小窓を覗けば

森星ゆう美

要確認

 窓越しに差し込む陽光が、柔らかく部屋を照らす。雲一つない晴天に、ちょっと出かけてみようかという気にもなったが、郵便ポストを開けた瞬間、気持ちは一気に急降下した。


 ポストには興味のないチラシが2枚と1通の手紙が入っていた。茶色の長3封筒には、これまで何度も目にした下手な字で、私の住所と名前が書かれてあった。


 チラシと一緒に渋々部屋に持ち帰り、段ボールへ無造作に投げ込む。五年前から毎月1、2通ずつ届いているが、今日の手紙で何通目になるだろう。そろそろ段ボールもいっぱいになるし、処分することも考えなければならない。


 差出人は私が一度も手紙を読んでいないとは思っていないだろう。人の気持ちなどわかる人間じゃないことは承知している。願わくば関わりたくないタイプの人間だ。


 受取拒否することも考えたが、どうして拒否したのかと激高して乗り込んでくるかもしれないと思って止めておいた。


 手紙の山にため息がこぼれた瞬間、不意にスマートフォンが着信を告げた。見たことのない電話番号に首を傾げつつ、通話ボタンを押す。


「もしもし?」


「朝倉さんですか?」


 女性の声に聞き覚えはなかった。単なるセールス電話かもしれない。


「急にすみません。不躾だとは思ったんですが……」


「失礼ですが、どなたですか?」


 受話器の向こうで息を飲むのがわかった。こちらから質問されるとは思っていなかったのだろうか。あ、あ、と何度か動揺するような小さな声が聞こえた。


「申し訳ありません! そこは指示になくて」


「指示?」


「すみません! 忘れてください!」


 知らない相手というだけでも緊張するが、誰かの指示だなんて言われたら不信感が募ってしまう。通話を終了しようか迷っていると、相手も何か察したのか、慌てたように言葉を続けた。


「切らないで!」


 叫ぶような悲痛な声に、心臓が縮み上がる。


「あの、電話は切らないでください」


「はあ……」


 相手も思いがけず強く言葉を発したことに狼狽しているのか、えっと、とか、その、を何度も繰り返している。


「手紙、読んでくれましたか?」


「え?」


 自然と目が向いたのは、手紙であふれそうになっている段ボール。もしかして例の手紙と勘違いして彼女からの手紙を段ボールに投げ入れてしまったのだろうか。


「時任から手紙、届いてますよね?」


「時任からの?」


 それは毎月手紙を送ってくる男の名前だ。この女性は時任の知り合いか身内かなのかもしれない。でも、どうして急に電話を寄越したのだろう。


「ええ。ちゃんと読んでくださってますよね?」


「あの、どうして……」


「読んでくれたんですよね?」


 どうにも話がかみ合わない。しかも未だに女性は名乗らないし、時任との関係性も明らかにしていない。


「一番最近届いた手紙です。それがとても重要で……」


「あなたは一体誰なんですか?」


 私の問いかけに、受話器の向こうが静まり返った。やがて小さく深呼吸するような吐息が聞こえ、女性が震える声で呟いた。


「……時任から頼まれたんです。あなたに電話してくれって」


 思いがけない言葉に、自然と目を見開いた。


「どうして……?」


「そんなこと私にもわかりませんよ! 急に手紙が届いて、この日のこの時間、指示通りに電話しろって」


 女性の声は感情を帯び、語気が強くなっていく。甲高い声に気圧されて、私は黙るしかなかった。


「怖いじゃないですか。急によく覚えていない同級生から、しかも刑務所から脅迫めいた手紙が届くなんて」


 『脅迫』という言葉に、腕に残る深い傷跡がひどく痛んだ。頭をよぎるのは果物ナイフの鋭い刃先と、切り裂かれたお気に入りのセーター。


「相手は犯罪者なんですよ? 本当に子どもに何かあったら、私……」


 ああ、子どもを人質に取られているのか。ようやく電話をかけてきた理由を知り、頭を抱えた。


 確かに彼ならやりかねない。かつての恋人はそういう男だった。


 時任はワガママを通すためなら何でもやった。容赦なく暴力を振るい、良心をえぐるような言葉を吐き続けた。


 DVに堪えきれなくなり、ファミレスで別れを切り出した瞬間、時任は私の腕にナイフを振り下ろした。まさか公の場で切りつけられるとは思わなかったが、その場で現行犯逮捕されたことにひどく安堵したのを覚えている。


「彼に頼まれた伝言、言いますね」


 緊張をはらんだ女性の声にハッと我に返る。スマートフォンを握る手に自然と力がこもった。


「早々に出所できることになりました」


「え……」


「あなたに会いに行きます」


 決定的な一言に呼吸が止まる。


 嘘でしょう? もう二度と近づかないように警察から言われているはずなのに。

 ゆっくりとドアを振り返った時、暗い部屋にインターホンが何度も響き渡った。駆け巡るのは、ここからどうやって逃げようかということだけ。


 女性に助けを求めようとしたけれど、いつの間にか電話は切れていた。彼女も何か察したのだろう。このままやり過ごせば諦めてくれるかもしれない。耳を塞いでしゃがみこんだ瞬間、ふと曖昧な記憶が頭をよぎった。


 ……私、ポストを見たあと、鍵、閉めた?

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小窓を覗けば 森星ゆう美 @hamahoshi

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