『あれから春は来なかった。』

アカネ

踏切

「踏切」


暗く染まっていく空に踏み切りのカンカンという軽快な音が響く。

アルコールの入った体が冬の風によって心地よく冷まされる。


遮断機が下りると俺はいつもドキドキする。

いや、心は冷めているんだけど、全ての五感が線路に集中してしまう。

そして思い浮かべるのはその線路で轢かれる自分。

あの重厚感すら感じる鉄の塊に潰される感覚、そして周囲の反応をしっかりと思い浮かべる。


なんの意味があるのか?そんなのはわからない。

でも、毎回考えてしまうということは何か意味があるのだろう。


遮断機が上がっていく。

まだ家までは二十分ほど歩く。なら考えてみようか。

いや、本当はわかっているんだ。しっかりと言葉にしよう。


俺には幼馴染がいた。

その子はとても優しくて、困った俺にいろんなアドバイスをくれた。しかも綺麗だった。

今になって考えるなら、あの子は俺の好みに合わせてくれていた。他愛のない会話でこぼれた様なことも全部覚えて。

でも自分に自信のなかった俺は高校の時に諦めてしまったんだ。


「彼女がほしい。だからアドバイスしてくれ。」


そんな提案を彼女にしてしまった。

誰を気になっているのか聞かれたときはクラスのマドンナの佐藤さんを答えた。

だって無理だと思っていたからだ。

彼女の周りにはカッコイイ男が毎日のようにいたし、そんな彼らに追いつけるほど素材がいいとも思えない。

だから、断られた後に改めて君が好きなんだと言おうと思っていたのだ。


彼女にいろんな事を教えてもらった。外見の指導から、言葉まで。

彼女に教えてもらったSHIROの香水は今でもつけている。

佐藤さんとはまず、授業のノートを見せてもらうところからだった。

初めて遊びに誘ったときの緊張は今でもわすれない。

私服の彼女に見惚れたり、遊園地で食べたクレープのクリームを頬に付けてしまう彼女はとても愛おしかった。

いろんな思い出を経ても、どんどんと佐藤さんの良さに心が惹かれていく自分を感じながらも上手くいくなんて思ってもいなかった。

きっとその時はまだ、幼馴染の事が好きだったんだ。


でも、上手くいってしまった。

ツンケンしていた佐藤さんが自分にだけ見せてくれるあの表情が俺を惑わせてしまったのだ。

そして俺は大学を佐藤さんと同じ大学にした。それは当時の自分にとってはかなりハードルが高かったけど、恋という魔法の前では勉強の苦痛なんてあってないようなものだった。


そして俺は東京へ行くことになった。

そこで気づいてしまったのだ。


卒業式を迎え、幼馴染の彼女にLINEのメッセージを送る。


「俺さ、東京の大学に行くことになったんだ。佐藤さんと同じところ。」

「だからさ、最後に会わないか?」


そんなそっけのないメッセージにはそっけのない返事が返ってくる。


「うん、いいよ」


それは変わってしまった俺たちの関係が如実に表れていて、少し心が痛んだ。


卒業式なのだから、佐藤さんと過ごす時間は捨てられない。

だから余裕を持った時間を待ち合わせ時間に選んだのだが、それでも少し遅れてしまった。

ベンチに座る彼女が見える。あんなに大人びていただろうか。

それは哀愁を漂わせているようで、けれども彼女の姿はどこか美しかった。


言葉を交わさなかった期間すべてがこの瞬間の緊張感を増している。

精一杯の作り笑いを持って彼女に話しかけた。


彼女が一拍置いて驚いた顔をしたのは律儀におすすめされたSHIROの匂いをさせていたからか、それとも下手な作り笑いをしていたからなのか。

そんな少しの間がありながらも、俺は彼女に感謝の言葉を告げた。どことなく怒った雰囲気があったが、素直に受け取ってくれる気がしていた。

でも、そんな夢物語はここにはなかった。


彼女は俺の言葉を受け取った瞬間に言葉を荒げ、そのまま感情のままに俺に告白してきた。

その時に俺の頭は真っ白になった。

気づいてしまったのだ。今の幸せに逃げていた自分に。本当の想いが砕けてしまったらと怯えていた自分に。


意識が現実に戻った時には彼女はいなかった。

今も彼女とは連絡を取っていない。

俺の中にある彼女との最後の記憶は涙を散らしながら走っていった彼女の姿だった。


視界の端で何かがきらりと光った。

ベンチには一枚の消しゴムほどしかない小さな紙があった。

それはひらりと風によって宙に浮かぶと夕焼けを反射して、さきほどよりずっと綺麗に光り、カラスに奪われて行ってしまった。

辛うじて見えた「好き」の二文字は俺に大きな後悔を突き刺した。


家の前に着いてしまった。

ひんやりと冷たくなったドアノブに手を伸ばす。


ガチャりとドアを開けば誰もいない暗い部屋が俺を出迎える。

ベットに座ればこびりついたSHIROの香りが俺をさらに惨めにさせる。

佐藤はいない。それは同棲していないという意味じゃない。


大学を入学して三か月ほどたったころだろうか。

友人から聞いた。サークルの先輩と手をつないでいるところを見たらしい。

なんだか想像よりは心が痛まなかった。いや、心なんて痛まなかった。

いまでも普通に可愛いと思うし、自慢の彼女ではあった。でも、俺の心はそこにはなかったんだ。

離れていくのも納得だろう。

あいつは今、ほかの男と一緒に仲良くしているんだろう。


電気をつける気にもならない。


ベランダに止まったカラスが俺を見ている。

そうさ。俺は多分、あの頃の自分を殺していたんだ。

「なぁ...なんでお前はあの紙すらも俺にくれなかったんだよ。」


ベランダに置いてあった空き缶のゴミ袋を漁り、中身を飛び散らせた後、カァ...と小さな泣き声を上げてカラスは飛び去って行った。


「そうだよな...俺があいつの気持ちを受け取って言いはずないよな...」


いつの間にか酒を飲まなければ寝れなくなった俺はいつものように泥になって眠った。

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