幼馴染にフラれた日、ヤケクソで助けた男の子の姉がクラスのお姫様だった 〜お姫様直々のプロデュースで、幼馴染を見返します〜

桜 偉村

第一章

第1話 幼馴染にフラれた

かける。別れましょう」

「……えっ?」


 大事な話があると呼び出されたカフェで告げられた、幼馴染で彼女の赤月あかつき香澄かすみの言葉に、草薙くさなぎかけるは我が耳を疑った。


「い、今、なんて……?」

「別れましょうって言ったのよ。もう、恋人関係は解消しましょう」


 彼女はそれが決定事項であるかのように、平坦な口調で繰り返した。

 心臓の鼓動が徐々に速度を早め、ゆったり流れるジャズと周囲のざわめきが、遠ざかっていく。


「ちょっと待ってくれよ、そんなこと、急に言われたって……俺、何かやっちゃったか? 気に入らないところがあったなら、言ってくれれば直すから——」


 自分でも情けないくらい、必死な声が出る。

 香澄はふっと息を吐いた。


「むしろ、やってなかったと言うべきね」

「はっ? ど、どういうことだよ?」


 意味がわからない。

 誕生日や記念日などはしっかり祝っていた。むしろ、マメなほうだった自信もある。


「自分で考えて。それに、どのみちもう翔とは付き合えないわ。他に好きな人できたから」

「なっ……⁉︎」


 頭を殴られたような衝撃が、翔を襲う。

 香澄はわずかに申し訳なさそうな表情になるが、それでも淡々と続けた。


「翔のこと、嫌いになったわけじゃないけど、もう異性として見れない。あなたは優しいけれど、それだけ。私の恋人として相応しくないのよ」

「そ、んな……」


 頭が真っ白になった。何も考えられない。言葉が出てこない。

 このままじゃ、香澄は離れていくというのに。


 他に好きな人できたから——。

 私の恋人として相応しくないのよ——。


 彼女の言葉が、ひたすら頭の中をぐるぐると巡っていた。


「ごめんなさい。でも、そういうことだから。それじゃ」


 コーヒー代を置いて、香澄は去っていった。

 背中はまっすぐで、後ろを振り返ることはなかった。




◇ ◇ ◇




 どう歩いたかなんて覚えていない。翔は気づけば、近所の公園にいた。

 人の気配はなく、色褪せたベンチと塗装の剥がれかけた遊具が、物も言わずに並んでいる。


 ベンチに腰を下ろすと、まだ冬の名残を残す空気が、冷たく頬を撫でた。


(俺、フラれたんだ……)


 確かに最近、少し距離を感じることはあったけど、一時的なものだと思っていた。

 何より、幼少期から続いていた関係がこんなにあっさり終わってしまうなんて、信じられなかった。


(香澄……っ)


 目尻が熱くなり、唇を噛みしめる。

 血の味がするけど、そんなものはどうでも良かった。


 他に好きな人ができたから、今の恋人とは別れる。きっと、生物としては自然なことなんだろう。

 そう自分に言い聞かせるたびに、息が苦しくなる。何かしなければ、という焦燥感がせり上がる。


 それでも、翔にできることはないのも事実だった。

 香澄の気持ちは、もう他の男に向いているのだから。未練があるのなら、あんなキッパリとした言い方などしない。


 いっそのこと、もっとひどいことを言ってくれたならよかった。

 所詮はキープだったとか、お前ごときを本気で好きになるわけないとか、そう嘲笑ってくれたら、「こんな奴だったのか」と開き直れたのに。


(でも、そんなやつ、実際にはそうそういないよな……)


 悲劇のヒロインにもなれずに、ただ足元をぼんやりと見つめることしかできなかった、その時だった。


「——おいガキ。どうしてくれんだよ、これ」


 耳障りな声に顔を上げると、自販機横の薄暗いスペースで、ヤンキー三人が小学生を囲んでいた。


「ご、ごめんなさい……」


 今にも泣き出しそうな男の子の手に握りしめられているのは、蓋の空いたペットボトルのジュース。

 リーダー格らしき男のジーンズには、濃いシミが広がっている。


「謝って済むなら警察なんていらねーんだよ。てめえからぶつかってきたんだから、弁償しろや。これ、高いんだぜ?」

「ひっ……!」


 一回りも二回りも大きな相手に詰め寄られ、男の子が喉を鳴らす。

 その瞳には恐怖の色が浮かび、激しく左右に揺れ動いていた。


「おい、あんまりいじめてやるなよ。そいつもズボンにシミ作っちまうぜ?」

「はは、そしたら同罪になっちまうなぁ!」


 その加虐的で下劣な笑みを見た瞬間、翔は考える間もなく、スマホのカメラを作動させながら飛び出していた。


「ほら、いい子だから、友達と遊ぶとか言い訳して、ママから金を……」

「弁償かどうかを決めるためにも、警察に協力してもらったほうがいいんじゃないか? これ見せてさ」


 声が裏返りそうになりながらも、スマホを突き出してみせる。


「あっ? なんだ、てめえ」

「っ……!」


 睨まれた瞬間、心臓がぎゅっと鷲掴みにされたような感じがした。

 背中から汗が噴き出す。膝が震えて、今すぐにでも逃げ出したくなった。


 しかし、ヤンキーたちは翔のスマホを見ると、ギョッとした表情になった。


「チッ……めんどくせぇ」

「あーあ、正義のヒーロー気取りかよ。格好いいねぇ」

「こんなのに構ってるほうが時間の無駄だわ。行こうぜ」


 さすがに逆上するほど愚かではなかったようで、悪態と舌打ちをこぼしながら、去っていった。


「……怖かった……」


 その背中が完全に見えなくなってから、ようやく詰めていた息をそっと吐き出した。

 涼しさすら感じていたはずなのに、全身にびっしょりと汗をかいていた。喉もカラカラで、耳の奥で鼓動がバクバクと脈打つ。全力疾走した後みたいだ。


(ヤケクソでも動いてみるもんだな……)


 苦笑が浮かぶ。幸せの絶頂にあったなら、咄嗟に動けていたかわからない。

 ただ何にせよ、無事に追い払えて良かった。


「うっ、うぅ……!」


 男の子が、噛みしめるようにすすり泣き始める。


「もう、大丈夫だよ」


 翔は努めて優しく声をかけながら、その隣に座り込んだ。正直、足から力が抜けて、立っていられなかった。

 頭を撫でてやると、その小さな体が震え、一際大きな泣き声を上げ始めた。


 中学一年生の妹はいるものの、元々そんなに泣く子ではなかったため、子供の慰め方などわからない。

 どうしたものか、と思案をめぐらせていると、


「——弓弦ゆづる!」


 一人の少女が、焦ったような声と共に走り寄ってきた。


「お姉ちゃん……!」


 男の子は顔を上げると、涙を拭いながらパッと駆け出して、その胸に飛び込んだ。


「よかった、心配したんだから……!」


 額に汗を浮かべつつ、しっかりと抱き止めて安堵の息を吐いた姉の姿を見て、翔は息を呑んだ。


「えっ……双葉ふたば?」


 サラサラと揺れる黒髪のロングヘアー、ぱっちりとした丸い瞳と長いまつ毛、そして雪のように透き通った白い肌。

 街中ですれ違ったら、十人中十人が振り返るであろう美少女は、翔のクラスの「姫」——双葉ふたば彩花あやかだった。

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