、最悪解剖されちゃうかも知んないよ」
食器を洗面台に片付けながら大翔が言う。
「すぐに友達は出来るけどね。だって自慢のお姉ちゃんだもん」
その自信はどこから湧いてくるんだか。
苦笑いを浮かべる俺を横目で確認しながら、ジャブジャブと食器を洗っている。
「ちゃんと女の子らしくしててよね。百パーセントないけど、もしお姉ちゃんが魔法で女の子にされたって知れ渡ったら、僕がどんな目に会うかわからないから。
それはお姉ちゃんも一緒だからね。魔法の解明という理由で、最悪解剖されちゃうかも知んないよ」
自分なりに考えた大和撫子を演じてみた。
が、その時。大翔の手から皿が滑り落ち、ガシャーンと音を立てて割れた。
顔は青ざめ、黒い縦線が何本も入っている。
なにか間違ったか?
ちゃんと「お」を頭につけて丁寧語にしたし、セレブっぽく高飛車な部分も出したし。
口元に手をあてて、サザエさん風にお上品に微笑んだんだけどな~。
大翔の哀れんだ眼差しが、妙に心に響くぜ。
「……まあ、頑張って?」
なぜ疑問系? でもま、今は頑張るしかないか。
「頑張るわ! 大翔ちゃん!」
「大丈夫……かな?」
大翔の小さな呟きは俺に届くことはなく、本日三枚目のト―ストを口に運んだ。
「いやぁ~、君カワユスだねぇ」
「セクハラじじぃ……」
「なんか言ったかね?」
「な、なにも言ってはいませんわ。うふふふふ」
学校に到着するなり、校長室に呼ばれた俺。
私立高校だからか、中には高そうな壺や油絵などの骨董品が警備員付で後生大事に飾られている。
だが、百パーセント偽物だ。
だって……
ムンクの叫びやモナリザが日本にあるわけない!
他の骨董品だって疑わしいぞ、こりゃ。
「にしても、登校初日に遅刻はマズイよねぇ? ひかるちゅわぁぁぁあん」
ツルツルの頭皮を油ギッシュに輝かせ、目を細くして不気味に笑う校長先生。
しかも巻き舌で語尾を延ばしている。
世界キモイ選手権(教師の部)があれば入賞くらい出来るだろう。
セクハラというのは見つめるだけでも適用されると、初めて実感した。
「ごめん遊ばせ。道に迷ってしまいましたの。オホホホホ」
嘘ぴょーん。道なんかに迷いはずがない。
本当は制服に着替る時、パジャマを脱いだら下着がコンニチワしたため、ついつい鏡の前に立って鑑賞していたのだ。
しかもヌーブラだよ。ヌーブラ。
ピタッとくっついてて、下着の進化を身を持って体感したね。うん。
大翔いわく「普通のブラジャーだとフックを外すのが大変だし、これなら違和感ないでしょ」とのこと。
奴も奴なりに気を使ってるんだな。
お姉ちゃん感動だよと、面白半分に胸の谷間を強調させるポージングをしていた。
で、何やってんだよ俺。キモイよ俺。と、自己嫌悪に陥っていたら遅刻したのである。
校門で待ち構えていた体育教師に捕まり、こうして校長にクラス紹介とお説教を受けているというわけだ。
「遅刻するなんて、夜更かしでもしてたのかなぁ~?」
校長の視線が、確実に俺の胸へと向けられている。
キモイ。非常にキモイぞ校長。
「その大きなピーチで、狼君を虜に……おおっといけない、これ以上はセクハラになっちゃうね☆」
「すでに十分セクハラです」
「もう~! ひかるちゅわぁあんのイィケェズゥー!」
頬を膨らませ口を尖らし、両手を口元につけてクネクネ動きだす変態校長。
校長の威厳どころか、教師としての一線を間違いなく越えている。
こんな人が校長先生でよろしいのですか? というか、本当に校長ですか?
疑問が深まる一方で、校長の下ネタトークは、その後も続いた。
俺が元男じゃなかったら、明日の朝刊に高校と校長の名前が載っていただろう。
えげつなーいトークもやっと終わり、いよいよ本題。
俺が在籍するクラスの紹介となった。
「ひかるちゅわぁあんは、普通科一年九組だからね」
普通科の九組。男だった俺が在籍したクラス。
つまり、仲が良かった奴らとまた一緒になるということ。
俺に関する記憶は全て失って……。
大丈夫、覚悟は出来てる。
また新たな思い出を作ればいいだけ。
ただ、それだけ。
拳を堅く握り、下唇を噛む。
これから俺の新たな学校生活が始まるんだ。
ソファから腰を上げ、教室へ向かう。
校長も立ち上がり、テーブルごしに右手を差し出した。
「これから我が校の生徒として、しっかりと勉学に励むように」
やっと教師らしい台詞を聞いた。
俺も握手をしようと、スカートで右手を拭いていると、
「お―と、バランスを屑したぁあああ!」
わざとらしく大声を発し、校長の右手が俺の胸を捕えた。
左手はテーブルに、右手は胸につけながら、校長は鼻の下を伸ばして辺りに花びらを巻き散らしている。
これは俗にいう痴漢行為だが、心は男の俺はそれに気付くのに時間がかかった。
次第に右手に力がこもる。このツルピカン、揉んでいやがるぜ。
「な……なにすんだよ、エロ校長!」
「これは事故なのだよ、ひかるちゅわぁあん。私は下心なんて、な~んにも無いんだよ。床が悪いんだよ床が。突発的な事故ならセクハラにはならいんだからね☆」
語尾に☆をつけて、巻くし立てるエロ校長。
口だけは達者な変態だ。
校長の奇人話は耳にしていたが、ここまでヒドイものだったとは。
胸につけられた右手を振り払って、早足に校長室を後にする。
ぜってー教育委員会に訴えてやると、心に誓いながら。
校長室は一階。九組は三階。
ふつふつと怒りがこみあげて、廊下を歩きながら不満を漏らした。
「なんなんだよ、あの校長。この学校は変人教師が多すぎだ!」
「たとえば?」
「たとえば……タッチャンだな。あいつは校長以上の変人だな。うん」
「そうか、そいつはどんな奴だ」
「危険思考の持ち主だ。去年の文化祭で、あんぱ……」
はて、俺は誰と会話しているのだ?
背後から声がして、なにげなく会話を交してはいたが。
立ち止まり、後ろを振り向く。
そこには不気味な笑みをしている、タッチャンがいた。
タッチャンこと達哉先生。
九組の担任で、校内では知らぬものはいない超サディスト教師。
そのタッチャンが今、俺の背後でドス黒い笑みとオーラを俺に発している。
「タッチャンとかいう教師は、危険思考の持ち主なのか?」
はいそうです。なんて冗談を言える相手ではない。
もし言ったら、男に戻る前に天に舞い戻っちまう。
「た……達哉先生は、とととても勉強熱心な先生で、憧れな教師でありまするです。はい」
「なるほど、嘘が下手だな」
「はい、そうでありま……」
気付いた時には、すでに手遅れ。
タッチャンの手が俺に向かって伸びていた。
ガシッと掴まれた俺の頭。
なんて大きな手なの! 素敵!
などと大和撫子になれず、体がビクビクと小刻みに震える。
このまま壁に打ち付けられるか、トマトのように握り潰されるか。
どちらにしろ、俺の死に変更点はない。
「貴様、転校生だな」
「……はい」
「誰から俺のことを聞いた?」
そうか、タッチャンも俺の記憶がないのか。
つまりタッチャンは、第三者が俺に悪知恵を教え込んだと勘違いしているのだ。
ということは、俺の人生のシナリオを書き換えることが出来るぞ。
罪をそいつにすり替えちまえばいいんだ。
なんとか君が言ってましたって。そうすれば頭部圧迫死は免れる。
さて、問題は誰にするかだ。
同級生を売るなんてマネは出来ないし、罪の無い後輩に濡衣を着せるなんて可哀想だ。
ということで俺は、
「知り合いの先輩が言ってました。達哉先生は……危険だと」
先輩をチョイスした。
ふーやれやれ。これで一件落着。
誰だと聞かれても、転校したばかりでわかりませんと答えれば、どちらも被害はおよばないだろ。
「そうか。で、誰だ?」
声色を変えず、淡々とした口調で尋ねるタッチャン。
待ってましたよ達哉先生。
俺が「わかりません」と口を開く直前に、
「知り合いの先輩なんだろ? 俺の知ってる生徒かな」
続けて言って、ほくそ笑んだ。
―知り合いの先輩―
しまった! うっかり余計な言葉を入れちゃった。
なんで知り合いの先輩なんて口走っちゃったんだよ。俺のバカバカバカ!
「早く答えろ。先輩とは誰だ? え?」
頭上に置いてある手を顎に持ち変え、顔を持ち上げられる。
タッチャンの目は、一等星のごとく輝いていた。
直視出来ず、視線をそらす。
誰かを犠牲にしなければ、この場はおさまりそうにない。
だが俺は帰宅部。
相性が悪い先輩なんているわけもなく、名前を熟知している先輩なんて、数える程度しか知らない。
誰にするか。美姫先輩?
……駄目だ、奴はタッチャンの唯一の天敵(弱味を握ってるとの噂)
抗争に巻き込まれでもしたら、天国への階段を歩むことになる。
なら、らい……あの人は中国に強制送還されたっけ。
「転校生」
視線を戻す。
タッチャンは恐怖に脅える俺を心から楽しんでいるようで、口元に冷笑を刻んだ。
「さっさと先輩の名を言わなければ……」
漆黒に染まった瞳。
真っ黒すぎて、一点の曇りなんてありゃしない。
「犯 す ぞ ?」
「翔太先輩です」
サディストは嘘と冗談を極端に嫌う。
嘘だとバレたら、ただでは済まない。
「そうか、翔太か。あいつは二年の時から俺に反抗的だったからな」
どうやら信じたみたいだが……ごめんなさい翔太先輩。
とっさに先輩の名前が出てしまったんです。
罪悪感に襲われて、涙腺が緩む。
最低だ。学食でカレ―うどんを翔太先輩にぶちまけた俺を、先輩は笑って許してくれたのに。
後日、クリーニング代を持って行ったら、いらないよと絶対受け取ってくれなかったのに。
本当に、本当にいい人なのに俺は……。
嘘をついちゃ駄目だ。今ならまだ間に合う。
魔法の事は言えないけど、正直に話せば転校生ということで減刑して……くれる奴じゃないな。
でも、自分で蒔いた種なんだ。
自分自身で刈り取らなければいけない。
タッチャンの右手は、すでに外されている。
解放された体。
悪あがきだとわかっているが、すぐさま逃げられるよう、タッチャンと距離を開け口に溜った唾を飲み込んだ。
腕組しているタッチャンは、絶やさずドス黒いオーラを漂わす。
一瞬たじろいてしまったが、オーラなんかに負けてたまるか。
両手で挟むように頬を叩いて、タッチャンに向かって言い放った。
「タッチャン、本当は翔太せんぱ」
「さーて、どうやってイジメ……生徒指導をしようかな?」
「今イジメって言ったよな? いや、そんなことは置いといて。本当は俺が」
「奴はすぐ泣くからな、言葉攻めか羞恥……それか流行りのDVごっこもいいな」
「DVごっこは流行ってません! という人の話を」
「ヤフオクで買ったアレを使うか」
「聞けっつってんだろゴラァアアア!」
俺の叫びが虚しく廊下に響く。
だが、少年のような眩い瞳をしているタッチャンには全く届いてはいない。
サディスト教師。My流行語大賞にノミネートだな。
「さて、指導内容も決まった所で、そろそろ教室に向かうか」
俺を置き去りにして、さっさと行ってしまったサディスト教師。
そうだ、俺は九組に向かっていたのだ。
そしたら担任のタッチャンに会って……て、今は授業中のはずなんじゃ。
廊下に備え付けられている時計を覗く。
針は一時間目終了時刻、五分前を指していた。
タッチャン、あなたは今まで何をしていたのですか?
教師としての最低限の義務と業務をこなしてから、デカイ口をたたけよ。
だから日本の教育は低迷する一方なんだよ。バーカ、バーカ。
心の内で悪態をつきながら、タッチャンの背中にアッカンベー。
すると、いきなりタッチャンがこちらに向き直し、殺意を含んだ眼差しを向けた。
「俺は生徒指導課の課長だ。お前みたいな風紀を乱す輩がいるから、担任の業務に支障をきたすんだよ」
読心術!? というか、風紀を乱している諸悪の根源は貴様だろ。
「諸悪の根源か。古典的に東京湾にダイブなんてどうだ?」
全力でフライング土下座したのは言うまでもない。
「自己紹介は勝手にやれよ」
教室の扉に手をかける。
心臓が鳴った。
ドクドクドクドク、耳で聞き取れるくらい。強く。
身体中に血流が回る感覚がわかる。
普段から使っていない脳に、沢山の酸素を届ける感覚が。
ドクン。大丈夫、やっていける。
ドクン。たかが女になったぐらいじゃないか。
ドクン。緊張するなんて俺らしくないぞ。
脳が活性化したせいで、余計なことを考えちまう。
やっぱ、母さんの時とは違う。
家族とは、俺が男に戻るまで会わない。そう決めた。
大翔のお姉ちゃんになったからもあるが、俺自身が堪えられなかった。
一種のホームシック。
もう一度母さんと会ったら、俺の覚悟が揺らいでしまうと思うから。
母さんに気味悪がれても、一緒に暮らしたいと言ってしまいそうだから。
様々な記憶が蘇って、大翔に怒りを覚えてしまうかも知れないから。
だから家族とは会わない。会わなければ、俺も大翔も傷付かない。
でも今回は違う、学校は週五日必ず登校しなければならない。
俺の存在を知らない友人達と、ほぼ毎日顔を会わせることになる。
顔を会わせれば、いやがおうにも思い出す。
男だった頃の記憶。
女になってしまった己の悲劇。
一人ぼっちになった自分。
それらが複雑に絡み合い、大翔への怨みや憎しみになってしまったら、俺は大翔を傷付けてしまうかも知れない。
……いや、考えるのは辞めよう。
大翔にだって、深い理由があったはずだ。
じゃなきゃ、身ず知らずの男を女にするなんて、手の凝んだことをするはずがない。
魔法が使えるんなら、自分好みのお姉ちゃんを作り出すことだって不可能じゃないはずだ。
それに、あの高級マンション。
敢えて突っ込まなかったが、あのマンションには大翔の両親の姿がなかった。
料理も食器の後片付けも大翔がやっていたし、両親の存在を漂わせる物も見当たらない。
他界か出張。もしかしたら複雑な家庭環境があるのだろうが、大翔が一人で暮らしているのは間違いない。
寂しさをまぎわらすために俺をお姉ちゃんにした。
最初はそう思ったが、やっぱり俺をお姉ちゃんにするには効率が悪い。
では何のために俺を?
「さっさと入れ」
「あ、すんません」
馬鹿がいっちょまえに考えたって答えなんて出るわけないか。
―僕を殺せば、魔法が解けるかもね―
大翔が言った言葉。
心の奥底に引っ掛かって、気を抜くと頭の中でリフレインする。
そんなことは絶対にしない。
でも、俺も普通の人間。怒りに任せて自我を失わないとは限らない。
それが恐い。そう考えてる自分が恐ろしい。
「……考え過ぎだよな?」
背後に立ってるタッチャンに気付かれないように、瞼を閉じて小さく深呼吸。
目を見開く。
勢いよく、スライド式の扉を開けた。
「ヘブシッ!」
北斗百烈拳を喰らった敵のうめき声をした俺。
教室に入った途端、バスケットボールが飛んできたのだ。
豪速球で、しかも顔に。
目の前には、お星さまとピヨコがクルクルと円を描きながら駆け巡っていた。
この感覚は、失神寸前の無の境地。
一度体験しているから、すぐにわかる。
「お、おい! 大丈夫か?」
タッチャンとは違う、低い声。
そうか、こいつが犯人か。
ボインな女の子を傷付けやがって、大翔に言いつけてやるんだから。
と、ここで意識が途絶えた。
思考停止。ピヨピヨピヨ。
思考回路が復活した時には、保健室のベットで眠っていた。
辺り一面、白い世界。
ベットを囲むように備え付けられたカーテンは閉めきられて、保健室の全貌は確認できない。
どのくらい気絶していたんだ。
ブレザーは脱がされていて、リボンも外されている。
よっこらせと上半身を起こすと、シャッと勢いよくカーテンが引かれた。
そこには一人の男。
いや、一人の男なんかじゃなくて。
俺が詳し過ぎるほど知っている男。
「虎ちゃん……」
虎ちゃんは目を真ん丸くして、驚きの表情を見せた。
そりゃそうだ、虎ちゃんからしたら今日出会ったばかりの身知らぬ女だ。
初対面の女が自分の名前を、しかもあだ名を言ったら気味悪がるだろう。
でも、これではっきりした。
親友の虎ちゃんまでもが、俺との記憶を失っている事を。
「なんで俺の名前を?」
「あ、えっと、タッチャ……達也先生に顔写真と名簿を見せてもらったんだ。それで、うん」
「嗚呼、なるほどね。虎太郎(こたろう)って古風な名前だからな。一度聞いたら忘れらんないだろ」
パンダみたいに両目が垂らして、ニッコリと微笑む虎ちゃん。
全然変わってない、虎ちゃんの笑顔。
虎ちゃんの笑顔は、不思議と俺の心を安らかにしてくれた。
「ごめんな、 俺の投げたボールが顔面に当たっちまって」
両手を合わせて頭を下げる。
やっぱり、あのボールは虎ちゃんが投げたのか。
虎ちゃんは休み時間になるといつもボールを持って、必ず人にぶつけるからな。
「すげー痛かったし。お前は何回言えばわかるんだ」
「へ?」
「バスケもやらないのに、教室に置いてあるボールをキープしやがって。ボールは友達ってか?
やめろやめろ、ボールの友達はサッカー少年一人で十分だ。うん」
最後に俺は言ってやった。
「今後教室でのボール遊びは禁止! 破ったらDXトルプルアクセルパフェを奢ってもらうからな」
お説教を終えた時点で、俺は虎ちゃんの変化に気が付いた。
笑っていない。無表情だ。
口をポカーンと開けて、文字通り目が点に。
ツンツンヘアーの毛先がよじれて、ハテナマークになってやがる。
俺、なんも間違ったこと言ってねえよな?
「初対面なのにやけに詳しな。もしかしてエスパーとかなんか?」
首を傾げて尋ねる虎ちゃん。
そうだ、何度も言うようだが虎ちゃんからしたら俺とは初対面。
ボールの事をベラベラと喋ってる俺を不審がってるんだ。
こっれはヤバイ。虎ちゃんは変な所が鋭いからして。
バ レ る か も 。
バレたら国に捕獲されて、あんなことやこんなことをされて、
あげくの果てには死。
「な……なんとなく、ボールキャラkanato?」
なに言ってんだ俺。馬鹿だろ俺。
嘘バレバレじゃないか。
虎ちゃんの不穏な視線が感じる。
て、あれ? 虎ちゃんは俯いて視線を俺から外していた。
ほのかに頬を紅潮させながら。
「ナウシカが……」
消え入るような声で呟く。
本来ならば聞こえないだろう声量だったが、ここは保健室。
雑音は一切なく、保健の先生も留守みたいで、俺の鼓膜へとしっかり届いた。
「ナウシカ?」
「ナウシカが、さ」
なにをほざいてんだ、この男は。
虎ちゃんは顔を背けたまま、人差し指を自分の胸元へ指した。
胸を見ろってことか?
虎ちゃんに向けていた視線を、自分の胸へと移す。
するとそこには、風の谷間がコンニチワ。
わーお! Yシャツのボタンが四つほど外れていて、世界一柔らかい谷間が出現してやがるぜ。
ナウシカはこの谷間にかけたのか。
風の谷間のナウシカってAVのタイトルかよ、おい。
そう思いながら、慌ててボタンをかけ直す。
大丈夫だよと告げると、虎ちゃんは頭の後ろを乱暴に掻いて目を游がせた。
言いたいことがあるけど、言い出せない時の虎ちゃんの癖だ。
あ、う、などうめきながら虎ちゃんが言いにくそうに口をモゴモゴ動かしている。
谷間を見てゴメンと言うのか? 別に気にしなくてもいいのに、なんならいつでも見せてやるよ。
「なに笑ってんだよ」
どうやら一人ニヤニヤしてたみたいだ。
虎ちゃんに突っ込まれちまったよ。
「わりぃわりぃ、それよか今何時」
「そろそろ四時間目。ず―――と起きねえから、死んだかと思ったし」
「なんか気絶してばっか……て、ずっと起きねえってお前……」
もしかして看病してたとか?
虎ちゃんは照れ隠しに俺のオデコを一突きすると、感謝しろよと突っつきながら口にした。
虎ちゃんは優しい。
実はちょっぴり腹黒い虎ちゃんとは高校一年生の時に同じクラスになった事から付き合い始めた(無論友達として)
趣味とか好みとか馬が合って、親友と呼べる仲になるまで時間はかからなかった。
俺等の学校は二年になったらハワイへ修学旅行に行く。
それまでに彼女を作っても、絶対二人で回ろうぜと固く誓い合った直後に、俺は女になってしまった。
虎ちゃんを見ていたら、あの時の記憶が蘇った。
ごめん。俺、約束守れねえかも知んない。
女になった俺とは、一緒に回れないもんな。
やばい、ちょっと泣きそうかも……。
スッと、俺の視界に青いハンカチが飛込んだ。
俯いていた顔を上げると、虎ちゃんが慌てた様子で首を左右に動かしている。
「だ、大丈夫か! 痛みがぶりかえしたとか? 骨折とか骨折とか骨折とかないよな?」
ハンカチは激しく揺れていて、動揺しまくり。
骨折骨折って、連呼し過ぎだよバーカ。
「折れてたら呪ってやる」
キョロキョロと挙動不審の虎ちゃんに、追い討ちをかけた。
……俺、なんとかやってけるかも。
不安が無くなったとはいえないけど、正直まだまだ不安だらけだけど。
「あんがと、バーカ」
お前といると、すっげぇ安心出来るから。
不思議と、頑張ってやるぜ! と力が湧いてくるからさ。
頬を伝った涙はモヤモヤした感情と共に、虎ちゃんの優しさへと滴り落ちた。
「あいつは……」
この時俺は、気付いていなかったのだ。
保健室の扉の隙間から覗く、好奇の眼差しと疑問の呟きを。
「お姉ちゃん臭い」
朝っぱらから、大変失礼な発言をする弟(仮)大翔。
昨日は大事をとり、クラスでの顔合わせをしないまま早退。
今は大翔と二人仲良く朝食のスクランブルエッグを食べています。
「臭くないって、一日くらい風呂に入んなくたって」
「女の子は毎日お風呂に入ってるんだよ。いい加減自分の体に慣れてよね。
着いてたモノが無くなったくらいの変化じゃん」
「いや、かなりの変化だと思うぞ?」
「そういうのを、ヘリクツって言うの」
「……ごめんちゃい」
小学四年生に叱られている高校一年生。
普通ならふざけんなと罵声を浴びせたいくらいだが、全ての実権を大翔が握っているため逆らえない。
衣食住を大翔に委ねている俺は、ここを追い出された公園で暮らさなければならなくなってしまう。
その体験を本にまとめて出版すれば逆転人生だが、それまで生きていける保証はない。
しかも体は女。ベンチですやすやしていたら、オオカミさんの餌食になっちまう。
俺だって、女の子がベンチで寝てたらガプリと……しませんから。
そこまで腐ってませんから。
というより、そういう行為は、結婚してからやるもんだ。
愛の無い結合など、結合なんかじゃない。
今の若者は性に関する考え方が歪んでる。
己の欲望のままにやり、妊娠したら即中絶。
産んだら産んだで、育てられなくなったら赤ちゃんポストに捨て去る馬鹿親。
子供をなんだと思っているのだ。欲しくても子供を授かる事が出来ない夫婦もいるのに。
それもこれも、YUTORI教育が悪いのだ。
文部科学省を、どげんかせんといかん!
俺が、日本を変えてやる!
どげんかせんとしてやるぜ。
「その前に、自分の身をどうにかした方がいいよ。お姉ちゃん」
どうやらまた俺の心を覗き見したらしい。
大翔の前では隠し事出来ないな。ほんと。
「で、なにが?」
箸を置いて、味噌汁をすする大翔に尋ねる。
大翔は、あの天使の微笑みを俺に向けながら豆腐を摘んだ。
あんちくしょう。俺が子供に弱いことを知ってんのか。
無意識に微笑みかけやがって、(純粋に)可愛いじゃないか。
小悪魔だな。しかもタチが悪い天然タイプ。
「遅刻だよ」
豆腐が味噌汁に崩れ落ち、波紋を広げた。
携帯で時刻を確認すると、家を出る時間をとっくに過ぎている。
今から走っても絶対間に合わない。バスを使っても、だ。
遅刻決定。それすなわち死。
二度も遅刻したら、タッチャンに殺されちまう。
「なんで早く言わないんだよ!」
「少しでも長く、お姉ちゃんといたかったから」
「大翔……アタシ、愛されてるのね。て誰がキュンッとなるかぁあああ!」
なんなんだ、この小学四年生。
一部の読者がキュン死してしまったじゃないか。
だが大翔はお姉ちゃんである俺に向かって言ったのであるからして。
極度のシスコンだな。異常なほどに。
大翔ってまさか、お姉ちゃんプレイがやりたくて俺を……。
その先は想像したくないので、思考を遅刻問題に戻した。
どうあがこうが、生身の人間ではこの問題を打破する奇策はないだろう。
生身の人間、なら。
「ヒ・ロ・ト・ク・ン」
甘えるような声色で、大翔の背後に回り肩を掴む。
そして耳元に顔を近付け、囁いた。
「弟は、お姉ちゃんの命令を聞くものだよねぇ?」
「命令?」
ギロリと睨む大翔。
この子、怒ると本当に恐いんだった。
目が殺人鬼のように鋭くて、威圧感を覚える。
台詞も赤くなってるし、キレたら今度は何にされるかわからない。
言葉を訂正して、大和撫子風(自己流)に大翔にお願いした。
「お姉ちゃん、可愛い弟にお願い事があるんだけど聞いてくれる?」
「えー、もう~しょうがないなぁ」
命令をお願いに変えただけでこの笑顔。
やっぱガキだな。へ、ちょろいもんだぜ。
「お姉ちゃん学校に遅刻すると、と―――ても怒られちゃうの。だから大翔の魔法でなんとかして欲しいな~」
言い終えた時点で気が付いた。
この口調、大和撫子じゃなくてただのブリッコではないか?
ま、いいか。男はブリッコに弱いからな。
「もう、今回だけだからね。お姉ちゃん」
ほらね、作戦成功! これで学校までひとっ飛びだ。
「で、タケコプターでも出してくれんの?」
「ちょっと待っててね」
大翔が右手を前にかざす。
すると何も無い空間から、細長い木の棒が出現した。
それを掴み、棒の先を俺に向ける。
もしかして、魔法の杖? 前みたいに指パッチンじゃねえの?
そんな疑問を知ってか知らずか、棒の先をクルクル回しながらブツブツと独り言を呟いている。
詠唱中か。て、ちょっと待ってよ大翔君。
俺まだジャージだし、髪の毛だってスーパーサイヤ人だし、なんの準備もしてねえよ。
こんな姿で行ったら、ドン引き間違いないじゃないか。
転校したばかりで奇行に走ったら、今後の学校生活にも影響しちまう。
嫌だ。女子のネチネチとしたイジメの対象にはなりたくない。
詠唱を一時中断させなくては。
「大翔、準備するから待っ」
「Movement at moment(瞬間移動)」
そうだった、この子は人の話を全く聞かない自己中boyだったんだ。
何を言っても無意味。
諦めていると、俺の足元に円形の魔法陣が現れて、下から空に向かって光が伸びた。
「ワープするから、後は頑張ってね」
パッと俺の体を光が包みこむ。
あまりの眩しさに目をつぶると、次第に瞼の裏が暗くなった。
ゆっくりと目を開けると、
「……校長室?」
そこは校長室だった。
幸い、校長も警備員もいなくてこの姿を見られなくて済ん……。
「……ほよ?」
俺はなぜか、
全裸だった。
産まれたばかりの、ありのままの姿。
ヌーブラはもちろん、靴下もはいていない。
「こ、これが、おんにゃのこの全貌……」
視線を反らしたいたけど反らせない。
二次元の世界しか眺めたことがない女体があるのだ。生で。リアルタイムに。
目が釘付けになるのは男の性(さが)というものさ。
「ひかる……ちゅわん?」
マジマジと堪能していると、背後から疑問の声。
急いで振る向くと、そこには滝のような鼻血を噴出している変態校長の姿が。
「そ、それは先生を誘っているのかい?」
この状況、かなり危険なのでは? というより誘ってねえよ!
「そんなわけねぇだろ! 来んじゃねぇ変態校長!」
「今話題のツンデレかい? 先生は、ひかるちゅわんと一つになれれば満足だよ」
ハァハァ吐息を漏らしながら校長が近付く。
これじゃあ、俺が誘ったも当然。
大翔を利用した罰だと思えば文句は言えないけど、言えないんだけど……。
「俺は男なんだよ! 教師とかじじぃとか道徳とかいう以前に、俺とは……出来ないんだよ!」
「ひかる…ハァハァ、ちゅわんは…ハァハァ、じらすのが…ハァハァ、下手だね…ハァハァ」
「ハァハァしてんじゃねぇぇぇえええ!」
右手で胸を左手で下を隠しているが、無駄な努力になるだろう。
校長は俺の決死のカミングアウトを耳にせず、ジリジリと距離をつめる。
おしまいだ。俺の貞操がよりによって校長に汚されるなんて。
こんな未来を誰が想像出来ただろう。
女になってまだ数日しかたってないのに、真の女にされるとは。
やっぱ痛いのかな。血が出ちゃうのかな。
もし妊娠なんかしちゃったりでもしたら……。
「優しく…ハァハァ、するからね…ハァハァ」
「い―――や―――だ―――!」
火事場の馬鹿力ってのは、本当にあるんだな。
口から泡を吹いて鼻血をダラダラ流しながら、大の字に倒れている校長を見るとつくづく思う。
とっさに突き出した右ストレートが校長の鼻に直撃。
ボキッと鈍い音が響いたかと思えば、奴は気を失い倒れてしまった。
自業自得だ。ざまーみろ、バーカ。
変死体に唾を吐きかけ、着るもの探した。
とはいえ、都合よく制服があるわけない。
ため息をつきながら、クルリと一回転すると、あるものが視界に飛込んだ。
横幅が広い、木目彫の立派な机。
その上に置かれているのは、アイロンがかけられた当校の制服。
なんで制服が校長室に?
犯罪の匂いがプンプンするが、そうも言ってられる状況じゃない。
ありがたく、この制服を使わせてもらおう。
急いで着込む。
大きさはピッタシだが、パンティを穿いてないせいで下半身に言いようが無い違和感がした。
スカート捲りなんてされた時には、俺は変態のレッテルを貼られることになるな。
スカート丈を限界まで伸ばして応急処置。
後はパンティをどうにかしなければ。
思案を巡らせていると、ある場所が浮上した。
確か保健室には非常事態に備えて、代えのパンツが常備されていたはず。
それを借りれば、この問題は解決だ。
だけどなんて説明しよう。
パンツを忘れて登校したなんて言えないし、ワープをしたら衣服を置き去りにしたなどもっと言えない。
……くそ。背に腹は代えられないか。
ひとまず保健室に行こうと、校長室を後にした。
そして運の無いことに、校長室の真ん前で、あんまり会いたく奴と再会しちまったのだ。
俺と頭一つ分ぐらい無駄にデカイ身長。
金と茶の境目みたいな髪の色。
ふてぶてしさが染み出ている、クールないでたち。
一目見るなり翼(つばさ)だとわかった。
バッタリ校長室前で、しかもよりによって、ノーパン状態で翼に会うとは俺もトコトンついてない。
ここはスルーだ。見なかったことにしよう。
シカトを決め込んだ俺は、目を合わせず翼を横切った。
が、今日の俺は神に見放されたユダヤ人。
「ちょっと待てよ」
右肩を掴まれてしまいました。
「なんでござんしょ?」
「お前、どこかで会ったか?」
ギクッ。だ、大丈夫だ、あいつは俺の記憶なんて無いんだから。
どうせ何百何千という翼のストック(女)の誰かと勘違いしてんだ。
女の敵め、許せない!
積年の恨み、今ここで月に代わってお仕置きよ!
「初対面のレディに向かって、お前とはどんな口の聞き方よ。今すぐ訂正なさい。貴女と言いなさい、貴女と」
「生意気な女は嫌いだ」
それは一瞬の出来事。
うんちゃらこんちゃら風のごとく(すまん忘れた)
突き飛ばされたかと思ったら、素早く両腕を壁につけて逃げ道を塞ぐ翼。
心の内を見透かすような鋭い視線。
視線でオトスって言葉を聞いたことがあるけど、なるほどな。
これは男の俺でもヤバイわ。うん。
て、おいおい。今はときめいてる場合ではなくて、
「密着しすぎなんですけど……」
整った顔立ちが、ドアップで俺の瞳に焼き付いてます。
「私は翼君とは初対面ですわよ。嘘じゃないわ、ほんとよ」
「じゃあ、なんで俺の名前がわかった」
「あっ……」
翼の広角が、器用に右端だけ上がった。
突き飛ばされたかと思ったら、素早く両腕を壁につけて逃げ道を塞ぐ翼。
心の内を見透かすような鋭い視線。
視線でオトスって言葉を聞いたことがあるけど、なるほどな。
これは男の俺でもヤバイわ。うん。
て、おいおい。今はときめいてる場合ではなくて、
「密着しすぎなんですけど……」
整った顔立ちが、ドアップで俺の瞳に焼き付いてます。
「私は翼君とは初対面ですわよ。嘘じゃないわ、ほんとよ」
「じゃあ、なんで俺の名前がわかった」
「あっ……」
翼の広角が、器用に右端だけ上がった。
お願いカエルちゃん。
地球の一員である君の尊い命を奪ったことなら謝るから。
全力で謝罪しますから。
大翔に頼んで、ザオリクを唱えてもらうから。
なんならレイズでもいいから、体の一部を動かしてちょんまげ。
「やっぱ、どこかで見たような」
マジマジと俺を見つめる。
やだ、そんな見つめないで、照れちゃう。
なんて言える相手だったら、楽なんだろうなとボンヤリ考えた。
「しょうがない」
俺は次の言葉に、
「一度抱いた女なら、キスをすれば思い出すか」
絶句した。
お願いカエルちゃん。
地球の一員である君の尊い命を奪ったことなら謝るから。
全力で謝罪しますから。
大翔に頼んで、ザオリクを唱えてもらうから。
なんならレイズでもいいから、体の一部を動かしてちょんまげ。
「やっぱ、どこかで見たような」
マジマジと俺を見つめる。
やだ、そんな見つめないで、照れちゃう。
なんて言える相手だったら、楽なんだろうなとボンヤリ考えた。
「しょうがない」
俺は次の言葉に、
「一度抱いた女なら、キスをすれば思い出すか」
絶句した。
―一度抱いた女なら、キスをすれば思い出すか―
一度抱くと、キスをしたら思い出すのか?
童貞の俺には理解しがたい能力だ。
というより、抱いた女を忘れるってどういうことよ。
本当に最低だな、この男。
一人くらい俺にわけてくれ……て、そういう問題じゃなくて!
「キスって誰と誰が?」
「俺とお前」
「マウストゥマウス?」
「もしかして初めてなのか?」
カァーと、血液が頭上に登った。
図星。俺はファーストキスすら経験してない、チェリー君なのだ。
「わ、悪いかよ! どうせ俺は初チューすらしてねえ童……じゃなくて処女よ。これでわかったでしょ、私はあなたと……その、み、淫らな行為なんてしてねぇから!」
勢いよく巻くし立てた。
これでファーストキッスは守れたな。
よかったよかった。うんうん。
「おもしれぇ、俺が女にしてやるよ」
こやつに常識は通じないみたいです。
途端に右足に力が込もった。
神が与えたラストチャンス。
翼の急所目がけて、右足を振り上げた。
「無駄だよ」
壁についていたはずの翼の左手が、俺の右足を捕えていた。
「女の行動パターンは熟知している」
俺、一応男ですけど。
翼の唇が近付く。
グッバイ、俺の初めてのチュー。
コロ助の再放送を見るたびに、俺は思い出すだろう。
耳たぶが燃えてる。
悲しい気持ちが一杯だ。
涙が出ちゃうね、男のクセに。
笑いしかないな、もう。ウフフフフ。
……俺はよりによって、この世で一番大嫌いな男に、
奪われてしまったのです。
記憶を振り返った。
翼との記憶。俺が翼にイジメられた記憶。
幼稚園。翼との初めての出会いでもあり、俺の地獄の始まりでもある。
俺が遊んでいた玩具のブロックは、すぐさま翼に奪われ。
遊具で順番待ちをしていれば、横入りをされ。
おやつの時間のプリンやクッキーは、翼の胃袋に収まれ。
お昼寝の時間には、寝ている隙に落書きをされ。
毎日毎日、翼に泣かされていた。
それは幼稚園を卒園して、小学生になっても続いた。
春には大量の桜の花びらを。
夏には干からびたミミズの死涯を。
秋にはミノムシの身の部分を。
冬にはどこから捕ってきたのか冬眠中のモグラを。
春夏秋冬、季節に合った不愉快な物をランドセルに詰め込まれた。
中学になってからは、低レベルな嫌がらせは無くなったが、同時に翼が女の子にモテだした。
そりゃあ、翼はカッコイイ。カッコイイことは認めざるえない。
だけど調子に乗ったあいつは、次から次へと、とっかへひっかへの毎日。
最低男なのに、女の子はダイソンの掃除機に吸われたかのごとく寄り付いた。
俺のコンプレックスは、翼自身なのかもしんない。
なんだかんで幼馴染みという身近なポジションにいるあいつに、嫉妬していたんだ。
勉強も運動も顔も身長。全て翼に劣っていたし、そのことで親から比べられることもあった。
比べられるのって、あんまり良い気はしない。
しかも翼と比べられるもんだから、軽い殺意へとワープ進化していた。
で、諦めた。
翼とは生きてる次元が違うのだ。
例えるなら、似たようなストーリーなのに【キテレツ大百科】より【ドラエもん】の方が人気があるような感じ。
コロ助よりもドラエもんの方が利用価値がある……すまん、話がズレた。
ともかく、俺は俺。翼は翼。
人生は十人十色だと悟った。
それが中一の一学期半のこと。
切り替え早っ、それが長所でもあり短所なんだけど。
それからは、翼は夜の秘密の部活動にいそしみ、俺は帰宅部として寂しい学校生活を送った。
翼とはそれ以来ほとんど絡んでいない。
なのに四・五年の月日を経て、違う意味での肉体的&精神的苦痛を味わうことになるとは。
人生って、分かんないもんだな。ほんと。
「光です。よろしくお願いします」
などと考えていたから、転校生の自己紹介が淡白なものになってしまった。
だが、男子共の歓喜の雄叫びが木霊した。
可愛い可愛いとオウムみたいに繰り返して、俺の全身を舐め回すように見つめる。
それは女子も同じで、お人形みたいと口走っていた。
俺は人間だ、ボケェ。
声には出さず悪態をついて、空いている席へと向かった。
窓際の一番後ろの席。
陽当たり良好で、オマケに前には虎ちゃんがいる。
よっしゃ、授業中話せるじゃん。しめしめ。
「あんときゃサンキューな。これハンカチ」
ポケットからハンカチを取り出す。
昨日、虎ちゃんが俺に差し出したハンカチ。
あの後ちゃんと持ち帰って、洗濯して、ついでにアイロンもかけて(全て大翔まかせだが)虎ちゃんに返した。
涙で汚しちゃったからな、洗って返すのがマナーだろ。
「別にいいのに。お前って男っぽいのに、変に律儀だな」
「男っぽいは余計だ、男っぽいは」
本当は男なんだから。
その言葉は口に出さず、胸の内にしまいこんだ。
椅子に腰かけると同時に、朝のLHRの終わりを告げるチャイムが流れる。
その途端、クラスの奴らが俺を取り囲んだ。
なんだなんだと困惑する俺を、虎ちゃんはニヤニヤ笑っているだけで、助ける仕草を見せない。
あの野郎、後で懲らしめてやる。
キッと睨もうとしたら、円陣の一人が俺に声をかけてきた。
「光ちゃんって、どこから来たの?」
なるほどね、転校生の質問タイムか。
面倒臭いけど、答えないわけにはいかないか。
学校という小さな社会で生き抜くためには、多少の我慢も必要なのだ。
「ねえねえ、どこから来たの?」
「魔法の国」
「得意な教科は?」
「逆に聞きたい」
「好きな食べ物!」
「無難に、茶」
「それは飲み物では?」
「腹に入れば、みな同じ」
「初体験は?」
「怒るよ」
「好きな男性のタイプ……」
「男は嫌いだぁあああ!」
その後も永遠と、尋問のように質問攻めを喰らった。
なんで以上なほど俺に絡んでくるんだよ。
巨乳か? この巨乳が目当てなのか?
※無自覚。
その中でも、特に変わった奴がいた。
ケース①童顔小僧。
それは一時間目の休み時間のこと。
一人の少年が、机に伏せて寝ていた俺を叩き起こした。
「なんか用っすか?」
見掛けない顔。まだ幼さが抜けてない感じからして、おそらく一年生。
勝手に童顔小僧と名付けよう。
童顔小僧は伏しめがちに、もじもじと左右の人差し指を擦っている。
用があるなら、さっさと済ましてもらいたい。
イライラオーラを全快に放出すると、童顔小僧は感じとったのか口を開いた。
たどたどしくも、はっきりと。
「しゃ、写メを撮らせてください!」
「拒否」
「え、即答ですか?」
「なぜ俺が撮られなきゃらんのだ」
適当にあしらい、再び夢の世界へ。
と、した時。
「いーね、いーね」
謎の声が響いた。
あの童顔小僧が、隙をついて写メやがったのだ。
謎の声は登録したシャッター音というわけ。
センス悪っ。
「ありがとうございます! おかげでオカズが増えました!」
意気揚々と立ち去る童顔小僧。
俺、許可出してないよな。
てか、オカズってなんだよ。
ご飯のオカズじゃなくて、男子の夜のオカズだよな。君が言ったのは。
公然の面々で、何をほざいているのだ。
可愛い顔した男子でも、やることやってんだな。
「……て、オカズにされたのか、俺?」
なんだか虚しい気持ちになったのでした。
ケース②美人姉妹。
落ち着きを取り戻した昼休み。
購買で買ってきたチョコチップパンをほうばっていると、教室に二人の女子が入ってきた。
顔も背丈も全く同じ、双子の美人姉妹。
名前は確か……あー忘れちまった。
美人姉妹は妖艶な笑みを浮かべながら、俺の席に近付く。
そして、
『翼君とはどういう関係?』
見事にハモった。
「つ、翼君?」
『誤魔化すんじゃないわよ』
冷静な口調で笑みを絶やさず言う二人。
恐い。引きった笑顔がむしょうに恐い。
笑顔という仮面を被った雌鬼が、ここにいる。
怯える俺をよそに、二人は別々に話を続けた。
「アタシ達、見ちゃったんだから」
「アンタと翼君が、一階で密会してた所を」
カァーと一気に顔が熱を帯た。
まさか……見られてた!?
「翼君は皆のモノなんだからね」
「後なんか追っちゃって、翼君がアンタなんかに本気になるはずないんだから」
「そうよそうよ。翼君は優しいから、転校したばかりのアンタに気を付かってやっただけなんだからね」
「ベタベタ翼君に付き纏わないでよ」
「いい?」
「今後一切」
『翼君に近付かないで!』
発言の隙を与える暇なく、まくしたてた双子姉妹。
二人の話からすると、どうやらあの場面には遭遇してないみたいだ。
事が済んでから、俺が翼の後を追い掛けた所を、目撃したのだろう。
不幸中の幸いか。
後を追っただけで、こんなにもキレるんだ。俺が襲われてる所を見られたりでもしたら……。
違うと否定しても、俺がたぶらかした事になるんだろうな。悲しいかな。
冗談じゃないぜ、なんで俺が翼をたぶらかさなくちゃならねえんだ。
仮に俺が女だとしても、ぜってー翼みたいな俺様野郎だけは好きにはならないし。
なのになんで、美人姉妹の嫉妬と妬みが入り混じった威圧を浴びなきゃならんのだ。
誤解だと分かってても、ムナクソ悪いぜ。うん。
否定した所で、反感を買うのは目に見えてるわけで。
俺はおとなしく首を縦に振った。
それを確認すると、美人姉妹は鼻息を荒げながら教室から出ていった。
俺への睨みを忘れずに。
まるで某人気アニメの花沢さんみたいだ。ほんと。
顔は違うけど、言動がそっくり。
男柄みの女の執念は、据え恐ろしいと実感したのだった。
「女って恐ぇーな……。気を付けよっと」
消え入りそうな声で、虎ちゃんが呟く。
全く同感です。虎ちゃん。
ケース③俺様王子
長くてつまらない授業もやっと終わり、まちにまった放課後。
帰りのLHRも終了。鞄を肩にかけて廊下に出ようとしたら、虎ちゃんに呼び停められた。
「皆で光の転校祝いにカラオケ行こうって言ってるけど、どうする?」
どうするもなにも、答えは一つ。
「もち! 主役が行かなくて誰が行く……」
言葉が途切れた。
俺の目の前に、忌まわしい姿が表れたからだ。
俺様王子・翼のご登場。
「忘れたとは言わせないぞ」
扉の枠に背中を預け、俺様オーラを漂わせながら、こちらに視線を送りやがる。
スラッと長い足を組んじゃって、モデルポーズかよ。嫌な感じ。
「わーてるよ。明日返せばいいんだろ」
それでいい。
鼻を鳴らして吐き捨てるように言うと、足を解いて廊下へと去って行った。
廊下からは黄色い声。
どんだけ人気者だよ、あいつは。
「翼と何かあった?」
虎ちゃんが腰を曲げて、覗き込むように目線を合わせる。
なぜか虎ちゃんの顔はこわばっていた。
「ん……なんでもない、さっさと行こうぜ」
「……嗚呼」
やっぱ虎ちゃんは鋭いな。
虎ちゃんは翼となにげに仲がいいからな、気を付けないとな。
俺と翼の、校長室事件後の秘め事を。
ガンッと後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
窓からはギラギラと太陽光が射しこむ。
すっかり朝だと気付くのに、ほんの少し時間がかかった。
昨日は確か、カラオケで熱唱していたら「これを飲め」と勧められて、誤ってウーロンハイを飲んじゃったんだ。
あいつら、ウーロン茶といいながら酒を飲ますなんて最低だな。
未成年の飲酒は体に害を及ぼす危険性があるんだぞ。
なにかしらの影響が出たら訴えてやる。
そして今まさに、二日酔いという影響が出ているのです。
すぐさま酒だと気付いて一口しか飲んでないのに二日酔いとは。
俺はアルコールに弱い体質なのだと記憶した。
良い子の皆は、未成年でお酒を飲んじゃいけないぞ。体に悪いから。
頭を押さえながら立ち上がる。
昨日の記憶が途中で途切れていた。
思いだそうにも、思いだせない。
カラオケで、残酷の天使のテーゼ(全員合唱)を唄った後の記憶が無い。
大翔に消された……なわけないか、たった一口のアルコールで酔ったせいで、純粋に記憶が無いだけか。
だが、どうやって帰って来たのだろうか。
住所は誰にも教えてないから、無意識のうちに帰ったのだろうか。
そしてすぐさまベットにダイブしたのだろう。
俺は制服のまま寝ていたのだ。
てことは、風呂も入ってないか。
さすがに連日未入浴は色々と問題だ。
適当にTシャツとハーフパンツを手に持って、風呂場へと直行した。
裸になるにはまだ抵抗があるが、荒療治のおかげで脱ぐことが出来た。
やっぱデカすぎだろ、この胸は。
シャワーを軽く浴びながら自身の胸を眺める。
これって小さくならないのだろうか。
肩がこって仕方ない。
グラビアアイドルの悩みが、親身になって理解できるぜ。
巨乳も巨乳で悩んでるんだなと悟り、シャワーを止めた。
リビングに行くと大翔の姿。
相変わらず俺より早起きで、一人で朝食を作っている。
料理の腕も魔法で上げたのか?
……魔法か。今まで信じてなかったのに、今じゃなにかあるたびに真っ先に魔法が出てくる。
おかしいな、笑えてくる。
クククとにやついていると、俺に気付いた大翔がコンロの火を止めて近付いた。
右手に何かを手にしていて。
「これなに?」
高らかに掲げたそれは、濃い青色が印象的な体装着の半ズボン。
青色は男子専用を表しているからして。
「お姉ちゃん……好きな男の子の体装着を盗んじゃったの?」
「好きな男の子は余計だ。てか盗んでないからな」
「どうして我慢出来なくて、ロッカーからこっそり……」
「だからちげぇー!」
「お姉ちゃんは、元々男の子が好きだっ」
「三途の川を見せてやろうか!」
「あぁ゛ん?」
※主人公二人が、大乱闘スマッシュブラザーズ状態なため、今しばらくお待ちください。
「で、なんでお姉ちゃんが持ってるの。脱衣所で見掛けたけど」
「嗚呼、それには深ーいわけがあってな」
とはいえ、たいしたわけではないけどな。
少なくとも、大翔が絡んでいることに間違いないが。
大翔に頬を踏みつけられたまま、説明をした。
話は少し戻って、昨日の校長室前の出来事。
「女の行動パターンは熟知している」
今まさに、俺のファーストキスを翼に奪われる寸前。
俺は諦め、目を瞑った。
そして伝わる柔らかい感触。
そう、俺は翼にキスされたのだ。
おでこに。
うへっと間抜けな声を上げて瞼を開ける。
真っ赤に染まったであろう俺に、翼は笑み向けていた。
俺様オーラは絶やさずに。
「冗談に決まってるだろ。それともななにか、少しは期待してたのか」
ぶちっと、我慢の限界がやって来ました。
誰が貴様のチューなどを期待するもんか。
純粋な乙女心(乙女じゃないが)を弄びやがって、ここらで一発その歪んで歪んで歪みまくった根性を叩き直してやる。
右手の拳を握り締めて、翼の腹部めがけて鉄拳をおみまいした。
だが、しかし、女である俺のパンチなど威力があるわけなく。
モデル体型なのに実は脱いだら凄いんですな体つきには、へなちょこパンチなのでして。
もっというと、元々俺は力がないわけで。
効果はいまひとつなのでした。
いや、むしろ逆効果。
無駄な抵抗は、翼のサディスト心に火をつけるだけだ。
翼の眼差しが突き刺さる。歯を悔い縛った。
女に手を出すということは無いだろうが、変態プレイという名目で殴りかかるかも知れない。
あらゆる事態を想定しておいて損はないはずだ。
翼の指先が、右頬に触れる。
ゆっくりと撫でるように下へ移動し、首筋に触れた。
“圧迫死”
その三文字が脳裏をよぎる。
なんともサディストらしい殺し方……いや、苦しめ方。
首絞めなら、苦悶の表情をしっかり観察することが可能だからだな。
一貫の終り。人生終ー了ー。
どうして俺はこう、人生の窮地に立たされるのだ。
己の運命を呪うぜ。ほんと。
「犯すなら、さっさとやってください……」
「は?」
「痛いのも苦しいのも嫌なので、出来ればさっさと終わらせちゃってください」
せめてもの情けを求めて悲願する。
わずかにあるかも知れない翼の人としての良心に期待して。
「なにを勘違いしてるんだ貴様は」
「ほぇ?」
「着いてこい」
踵を返して、さっさと歩いて行ってしまう。
俺の頭上には大漁の疑問符が。
間違えた、大量の疑問符が。
「ハーパンを貸してやる。その姿じゃマズイだろ」
背を向けたまま促すようにそう告げる。
なんだったんだ、こいつの行動は?
キスしようとしたり首を絞めようとしたり、挙げ句の果てには着いて来いなんて。
……ん? ちょっと待て。
「お前、いつのまにスカートの中を―!?」
あんちくしょう! 乙女(何度も言うが乙女ではない)の重要国家機密を覗き見しやがって。
俺は翼目がけて飛び蹴りをかました。
スカートが捲れることなど考えもせずに。
「なるほどね、どうせ飛び蹴りは難無くかわされて『俺が避けていなかったらどうなってたと思う?』と再度脅され、
半ズボンを『これで貸し一な』て感じで、貸しを作っちゃったわけね」
「さ、さすが大翔君。全てお見通しなのねん」
「うん、写輪眼でね」
「ちょ、写輪眼は著作権ギリギリっすよ」
何でもありですね。ほんと。
大翔は疑問が解決しスッキリしたのか、鼻唄まじりに朝食の準備を再会した。
俺は新たな疑問が生まれ、椅子に座りながら頭を抱えた。
―どこかで会ったことがあるな―
翼の言葉が蘇る。
俺が女になって翼と対面したのは昨日が初めて。
俺が女になって初めて行動を起したのは、大翔の家から俺の家に向かった時。
大翔に「お姉ちゃんと関わった全ての人から、お姉ちゃんに関する記憶を消した」と言われて、確かめに自宅に帰ったんだよな。
それで、母さんの記憶から俺に関する記憶は消えていた。
母さんだけじゃない。虎ちゃんもタッチャンも俺との記憶を憶えていなかった。
つまり、大翔の魔法は確実に効いている。
俺との記憶をキレイサッパリ消去されている。
なのに翼のあの反応。
いくら女癖が悪くたって、どう見ても初対面の反応ではない。
どこかで俺を見掛けた?
いや、それは無い。自宅に向かってる間は人目を気にして裏道を通っていた。
大翔に連れ戻された時だったら尚更だ。
口にカエルをくわえて、小学生に引きずりまわされてる女子高校生の姿なんぞ、忘れるわけがない。
翼が俺を見掛けた説の線は薄いだろう。
だとすると……。
「大翔の魔法が効いてない?」
……まさかな、んなわけないない。
翼が魔法使いってか。だとしたらチョーウケるんですけど。ははは。
ま、試しに確認してみるか。
魔法が効かない人間もいるのかってな。
「なあ、大翔」
両手に目玉焼きが載った食器を持った大翔に問掛ける。
大翔は小首を傾げて、キョトンとした表情を見せた。
一見、普通の小学生なんだけどな。
この子が魔法使いだって誰が信じるだろうか。
注意深く凝視してみる。
なんというか、幼さの中にも凛々しさと格好良さがあるような顔だ。
天真爛漫で無邪気、そして隠れドS。年上のお姉たまにモテる条件を全てかねそなえている。
ちくしょー。羨ましいじゃねえか、この野郎。
「て、小学生になに嫉妬してんだよ、俺は。ははは」
「なにが?」
「んーや、なんでもないっすよ」
大翔が椅子に座る。
ここからは真面目な話だから、真顔になり声をいつもより低くして口火を切った。
「大翔、お前は魔法で“俺と関わった全ての人から、俺に関する記憶を消した”つったよな」
俺の真剣さが伝わったのか、大翔は唸りながら腕を組んで顔を伏せた。
なんか、嫌な予感。
その予感はズバリ的中し、大翔の次の言葉に耳を疑った。
というか信じたくない。
だって大翔の言った真実は、
「正確に言うとね、誰一人としてお姉ちゃんとの記憶を消してないんだ」
この物語の根本的な基盤を崩壊させるものだったから。
「消してないって……」
どういうことだよ? そう続けようとしたら、大翔によって遮られた。
悪びれた様子もなく、あの屈託のない笑みで。
「消したっていうのは言葉のあやで、本当の事をいうと記憶を忘れさせただけなんだ。わかる?」
「全っ然わかりません」
「うーん……だから、数ある記憶が保管されている倉庫に、お姉ちゃんに関する記憶を一番奥に追いやったの。
たまにあるでしょ、思い出したいのに思い出せない状況が。それとおんなじ。
記憶に埋もれ過ぎて、引っ張り出すどころが存在自体を忘れちゃったの。
記憶を消す、つまり忘れたってことは、記憶そのものは無くなってないんだ」
さ、さっぱり分かりまてん……。
記憶記憶と長ったらしく説明されても、頭がヘチマの俺には理解できませんよ、大翔さん。
怪訝そうな顔付きをしている俺を見て、大翔はわざとらしく大きくため息を吐いた。
眉尻が下がって八の字になってますよ。
お姉ちゃんのオツムが弱くて、哀れんでいるみたい。
どうせなら、胸じゃなくて脳味噌を詰め込めでくれれば良かったのに。
大翔はもう一度ため息をついて、牛乳を口にした。
「一言で言うと、ド忘れしてるだけってこと」
あっけらかんと言い放つ。
「お姉ちゃんの親族には念入りに魔法をかけといたけど、友達には妥協してあまり強くはかけなかったんだ。
だから翼君だっけ? あの人は精神面が強いみたいだから、魔法がかかりにくかったみたい」
「へぇ~そんな抜け穴があったのね……て、なんで大翔が翼のこと知ってんの!?」
驚きのあまり立ち上がる。
椅子がガタッと音を立てて倒れた。
「僕は魔法使いだよ。写輪眼でお見通しなのだ!」
ニッコリ微笑み、人差し指を俺に向ける。
だから写輪眼は著作権ギリギリだって。
それに写輪眼は関係無いし。どちらかといえば千里眼だろ、人の心を覗き見るのは。
今度は俺が大きくため息をつく番になった。
こういう子供っぽい所もあるから、なんかこう逆らえないんだよな。
もしや、これが母性本能?
……朝から憂鬱になっちゃいそう。
しかもこの後、翼にも会わなければならないじゃんか。
「本当に憂鬱だー!」
ベターとテーブルに突っ伏せて、落ち込みモードフルスロットル。
つか、写輪眼の元ネタって何だっけ?
只今、教室にて内戦が勃発しております。
詳しく説明すると、男子VS女子という小学生みたいな口喧嘩なのです。
ちなみに俺は、教室の隅っこで虎ちゃんと丸くなっている。
あっちからこっちへ、言葉という銃弾が飛び交って大変危険な状態だ。
この発端は、変態男子の暴言から始まった。
三時間目の総合の時間。
季節は六月。文化祭という大きなイベントがある月。
この日は文化祭の出しものについて相談することになり、無難に喫茶店と決まりかけていた。
「メイド喫茶なんてよくね?」
その一言が火蓋となり、内戦となったのだ。
「メイド喫茶なんて古いのよ! 女子にだけ負担がかかるじゃない!」
と、大和撫子軍団の口撃。
「メイドは全人類の希望の星! 女子にはメイドをやる義務がある!」
と、変態猿山軍団の反撃。
客観的に考えて、大和撫子軍団の方が正論だ。
猿山軍団に問いたい。どうしてそんなにメイドにこだわるのだと?
メイドなんかより、ちょっぴり高飛車のお姉様の方が百万倍萌えるのに。
※光は年上好きです。
中立国として戦況を傍観していたら、司会進行をしていた学級委員の山田くんが、強制採決は図った。
「多数決で決めたいと思います!」
威厳たっぷりに、眼鏡の奥を輝かせて言い切る山田くん。
残念ながら、誰も聞いていないが。
「みなさーん! 僕の話を聞いてくださーい!」
完全無視。スルー。
山田くんの声は、飛び交う悪態によって打ち消された。
学級委員の威厳が、地に堕ちた瞬間だった。
哀れ、山田くん。
学級委員なんて、所詮そんなものさ。うん。
だが、山田くんは諦めなかった。
廊下側と窓側で別れて戦線を張っている両陣営に、大声を張り上げた。
「黙れって言ってんのが分かんねえのかお前らぁあああ!」
騒然とした教室が、瞬時に凍りついた。
みな視線を山田くんに向けたまま、凍りついている。
普段おとなしい子がキレると、阿修羅のごとく怒りだすのです。
「とりあえず、皆さん自分の席に着いてくださいね」
口元を吊り上げて笑顔作る。目は灰色に染まったまま。
無言の圧力。強制的に停戦協定を組まれ、文句を呟きながらも席に着き始めた。
さて、審議が再会されたわけですが、現在の司会は三面六腕の阿修羅様。
心優しく民に平和をもたらしていた領主が、私利私欲のために悪政をひいた暴君と化したわけでして。
「ここは穏便に、多数決で決めましょう」
強制採決へと踏み切った。
一見、平等にみえる多数決。
現実はクラスの六割が男子なので、変態猿山軍団に有利で不平等なのだ。
冗談じゃないぞ、おい。これでは大和撫子軍団の大敗ではないか。
「反対です! そんな政権与党みたいなやり方は反対です!」
挙手をして拒否権行使。
俺に続いて大和撫子軍団も軍旗を上げる。
「男子の方が多いんだから、多数決じゃ女子の方が不利になっちまうじゃんか」
そうだそうだと軍団が援護射撃をする。
なんか平成のジャンヌダルクになった気分。
ちょっと快感かもと思った矢先。
「多数決ってたら多数決なんだよぉおおお!」
阿修羅の化身、暴君様(山田くん)の逆鱗に触れた。
時代は繰り返され、俺の反論は火あぶりに刑に処されちゃいましたとさ。トホホ……。
山田くんのご活躍により、多数決で文化祭の出しものはメイド喫茶に成立=俺のメイドデビューが決定。
セクハラだ。文化祭を装ったセクハラ行為だ。
ここでちゃぶ台返しの原理で机を放り投げ「ふざけんじゃねー!」と山田くんに掴みかかれば、もしかしたら、ミジンコの目玉くらいの希望しかないけど、メイドだけはなんとか辞めさせることは出来るかも知れない。
だけど皆さんお分かりの通り、俺は小学生を叱ることすら戸惑うチキン野郎なわけでして。
一人静かに落ち込むのです。
「大丈夫だって、光のメイド姿、ぜってぇ似合うから」
虎ちゃん、励ましポイントが違います。
俺はメイド全体が嫌なのです。
それに口元が緩んでます。にやついているであります。
「虎ちゃんも、猿山軍団と一緒なんだな」
「猿山軍団?」
「うん。メイドなら誰でも萌えるんだろ?」
自嘲的に告げると、虎ちゃんはあわてふためき、首が飛びそうなほど力強く左右に振った。
「ち、ちげぇよ! 誰でも言い分ないだろ!」
「なにキレてんの?」
「あ……いや、そのぅ……」
虎ちゃんは押し黙ってしまった。
おかしい。最近の虎ちゃんはおかしい。
挙動不審というか、どこかぎこちない。
俺と話してても絶対目を合わせようとしないし、たまたま目が合ってもすぐさま視線を反らしてしまう。
まさか……いや、そんな。
「虎ちゃんがメイド好きの秋葉系だったとは……」
「誰がオタクじゃ!」
心の声が漏れてたらしく、虎ちゃんからデコピンを喰らった。
かなり強烈に、おでこにパチンと。
ここまでムキになるなんて、本当にメイド好きかも知らない。
こりゃあ、真相を確かめないといけねえな。
メラメラと探求心に火がついている間に、メイド喫茶の概要が決まっていった。
クラスの女子は全員メイド。男子は裏方の業務。
メイド服の調達はどうすんだよと思ったが、それは数人の男子が用意することになった。
男子よ、そこまでメイド姿を拝みたいのか?
と、思わず口にしそうになったが堪えた。
だって虎ちゃんも、メイドが趣味かもしんないから。
文化祭までジャスト二週間。
メイドは死ぬほど嫌だけど、明るく前向きにポジティブに考えるか。うん。
そんなこんで三時間目が終わり休み時間。
スクールバックから例の物を取りだし、隣のクラスへと向かう。
そう、翼のハーフパンツを届けるのだ。
一・二時間目の休み時間は移動教室で届けられなかった。
下駄箱に放り込んでもよかったんだけどさ、違う意味での見返りを恐れ、直接渡そうと考えたわけだ。
教室の扉を少しだけ引いて中を覗く。
翼の姿は……ない。
「チッ、どこ行きやがったあいつは? ウ●コか」
「ウ●コはお前だ」
背後から冷めた声。
怒れるウ●コを発見しました。
「これ、ありがとうございました」
ハーフパンツを翼に突きつけ手渡す。
翼が受け取ったことを確認して、逃げるようにその場を後にした。
「おいこら待て」
右腕を掴まれてしまいました。
「なによ、あなたとはもう終わったのよ。女々しい男」
「どこの昼ドラだ」
「お父様の言うことは絶対なの。農民のあなたと貴族の私とは釣り合わないって、お父様が……」
「農民はお前だ」
翼がグイッといきなり腕を引っ張ったせいで、俺はよろめき翼の胸の中へとダイブした。
俺の背中に手が回る。
えーと、これってもしかして……。
「これ、ありがとうございました」
ハーフパンツを翼に突きつけ手渡す。
翼が受け取ったことを確認して、逃げるようにその場を後にした。
「おいこら待て」
右腕を掴まれてしまいました。
「なによ、あなたとはもう終わったのよ。女々しい男」
「どこの昼ドラだ」
「お父様の言うことは絶対なの。農民のあなたと貴族の私とは釣り合わないって、お父様が……」
「農民はお前だ」
翼がグイッといきなり腕を引っ張ったせいで、俺はよろめき翼の胸の中へとダイブした。
俺の背中に手が回る。
えーと、これってもしかして……。
翼が力を緩めた一瞬を狙って、思いっきし突き飛ばした。
尻餅をつく翼。
一般人ならマヌケな姿も、イケメンだと絵になるからムカツクな。
すると翼の周りに女子生徒が集まりだした。
「翼く~ん、大丈夫ぅ?」と声色を変えて心配してますよアピール。
そして視線は俺に向けて「てめぇ翼君になにしてくれとんじゃボケェ!」と睨みを忘れない。
恐るべし、女。切り換えの速さは生命の危機を感じたカメよりも早い(以外と速いんだぞ)
翼は取り巻きの女に無理矢理支えられながら立ち上がると、無表情のまま俺に近付く。
後退りする俺。翼との距離が縮む。
と、その時ドダダダダ! と地響きがしたと思ったら、背筋に衝撃が走った。
飛び蹴りを喰らわされました。しかも二人に。
『ちょっと面貸してくれない?』
うつ伏せに倒れたまま顔を背後に向けると、そこにはいつぞやの双子美人姉妹が般若のように仁王立ちしている。
さすが双子、蹴りも話すタイミングも息ピッタリだ。
と感動していると、二人に首ねっこを掴まれ引きずられた。
「なにすんだよ! 離せ離せ離せ!」
シダバタ暴れてもそこは一対二と不利なわけで。
女同士では敵うわけもなく、翼と周囲の冷たい視線(特に女子から)を浴びながら、女子トイレへと連れ込まれた。
女子トイレ。そこは男子の目が行き届かない、女共の秘密の園。
ここでは猫を被る必要もなくなり、自ら化けの皮を剥がせる学校内で唯一の場所。
「そこに連れ込まれた=イジメ」という法則が脳裏をよぎる。
美人姉妹は俺を壁際に追いやり、険悪ムードをぶつけやがる。
迂濶に喋ったら殺られる。
そんな雰囲気を作り出し、俺から発言権を剥奪した。
『あたし達が言ったこと憶えてる?』
女同士では敵うわけもなく、翼と周囲の冷たい視線(特に女子から)を浴びながら、女子トイレへと連れ込まれた。
女子トイレ。そこは男子の目が行き届かない、女共の秘密の園。
ここでは猫を被る必要もなくなり、自ら化けの皮を剥がせる学校内で唯一の場所。
「そこに連れ込まれた=イジメ」という法則が脳裏をよぎる。
美人姉妹は俺を壁際に追いやり、険悪ムードをぶつけやがる。
迂濶に喋ったら殺られる。
そんな雰囲気を作り出し、俺から発言権を剥奪した。
『あたし達が言ったこと憶えてる?』
翼君不可侵条約。記憶の底をあさってみると、ピカーン! と頭上に豆電球が灯った。
確か去年の今頃の出来事。翼は他校の女子生徒に襲われるという事件があった。
容姿端麗。頭脳明晰。翼の人気は校内だけでは収まらず校外でも知れ渡っていた。
その影響からか、翼の私物が盗られたり裏サイトで高値で取引きされるなどのことはあった。が、襲われたのは今回が初めて。
放課後の教室にたまたま翼が残っていて、痴女はそこを狙い、睡眠薬がたっぷり染み込んだハンカチを使って凶行に走ったのだとか。
ま、翼になんなくかわされて未遂となったが、その事件が発端になり生徒会のより「翼君不可侵条約」が締結された。
その概要がこちら。
“翼君は皆のものであり、個人の所有物ではない。
翼君を独占しようとする輩が現れた時、全力でそれを阻止せよ”
おいおいおい、翼を物扱いかよ? 個人の尊重もひったくれもないじゃねえか。
おめえは許せのか、 物扱いされて? と翼に突っ込んだところ、
「好きにさせればいい。俺の掌で泣こうが喚こうが、ウザくなれば握り潰せばいいだけだ」
と、ドS発言を投げつけた。
イケメンも色々大変だなと同情したけど、当の本人は面白がってるみたいだった。
でもまぁ俺には関係ないことだし、お好きにやってくださいなと特に気にしていなかったのに、まさか俺が「翼君不可侵条約」を破るなんて……。
て、ちょい待ち。俺は翼なんて誘惑してねえぞ!
なぜか誤解してるみたいだから、面倒なことになるまえに弁解せねば!
「ちょいとお二人さん、ここは冷静にな」
『お黙りドブス!』
「ドブスは認めるからさ、せめて最後まで話を聞いて」
『お黙りドブス!』
「いや、せめて話させてくだ」
『お黙りドブス!』
な……なんて極端にボキャブラリーが少ないんだ!?
若者の日本語力低下が感じられた瞬間だった。
「これが最終警告よ」
「翼君をまた誘惑したら」
『全力で監禁してくれますわ!』
妙にリアルで怖いんですが。
熱狂的な翼ファンなら共同してやりかねないんですけど。
わかったわねとハモりながら告げると、二人はトイレから去って行った。
一人取り残された俺。本当になんでこんなことになったんだ?
翼にいきなり抱き締められて「突き合え」て変態プレイに誘われて……。
ん、突き合え?
突き合えってまさか、漢字変換の間違えで、実は「付き合え」の方だったりして。
いや、まさか、そんな。よりによって翼が俺なんかと付き合うわけないよな。うんうん。
なにかの間違いだ、間違いで合ってほしい。
翼と付き合うなんて、デートはおろか女の子と付き合ったことさえない俺が、男と、翼と付き合うなんてありえないってーの。
「……だよな。見た目は女中身は男、の俺と付き合う殿方なんていない……よな?」
視線を下ろせば異常発達した胸が。
これを目当てで寄ってくる男はいないとは言い切れないないけど……。
「翼も胸目当てとか?」
肩に残った微かな痛みが、心まで浸透していった。
謎の小学生・大翔により、男から女にされちまった俺・光。
家族や知人から男時代の俺の記憶を操作して、必然的(強制的)に光のお姉ちゃんとして生活するようになった俺に、幼馴染みの翼が現れた!
翼はいきなり俺に交際を申し込み、翼君不可侵条約参加国(女子)に因縁をつけられることになっちゃった。
このままでは花の青春時代が、因縁と欲望の渦に巻き込まれることになっちまう。
だから大翔、絶対絶命の大ピンチなお姉ちゃんに力を貸してくれ!
パンパカパーン! と秘密道具を出してくれよ~。
と、世界的有名な某アニメのヘタレキャラ風にお願いしてみたら、
「高校生が小学生の僕にお願いなんて、すごい滑稽だね」
エンジェルスマイルで毒を吐いた。
さらに続けて「お姉ちゃんは本当に元に戻りたいと思ってるの?」なんて言いやがった。
本気と書いてマジだぜ、マジ。
元に戻りたいから、こうして大翔のお姉ちゃんとして形見のせまーい思いをしてるんじゃないか。
挙げ句の果てに翼にも告られるし、さっさと男に戻って普通の生活を送りたい。
「そりゃあ戻りたいに決まってるだろ」
「前にも言ったけど、僕は魔力をほとんど使いきっちゃったんだよ。毎回毎回無駄なことで魔力を消費してたら、その分だけお姉ちゃんが元に戻る時間が延びちゃうんだからね」
ペラペラと撒くしたて、今後魔法は使いませんと言い切った。
そんな、最後の頼みの綱が拒否するなんて思ってもいなかった。
ドヨーンとした空気が辺りに漂っていると、天使のような微笑みで、大翔がソファに座っている俺の肩を二回叩いた。
「お姉ちゃんは、翼君のことが嫌いなの?」
なにを言い出すかと思ったら。そりゃあ、もちろん。
「嫌い嫌い、大っ嫌い!」
「ほんとに?」
「ほんとのほんと」
「心の底から? アイツなんか消えちゃえばいいのにって思うくらい?」
俺の顔を見上げるように、上目使いで大翔が促す。
消えちゃえばって、いくらなんでもそこまで嫌いってわけではない。
翼だって根っからの悪じゃない。
俺をからかったり馬鹿にするけど、『映画ではジャイアンは良い奴現象』だって稀にある。
だから、消えちゃえとは思わない。なんだかんだで腐れ縁ってやつだから……。
「喧嘩するほど仲が良いってやつだね」
「まあ、そんな感じ?」
俺より先に大翔が答えを導きだした。
一言で表すとライバルって感じだな。うん。
いつものように大翔お手製の朝食を食べようと席につく。
大翔はパン派なのか、朝食はほとんどパンだ。
俺は典型的なご飯派だから、朝は白米と味噌汁が食べたいんだよな。
その願いが伝わったのか、今日はご飯に味噌汁だったわけだが……。
「これはどういった主旨だ大翔?」
紅く染まったご飯粒に、黒々した豆が彩りを添える。
つまり赤飯であります。
「だってお祝いの席には赤飯がかかせないでしょ」
にこやかに茶碗を渡す大翔。
お祝いの席。祝いことなど何もないはずだが、大翔には赤飯を炊くほどの祝い事があったのか?
例えば学校とかで。
……そういえば、大翔が学校に登校している所を見たことがない。
大翔の部屋を一度だけ覗いたことがあるが、ランドセルはおろか、勉強机すらなくベットとタンスが置いてあるだけ。
最近の子はランドセルなんて使わないけど、高級マンションの最上階に住んでる人間が勉強机を持ってないはずがない。
大翔は学校に行っているのか?
新たな疑問がまた一つ芽生え、笑顔を振り撒く大翔の裏側に深い深い闇を感じた。
あまり言及するのはよそう。誰にも触れられたくない過去はあるはずだ。
例えそれが、俺がらみのことだとしても。
なんか、俺ってすっかり大翔のお姉ちゃんだな。
ハハッと一人苦笑い。それを誤魔化すように、
「で、祝い事ってなんなの?」
大翔の祝い事やらを尋ねてみた。
すると大翔は屈託のない笑みで、さらりと告げる。
「だって、お姉ちゃんに彼氏が出来たんだもん!」
「か、彼氏?」
開いた口が塞がらないとはこのことか。
先程までの話をどう繋げたら、俺に彼氏が出来たことになるんだよ。
「幼馴染みと恋に堕ちるなんて、まさにケータイ小説の王道だね」
「いつからジャンルがラブコメになったんだよ!」
「お姉ちゃん、チューをするときは必ず目を瞑ってね」
なぜ俺が小学生にキスの講義を受けなきゃならんのだ!?
箸を投げつけ席を立つ。
ムシャクシャしたまま飯を食っても不味いだけだ。
スクールバックを肩にかけ、俺は学校に向かった。
マンションから学校までは割りと近くて、川沿いの通学路を十分ほど歩けばすぐに着く。
今日は珍しく早く出たため、通学路には俺以外の人影は無い。
爽やかな朝の陽射しとチュンチュンと小鳥のさえずりが、俺の心を安らげ癒す。
この川の水質は都会にしては良い方で、小魚が水面を飛び跳ねる。
小魚を狙った鷺や白鳥が、川から突き出た岩肌に純白の羽を休めていた。
白鳥がこの時期にいるわけないだろう! と突っ込んではいけない。
いるもんはいるのだ。現実なのだから仕方がない。
現実という枠に収まってはいけない。
世の中には非現実的な事象も起こりえるのだ。
昔懐かしいアゴヒゲアザラシのタマちゃんが良い例だ。
川にアザラシ、しかも個体数が少なく珍しいアゴヒゲアザラシが住み着くとは誰も予想だにしていなかったはずだ。
常識に囚われていたら、予期せぬ現象に直面した時、冷静な判断を欠くことになる。
時にそれは、死に直結する。
大翔に出会って、真っ先に学んだことがそれだ。
だから俺は六月のジメジメした時期に、川に白鳥がいても不思議とは感じない。
存在するものを否定することは、己自信を否定することになるのだ。
……と、哲学的なことを思案しながら、ふと川へと目を向けた。
煌めく水面にカルガモの親子が「助けて~」と叫ぶ有機体をスイスイと横切った。
川のせせらぎとバシャバシャと水を叩く音が、優雅な協奏曲となる。
そして俺は思った。
あぁ、今日も平和だな~と。
さーて、今日も一日頑張りますか。
「……て、人が溺れとる!?」
やっとこさ気付きました。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
ビショビショのブレザーを絞る溺れていた主。
その主を助けるために飛込んだ俺も全身ズブ濡れで、震える体を抱き締めた。
「寒いですね、アハハ」
「アハハじゃねーよ! バカ山田!」
「ご、ごめんなさい……」
溺れていた主こと学級委員の山田君は、シュンッとうつ向いた。
なんで山田君が川で溺れているんだよ。
ガチガチと歯を鳴らしながら問いつめると、山田君は盛大なクシャミをかまし、鼻をすすった。
「いやー参りましたよ。
ブレザーの裾で眼鏡を拭いていたら、うっかり落として川に入っちゃいまして。
そしたら川から女神様が現れて『あなたが落としたのは、この黒縁眼鏡? それともイナバウアーフレームの眼鏡?』て言うんですよ。
僕のはごくごく普通の眼鏡だったんですよ。でもイナバウアーフレームという響きに引かれたんですが『僕が落としたのは普通の眼鏡です!』て答えたんですよ。
そしたら女神様が『あなたは正直者だから、イナバウアーフレームも差し上げましょう』て、イナバウアーフレームをくれたんです!
僕すっごい嬉しくて、でもやっぱり悪いなーって思って『僕にはイナバウアーフレームは似合いません。お気持ちだけは受け取っておきます。』とイナバウアーフレームを返したら、
『いいから受け取りなさいよ! べ、別にあんたのことが好きとかじゃないからね! 勘違いしないでよ!
仕事よ仕事。だから早く……受け取ってよ』
ツンデレ爆裂で、イナバウアーフレームを僕に握らせて、頬を真っ赤にさせながら川の奥底に戻って行ったんですよ。
それでも僕は返そうとして後を追ったら、溺れてしまって。あははは」
「嘘だろそれ」
哲学的思想は前言撤回。
いくらなんでも限度っつーものがある。
山田君には妄想癖があるみたいだな。
「嘘じゃないですよ~。本当に女神様が現れたんです!」
「はいはい、眼鏡様はツンデレで萌え~だったんだろ? ほら、さっさと行くぞ」
保健室で着替を借りよう。
名案が浮かんだ俺は、さっさと足を進めた。
「眼鏡じゃなくて女神です! 待ってくださーい!」
ポカポカ陽気に誘われて、蝶々がひらひらと宙を舞う。
お日様パワーを持ってしても、数十分で制服を乾かすことは出来ず、二割乾きといった程度。
ジロジロと好奇の目線を感じるし、翼関係の嫉妬の目線も混じってるし、恥ずかしいったらあやしない。
傍らに山田君がいるせいか「朝からお熱いですなあ~」とからかわれるし、朝から全くツイてない。
「おいこら山田。少し距離を取れよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。同じ穴のムジナじゃないですかあ~」
その使い方はぜってえ間違ってるだろ。
ムカムカしながら正門を抜け下駄箱に向かう途中、惨劇が起きた。
「危ない!」と背後から山田君の声。
なんだよもーと振り返えろうと足を止めると、ガシャーン! と目の前ギリギリで机が落下した。
折れた脚が、その衝撃を物語る。
辺りはざわめき、俺の頬には冷や汗が伝う。
もし山田君が落下する机に気付いていなかったら。俺に声をかけるタイミングが後少し遅れていたら……。
背筋に悪寒が走る。
ゾクゾクッと寒気が包むこむと、頭上から声が降った。
『あんたの席ないから』
視線を上げると、クラスのベランダに二人組の女の姿。
双子美人姉妹が怪しい笑みを浮かべていた。
まさか、翼のことであの姉妹が俺の机を投げ捨てたのか?
なんでまたラ●フみたいなことを……。
一本間違えたら大惨事になってた危険もあるのに。
それに、あの姉妹は重大な間違いを侵している。
それは……。
この机、山田君のなんだよな。
背後にはショックのあまり膝をつく山田君。
頭上には、間違えているとは知らず高笑いをする姉妹。
うーん、このイジメ問題、あっさり終わりそうだと感じるのは俺だけですか?
どっかの部活のシャワールームを借り、その間に保健室で制服を乾燥機にかけてもらった。
保健室なら替えの体操着やらジャージがあると思ったら、そんなものはないとキッパリ言い切られた。
しょうがないので半乾きの制服を着る。
うぅ、肌に密着して気持ち悪ぃー。
でも堪えるんだ、教室に行ったらあの姉妹にもっと酷い仕打ちをされるかもしれん。
最悪、女子のイジメで最もポピュラーな『総シカト』を喰らうかも知れないな。
これだから女子のネチネチした所が嫌なんだよな。
どーすっかなー、教室に入りずれえな。
トボトボと重いあしどりで廊下の角を曲がると、人影にぶつかり尻餅をついた。
「あらー飛んで火に入る夏の虫だわ」
「だめよ愛、こんな虫以下の奴にそんな表現しちゃ。夏の虫に悪いわ」
「それもそうね舞」
「そうよ愛」
アハハハハと手の甲を口元に当て、顔中に悪名高そうな笑みを立てる、俺の命を狙った二人組。
「お前らはボキャブラリーが極端に少ないうえに、某有名漫画の名シーンを再現しようとしたら、謝って学級委員の山田君の席を投げた美人双子姉妹じゃないか!」
俺の長ったらしい説明に眉尻をピクリと上げる、愛・舞姉妹。
さて、いきなりですがここで問題です。
あの姉妹はこのあと何をしでかすでしょう~か?
①翼君不可侵条約に則り、ボッコボコに殴る。
②翼君不可侵条約に則り、ボッコボコに撲る(鉄バットで)
③翼君不可侵条約に則り、ボッコボコに殺る。
さーて、どれでしょうか?
「……て、どのみち生命の危機!?」
④のオールなのでした。
指の骨を華麗に鳴らし、殺気丸だし。
本当にヤバイかもしれん。
イジメに堪えられなくて自殺する前に他殺される可能性の方が高い。
『いいか光、殺られる前に殺るべし! 今の時代どこから敵に狙われるか分からないからな』
『うん、分かったよ兄ちゃん。殺る前に殺る!』
『それでこそ俺の弟だ』
『えへへ』
脳裏に甦る遠い過去。
あれは確か、俺が園児で兄貴が小学生の時だ。
夕暮れに染まる公園で、兄貴とキャッチボールをしていた。
翼の嫌がらせを愚痴っていたら、兄貴があの教訓を教えてくれたんだっけ。
とんでもない教訓だな。ほんと。
今まで忘れていた、この教訓。
それが思いだされたということは……。
神からの抹殺許可?
だよね、そうだよね。これは正当防衛なんだ。
机のことで俺が姉妹に命を狙われていることは立証されりし、仮に正当防衛だと認められなくても、こっちには大翔がいるんだ。
どんな犯罪も完全犯罪に出来ちゃうぜ。
殺られる前に殺る。
さー、史上初! コメディ小説の殺人が始まるぜ!
『ちょっと、逃げんじゃないわよ!』
……無理っす。いくらご都合主義の物語でも、さすがにタブーは侵せないわけでして。
その場から全速力で逃げ出すのです。
逃げ足だけなら自信がある。
クルクル縦ロールのいかにもお嬢様なあいつらじゃ、俺には絶対追い付けない。
『待てって言ってんでしょうがぁあああ!』
追い付いてます。背後にピッタリと。
「なんでそんなに速いんだよぉおおお!」
『乙女の底力を舐めるなー!』
乙女が髪を逆立てて、鬼の形相をするはずがない。
しかもマラソン選手顔負けの美しいフォームで駆け抜けるなんて言語道断だ。
ヤバイ。このままでは物語が打ち切りになってしまう。
大翔の謎だって解けてないし、翼との恋の行方だって不透明のままだ。
このまま終わったら『これだからスイーツ(笑)は』とネットの掲示板で叩かれる。
なんとかして生き残るんだ。
なにも考えないで闇雲に走り回っても、いずれ捕まり殺される。
ここは職員室に逃げ込んでこの場をやり過ごす……いや、この学校の教師は信用ならん(例・校長)
無難に自分のクラスに駆け込んで、虎ちゃんに助けを求めた方が懸命だろう。
虎ちゃん空手習ってたし、あいつらも男が相手じゃ手も足もでまい。
口元を吊り上げ、俺は一路教室に向かう。
この選択が後にトンデモナイ方向に飛んで行くとは、俺はまだ予期していない……。
「どうした光?」
肩で息をしながら教室に飛び込むと、非常事態に感づいた虎ちゃんが声をかけた。
「さすが虎ちゃん……よくぞ気付いてくれました……」
「気付くもなにも、な」
俺の背後へと視線を向ける虎ちゃん。
ゴゴゴゴゴ……と地響きが起こり、周囲は真っ赤な炎で高熱を発する。
震源&火元はもちろん、
「助けて虎ちゃん! 曖昧姉妹に殺される!」
『愛・舞よ!』
曖は左手を昧は右手で、俺の後頭部を殴り飛ばした。
衝撃で前によろける。が、虎ちゃんがしっかり支えてくれたから、こけることはなかった。
「何があったか知らないけど、なにも殴ることはないだろ!」
虎ちゃんの怒号が飛ぶ。
あぁ、やっぱ虎ちゃんは俺の味方だ。女になってもそれは変わらないんだね。
友情サイコー! と感動していると、曖昧コンビが右端の口角を一瞬だけ上げ、チッと舌打ち。
わざと足音を大きくして近付き、虎ちゃんから俺を引き剥がそうと手を引いた。
「光ちゃん、一緒にお手洗い行こ?」
笑顔を作り愛が言う。
「そろそろ授業始まるから、早く行こ?」
後半を強調して舞が言う。
付いて行ったら間違いなく骨だけとなって戻ってくるだろう。
「虎ちゃーん!」
助けを求めて伸ばした手は、ガッチリと掴まれた。
「イジメなんてダセーことしてんじゃねえよ! 光が何したってんだよ!」
「はあ? あんたには関係ないことでしょ」
「これはアタシ達の問題なの。部外者は黙ってくんない?」
「黙って見てるわけいかねえよ! 光は……光は……」
虎ちゃんの語尾が小さくなる。
ほのかに頬も紅潮している
さっきまでの威勢はどこに行ったんだ?
姉妹と虎ちゃんの間に挟まれ疑問に感じていると、姉妹は確実にそこをついてきた。
光がどうしたって言うの? 無関係のクセに良い子ぶるなよ偽善者が、と。
偽善者は言い過ぎだけど、姉妹の言い分も、もっともだ。
今回のことは虎ちゃんには関係ないことだし、俺にとって虎ちゃんは親友だけど、虎ちゃんにとって俺は「転校してきたただの同級生」てポジションなんだ。
現実が甦る。
虎ちゃんが庇ってくれことは嬉しいけど、虎ちゃんからしたら俺は同級生でしかないわけで。
なのになぜ庇ってくれた? 俺なんか放っておけばいいのに、自ら面倒に足を突っ込んだ?
お人よしにも程がある。
虎ちゃんは優しいけど実は腹黒で、自分にも第三者にも火の粉が降り懸からないようねんみつに計画を企ててから行動を起こし、ターゲットのみをピンポイントで攻め落とす。
だから感情をあらわにして猪突猛進するなんてありえない。
ましてや怒鳴って相手の怒りを煽るなど、決して。
自分のことで一杯一杯だったから、違和感に気付いていなかったのだ。
姉妹は単純に邪魔をされたから言い返しただけだけど、俺は虎ちゃんの行動に改めて疑問を感じた。
虎ちゃんが怒ってる。正直恐い。
床に落としていた虎ちゃんの視線が上がる。
頬は相変わらず染めたままだが、その眼差しは決意に満ちて力強い。
「関係なくない。だって俺は……」
少しの間を置き、虎ちゃんは言う。
「光のことが好きだから!」
告白キタ━━━(゜∀゜)━━━!!
※光の脳内
まままままま、まじッスか?
なにこの、イジメから告白という無理矢理な急展開は!
いやいやいや、そんなことより虎ちゃんが俺のことを好きって……。
ち、ちげーよな。虎ちゃんの「好き」は「友達として好き」であって、LOVEではなくLIKEだ。
だよね。そうだよね。まったくもー、紛らわしいんだから。
「好きな女が困ってるんだ。見て見ぬふりなんて出来ない!」
LOVE確定。目の前が真っ暗になった。
「ふんっ! じゃあ、こいつをしっかり捕まえといてよね!」
「こいつを虜にしてよね! 翼君に二度と振り向かないように!」
ちょっとちょっと! 話の展開がマジおかしいって! なんでそうなるの!
「言われなくても……そのつまりだ」
虎ちゃーーーん!?
照れ隠しに頭を掻く虎ちゃんを横目に、俺の口からは白いフワフワしたものが飛び出して行った。
午後からは雨が降った。
ジメジメした空気により一層湿気が混じる。
折りたたみ傘を学校のロッカーに常備していたから、朝みたいにずぶ濡れになる心配はない。
それよりも、体が濡れる心配よりも、もっと重大な心配事が出来てしまった。
虎ちゃんが俺に恋しちゃったのだ。
翼ならず虎ちゃんまでもが、俺の魅力に惑わされ虜になってしまった……んではなくて!
よく分かんないけど、なんか好きになっちゃったみたいです。はい。
イジメは解決したみたいだけど、よりややこしい問題が生まれてしまった。
だって想像してみ、親友が突拍子もなく告るんだよ?
えっ!? てなるよね、普通。
マスオさん並に驚くよね。マスオさん並って、かなり凄いことなんだぞ。
俺なんて口から魂が抜け出すくらい驚いたんだから。
虎ちゃんは気まずいのか、視線を合わせてくれないし、合ってもすぐに反らしてしまう。
席が隣同士だから、クラスの連中から「お似合いカポー」とからかわれるし、より気まずくなる。
俺の心境を投影したような天気に溜め息をつく。
と、ガラガラと教室の戸が開かれた。
その姿に驚愕する。
「お姉ちゃん!」
まさかの大翔ご登場である。
大きな黒いバックを重そうに両手にし、入口で手招きしている。
なんで大翔が学校に? よりややこしくなること必須だ。
「大翔! なんでお前がここにいるんだよ!」
「僕はお姉ちゃんの保護者でもあるんだよ。学校に来ても不思議じゃないでしょ?」
大翔の胸元には、キラリと『来校者がつけるプレート』が光っている。
事務のおばさんも、こいつを保護者と認めたのね。
グダグタっすな、この学校。
「それでも来るんじゃねえよ。ただでさえややこしく状況なのに、お前が来たらもっとこんがらがるだろうが」
「大丈夫、時を止めたから」
「はぁ? 冗談も休み休み言え……」
本当に時が止まっている。
人も物も時計の秒針も。何もかもが、その動きを止めている。
騒がしい世界が一変、物音一つしない静寂な世界へと色を変える。
色を変えるは比喩表現とかじゃなくて、本当に色が変わっているのだ。
なんつーか、モノトーン? 灰色?
どことなく色が掠れていて、俺と大翔だけが色彩をはっきりと帯びていた。
なんて魔力の無駄遣いだ。どうでもいい所でバンバン使いやがって。
「お前今朝、俺になんて言った? 『魔法は使わないからね』的な発言をしてただろうが」
「お姉ちゃん、時代は一分一秒と限りなく進んで行くんだよ? 歩みに乗り遅れたら、この時代は生きていけない。柔軟に対応しないと。分かる?」
大翔が言うと妙に説得力があるのはなぜ?
いや、騙されるな俺。
めちゃくちゃ名言っぽいこと言ってるけど、大翔が気分屋のワガママ小僧というだけなんだ。
名言じゃない、俺を惑わす迷言だ。
「それはさておき」
「おくな。せっかく時が止まってるんだ。お前のひん曲がった性格を、小一時間ほど説教してストレートにしてやる」
「知ってる? ストパーってね、薬品で髪の毛のS-S結合を一旦解いて、アイロンで伸ばした後、結合を再び繋ぐんだよ」
「へぇ~、良く知ってるな。偉いぞっ……て、誰が褒めるかぁあああ!」
「今からお姉ちゃんには、東京に行ってもらうね」
「話を逸ら……なんだって?」
この子、東京に行ってもらうとかほざいた系?
いや、ほざいた系という日本語は美しくないな。
おっしゃりました? が正解だな……じゃなくて!
「また突拍子もないこと言いやがって、なんのつもりだ?」
「これだよ、これ」
ズボンのポケットに片手を突っ込み、姿を見せたのは新聞紙の間に挟んである、クシャクシャに丸められた広告紙。
せめて綺麗にたためよなと文句をたらしながら、紙を横取る。
シワを伸ばして目をやると、可愛い女性の顔写真が一面に載っていた。
顔写真の横には、これまた可愛らしい女性の顔がズラリと並んで笑みを送っている。
俺のタイプは黒髪美人で和服が似合う女性。
真ん中の女の子が、まさにそれ。
ストライクど真ん中なだけにね!
……寒いギャグを勝手に作り出してしまった事に自嘲していると、大翔が俺の足元に鞄を置いた。
着替えが入ってるから行こうと、さっさと踵を返す大翔を静止させ、その鞄を眼前に突き出した。
「東京ってなんだよ? あんな紙じゃわけわかんねえよ!」
「……馬鹿?」
人を見下し、冷めた目つきで俺を見据える。
「この紙に書いてあったでしょ、『新人タレント発掘大作戦!!』って」
そう言われとみると、そんなことが書いてあった気がする。
だが、それがどうだというのだ。俺にテレビ業界に進出しろと言いたいのか。
だとしたら無謀だな、アホだな。
つい最近まで肉棒をブラブラさせてた俺が、娘をタレントにするために、惜しみなく金と労力を注ぎ込み、徹底した英才教育を施した親バカの子供に勝てるはずがない。
「お姉ちゃんにはタレントになってもらうからね」
ほらな、きたよ。
これだから、バリバリのYUTORI世代は困る。
甘やかして育てられたから、理想と現実の境目が分からないのだ。
だから近頃、痛い子が増えてるんだな。うん。
※光の勝手な思い込みです。
「大翔君。理想だけじゃ、ビーフストロガノフは食べれないんだよ」
膝を曲げて目線を合わせる。
下手に刺激したら、奴はかならず魔法を使ってなんとかしちまう。
これ以上の魔力の消費はひじょーうに痛い。
怒鳴った所で逆効果。ここ数日で大翔の性格は全て把握している。
単純にガキなのだ。
駄目と言われると、余計に気になってやらかしてしまう普通のガキ。
ここは促すように柔らかい声色で接するのが一番効果的だ。
「なんでもかんでも魔法で解決しようとしたら、ろくな大人になれないぞ」
大翔の顔が強張った。
空気が張り詰め、ピリピリとしたムードが俺と大翔を包み込む。
「大人になんか……なれないよ……」
ほとんど吐息に近い呟きを、地獄耳の俺は聞き落とさない。
声だけでなく、存在そのものが消え入りそうなほど、覇気がなくなり小さく見えた。
なんなんだよ。マジでなんなんだよ。
いつもならキツイことを言ってもケロッとしている大翔が、俺の一言でここまで落ち込むなんて。
あの一言に、地雷なんて存在していたのだろうか。
いや、あったんだ。
大翔が落ち込むほどの何かが……。
拳を強く握りしめ、今にも泣き出しそうな大翔にかける言葉が見つからない。
時が流れてくれれば、なにかの拍子に突破口が見いだせれるが、無情にも時が進むことはない。
俺達の時も止まっているかのような錯覚に陥っていると、グッとカカトで指先を踏み付けられた。
もちろん犯人は大翔。
「お姉ちゃんは自慢のお姉ちゃんだもん。日本中の皆にお姉ちゃんを見てもらうの!」
歪んだ笑顔を見せ、身を翻して言い放つ。
「オーディション受けるよね?」
強気な態度で人の意見なんか聞かない大翔が、初めて俺に同意を求めた。
小さな背中がより小さくなって、俺の心に不安の鈍りがのしかかる。
俺は首を縦に振るしか他なかった。
踏まれた指先が、妙に痛んだ。
オーディションの主催者は有名タレント事務所で、賞金百万円の他に副賞として主催者側と芸能契約をすることが出来るのだとか。
ネットで調べた所、このオーディションは由緒正しい歴史があるもので、グランプリを受賞した人は、現在芸能界で不動の地位に君臨している。
故に競争率もべらぼうに高い。
一次審査は書類審査で、プロフィールと顔・全身写真を送る。
締め切りは一ヶ月前に過ぎていたが、そこは魔法の力でなんとかしたのだと、大翔はあっけらかんと口にした。
オーディションは明日の九時。
東京行きの新幹線に乗り込みと、大翔は二次の審査方法を説明した。
二次審査は個人面談。審査員の質問に答えるという単純なもの。
一次審査突破者は一万人中たったの百人。
さらにここで、一気に二十人までに絞り込む。
まず普通に受け答えしていたのでは受からない。
しっかり自分をアピールしろと、大翔は力説した。
その頃には、いつもの大翔に戻っていた。
切り替えの早さは、俺に負けずと劣らない。
あれやこれやとアピール方法を考える大翔を横目に、車窓に肘をつく形で頬杖をし、流れ行く景色を眺めた。
ちょうど夕暮れ時で、海岸近くの町並みは紅く染まり、地平線に太陽が沈む光景に、どことなく憂いを感じた。
大翔と初めて出会った時も、この日のような夕暮れだった。
あの日から、堪えず己の中で続く疑問。
ーなぜ俺をお姉ちゃんにしたのか?ー
触れてはいけない、越えてはいけない疑問が、今なら言えるような気がする。
軽くさらっと言ってしまおうか。地雷探知のように、ゆっくり慎重に言ってしまおうか。
だけど臆病な俺は、たったその一言を口に出来ない。
大翔を傷つけてしまうかも知れない。
そう思うと、自分の感情を押し殺してしまう。
だが、いずれは知ることになるのだ。
魔力が戻ったら、俺を男に戻すと約束してくれた(というより約束させた)
時期が来れば、大翔も話すだろう。
俺をお姉ちゃんにした理由。ついでに魔法のことも聞いてみたいが。
秘密を知りたい想いと、傷つけたくない想いが、交差するように一直線に突き進む。
線と線がぶつかり合う瞬間、新幹線はトンネルへと入った。
無理に地雷を掘り起こすのは止めよう。
俺には地雷を捜しだす優れた直感を持ち合わせていないし、処理する話術も持っていない。
下手に探って爆発したら意味がない。相手も自分も傷つけるだけ。
ゴー……と、トンネル特有の低い音が車内に響く。
トンネルは永遠と続くことはない。
次第に確実に出口へと進む。
わざわざ出口を塞ぐ必要もないだろう。
姿勢を変えず、横目で大翔を確認した。
まだまだ幼い。本当に幼い。
だけど大翔なら、勝手に一人で出口に向かうはずだ。
視線を戻す。
長く続いた暗闇の向こうには、光輝く世界が待っていた。
すみません、勢いでやって来ましたが……。
「まじアチー。エアコン頑張れよ」
「あの審査員、チョー胸見てたんですけど~」
「こりんこりん♪」
あの生物達はなんですか?
会場には案の定、人・人・人のオンパレード。
二次審査対象者は、広い会場に一斉に集められ、今か今かと面接を待ち侘びている。
さすが一次審査突破者だけということもあって、みんな可愛かったり美人だったりと、ハーレムが出来ていた。
だが、しかし、中身がいかんせん。
お股をおっぴろげて、スカートの中に風を送ったり。口調がギャルだし。なんかコリン星人も混じってるし。
芸能界の裏側もこんなもんなのかなと思慮深く考えていると、ピンポンパンポンとチャイムが鳴った。
「エントリーNo.59光さん。二次審査を始めます」
やってきました俺の番。
まーったくやる気はないしタレントになる気はないけど、やっぱり面接は緊張する。
ま、どうせ落ちるんだ。大翔も二次審査からは魔法は使わないって言ってたし。
気楽にいこうぜと鼓舞して、審査が行われる隣の別室へ移動した。
「失礼します」
二回ドアをノックして、ドアノブを捻る。
扉の先に待っていたのは……。
み、宮崎駿子監督!?(みやざきはやこ)
世界中の映画祭を渡り歩き、アカデミー賞にも輝いた世界に誇る映画監督。
日本人どころか世界でその名を知らない者はいない、超が五つくらいつく著名人が俺に向かって微笑んでいる。
心臓がバクバクうるさい。
外に漏れてるんじゃないかって思うくらい、熱いビートを奏でている。
特別審査員がいるとは聞いていたが、宮崎駿子監督なんて反則だぞコンチクショー。
面接とは違う緊張感が身体全体に染み渡ると、椅子に腰掛け微笑みかけていた監督が咳ばらいをした。
う、動いた! 動いたよお母さーーーん!
本物だ。正真正銘リアル宮崎だ。
リアル宮崎の左右に手下ども(審査員)が早く座れよオーラをガンガン送ってくるが着信拒否!
リアル宮崎を見る機会など、これを逃したら二度とチャンスは巡って来ない。
今このうちに、網膜にてリアル宮崎を焼き付けておかねば。
挨拶も無しにガン見する俺に、リアル宮崎は苦笑い。
それでも視線を逸らさない俺に痺れを切らし、手下どもが「席に着け」と命令した。
おのれ手下の分際で、俺の至福の時を邪魔しやがって。
渋々席に着きながらも、瞳はリアル宮崎だけを捉えている。
とても五十代とは思えぬ、きめ細かい肌。
顔のパーツパーツがどれも一級品で、この人が作った映画のように完成度が高い。
つまり、美人。惚れちゃいます。
綺麗に染まったオレンジに近い茶色髪を耳にかける仕草なんか、妖艶すぎて妖怪みたいっス。
映画妖怪・リアル宮崎。
三流映画のようなタイトルが脳に上映される。
この人、監督じゃなくて女優でも絶対やっていけるのに。
「それではまず、お名前の方を」
……喋った? しゃしゃしゃしゃ喋ったよ! 監督が俺の名前を尋ねてるよ!
お母さーーーん!
※興奮状態につき錯乱しております
胸がドキドキしてて危険です。陣痛が起きそうです。
タレントになんかどうでもいい。
そう思ってたけど、わざと態度を悪くして落ちようとしてたけど。
「ひ、ひかっ、ひきゃるです!」
そうも言ってられません。挨拶だけでも、いっぱいいっぱいなのだから。
「そんな緊張しなくても大丈夫ですよ」
裏返った声に吹き出しもせず、聖母マリアの如く神々しい微笑みを向ける監督。
眩しい。後光が差して眩しすぎるよ。
大袈裟なんかじゃなく本当に眩しくて、腕で眼前を押さえつける。
するとクスクスと笑い声が聞こえ、
「光ちゃんって面白い子ね」
監督が、リアル宮崎が、俺の名前を呼んだ。
はっきりと、丁寧に「光」って。
頭の中では、絶景のアルプスの山頂に赤いワンピースを着た一人の少女が「宮崎が呼んだ! 宮崎が呼んだわ!」と叫びながら踊り狂っている。
少女につられてヤギ達も「おま、そんな跳躍力ねえだろ」とツッコミたくなるくらい跳びはねる。
シャンシャンシャンと鐘の音と甲高い少女の声が素晴らしいシンフォニーとなり、アルプスの山々に木霊する。
なんか癒されるな。最後の楽園だ。
「それでは、当オーディションに応募された理由を教えてください」
「え? あ、はい。魔法使いが勝手に応募しました」
最後の楽園が現実となった。
「アハハ……真面目に答えてくれますか?」
満面の苦笑いを浮かべる監督。
眉を潜め、あからさまに険悪な表情をする手下。
だよな。友人が勝手に応募したって話なら聞くけど、魔法使いはありえないよな。
絶対引かれた。この子頭可笑しいんじゃない? って思われた。
「あの、違うんです。魔法使いというのは隠語で、弟のことなんです」
必死にフォローするものの、全くフォローになっていないこの説明。
隠語ってなんだよ。魔法使い=弟は無理がある方程式だ。
焦れば焦るほど、より墓穴を掘る結果になることは目に見えているわけで。
「監督のフラダンスの犬を見ました! ラストのハトラッシュが、教会でフラダンスを踊った所なんか号泣でしたよ!」
どよんだ空気を変えようと、映画の話題をふってはみたが、
「私の作品じゃないけど……」
自爆しました。盛大に。
あぁ、そうだ。さっきから脳内に出てたじゃないか。
監督の最新作『アルプスの少女パイジ』が。
下がりに下がりまくった評定ポイントは、あっという間に地について。
減点方式ならすでに不合格は決定事項なわけでして。
監督のファンと豪語しておきながら、他の作品と勘違いしていた自分自身が情けなくて。
それらの要素が束になって波打ち、破裂寸前だった高揚感を、沖へ沖へと流して行った。
面接失敗。2000%不合格。
魔法を持ってしても、どうにもならない失態を犯して、二次審査は幕を下ろした。
大翔になんて説明しよう。
実はほんの少しだけ、ミクロくらいのちっちゃさだけど、心の片隅では受かりと思っていた。
タレントに興味がないことは事実。受かりたいと思ったのは、俺が原因ではない。
大翔だ。
このオーディションが鍵だったんだ。
厳重に固く閉ざされた心の扉を開けられる鍵。
深い深い深海に眠っていた鍵が浮上したというのに、俺はみすみす取り損ねてしまった。
このオーディションがキーポイントだったのに。
二次審査に進めれば、大翔のことが少しでも分かったのかも知れなかったのに。
情けない。本当に情けない。
大翔の沈痛な面持ちが脳裏に蘇る。
太陽はまだ昇っているのに、なぜか俺の周囲だけ薄暗い。
会場からホテルまでの道のりはさほど遠くはないはずなのに、何千何万キロに感じられた。
「……失敗しちゃったんだね」
「ゴメン……」
三ツ星ホテルのスイートルーム。
アラブのお姫様なんかが使っていそうな、大層なキングサイズのベットの縁に座る大翔。
俺はその場で正座をさせられ、大翔に見下ろされている形になる。
「せっかく一次審査を免除して二次審査に行ったのに……ねえ?」
疑問形が恐ろしい。
天使のようなソプラノで、ドスが効いた声は以外に迫力がある。
「面接を楽しめるように、お姉ちゃんの大好きな宮崎駿子監督を特別審査員に手配したのに」
手配というより、魔法を使ったんだろうが。
「念のため、金色に輝く菓子折り(小判)も送っといたのに」
それが一番の原因なんじゃ……?
「やっぱり福沢さんが良かったかな。小判じゃ換金するの面倒だし」
小判て言っちゃったしね。それにそういう問題ではない。
「お前……賄賂送ってたんだな」
溜め息まじりに呟く。
と、大翔がベットから飛び降り、土下座する俺の頭に片手を置いた。
ま、まさか、久しぶりのお仕置きタイムとか?
過去の例から想定するに、鋭利な刃物でグッサグサの刑が濃厚だ。
超至近距離で、0メートル地点でやられちゃ、いくらなんでも生きてはいない。
ータレントになれないお姉ちゃんなんて用済みだよー
幻聴が聞こえる。ラスボス大翔の血も涙もないお言葉が。
せめて、せめて最後に、
ビーフストロガノフを食いたかった……。
「……いこう」
上から声がする。
恐怖で固くつぶっていた瞼を静かに開けると、柔らかく微笑む大翔の顔があった。
「ディズニーランドに行こう!」
なにをするかと思ったら、パンツ一丁の変態ネズミが主のディズニーランドに行きたいんだと言い出した。
「ディズニーランド? 平日とはいえ、めちゃくちゃ混んでんぞ」
「じゃあ天国に逝く? それとも地獄に逝く?」
「よっしゃあ! 明日はネズミ狩りだぁあああ!」
「楽しかったね、お姉ちゃん」
「う……うっす……」
ディズニーランドには二度と行かないと誓ったのだった。
昨日の疲れが抜けきれず、朝からスライム状態デッレデレ。
机に突っ伏し、窓から差し込み太陽の暖かい陽射しにとろけながら、うたた寝をかましていた。
と、肩に触れる誰かの手。
顔だけグルンと振り向くと、見覚えのある男の姿。
寝ぼけ眼で視界が霞み誰だか判別出来ないが、クラスの連中に間違いない。
「顔色悪いけど大丈夫か?」
優しい言葉が心に染みる。
ここ最近、誰かを(というより大翔だが)心配ばかりして、自分のことは放って置いていたから、こういった優しい言葉が直に響く。
気恥ずかしいけど、悪い気はしない。むしろ喜ばしいことだ。
女になってから、一人ぼっちになったと思っていた。
俺との記憶を全て忘れて、俺自身は存在しているのに、世界から切り取られた感覚だった。
確かにあの時は一人ぼっちだったかも知れない。だけど今は、違う。
悪ふざけが過ぎるし、自分の意見を押し付けるし、生意気で我が儘でスーパーサディスティックだけど、俺を大事にしてくれる弟がいる。
顔色が悪いと心配してくれる友人もいるし、なんか俺に好意を抱いている若干二名の困ったさんもいる。
俺の居場所は確かにあるのだ。
男だろうが女だろうが、根本的な所が変わっていなければ俺は俺でいられる。
悲観しないで前を進めって言うと、なんだか難しくて達成できなそうだけど。
単純に自分を貫けばいいだけだと俺は思う。
自分勝手とか空気が読めないとかそんなんじゃなくて、自分が思ったこと感じたこと信じていること。
他人の意見を尊重することはもちろん大事だけど、流されるのではなく、それらの核はしっかり持ち続け、そこに他人の想いを纏わせればいいのだと。
そうすれば、自然と進めるはず。
現に俺には、以前と全く変わらない居場所があるのだから。
少なくとも、この教室には確かに……。
柄にもなく教訓じみた思想を考えていたから、偏頭痛が起きそうだ。
おかげで眠気は逃げて行ったけど。
瞬きの回数につれて、瞳と人影の間に漂っていた霧が晴れていく。
視界がはっきりしてくると同時に、俺の額に冷や汗が伝った。
早鐘を打つ心臓。激流する血液。
カアーと顔に熱が帯びて、視線を外した。
だって、だってだってだって。何事もなかったかのように話しかけてくるとは想定外のことだったから。
動揺と困惑が、俺の呂律を奪い去る。
「とととととと、虎ちゃん!」
「お前は鳥かよ」
「そうです私は鳥……て、俺、鳥じゃねえし!」
微笑する虎ちゃんにすかさずツッコム。
いや、ツッコミとか置いといて、大変気まずいはずなのに、なんで俺に話しかけてるんだよこの人は。
「なんかようっすか?」
「特にないけどさ、二日も休んでたから、もしかしてと……な」
言葉を濁して、後頭部を掻く虎ちゃん。
そうか。虎ちゃんは告ったせいで、俺が学校を休んだと思っているんだ。
オーディションのことを言おと口を開きかけて、ふと思い止まった。
ここでタレントのオーディションに行って来たと答えたら、自意識過剰な女だと思われないだろうか。
思うな。俺だったら思うもん。
弟が勝手に応募したって正直に話しても、応募用紙には本人直執のサインと印鑑証明、さらには顔写真と全身写真も必要なんだ。
普通の弟だと、ここまで手の込んだ芸当は無理だ。
魔法でも使わないかぎり(大翔はもちろん使ったようだ)
うーん、参ったな。ここで自意識過剰女を演じて、好感度を下げ、好意をなくさせてしまおうか。
悪魔の甘い囁きが、脳裏をよぎる。
でも、腹黒い虎ちゃんなら俺の嘘なんか一発で見切るかもしれん。
「やっぱ俺のせいか……」
沈黙を肯定と解釈したのか、口元を不器用に緩めながら虎ちゃんが言う。
無理に笑顔を取り繕っているのは目に見えて、ズキッと心臓が痛んだ。
辛さが見え隠れする虎ちゃんの顔を直視することができなくて、
「違う違う、ディズニーランドの疲れを引きずってるだけだって」
俺は咄嗟に口走った。
「ディズニーランド?」
「そうそう、チケット貰ってさ。その日が期限だったから行ったんだ」
無理がある嘘だけど、虎ちゃんはあっさり信じて、小さく「良かった~」と呟いた。
恐るべし恋の力。
恋は盲目というが、疑わしい言動をも隠してくれるのか。
「で、ディズニーランドはどうだった」
「えっ」
忌まわしい記憶が、走馬灯のように駆け巡った。
ディズニーランドで起こった、凄まじい珍事件の数々。
その傍らには、必ず笑顔の大翔がいた。
某少年探偵団のように、大翔が行く所々に事件が起こり、なぜか俺が巻き添いを喰らう。
忘れたいのに奥深くまで刻まれた記憶は、自力で忘れ去ることは皆無。
鮮明に、地デジやワンセグに劣らぬ画質で、夢の国が地獄へと様変わりする映像が流れ続ける。
ネズミと大翔の魔法大戦争が……。
「なあ、どうだったんだよ」
「地獄絵図とはこのことかと思わせるアトラクションでした……」
「地獄絵図?」
「いずれ番外偏で語るから、今日はこの辺で勘弁プリーズ」
ガタガタブルブル震える俺に何かしら感づいて、それ以上の追求は迫って来なかった。
顔面蒼白だと思う。俺の顔。
ディズニーランドは懲り懲りだ。夢の国の崩壊劇は、またいずれ語るとして。
虎ちゃんに告白の返事を返さないと。
ズルズル返事を先延ばしても良いことなんてなにもない。
『ゴメンナサイ』のその一言を。
キッパリスッパリしちまえば、傷も浅いし今後も友人として接することも不可能じゃないしな。うん。
心苦しいけど、これも虎ちゃんのためなんだ。
俺なんかに幻想を抱いてはいけない。
どこをどうして俺を好きになったのか不明だが、俺と虎ちゃんじゃ釣り合わない。
「虎ちゃ」
「ゴメン、光」
視線を床に落とし、後頭部を掻きながら俺の言葉を遮る。
両眉の端を下げながら、申し訳なさそうな表情を見せた。
後頭部を掻く癖。言い出したいのに言い出せない虎ちゃん特有の癖。
互いに視線を合わせぬまま、騒がしい朝の教室にしばしの沈黙が続く。
まるでこの空間だけが世界から切り離された感覚に陥り、椅子に座っているのに足元がぐらつく感じがした。
音もたてずに立ち上がり、虎ちゃんの前へと足を運ぶ。
ワックスでセットされた髪は掻いたせいで乱れているが、構わず頭を掻き続けている虎ちゃん。
「実は……」
手の動きが止まり、視線がぶつかる。
澄んだ漆黒の瞳に吸い込まれそうになったが、両手をきつく締め堪えた。
嫌な予感がする。虫の知らせを肌で感じた。
「実は……」
一呼吸おき、虎ちゃんが言う。
「嘘なんだよね、全部」
「……へぃ?」
「俺が光のこと好きだって言うの、全くのデタラメなんだよね。ハハハ」
ハハハじゃねえよクソ野郎。
ちょっと待って、整理させて。
なになになに、散々俺を困らせていた問題が「嘘」の一言で片付けられちゃうの?
ありえないんですけど。鳩が豆鉄砲なんですけど。
「いやー愛舞姉妹って、ああ見えてロマンチストだから、俺が『白馬の王子様キャラ』を演じれば、胸キュンして怒りも吹き飛ぶと思ったんだよねー。
ここまで上手くいくとは思ってなかったけどさ」
言いにくいことを口にした開放感からか、勢いは止まることを知らず、怒涛のマシンガントークが俺を襲う。
頭が追い付いてない。
何を喋ればいいのかも分からず、呆然と立ち尽くすのみ。
「冗談のつもりなのに、あからさまに光が意識してたからさ。
俺のことが好きなのかと」
「死んでもぜってーありえない!」
なんとか口にした言葉。だけど奴は、
「もしかしてツンデレ?」
「……こんの」
腹黒王子がぁあああ!
「乙女の純粋な気持ちを弄び申し訳ございます」
「(ございます?)乙女は余計だが許してやろう」
虎ちゃんに軽くお灸をすえたら、土下座して謝罪した。
別にそこまでしなくてもいいのに。
だからほら、俺の半径五メートル以内に誰も寄り付かないじゃないか。
たく、飛び蹴りと回し蹴りと上段蹴りを×三セットしたくらいで土下座するなんて。
最近の男はなよっちぃな~。
※大翔に毒牙されてます。
「んでもさ、なんで虎ちゃんは俺……私を助けたの?」
土下座する虎ちゃんの頭をグリグリと踏み付けながら、虎ちゃんに対する疑問を尋ねてみた。
正面きって聞くのは恥ずかしいから、だから少しイジメながら。
「なんでだろ、俺によく分かんないんだよな」
「いやいやいや、分かんなくないだろうが」
「ほんとだって。急に『光を助けろ』て声が聞こえて、段々その声が大きくなって……。
しまいには『助けろよ粕!』てキレられてさ」
うーんと唸り声をあげる虎ちゃんは、珍妙な顔付きで大人しく俺に踏まれていた。
いい加減怒れよ。そっちの趣味があるのかと思われちまうぞ。
とツッコミを入れようとしたが、それよりも虎ちゃんが聞いた謎の声に思考を持って行かれた。
以前の俺なら幻聴やら空耳やらで片が付いたが、心当たりが少しある。
こういうのをなんて言うんだっけ。霊視? 透視?
学校生活まで監視してるかのよあいつは。
究極のシスコンだな。ほんと。
「大翔のヤロー……」
吐息に近い呟きは、冷めた教室に溶けて消えた。
「お帰りお姉ちゃん。ご飯にする? お風呂にする? それとも僕にする?」
「お前を抱くくらいなら死んだ方がマシだ」
玄関の戸を開けると、真っ先に飛び込んで来たのは大翔のエプロン姿。
なにを勘違いしているのか、奴はエプロン姿で俺の帰宅を待っている。
毎日毎日、飽きずに何度も。
今日も軽くあしらい、大翔を横切り自室に向かう。
すると、スカートの裾を掴まれグイグイと引っ張ってきやがった。
またか。学校から帰ってくると「これで遊ぼう」やら「遊びに行こう」などと言って、俺に安息の時を与えない。
反論などしようものなら、問答無用で殺しにかかる。
遊びながら愚痴を吐いても、聞く耳など持たずシカトを決める。
集中力があるというか『これをやる』と決めたら一直線に突き進むイノシシタイプだ。
大翔の長所でもあり、短所でもあるんだけど。
だから今日もそんな感じだろうと思っていたんだ。
思っていたんだけど……。
「大事な話がある」
声色も低く、いつになく真剣な表情で見上げる大翔に危惧を覚えた。
裾を掴む手も、微かに震えている。
脳裏を過ぎったのは、学校の教室で見せた大翔の憂いを帯びた顔。
瞳は潤んでいないが、視点が定まらず縦横無尽に視線を巡らしている。
「あのねお姉ちゃん、驚かないでね」
緊迫した空気が流れる。
背筋に悪寒が走り、喉を鳴らした。
「映画に出られるよ!」
パンパカパーン! パンパンパンパッパカパーン!
軽快なリズムと何処から出てきたのかくす玉が割れて、色とりどりの紙吹雪とテープが俺の頭上に舞落ちた。
足元にはキラキラした三角帽子を被った、熊やウサギや犬その他もろもろの人形が、それぞれの楽器を手にしてドンチャン騒ぎで踊っている。
とりあえず、
「消えうせな」
人形の音楽団を蹴散らし黙らせた。
楽器を鳴らしていた人形達は動きを止めて、普通の人形に戻った。
「お姉ちゃん酷い! お人形だって生きてるんだよ!」
「お前が命を吹き込んだろうが」
「それで映画のことだけど」
「……完全無視っすね」
指パッチンで散らかった廊下を片付けると、リビングに行けと目で合図しやがった。
監視の件もあって、ここらで本格的に叱ろうと考えていたけど、『映画に出られる』という言葉が気になって、大翔に続きリビングに向かった。
大翔は意気揚々とスキップをしながらリビングのテーブルに置いてあったテレビのリモコンを取り、電源を入れた。
その間、俺の頭の中には疑問符が次から次へと生まれて最大積載量を突破した。
映画に出られるって何をほざいているんだか。
タレントオーディションに失敗した一般人の俺が映画に出るなんて。ありえねー。
まさかまた魔法を使って? いや、あれほど魔法は使うなと注意したから使わないはず……。
て、さっき使ってたわ。俺の威厳まったく無しかよ。
己の無力さに(というより大翔のフリーダムさに)肩を竦めていると、満面の笑みで大翔がこちらに振り返った。
太陽の如く、希望に満ちた輝く笑顔。
そんな笑顔見せつけられたらキュンッてしちゃう……わけがないが、大翔の笑顔は本当に輝いていた。
映画の話しは、あながち嘘とは思えない。
「とにかくこのビデオを見て」
手を引き無理矢理ソファに座らされると、大翔も俺の横に座ってリモコンの再生ボタンを押した。
ご丁寧にも、片手にポップコーンを常備して。
一面真っ黒な画面に、荒々しく波打つ海岸沿いの映像が流れる。
これって、某有名映画会社のオープニング?
疑問に思う俺をよそに、時代遅れなビデオデープが回り続けた。
『日本映画史上最高のスタッフとキャストを迎え、あの人気アニメがついに実写映画化!
舞台は南国の楽園『ハワイ』
「わーい海だ~!」
浮かれる少女。
「あんまり沖の方に行くんじゃないよぅ」
優しい老父。
「たまには息抜きもいいですねぇ」
清らかな青年。
「うふふ、みんな楽しそうで良かった」
明るいメイド。
「アンアン!」
そして犬。
南国のムードに酔いしれる一家。
「お姉ちゃんにも見せたかったな。この夕日を……」
「きっと見てるさ。この空は続いているんだから、さ」
喜びや悲しみを共有してきた少女と青年。
貧しいながらも幸福に満ちた一家に、暗雲が立ち込める。
「今こそ昔年の怨みを晴らす時! 立ち上がれ我が忠実なるしもべ達よ!」
襲い掛かる魔の手。
「な、なんだこれは?」
謎の巨大破壊兵器。
「キャーッ!」
「だ、誰か……」
消えいく命。
「力が、出ない……」
「フハハハハ! 人がゴミのようだ!」
悪の咆哮。
「お姉ちゃん……?」
「久しぶりだな」
姉妹の再開。
だがそれは、新たな闘いのロードを示す一瞬の光り。
「ッ……やめてお姉ちゃん!」
「もはや後戻りは出来ぬ」
刃を向ける姉。
「これで奴も終わりね」
新たなる敵。
「ぐぁあああ!」
薄れゆく希望。
そして……。
「私の存在が、世界を滅ぼすというの……?」
明かされる真実!
「危ない!」
「全軍突撃用意」
「攻撃が効かない?」
宮崎駿子監修、
「闘いは……避けられないのね」
「はぁあああ!」
「これが、私とお姉ちゃんの力の差……」
完全オリジナルストーリーで送る、
「策はまだある」
「新しい……力……?」
「一緒に作るんだ」
愛と勇気の、
「僕は、負けるまけにはいかないんだ!」
「お姉ちゃん……ゴメンね?」
「新しい力よ。受けとって!」
「なにもかも遅いんだよ!」
感動ストーリー!
「この時が、遂にきたんだな」
「決着をつけようか。忌まわしき長い歴史に」
闘いの中に見える真実。
それは希望か? もしくは絶望か?
「いや……いやぁぁぁあああ!」
それいけ! ア●パンマン!
~真夏のビーチは危険な香り?
ア●パンマンVSバ●キンマン~
戦士は仲間(とも)のために、命を捧げた……。
近日公開!』
……ツッコミ所が豊富過ぎて、どこからツッコミを入れたらいいのやら。
ま、とりあえず。
尺使い過ぎ!
「なんだよこのB級映画は! つか、ア●パンマンの実写化ってなんだよ!」
「なにって、愛と勇気の感動ストーリーだよ。アニメや漫画の実写化なんて、今や映像業界の十八番じゃん。珍しくもなんともないよ」
そういう問題ではない!
実写化反対とは言わないが、実写化しても良い作品と悪い作品がある。
バ●キンマンめっちゃ悪い奴じゃん。「人がゴミのようだ」言っちゃってるじゃん。
あいつは悪い奴だけど、どこか憎めない愛される悪キャラなのに、イメージを根本的に覆しちゃったよ。
メロ●パンナもお姉ちゃんとバトルしてるし。
「私の存在が、世界を滅ぼすというの……?」って、どんだけ最重要キャラクターだよ。
普通に面白そうな作品だったのに、最後の最後で台なしだ。
~真夏のビーチは危険な香り?~
内容とサブタイトルがミスマッチ! んなことより食品を擬人化することが、根っこからありえない!
こんなん誰が観るんだよ。子供向けなアニメが一瞬にしてR指定だよ。
最後『命を捧げた』って、誰か死んじゃうのかよ!
つーかこんな映画に俺が出るの!?
一通りツッコミを入れてみたが、大翔は意に介した様子もなく、映画のPVを巻き戻して再び見入っていた。
繰り返される、実写化ア●パンマン。
キャストは若手実力派俳優をメインに、要所要所に大御所大物俳優で脇を固めている。
人気実力共にある豪華キャスト。それに監督は世界の宮崎駿子。
普通なら面白いのに。満員御礼のアカデミー賞クラスの作品になるはずなのに……。
よりによって実写ア●パンマンとは。
どんなに素晴らしい食材でも、作り手がダメなら料理もダメになるように、最後の最後に0をかけたらもともこうもないじゃないか。
「……で、ちなみに俺の役柄は?」
PVがここまで出来てるし、近日公開ってテロップがあったから、撮影もほとんど終わっているはず。
俺の出番なんてあるんだろうか。しかも宮崎駿子監督が俺なんかを使うはずがない。
「お姉ちゃんの役は『ラスボス女王』だよ。宮崎駿子監督直々のオファーで、役柄とお姉ちゃんの印象がピッタリなんだって」
「ラスボス女王ってなんだよ。お前魔法使ったな? 宮崎監督を洗脳して無理に新しい役を作ったんだろ」
「洗脳なんかしてないもん! 宮崎駿子監督の会社を買収して、業務命令としてお姉ちゃんの枠を作っただけだもん!」
「やっぱ使ってんじゃねえかぁあああ!」
「ア●パンマンのなにが悪いの? 自分の身を削ってまで、力が出なくなると分かってるのに、目の前の人を見捨てることはしないんだよ。
お姉ちゃんのろくでなし! バカ! アホ! 巨乳! エロテロリスト! 援助交際! 売春婦!」
「後半の発言はいただけないぞアホンダラァ!」
ガツンと一発、大翔の頭上に鉄拳を落とした。
俺だってア●パンマンは嫌いじゃない。
ただ、何度も言うように実写化が気に入らないのだ。
それなのにあんな汚らしい言葉を吐いて……。
俺が大人しくハイハイ頷くだけだと思ったら大間違いだ。
「そんな下品な言葉どこで覚えた! 言って良いことと悪いことがあるぞ!」
決まったぜ。俺めっちゃ良いこと言った。うん。
ただ、
「お姉ちゃんなんか……お姉ちゃんなんか……」
殴ったのは、
「ひ、大翔?」
やり過ぎだったみたいです。
「陞龍 鋭利千本の気」
「ぎゃぁぁぁあああ!」
容赦無き刃の猛攻。
ほとばしる赤き水滴を確認すると、世界が色を失った。
ホントのホントに、今回ばかりは死んだかも知れない……。
目を覚ますと、そこは一面真っ白で。
地面は綿菓子みたいにふわふわしていて、制止しているのに体が勝手に上下へ跳ねる。
それがなんだか楽しくて、跳ねるタイミングに合わせて足に力を込めると、空高く舞い上がった。
重力など感じず、空を裂き続ける。
ドンドンドンドン地面から離れていって、さすがにヤバイだろこれはと不安に苛まれていると案の定。
「あ」
ピタリと上昇が止まり、空に停止した。
このあと待ち構えているのはもちろん。
「ぬわぁあああ!」
急降下。否、落下。
心臓がギュッと萎縮して、今度は意識が跳びそうになる。
綿菓子みたいな地面だけど、俺は無事なのだろうか。
ポヨ~ンと跳ねて助かりそうだけど、人生そんなに甘くない。
この落下スピードなら、ふわふわ地面でも即死だ。ぐっちょぐっちょ。
さあ逝こう。三途の川の向こうにある、極楽浄土へ。
地面とぶつかる瞬間、腕で視界を覆った。
「……て、まさかの突き抜けー!?」
落下することなく、地面を突き抜けました。
おいおいおい、まさかこれって雲の上?
だってほら俺の視界、つまり下には青い海が広がっております。
嗚呼、死ぬ時間が微妙に伸びただけなのね。
太陽光を反射して、キラキラ輝く水面に全身を打ち付けた。
「光」
あれ? 遠くの方から声が聞こえる。
「おい、光」
おかしいな、俺は死んだはずなのに。
「光ってば」
その証拠に、辺りは真っ暗闇の中だもん。
「シバき倒すぞテメェ!」
「ぐはぁっ」
腹部に鈍痛が走った。
「痛いじゃねえかバカヤロウ! 静かに看取れってんだ!」
「馬鹿は貴様だこのアマ!」
「ぎひゃぁあああ!」
どうやらさっきまでの落下現象は夢だったようです。
だよな、雲の上から落ちるなんて非現実的だもんな。
そして俺がいる場所は病院のベッド。
今回ばかりは大翔の魔法では完治することは難しかったんだろう。
身体中切り傷だらけでヒリヒリするぜ。
んでもって、
「やっと正気に戻ったな」
「女の子をタコ殴りにするなんて、どういう神経しんてんだよ!」
なんで翼がここにいるの?
久しぶりに見た私服の翼。
いつもワックスでバッチリ決めた髪型も、今日はなにもつけていないのかおろしている。
幼く見えて、母性本能がくすぐられ……ねーよ。なに考えてんだ俺は。
いや、翼の私服や髪型はどうでもよくて、なぜ病室に居座っているかが問題だ。
なんで居んだよと問い詰めると、翼はあっさりと、
「ここ、俺の病院だから」
金持ち発言をしやがった。
そうだ、翼の親父さんは大学病院の委員長だっけ。
クッソー、顔良し頭良し金良し。結婚相手に望む最大の三要素が揃ってやがる。
ま、そのぶん性格がいかんせんがな。
男は見た目や財産なんかじゃねえ、中身が一番大切なんだ。うん。
「悪かったな、性格が悪くて」
「まさかの読心術!?」
「モロ声に出てたから」
なんてことだ、自ら墓穴を掘る失態を侵すなんて。
口元に微笑を浮かべる翼は、俺に恐怖心を植え付ける。
そして次の瞬間、
「ちょうどベットがあったな」
眼前に翼の顔が。
そうです、押し倒されました。
「なななななな……」
喫驚して言葉が出ない。
窓からはお天道様の暖かい光りが、重なり合いそうになる俺と翼を柔らかく照らす。
心臓が飛び出しそうです。身体中の熱が顔に集まって、脳みそ沸騰しそうです。
真っ昼間にそんな行為を……。
脱童貞すらままならぬまま、先に処女を翼なんかに捧げるなんて嫌だ。絶対に嫌だ!
抵抗を試みるが、あっさり両手を塞がれて頭上に持って行かれた。
なんたる早業。これが長年女共を魅了してきた男のスキルか。
ぜひとも御教授願いたいが、それは一先ず置いといて。
「おま、病室でなにしでかそうとしてんだよ!」
「SEX」
「せめて伏せ字を使わんかー!」
なんでこの男は恥ずかしげもなく、あんな言葉を言えるんだ。
聞いたこっちが恥ずかしいじゃないか、このバカチンが!
みるみる近付く翼の顔。
視線は絡まったままで、互いの瞳を見入っている。
ここで視線を逸らしたら負けだ。
逸らしたら襲われちまう。
※それは野生の猿に出会った時の対処法。
堪え難い威圧感で押し潰されそうになるが、必死でガン見してやった。
睨んで睨んで、翼の性的欲求を欠いてやる。
「……誘ってんの?」
はい、逆効果ぁー。
俺、喰われる決定ぃー。
「安心しろ、優しくするから。多分。」
近付くな。
吐息をかけるな。
安心出来るか。
多分じゃねえよ。
言いたいことは山ほどあるのに、口を塞がれ声がだせない。
そう、
手で口を塞がれちゃったから。
もしやこのまま窒息プレイ?
「女は男の七倍感じるらしいぞ」
黒く甘い囁きが、耳から鼓膜を通して脳を麻痺らせる。
なな、七倍っすか!
一回の行為を100とすると、七倍だがら700。
七回分の快感が、一回の行為で味わえるというのか!?
さらに翼は場数を踏んでる(はずだ)から、+αでさらに極上の快楽が……。
女も悪くないかも知れないと思った。
「……んなふぁへはるはー!(んなわけあるかー!)」
七倍がどんなもんか少し興味を抱いたけど、そんな嘘で騙されるほど馬鹿じゃない。
誰がどうやって比較したんだ。
女の方が七倍感じるなんてことを。
「ひゃなせへろふはぁさ(離せエロ翼)」
「何を言ってるのか、さっぱり分かんねーな」
「たきゃらひゃな……」
次の瞬間、
口の呪縛は解かれ、翼の唇と俺の唇が重なった。
一瞬の、触れるだけの僅かな口づけ。キス。
それはあまりにも突然で、事態が飲み込めず、口元に自分の指先を置いた。
リアルに残る、柔らかな感触。
身体がしっかりと覚えていて、一周遅れで羞恥と熱がやってきた。
初めてのチューが、十五年もの間頑なに守り続けた唇が(守ったんではなく攻めなかっただけだが)好きな子と100万ボルトの夜景を眺めながらそっと交わす予定(妄想)だったキッスを。
病室で、非ロマンチックなムードで、幼なじみのジャイアンキャラに、
あっさり奪われるなんて。
光、一生の汚点。
頭を左右に振って記憶を振り落とそうとしたが、そんなで忘れらるほど人間の脳は単純な構造であるはずがなく。
嫌な想い出の方が、楽しかった想い出よりも鮮明にコンプレックスとして残るわけで。
数分前の出来事が網膜に焼き付き、俺の頬を紅潮させた。
翼を直視するなんて出来るはずがない。
腕の拘束もキスの時に外されていて、腕で視界を覆った。
なんで俺、こんなドキドキしてるんだ?
事故だと思えばいいじゃないか。野良犬に舐められたとでも思えば、バッチィけど諦めがつく。
こんな照れることもない。ないはずなのに……。
もしや、俺の身体が女だからか。
脳が拒絶していても身体は受け入れている。だから異様に心拍や体温が上がった。
心とそれを納める器がチグハグだから、こんなことに?
腕の隙間から様子を伺うと、眼前には妖艶に口の右端をあげる翼を捉える。
男に妖艶っていう表現はおかしいけど、それほど奴の笑顔には色っぽさが漂っていた。
静寂な空間。病院だからという訳ではなく、俺の五感全てが翼にのみ集中する。
翼は普段からペラペラ喋るタイプじゃない。
物静かでクールで、俺をいじる時だけ饒舌になる。
翼が作りだす独特の空間は馴れている。馴れているんだ。
なのに、違和感を抱くのはなぜだ?
目の前にいるのは確かに翼なのに、本能が違うと告げる。
違和感が拭えないまま、静寂な水面に石が投げ入れられた。
「照れてんのか。ふっ、エロ」
「え、エロって言う……やっ!」
二度目のキス。貪り喰うような激しいキスで、翼の侵入を防ぐことで精一杯。
「んん……!」
気持ち悪い。こんなキス、気持ち悪いだけだ。
悔しくて情けなくて悲しくて、俺の頬にひんやりしたものが伝った。
もう、口を閉ざしているのも限界……。
ードスッー
……ドスッ?
なにやら鈍い音がしたと思ったら、ゆっくりと唇が離れた。
翼の表情には苦悶の色がしっかりと染み付いている。
ギーとベットのスプリングが軋む音を奏でながら、俺を見下ろす形で膝立ちになった。
が突然、翼の身体の色素が薄くなり、透明になっていく。
最終的には翼は消え、そこには宙に浮いた一本のナイフだけが残っていた。
「出来損ないは排除するのみ」
低くどこか幼い声が静まり返った病室に響く。
扉の前には鬼のような形相をした大翔が仁王立ちしており、指を鳴らすと浮いていたナイフが乱れたシーツにポトリと落ちた。
状況から考えて、襲われている俺を助けるために、大翔が抹消魔法をかけたのだろう。
発動条件はおそらくナイフ。
血液が付着してないから、対象者に突き刺すことで魔法が発動する仕組み。
助けてくれたことは感謝する。けど、抹消するなんてやりすぎだ。
口元を病院服の袖で拭く。
大翔からには怒気が消え、いつもの無邪気な笑顔になっていた。
大好物を見つけた子のように、早足でベットの横に腰掛けると、頭だけを俺に向けた。
「ゴメンねお姉ちゃん。翼君試作機が暴走しちゃって」
「大翔が謝る必要なんて……試作機?」
謝る必要なんてないと言おうとしたが、試作機という言葉に引っ掛かった。
「試作機って何?」
「人体の構成元素である、酸素・炭素・水素・窒素・その他微量のナトリウムやカリウムで人体を形成し、翼君の人格や記憶を埋め込んだいわば人造人間ってとこかな☆」
語尾に☆をつける話題じゃねぇえええ!
ウインクをするな、親指を立てるな、満足げに笑うんじゃない!
「なんのために人造人間なんかを作ったんだお前は!」
「お姉ちゃんの監視と護衛のためだよ。まだ試作段階だったから、ホルモンバランスの調整がおかしくてお姉ちゃんを襲っちゃったんだと思う」
失敗失敗。
舌をチョロッと覗かせて、照れ臭そうに後ろ髪を掻きながら口にする大翔。
お姉ちゃんの監視と護衛?
てことはつまり、
「人造人間を使って俺の一日を監視してたのか!?」
「もち。翼君試作機の視覚と聴覚は、僕と共有してるからね」
むろん悪びれた様子は微塵もない。
深く溜め息をつくと、脳裏に新たな疑問が次々と湧き出てきた。
大翔が言う人造人間とやらが俺を監視をしていたのなら、学校にも必ず来たはず。
人格と記憶を埋め込んだ偽翼。
クローンと言っても過言じゃない。
つまり同じ校舎に二人の翼がいることになる。
それなのに翼が二人いるなどの話しや噂など俺の耳には届いていない。
本物の翼だって自分の偽者がいたら黙っていないはずだ。
誰も翼が二人いるなど知らない。本人でさえも気付いていない。
つまり結論は一つ。
「大翔、本物の翼はどこにいるんだ?」
本物を隔離するしか他はない。
大翔は口の両端を吊り上げ目を細めると、
「翼君なら消しといたよ」
衝撃発言を発した。
「消したって……もしや!」
「あ、お姉ちゃんが考えてる意味じゃないよ。パラレルワールドに飛ばしただけ」
ほっと胸を撫で下ろす。
良かった、翼は殺されたわけじゃなかったのか。
パラレルワールドに飛ばされただけ……。
「パラレルワールド!?」
え、なにそれ。次元移動の域まで魔法が発達しちゃったよ。
ありえないことがありすぎて(前からそうだけど今回は得に酷い)思考回路がショート寸前どころかブチ切れた。
多分俺、耳から湯気が出てると思う。
混乱しきった俺を察してか、少し間を置き大翔が説明を始めた。
パラレルワールドの件を。
「翼君の記憶からお姉ちゃんが完全に消え去ってないことは前に説明したよね?」
黙って頷く。
「後から分かったことなんだけど、翼君はお姉ちゃんの正体を見破ってたんだ」
「え?」
「お姉ちゃんの右手の傷を発見してね」
そういうと、大翔は俺の右手に視線をぶつけた。
それに答えるように掌を反す。
小さくて、しかも親指の付け根に付いた傷痕だから、こうして意図的に見せびらかすようにしなきゃ分からないこの傷。
鮮明に蘇る幼き記憶。
ふざけてナイフで遊んでたら、誤って切り付けてしまったんだっけ。
深く柄が入ってしまい、これでもかというくらい流れた出血。
両親も兄貴も出掛けていて当時の俺は応急処置も助けに呼ぶことは出来ないくらい混乱していて、死ぬんじゃないかと本気で思ったけど、処置が早かったおかげで感染症などになれなくて済んだんだ。
翼のおかげで。
「その傷、翼君が付けちゃったんだよね」
「ああ、台所にあったナイフで翼がふざけて振り回したら、たまたまな。すぐに翼が処置したから大事にはならなかったけど」
「翼君は今でもお姉ちゃんに申し訳ないと思ってるよ。だからその傷を保健室で見掛けた時、記憶が呼び起こされたんだよ」
「保健室?」
「うん、初日に保健室に運ばれたでしょ。翼君は保健室でサボろうとしてたら虎君がお姉ちゃんにハンカチを渡す所を見掛けて、受け取った時に見えたんだろうね傷が」
「あいつ視力2.0あるからな」
それならば合点があう。
校長室事件で翼が俺を壁に押し付けたのは、右手の傷を確認するためだったんだ。
念には念は入れて、至近距離から確認して自分の推測が正しいものか判断するために。
「じゃあ、翼をパラレルワールドに送ったのは口封じのためにってわけか」
「記憶を操作するより、パラレルワールドに飛ばす方が魔力の節約になるからね」
パラレルワールドの方が魔力消費量が多いと思うんだが?
しかも人造人間まで作ったし、魔力の配分がイマイチ理解しかねんな。まったく。
「でも、あっちの世界にもあっちの翼がいるんだろ? 手は打ってあるんだろうけどさ、どうしたの」
タイムマシンを使って未来の自分に会うと、時空が乱れて巨大な爆発エネルギーを生み出すと昔なにかのテレビでやっていた。
それとは若干違うけど、同じ現象が起こりかねないとも言いきれない。
大翔のことだから、その辺の対策もバッチリなのだろう。
……しかし、俺は見過ごさなかった。
大翔の肩が一瞬上下に揺れ、視線を僅かに伏せた瞬間を。
肩に手を置き、こちらに身体を振り向かせる。
大翔の視線は、今だ伏せられたままだ。
こいつ、無計画で送還しやがったな。
射るように見つめ続けると、観念したのかようやく顔を上げた。
だがそれは、
「されはさておき、大事な話しがあるから来て。お兄ちゃん」
俺が望んでいた解答などではなかった。
同時に走る背筋の悪寒。
大翔は俺を女にしてから一度も、『お兄ちゃん』とは呼んでいない。
女になれてしまった違和感か、お兄ちゃんと呼ばれるのは懐かしくあり照れ臭くもあり。
これほどまで感じたことのないドス黒い恐怖が、俺の未来を明るく照らした。
大翔の顔からは、表情が消えていた。
結局翼がどうなったかのか、いつ翼と人造人間を入れ換えたかのかなど核心に触れることはなく、黙って大翔の後について行く。
俺の病室は三階で、エレベーターを使い五階に向かう。
なぜかこの階だけは異様に静かで、廊下に入院患者や見舞い客などの姿はない。
重症患者が居る階だと直感した。
一言も発っさず大翔は歩み続ける。
ナースステーションを横切り一番奥の病室の前に来ると、ピタリと大翔が止まった。
「真面目な話しだから、茶化さないでね」
無言で首を縦に振ると、病室の扉に手をかけた。
息を飲む。
扉の先に待ち構えていたものは……。
「……嘘だろ?」
そこに居たのは、
ベットで眠る大翔だった。
ドラマで観るような高そうな機械に囲まれ、酸素呼吸機を口につけている。
身体中に何本もの管が通っていて、機械の重音が静かに耳に届いた。
「お前、双子だったのか?」
「違う」
「人造人間二号機?」
「違う」
「パラレルワールドからご招待?」
「違う!」
寝ている大翔の額に、大翔の手が触れる。
「これは僕。正真正銘の僕」
言っている意味が分からない。
理解出来るのは、寝ている大翔はかなりの重症だということ。
そして、決してふざけて聞く内容ではないこと……。
二の句が紡げなくて、ベットに寄り二人の大翔を見下ろした。
『そっくり』というより『同じ』
輪郭、鼻の形、ホクロの位置、全て一致していて恐いくらい似ている。
だけど肌の色は、寝ている大翔の方が血色がなく青ざめていて、それこそ人造人間のようだ。
音が、鳴る。
魔法を発動する時、必ず鳴る指の音。
なにかしら魔法を使ったみたいだが、俺にも二人の大翔にも変化はない。
だけど俺には分かる。数日間とはいえ我が儘大翔と寝食を共にしてきたのだから。
背後に視線を送る。
ほらやっぱり、病室の扉は壁となって出入口を塞いでいた。
ここから先は二人っきり、いや三人だけで話しをしたいという大翔の意志表示。
時は満ちたのだろう。
全てを知る、その時が。
「僕は重い病気を持っていた」
口火を切ったのは大翔から。
俺は丸椅子に座って、大翔の言葉を聞き取ることのみ集中した。
「学校で急に心臓の辺りが痛くなって倒れちゃったんだ。病院に行ったら即入院って言われて。
最初は対したことはない、念のため入院して検査をするだけだと言われたけど、気づいた一ヶ月二ヶ月と病室に閉じ込められてさ」
俺を不快にさせないよう、必死で明るく語る。
健康体で病気らしい病気にかかったことがない俺に、入院生活の苦痛なんて分かるはずがない。
「だけど僕だって馬鹿じゃない。処方される薬をこっそりネットで調べたら一発で分かったよ」
病名を知らされないまま何ヶ月も入院して、不安だらけなの毎日を送っていたに違いない。
「心臓の病気だった。移植しか手がないのに、日本じゃ十五歳未満の臓器提供は許されてなくて、事実上日本じゃ手術ができないんだって」
大翔の背負っているものを、俺はなんも理解していない。
「だけどね、実感なんて湧かなかったんだ。僕が重い病気なわけないってね。でも……」
この部屋に入ってから、初めて大翔がこちらを向いた。
「お母さんが、お見舞いに来なくなったんだ」
その瞳は歪んでいて、憂いを帯びていた。
「ううん、毎日は来てくれた。でも心ここにあらずって感じで、お見舞いに来てもすぐに帰っちゃうし。お父さんなんか殆ど来なくなっちゃうし。
嗚呼、僕はいらない子なんだ。どうせ死んじゃうのにお金だけかかって迷惑なガキだなーて思ってるんだ。……てね」
「そんなこと……!」
「死んだ方が良いのかも知れないって考えてたら、僕の前に魔女が現れたんだ」
リアリティな話題が、ファンタジーな話題に切り替わる。
いつものならボケとツッコミで漫才みたいになるのに、今回ばかりは同じリズムを刻み続ける。
大翔は視線をもう一人の大翔に戻し、淡々と身に起きた事実を紡ぐ。
「魔女は僕に契約を持ち掛けた。
『魂を肉体から切り離し、君を自由の身にしてあげる。
君は魂だけの存在になり、痛みや病は肉体に残る。
肉体は永遠に眠り続け、魂もまた永遠に時を刻むことはない。
君は新たな人生を歩むことが出来る』
……僕は、契約を交わした」
口外しないという内容もあるのだろう。
細かい契約は教えてくれなかったが、自らギリギリの所まで丁寧に説明してくれた。
永遠の命を眼前でちらつかせられたら、たいていの人は飛び付くだろう。
まして、家族にも見放されて治療法がない大翔なら、藁にもすがる思いだったはずだ。
「魔女はとても親切にしてくれた。家族が欲しいと願ったら、魔女が指定した人物を魔法で家族にしても良いって言ったんだ。
魔法で僕を裏切らない、新しい家族を作りなさいって」
「それが俺だった」
「うん。人選は魔女が適当に決めたみたいだけどね」
俺が選ばれた理由は魔女のきまぐれってわけか。
魔法で家族を作る。バカ、家族は作る作らないとか、そういう問題じゃないのに。
俺の記憶を操作しなかったのは、魔女との契約で俺自身の記憶操作を許されず、代わりに周りの人間の記憶を操作した。
俺を女にした理由は特になく、本当に魔法が使えるかどうか試したかったと、大翔は言った。
所々はぐらかしていたけど、まとめるとこんな感じ。
契約内容には不明な点が多々あったが、俺を女にした理由はなんとなくだけど推測出来た。
母親の愛情が欲しかったんだ。きっと。
小学四年生なら、まだまだ母親の愛情が恋しい年頃だ。
母親に見捨てられたと思っている大翔が、少しでも母親にの愛情を感じたいように俺を女にしたのではないか。
ー僕だけのお姉ちゃんになってー
初めて大翔と出会った時、俺の運命を180度変えた台詞。
なぜ「僕だけ」と独占的な言葉を付けたのか。
おそらく、誰にも振り向かず自分だけを見つめ続けて欲しい大翔の願いが無意識に込められていたんだろう。
僕を見捨てないでという、大翔の願いが。
だけど、
「お前の両親が本当に見捨てたかなんて分かんねーじゃん。仕事が忙しかったりなんかしてさ」
「子供が死ぬしかないって時に、仕事をする親がいる?」
何も言い返せなかった。
「……だから確かめた」
「え?」
「お兄ちゃんが学校に行ってる間に、お母さん達が何をしているのか調べてた。もちろん、あちらからは僕の姿が見えないようにしてね。
そしたら……」
噛み締めるように大翔が言う。
「募金活動をしてた」
それは、
「ボランティアの人達とビラを配っててね、泣きながら訴え……てた……」
魔法なんかじゃ作れない、家族の絆。
「頭下げて声を張ってさ、東京まで行って活動なんかしてさ」
俺をオーディションに応募したのは、両親の募金活動を見守るため。
「馬鹿だよ。人様に頼って……僕なんかの……ために……」
強気で我が儘な大翔が、涙を流す。
俺に背を向けているから実際に見たわけではないが、嗚咽が交じった声色で用意に推測が可能だ。
大翔は何を思っただろう。
見捨てらてなどなく、面会時間を削って、僅かな望みに希望を託し大翔を見守っていた事実を知って、どのように感じたか。
大翔のことだから、嬉しいという感情じゃなくて罪悪感が包む込んだと俺は思う。
誰よりも家族に対して強い想いを持っていた自分が、家族を信じず契約をしてしまったのだ。
はたから見たら対したことじゃないかもしれない。
だけど大翔にとって家族というのはかけがいのないもので……。
自ら距離を置いて家族を裏切ってしまった。
それはどんなに辛いことか、やっぱり俺には理解できない。
慰めの言葉をかけることも、背中を押してやることもできなくて、大翔の漏らす泣き声を聞くことしか俺には許されない。
これは大翔の問題だから、俺が迂闊に口を挟んじゃいけない気がしたんだ。
外の景色はいつの間にか紅色に染まり始める。
いつかのような夕暮れは窓から射し込み、俺と大翔に影を落とす。
「僕は逃げてただけなんだ」
不意に大翔の力がこもった声が耳に飛び込み。
先程までの小さな背中は、決意に満ちた大きな背中に変わっていた。
「戦いもせずに病気から目を背け、楽な方に僕は逃げた。
でも、それじゃいけないんだって気付いた。逃げてばかりじゃ何も変わらないってお兄ちゃんに教わった」
「俺に?」
「女の子にされたのに、僕を恨んでもしょうがないのに、お姉ちゃんになることを承諾してくれたでしょ」
いやいやいや、あれは脅されたからしょうがなくやっただけだって。
「逃げようと思えばいつだって逃げれたはずだよ。それどころか毎日が楽しそうでさ、笑っちゃうよ」
そうだった。この子は千里眼を使えるんだ。
いまさら隠しても意味はない。俺も、俺の気持ちを大翔にぶつけてみよう。
お姉ちゃんとして家族として暮らしてきたんだ、口を挟む権利だって俺にはある。
「初めて大翔のマンションに来た時から、違和感があったんだ。生活感がないというか、子供一人であんな高級マンションに住めるわけないし。
だから、この子には何かあるって感じたんだ。心に秘めた何かが……てな」
言ってる途中で照れ臭くなって、口の端から舌を少しのぞかした。
おどけてみた所で、大翔は俺に背を向けたままだから効果は0なのだけど。
「ホント馬鹿だよね。自分のことより僕なんか心配しちゃってさ」
なあ大翔、今の言葉は俺に向けたもの? それとも家族に向けたもの?
俺の心を読みとったのか、驚いた様子でこちらに身体を移す。
目は赤く腫れていて、頬には涙が伝った跡がうっすらと残っていた。
大翔が俺の前で泣いていたのはこれが初めて。
そして最後……。
「お兄ちゃんとの毎日は本当に楽しかった。病院にいる時は明日が来るたびに死が一歩一歩近付いてくる感覚だったから」
眉尻を下げて肩を竦める。
無理に笑ってるのがバレバレなんだよ。
「俺も、なんだかんだあったけど、すっげー楽しかった」
こんなこと言ったら「じゃあずっとお姉ちゃんでいて」とでも言われそうだから黙ってたけど、
「スリリングな日常も悪くなかったぜ」
偽りのない俺の本心。
「……魔女がお兄ちゃんを選んだ理由が分かった気がする。自分の運命に逆らって突き進む所を見込んだのかもしれないね」
「なんじゃそりゃ、俺が単純馬鹿ってか?」
「僕も、進んでみる」
迷いがない真っ直ぐな瞳に射られて、俺の身体は身動き一つできない。
「明日がくるのが、未来がこんなに楽しいことだって知った。
ディズニーランドの面白さも新ためて確認したし、新作の映画の公開に心が弾んだり、文化祭の企画を考えるのもワクワクした」
「え、もしや文化祭のメイド喫茶案の黒幕は大翔!?」
「ちょっと黙ってて」
こんな状況でも、俺は大翔には逆らえないのかよ。
一瞬の間が空き、顔を見合わせたままどちらかどもなく笑った。
こういうなんでもないことが幸せなんだ。
そりゃあ、辛いことや悲しいこともあるけれど、それは明日幸せになるためのちょっとしたスパイスなんだ。
心持ちしだいで、辛いことも堪えられる。
明日は昨日よりも幸せに。明後日は明日よりも幸せに。
そう願えば、何気ない毎日にも色彩が帯びるはずだから。
「ぷはっ、お兄ちゃんが言うとナルシストみたいで気持ち悪いね」
「だから勝手に人の心を読むなって!」
「やっぱりお兄ちゃんは凄いよ。純粋で真っ直ぐで……僕もそうなりたい」
俺から視線を外して宙を見つめる。
夕陽はビルの山に半分ほど埋もれて、夜の訪れを知らせていた。
「僕は、契約を破棄する」
唐突に告げる大翔。
契約を破棄する。つまりそれは魂が肉体に戻るということ。
永遠の命を、捨てるということ。
「そんなことしたらお前は……」
「元の生活に戻る。途中で契約を破るわけだから、なにかしらの代償は負うかもしれない。でもね」
魔法で作った毎日なんていらない。
今のままなら僕の思い通りで楽しい毎日を送れるけど、所詮嘘の幸せ。
本当の幸せは、不幸を土台にして積み重ねるものだから。
スパイスがない日常なんて、つまんないでしょ?
……込み上げてくるものを、抑えることはしなかった。
前に一度見られてるし、俺の弱い部分を大翔にさらけ出すのは、これが最後なのだから。
「足掻いて、もがいて、泣き叫んだって生きてやる。僕には心強い味方がいるから、絶対勝ってやるんだ」
大翔はもう泣いてはいなかった。
その顔は希望に満ちような、ほがらかな笑顔だった。
負けられないな、俺も。
「お兄ちゃんの身体も皆の記憶も戻るから安心してね。あと、お兄ちゃんは鈍感すぎるよ。とら……やっぱやめとこ」
「おいおいおい、すげー気になるじゃんか。つか鈍感って余計なお世話じゃ!」
結局、最後の最後まで言い争う俺達は、相当マヌケなんだろう。
ワーワーギャーギャーここが病院だとすっかり忘れて騒ぎまくっていたら、陽はすっかり更けていて、三日月が空に浮かんで微笑んでいた。
ここまで綺麗な月は久しぶりで、俺達は金色に輝く月に目を奪われていた。
「もしかしたら、魔女は全てを仕組んでたのかもね」
ポツリと呟いた独り言。
なんでと尋ねると、大翔はシミジミとした口調で口にした。
「こういう結果を見据えてたのかも知れないなってさ。だって都合が良すぎるよ。
契約破棄をしようか悩んでたらお兄ちゃんと喧嘩して、そしたら配送先の病院がここだなんて、まぐれにしては出来過ぎだよ」
「かもな、予知でもしてたんじゃないの?」
「じゃ、そろそろ契約を破棄しますか」
「まさかのスルーっすか?」
ホント、どこまでもマイペースな奴。
ポンッと軽快な音が響くと、病室の扉は出現していた。
弱っている姿を見られなくないんだろう。
帰ってという大翔の意図を読み取り、椅子から立ち上がる。
すると、大翔は俺を見上げて右手を前に突き出した。
小指だけが立ててある。指切りげんまんをしようというわけか。
「で、何の契約するわけ?」
「次に会う時も、僕から会いに行く」
「そりゃあ素晴らしい契約だな」
小指を絡め上下に降る。
二人共自然と笑みが零れていて、童心に戻ったみたい。
「じゃあな」
約束を終え身を翻す。
扉を引いて、振り向かないでゆっくりと扉を閉めた。
「バイバイ、お兄ちゃん!」
女の俺と幼かった自分に向けた告別の言葉が、ドアごしに小さく聞こえた。
女での生活が板についたせいか、未だに男物の服は、なんだか違和感があって変な感じ。
全身鏡で姿をチェックしていると、ケータイのバイブ音が鳴り響いた。
ヤバイ、待ち合わせてしてたんだっけ。
ケータイの画面隅に表示されている時計を確認すると、待ち合わせ時間を三十分も過ぎていた。
恐る恐る電話にでる。
「も、もしもし?」
「マルチーズフォンデュ食べたい?」
「マルチーズに罪はありません!」
全速力で向かいます。
ダジャレと本気が交じった声にそう言い訳し、急いで家を飛び出した。
男に戻っても、弟には敵わないな。うん。
肩を竦めて苦笑い。
我が儘っぷりは、今なお健在のようだ。
【完】
♂性別転換♀ @raionusagi
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