分裂気質

水形玲

肉体より知性がまさる者たち

  一


 そもそも生きていること自体苦痛でしかなく、精神科病院に監禁されていたときに原稿を書くと(働くと)楽なようでもなんのご褒美もなかったし、なかなか退院の日はやってこなくて、退院まで六年かかった。

 人や動物は「何をやっても無駄」という体験をすると学習性無力感に陥るのだという。それが私だ。

 しかし神様は今日大事なメッセージを下さった。働けばいい、詳細は心配するな、と。

 まあ、五十一なんですけどね、私。四十五歳から五十二歳までの純潔なインテリ美人としか出会いたくない。意味なかったから、同じように意味なく五十年ほど過ごした似た者同士で一緒になりたいのである。



  二


 七月に入った。窓を開けて網戸だけにしておける季節。

 机の上にコショウやナツメグ、食卓塩、一味唐辛子などが載っている。これだけでも人は幸せを感じることができる。しかし私は病院でのおやつの節約や、困窮世帯に対する給付金などで、いっとき六十五万円くらいの貯金を築いた。

 だから冷凍タラバガニを五千円くらいで買ったし、タンスも椅子も買った。冷蔵庫や電子レンジ、洗濯機などはグループホーム備え付けであった。

 すばらしく恵まれた生活ではないか。

 外を見るとついたてのようなものが、ベランダの布団を干すところの上に張られている。

 良きかな、人生。

 お菓子(Pキャラと鈴カステラ)はもう食べてしまったし。仕事をしている時だけは気分が良いのかもしれない。多分そうだろう。

 今日は原稿を書く前に、コモディイイダで買い物をしてきた。サンマが二百円くらいだった。焼いたらとても美味しいに違いない。

 シャドウバンを食らってXに入れなくなっても、対処の仕方がわからなくてそのまま引き下がった。だから、しばらく村上先生からは離れることになる。吉本先生とも。

 人は成り行きに従うしかないのだ。そこに「行動」を突っ込む人もいる。私は行動自体は少ない。行動よりは理論形成などに向いている。

 人生が再びふわり、ふわりと流れるアブラナ畑の風みたいに、香りをはらんで、私をそこへ呼び込もうとするのだ。アブラナ畑での情事も昔はあったのかな…… 私を色に染めるのは誰だろう。なかなか、出会いってないものですね。



  三


 編集者の付いていない寂しさよ。

 自信作をいくつも「なろう」に上げていけば、そのうち知名度も高くなってくると思う。

 よくもんじゃを間食に食べたし、サッポロ一番の塩ラーメンも食べた。

 そろそろ印税は夢ではなく現実に近かった。いや、通して見せよう。

 グループホームの隣にアパートがあり、なんとそこからよくインテリ美人(見ただけでわかった)が出てくるのである。多分純潔だろう。この人と付き合わずして何が人生か。

 思い切って言ってみた。

「おはようございます」

「ああ、おはようございまーす」

 眠いのかな。

 どこに行くんだろう。背中にはリュックを背負っている。

 彼女はとりあえず東へと歩いていった。コモディイイダに買い物に行くのかな。

 私はすぐにそのインテリ美人にキスをすることを想像した。あとを追いかけても犯罪になるし、私はただ自動販売機で栄養ドリンクを買って、部屋に戻るだけだった。

 そしてようやく、パスワード・アドレス帳のどこに書いておいたのかわからなかった「入力すべきユーザーネーム」をパスワード・アドレス帳の中に見つけ出し、駄目でもいいから入力しちゃえ、と思って入力すると、何と、これが通じたのである。

 そして私は再びXで遊ぶことができるようになったのだった。

 これは大きな「効力感」となった。心の健康に良い。

 そして私はこの日新しいタイプのドンタコスも食べ、小学校六年以降嫌っていた力強い筆致の紙パックの清酒を買って飲んだ。中学一年からは男性性を嫌っていた。残りをインテリで埋めた。

 人生は楽しいかもしれない。私はリンゴもトマトもブロッコリーもカイワレ大根も食べ、体を守って健康を維持した。人生はさっきの女の人そのものかもしれない。これから会ったら必ずあいさつをするんだ。これがまず第一の作戦だ。

 私は精神障碍者なので、今が思春期くらいの成長の水準らしい。思春期が始まったくらい。

 Hをしたことがないから、やせる理由もなかったんだよね。

 でもこれからは違う。あのインテリ美人さんに全てを捧げるんだ。

 ていうか、性別を変えただけみたいに、僕らは多分似た者同士だ。

 クレッチマーの言う「分裂気質者」。



  四


 僕は天ぷら粉を買ってきてバナメイ海老を揚げ、うちわで冷ました白いご飯の上に乗せて、薄めた麵つゆをかけて「天丼」を作った。

 美味しい!

 バナメイ海老は小さいけど、味は十分である。

 そして今日買ってきたブロッコリーを茹でたもの。キューピーハーフがよくブロッコリーの味を引き立てる。

 ここは天国か?

 ……間違いなく天国であった。

 退院してしばらく経つとQOLが高まってつらさより幸福感が増すのだ。

 ああ楽しい。ああ幸せだ。

 私はただ毎日いくらかの原稿を書いてさえいれば、この幸福を味わう資格があるのである。

 人間万事じんかんばんじ塞翁が馬。統合失調症になったために、小説を書きながら、遊んだりもして、そして小説をネットに上げてデビューを目指すことができる。グループホーム「きらら」は通過型のグループホームで、三年経ったら転居しなければならない。三年間の間にデビューできればいいけど。

 きっと人間がまず第一に努めるべきことは、成人病にならないことなのだ。

 Xで女友達ができた。いつも「いいね」をくれるわりには、フォローをもらえていない。

 でも、大事な友達。

 人間関係が大きく変わることがあるのだとある人が言っていた。ほかの人もそう述べている。

 大事な川野さんとのつながりは今は細い糸のよう。

 私は新しい大切な女友達がいいのか、隣のアパートのインテリ美人がいいのかよくわからなくなってきた。

 でも、やっぱり「友達以上にならない方がいい関係」というのもあるのだ。


 フールーのアカウントを登録しようとしたら、色々な障害から、全然取れなかった。

 何が言いたいのかな、フールーのプログラムは。

 意味がわからなかった。

 これはインターネットによくある体験で、まあ世界が何を言いたいのか、いや、「こんな世界、消えちゃえ」としか言えないようなひどい待遇で……

 少なくとも、幻聴に振り回されることがないようにしたい。

 人生はくだらなく、世界はひどい場所で、ショーペンハウアーが言ったように、やはりこの世界は最悪の世界なのだろうか。それを「共苦」で乗り切れると言うのだ。

 まあ、こんなつまらない世界、ないでしょう。意味ないんだ、私が生まれてきたことにも、Tと出会ったことにも、――いや、きららやカトレア(精神障碍者通所施設)のスタッフがいるじゃないか。訪問看護の方々も。

 まあ、フールーにそんなにこだわらなくとも。アマゾンプライムだってあるんだし。

 でも、脳が痛めつけられ過ぎて、何だか、意味がわからない。

 私はなろうと思えばオタクからリア充になれるのだから、なればいいんだ。才能はあるから印税は一年あたり三百万円くらいは稼げるかもしれない。

 NHKの深夜の台風情報が美しく。それを録音した曲たち、ちょっと普通じゃない曲たちの作曲者が中村由利子さんだと知って、それからアルバムを買ったりしたのだけど、物持ちの悪さがひどい私のもとでアルバムは失われた(金に困って売ったのかもしれない)。

 でも、今はユーチューブがある。「ベストセレクション」とかずっとかけておけば、それを聴きながら原稿が書ける。

 私はもうオタクではない。統合失調症が寛解したらアルトでも買えばいい。アルトは旋回性能がいいのだという。ただ、眼鏡が必要だね……



  五


 ある雨の午後。あのインテリ美人の名前が砂川友里だということを知って、スケジュール帳に書き付けた。

 私は長ネギの飛び出たレジ袋を片手に帰ってきた砂川さんに「一緒にニューエイジミュージック聴きながらスナック菓子食べません?」と声をかけられ、彼女の部屋に行った。アパート三階の彼女の部屋にはシナモロールとちいかわの人形が転がっていた。「私Hしたことないですよ。うるいさんもほぼゼロなんですもんね。良かったです。私童貞厨だから」

 砂川さんはノートPCを開いてニューエイジミュージックを流した。知らない曲ばかりだ。砂川さんは座卓の上にあるプラスチックのボウルの中にエアリアルを投じて、ゴミ袋の端がのぞいているポリバケツにその空き袋を捨てた。

「手を拭くときはこのウェットティッシュで」アルコール携帯ウェットティシューのパックがカーペットの上にあった。

 私、草食系だから、性欲あまりないんですよ、と彼女は言った。私は、僕もです、と言った。エアリアルが瞬く間になくなった。彼女は次に野菜チップスをボウルに入れた。ニューエイジミュージックは精神性が問われる音楽なので、中村由利子さんレベルになれる作曲者があまりいない。まあそんな曲たちが次々流れていくのだった。

「ねえ」

 砂川さんは言った。

「何」

 私は答えた。

「Hは嫌だけど、キスしてみよう」

「うん」

 私たちは立ち上がり、向かい合った。私は砂川さんの頬を捉え、目を閉じて、と要請し、私の唇を彼女のそれに触れさせた。背伸びだった。やせた彼女の胸は暖かく、インテリ美人というものの遺伝子のまとまりを、私は想像した。

 今日は革命が成ったね、と砂川さんは言った。そうだね、と私は微笑みながら答えた。彼女はしばらくキッチンに立ち、茹でピーマンの載った生ラーメンを出してくれた。「肉類載ってなくてごめんね」と彼女は言った。

 ……あれ? この世界普通に天国っぽくない? ……まあ、いまはこの幸せを楽しめばいいんだ。

 でも。

「トリステスダムールが来たらどうしよう。いつか来るよね」私は言った。

「愛の哀しみ?」彼女は訊き返した。

「そう」

「まあ、それがない人生はないよね。でも、二人でなんとか切り抜けていけるんじゃないっすか」

 砂川さんは立ち上がって二つの丼をキッチンの方へ持っていった。

 本当の勇気の持ち方は、ゲームやアニメではなくて、芸能人が教えてくれているのではないかと思った。

 砂川さんは「人は一人じゃないから」と言って、ブロッコリーをレンジにかけ、座卓の上に持っていき、キューピーハーフを絞った。二人で栄養のあるものを食べることは建設的だ。

「作家デビューしてくれるの、期待してるよ」砂川さんは言った。



  六


 私はリア充になりたくて、S病院のモテる男だった(若い頃は遊んだという)ある男性から聞いた「負けて勝つ」という人生訓を思い出していた。

 そして私はキーボードを叩きながら、謝ったり、自分を下げたりする言葉を、幻聴に対して言った。

 そうして暮れていく夕べだった。あと一時間ほどで麦ごはんが炊ける。今日はレトルトのエスニックカレーとタケノコの土佐煮だ。夜食にはピーマンの細切りとサッポロ一番の塩ラーメンを茹でよう。

 私は頭を下げて、この人生を生き、いつか立派なリア充として完成することを想像した。そしていつか立派なプロの小説家として完成するはずだ。

 アマゾンプライムには「家政婦のミタ」はあるだろうか。ありそうだよね。アカウントがもらえるといいけど。

 短髪を染めていたりしたあの男たちは、勝つためにあえて負けたのか。だから強いのか。

 私は三年ほどの間になんとか印税を手に入れたいけど、まあそんなに気張らなくてもいい。

 人生の虚しさ。武力に守られている安心感。そのための消費税。

 今日は買い過ぎたので、夕飯は百二十円くらいの箱入りシウマイ。そして百三十円くらいのゴボウサラダ。

 人生なんて何の意味がある?

 センスが合っても相手が純潔でなかったら意味がなかった。砂川さんは純潔。早めに取って、と砂川さんは言った。ドラッグストアでいいゴムを買って備えた。そして夜の金星は瞬いた。モテることは得になりこそすれ、マイナスになんてなるわけがないのである。

 ピンクグレープフルーツの皮をリンゴと同じやり方でむいて、残った果肉に嚙みついた。

 意味がなかった思春期と青年期。Tはいまどうしているだろう。すでに結婚しているかもしれない。でも、まあ私は砂川さんのものになるのだから、Tのことは関係ないじゃないか。

 二十時半。もうそろそろ眠くなるころ。

 私は砂川さんのケータイに電話した。

「はい、どうも」

「潤です」

「こんばんは」

「酒って好き?」

「アルコール度数の低いやつはね」

「僕はオタク達のやり方に乗らないことにしたよ」

「オタクが敵なの?」

 砂川さんは大きな声を立てて笑った。

「まあ、自分らしくね。ありのままの潤さんでいいんですよ」

「ありがとう」

「じゃ、私、ちょっとケーキ食べながら紅茶飲むから、切るね。また明日にでも電話ちょうだい」

「うん。じゃあね」

「じゃあね」

 電話を切った。分裂気質が分裂気質のままでいいとは言っても、店員に頭を下げるノーブルなしぐさはもうやめよう。私は若さを失って、ジーンズが擦り切れたならスウェットを穿くしかなかった。グループホームきららのスタッフさんにまだスラックス二枚を一緒に買いに行ってもらっていないのである。

 寝る前の薬を飲んで、布団に入った。人生の寂しさ。アニメというものに見ていた幻。

 深夜、二時半頃目が覚めて、トイレに行った。そして戻ってきて、冷蔵庫のアイスティーを飲みながらXをやった。(原稿、どこに出せばいいのかな)集英社しかありえなかった。

 でも、面白いかどうかより、M先生が群像新人文学賞から出ていることの方が大事な気がした。じゃあ、講談社へ。



  七


 私はアニメ・ゲームを卒業し、リア充になろうと思った。でも何かになるのなら、プロの小説家になるだけで十分だと思った。

 シイタケには栄養があるのだろうか。検索したら、それなりの栄養があることがわかった。

 知り合って、自分の一部となった人が自分から切り離されて別れに至る、その苦しみ。そんなのを何度か味わった。結果、私は砂川さんと出会った。今回ばかりは、父なる神様、どうか私と砂川さんを結び合わせて下さい。

 どうも人生はやりづらい。でも再び父なる神様に会い、私は信じた。キリスト教ではおろかである方がさかしいよりはいいと考える。私は昨日精神障碍者通所施設の「カトレア」で、みんなと同じ所に座ってぼーっとしていた。その時に、みんなに溶け込めたと思ったのである。「普通」というのは父なる神様のお造りになった「芸能界」に多かれ少なかれ興味を持ち、そして芸能界を権威付けすることだ。そしてまた、自分の顔がそれなりにハンサムでも、そのことでおごり高ぶったりせず、みんなと仲良くしていくのだ。鳩を見よ。みな寄り集まっているではないか。

 そう、生態学や動物行動学は、人間も動物も「群れる」「集まる」性質を持つものと結論していると思う。

 私の人生について言えば、前半生という土台の上に成功する人生が載っている。

 召命型シャーマンとしての長い、長い苦難であった。

 動物の場合、声が聞こえてくる個体がいるなら、それはリーダーであろう。

 未開発国でも、召命型シャーマンの地位は高いはずである。

 先進国ではなぜリーダーが精神病なのであろうか。

 ……わからないね。

 集団(東京都内?)のうちのクレイマーが、「こいつ苦痛を与えれば落とせるww」などと思って不毛に虐待を行ってきたのだろうが、気の強い私に戻った(繊細な神経が小さな刺激に反応しているだけであり、過去に苛められた心的外傷がどんなことにも反応しているのではない。それを誤解されていただけで、私の気が強いことに変わりはない)。今日は良い日だ。


 カルーアと牛乳とたこ焼きとエアリアルを持って砂川さんの部屋に行く。砂川さんは空いた扉の向こうから手を振る。そろそろ私の大禍も消えていきそう。フロイトが「セックスをせずマスターベーションにふけり、対象備給が減っている状態」を「自己愛神経症」と呼び、それは統合失調症のことだと定義したのである。自己愛の反対は対象愛(恋人)だ。

 一緒にカルーアミルクを飲みながら、見つめあう。

 目が合った。

「ゴム、ある?」

 砂川さんが言った。

「あるよ」

 私が答える。

「やろっか?」

「まだそういう気持ちになれない。統合失調症の薬のせいで性欲が出ないのかもしれないけど」

「そうなんだ」

 でも草食系の二人、別に今すぐに抱き合えなくとも、それはそれでいい。長い目で見る。

「エアリアルってほんとに美味しいよね」

 砂川さんが言う。

「ファニオンが一番美味しかった」

 私が答える。

「ああ、ファニオン! あれすごく美味しかったね! ……おいしいものは消えていくね。ハリボのコーラグミとか、ポンパドールのローズヒップティーとか」

「僕が変に宣伝したせいだと思ってる。妄想だけど」

「影響力の大きい作家さんはあまり宣伝とかしない方がいいよ」

「反省します」



  八


 今日は土曜日。ごちそうの日。

 買い物に行き、ワインと牛肩ロースステーキ肉その他を買ってきた。

 そして傑作のうちの一章を「小説家になろう」にアップロードした。

 人生とは何であろうか。      

 きっとそれは楽しむことだと思うのだ。

 当たり前かもしれないけど。

 私はついに砂川さんとHした。Hのあと、二人で缶酎ハイや発泡酒を飲んで、ローストビーフを食べた。

「Hってあんなにいいことなんだね」

 でも、子供は産まないと砂川さんは言った。

 地味なスポーツシューズを履いている砂川さん。

 地味なデッキシューズを履いている私。

「きっと潤さん、小説で成功するよ」

 砂川さんは言った。

「ありがとう」

 僕は答えた。

 微笑む砂川さん。これに応えて微笑む私。

 ああ、私はこういう人生を求めていたのか。

 とりあえず上がりだ。

「今日、タラ鍋食べてく?」

「うん。いや、でも恋愛って素晴らしいね。でも、結婚は恋愛の墓場って言うんだ」

「知ってる。くれぐれも浮気して私を困らせないでね」

「うん」

 二人で部屋を出て、公園に行った。輝く核融合の炎、つまり太陽が私達や鳩達を照らしている。

 ああ、五十一歳で上がり。これは早いのか遅いのか。多分早いのだ。こういう恋愛をした人は「死ぬ」と世間では言うのだから。「死ぬ」とは完全もしくはほぼ完全な恋愛のため、上がる(ゴール)ことができることを意味するらしい。

 分裂気質の夫と妻。

 インテリ気質の夫と妻。「私の先に幸せになったな?」とグループホーム「きらら」の女性スタッフの鈴原さんは言った。「鈴原さんにもいい人が見つかるよ」と私は答えた。

 栄養添加麦よりはただの押し麦の方が口に合った。麦ご飯のおいしさ。麦ご飯を食べていれば脚気にならない。いまどき脚気になんてならないかもしれないけど。

 そして「見られている」のが妄想だとか言う精神医学が間違いだとわかった。新聞社、自衛隊、在日米軍、警察、小説家、漫画家……様々な方から見守られていることは、妄想などではないのだ。

 二人で鳩達と見つめあった。鳩はわりと視線を合わせてくれる生き物である。

 そして遠くで何かパン粉のようなものを撒いているお婆さんがいた。鳩達は素早くパン粉のもとへ飛んでいき、それをついばむのだった。


 Xで淡い交流をしている村上先生とのつながりも、いい感じであった。吉本先生とも。あと志茂田先生も私のことを気遣って下さる。

 編集者さんと出会えないものか。……幸せを二個も三個も抱えたらその次の幸せはなかなか現れないかもしれない。自信作の一章一章を毎日ひとつづつアップロードしていった。そして新作も書いた。

 時々食べる西友の牛肩ロースステーキだったが、コモディイイダでは五千円くらいでサーロインステーキも売られている。高ければ高いほど品質保証が足りない感じがした。この前買ったサーロインステーキが、安かったためか、全然美味しくなかったのである。

 私は小説家だから、池澤先生や渡辺先生、桐野先生たちに随分相手をして頂いた。問題はここだ。可愛がられた私が今更小説家デビューしないなんてありえない、ということだ。みんなのために。

 西友に行ってもコモディイイダに行っても、駅ビルに行っても、最近は貧富の差を感じる。ハンター×ハンターが時々扱っていた貧富の差というモチーフ。J・K・ローリング先生も生活保護の中ハリー・ポッターを書かれたのだ。

 もちろん貧しいのは私の方である。たこ焼き二パックなんてそうそう買えない。

 だからみなが貧しい精神障碍者通所施設のカトレアに通うのである。



  九


 やがて翌年三月。アブラナ畑に寄ってその香りを味わう。人生なんてつまらないとずっと思い続けた。しかし「衣食足りて礼節を知る」。分裂気質者なりの上品さは、スウェットのズボンや擦り切れたジーンズでは表しにくかったのだ。要するにそういうことだったのだ。(私はスラックスを二枚買った)

 カッテージチーズも高い。駅北口にタワーマンションができたためだろうか。お金持ちのための高価な品物が、西友にも、コモディイイダにも増えた。

 編集者と出会ったのだ。顔は五段階評価で四、背の高さは私より少し高い。女の人である。

 さあ、今日も書いてもらいますよ、と言って、最近私が買った椅子に座りながら、私の背後から作業を見ている。私はただキーボードを叩くだけだ。

 それでもお腹が空いてくるから、「間食していいいですか」と訊くと、「いいですよ」との答え。私は人参一本を刻んで、麺と一緒に茹でて、最後にうちわで百回くらい仰いだ。それでも熱い即席ラーメン。本当は麺を丼に取って適量の水を注ぎ、そして少量の茹で湯を片手鍋から入れれば熱くないのだが。

五百五万円の印税は意外だったでしょう、と編集者の野川さんは言う。私は「はい」と答えながらも、一千万部売れていい作品がたったの五百五万円にしかならないなんて、意外もいいとこだ、と思っていた。

 野川さんはそういう私の感情を読み取ったらしく、まあデビュー作だから、あまり肩を落とさないで、と慰める。「はい、大丈夫です。でも、USBメモリーに作品がほとんど残ってなかったことには驚きましたよ。USBでも揮発するんですね」と私は対応した。

 S病院で書いた紙原稿ならたくさんあるが、ノートPCのメモ帳に書き写すのは骨が折れそうだった。だから新作を書いた方が早かった。


 S病院に入院していた頃の診察時には、「症状が多くなってきた時には『対処しない』というのがいいと思いました」と先生に言った。「そうです、『対処しない』。それが一番ですね」と先生はお答えになった。

 私は強い感情が少ない人間なのだそうだ。確かにそうです。あまり怒らないです。分裂気質者は「非社交的で静か」。スズメや鳩に出会った時の(スズメさん)(鳩さん)そんな幸福感を時々感じる。幸福感が時々出て、怒りや憎しみが少ないなんてどれほど幸せな人よ、と言いたいのね。

 何だかシャドウバンが頻繁に起こるので、Xが面倒になってきた。

 しかし今日の夕飯はカツオのタタキ。副菜はトマト一個。幸せだ。

 文鳥のポックに対して私の脳にはオキシトシンがたくさん出ていたと思う。彼は十ヶ月で逝去したけど、そんな彼のことを思って泣いたのだった。

 人生は何か、そんなに大変なことではないのか。

 でも、昨日ワインを買って飲んだら、やはりワインは嫌いになっていた。缶酎ハイや発泡酒がいい。

 五十一歳の責任。私は友里ちゃんの部屋とこの部屋を行ったり来たりして付き合っている。結婚するなら同一世帯でなければならないから、片方が生活保護受給者だと、むしろ書類上の結婚をしないほうがいい。だから法的な意味では結婚しないことにしたのだ。

 私は一体何? 「究極超人あーる」だね。まあそんな感じします。シンジ君じゃないよ、決して。

 子供も作らないし。

 そうか。分裂気質の私は怒りに心を預けるそううつ気質者と違って、幸せか。(私達分裂気質者はスピリチュアリストからは「高級霊」と呼ばれ、長い長い時を現世と霊界で過ごしてきた古株であるとのことだ。だから、仕事さえしていれば、生きやすい。栄養学も理解できる)

 私はコモディイイダに行ってイサキと豆大福とコカコーラゼロ1.5リットルペットボトルを買って帰った。人生はそう悪くない。普段外を歩くときは幻聴さんと話しながら歩くのが良いかもしれない。

 でも、こんなに幸せなのに本当に小説家としてうまくやっていけるのだろうか。

 色々普通と違っているから(例えば頭を洗うのに無添加石けんを使う。シャンプーの安全性が疑わしいため。無添加せっけんは香りがないところも良い)出世にも差し支えるかも。


 翌日はコロッケ二個とブロッコリー、キューピーハーフ(大)などを買って帰った。茹でたブロッコリーは大変美味しい。コロッケには炭水化物に炭水化物を添える妙味があった。

 こうして毎日色々なことのトレーニングを積んでいけば……「今日の安寧が明日も続く世界」に。

 まあとりあえず原稿は書いておこう。得意なことはそれしかないんだし。

 そして二十一時半頃、「サッポロ一番みそラーメン」と細切りピーマンを一緒に茹でて食べた。

 夜食を常時用意している今日この頃であった。

 そして、アダルトサイトに入り浸っていた私なのに、そうしないのは心や体に良くないのではないかと思い、子宮の中に入るかのごとく、海外のアダルトサイトに戻っていった。海外のアダルトサイトは無料で、しかもモザイクがかからないのである。不安な私の心がなだめられた。



  十


 潤は上品で知性が高い分裂気質者のわりには低いところにいる、だから虐待した、というのが低級霊の言い分であろう。しかし私は今やプロの小説家である。そのうち低級霊も私の上品さ、知性を認めるだろう。聖書で言う「この世」的な高さがないと、低級霊は分裂気質者を認めないのかもしれない。

 人生はまあまあで、諸手を挙げて喜ぶほどのものではない。神様、どうか早めに私の寿命を切り上げて下さい。こんな世界、つまらない。何も好きこのんで生きているわけではないのです。

 塩やパンなど食品の名称の文字は「私達仕事大変なんですよ!」と言いたいみたいな悲しげな文字の形が多い。私だって働いているが、私にとって小説業は天職なので、書いていてつらくはないのだ。

 ネットで各種トラブルが起こったのは、名前のところに本名を入れず、統合失調症の混乱状態の時、鈴原さんの「ペンネームとかでもいいんじゃないですかね」という軽薄な言葉を聞いて、何となく筆名を入れてしまったために、各会社からの信用を失ったものらしい。このように神級の高級霊や高級霊はしないことでも、中級霊は結構無責任に生きているから、してしまう。適当に生きている。私は周りの中級霊達に光をあげなくてはならないので、頑張っていこう。


 日曜日、友里ちゃんが来る。バナナチップスとうまい棒二本を持ってきてくれた。

 今日は何も色っぽいことはせずに、二人で「アキハバラ電脳組」を見た。

「イエス様はこの世での成功も保証してくださいますよ」と、かつて知り合いだったNさん(キリスト教友達)は教えてくれた。この世での成功。そういうものが必要だとは。

 人生はつまらないね。ほんとに。

 この世界、何のためにあるんだろう。……アダムとエバの楽園で、蛇が知恵の実を与えて二人を堕落させたから、もとの良い世界から、妊娠と出産の痛み、耕す苦労を伴う苦しい世界が生まれてしまったのだ。アダムとエバの堕落は父なる神様にとって想定外なことだったに違いない。

 そして戦争の止まないこの世界。

 父なる神様、何か、意味がわかりません。生きていても苦労が報われないと言いましょうか。

 どうしたらいいのか教えてください。

 私の心にキリスト教の「主の祈り」のことが浮かんだので、ケータイで主の祈りを表示して祈った。

「キリスト教って素晴らしいの?」

 友里ちゃんが言った。

「そりゃ、救世主の宗教だからね」

「私も祈ってみようかな」

「やってごらん」

 友里ちゃんに指を組み合わせるように教え、ケータイを貸した。友里ちゃんは祈った。

「何か意味深な言葉がいっぱいだね」

「聖書やネットで勉強すると、ここに書いてあることがわかるようになるよ」

「それなのに、宏史君は何で救われなかったの」

「一人の弱いキリスト者にとっては、何で救われなかったかも、わからないね」

 僕は近くの教会を勧めなかった。信用できないものを信用するな、といった教えも聖書にあったと思う。心が抵抗感を覚えるときはそうしない方がいいのだ。


 社会の中で重要人物となり、天才小説家となったからには、サタンさんにお目通りしないわけにはいかなかったのかも。サタンさんに抵抗して、五年半苦しんだ。人間よりサタンが強い、サタンより神様が強い、とある教会で信者の人達が言っていた。

 ……餅。あべかわ餅。西友でサトウの切り餅ときな粉ときび砂糖を買ってきて、餅を茹で、丼にきな粉ときび砂糖を振り、茹で上がった餅を入れてよくなじませる。塩を入れた方がいいのかと思い、食卓塩も足した。美味……村上先生の言う小確幸だと思った。

 

 四月。私は友里ちゃんと一緒にカフェオレを買いに行って、イートインを見かけなくなったことを残念だと言った。僕らは駅前広場南に二人並んで座り、暖かな日の光を浴びながらカフェオレを飲むのだった。

 夏目漱石も精神障害に悩まされたが、まあ普通の亡くなり方をした。そして沖縄のユタも幻視、幻聴に悩まされるカミダーリィを経験する。

 とにかく私は小説家だから、小説を書いていかなければならない。

 森田療法に「目的本位」「恐怖突入」がある。私はこれらをマスターするとともに、「霊や神への不服従」を付け加える。神は調子に乗るのだ。

 私にはもう神がないから、書く努力すら必要ないのだ。努力しなくたって一日当たり原稿用紙四枚くらいは簡単に書ける。


 私にとっては友里ちゃんによる心のケア、包容が最も有意義で、生きていくためのよすがであった。今から彼女と別れてはいけない。無力な者は母なる存在による包容がなくなっては、また苦しみに落ちていくしかないから。



  十一


 私は精神障碍者通所施設「カトレア」に行く途中、改札前で焼き鳥を一本買った。これからは人生は全然虚しくないようだ。友里ちゃんがいるから。

 でも、幸せになると書くことがなくなるのが私の創作の常であった。書くことがなくなると筆を荒らしてネタを増やすやり方を取っていた。

 友里ちゃんは私の最初で最後の女なのではないか。

 頭もいいし、きれいだし。

 結局パートナーが人生の目的だったみたい。(当たり前か)そういう発想を持てなかったことは不思議である。高校は男子校だった。共学なら「この子彼女にしよう」といった発想が持てたと思うのである。出会いは必然か、偶然か。隣のアパートに顔もきれいな分裂気質の友里ちゃんがいるとは。

 統合失調症は軽くなった。

 今日の夕飯は肉野菜炒め。ホウレンソウとタマネギがあるので、豚小間を買ってくれば作れる。

 まあ、レンコンの挟み焼きとか、ピーマンの肉詰めのような味わい深いものではなくて、ただホウレンソウとタマネギと豚小間を炒めるだけ。私には料理のレパートリーが少ない。

 部屋の中ではセーター二枚とトレーナー一枚、Tシャツ一枚を着て暖房をかけずにいた。

 いつか「ハレのちグゥ」というアニメを放送していた。その一部は、何だか私に花を贈るような内容だった。(他のアニメ、他の脚本家さんも含め)そんなことが何度も何度も続いた。こういうのを「妄想を伴う疾患」なんて言ったら彩りが消えてしまうでしょう。ずっと放送されるので、ああ、アニメとはこういうものなのだなと思った。私が発作などを連発し、なかなか進歩しないのでそのうちこの霊的現象も不毛になっていった。誰も抱かなかったから。

 しかし!

 私は千葉のS病院で技を磨いて東京都江戸川区へ帰ってきた。技がますます磨かれていくこの道のりがとても楽しく、エヴァンゲリオンの綾波レイちゃん役の声優・林原めぐみさんと同じで、自分の職業が「天職」だと思った。(私はまだアマチュアなのだが)

 ある朝、麦ご飯を炊いて、レトルトカレーを混ぜて食べることにした。炊けるまでの時間はそれほど長くない。西友のレトルトカレーシリーズをコンプリートしようとしているのだ。

 人生は大変だけど、楽しくもある(買い物とか)。仕事にだってやり甲斐がある。文句は言えない。むしろ楽しい。

 やはり統合失調症患者とシャーマンは同じものであるらしい。(ネットの文化人類学の論文にそう書いてあった)

 私は神様に選ばれてなる「召命型シャーマン」なので、ある意味とても嬉しい。心強い。

 だからこそ小説は頑張って書こうと思う。

 ……中村由利子さんのソロピアノの調べがユーチューブから聞こえ、そのこちら側で、テキストドキュメントに小説を書いている。(ワードは料金がかかるので、あえて使わなかった)

 かつて友里ちゃんは私を抱きしめて「肯定的な体臭がある」と言ってのけた。「友里ちゃんもね」と私は答えた。二人とも草食系なので、具体的な「行為」自体は、好まなかった。

 ある夜、千円くらいする牛肩ロースステーキを二枚買ってきて、塩とバジルで仕立てた。「おいしい!」と友里ちゃんのリミッターが外れる。そういうのはシナモロールだよね。

 しかし父の車の出火による死、文鳥のポックの原因不明の死、Tとの別れなど、つらく苦しいことが続いた。それが召命型シャーマンの特徴だという。しかしその苦しみは報われるのだ。


「きらら」の鈴原さんと眼鏡、トレーナー、ベルトを買いに行った。大学一年の頃に大学のキャンパスを歩くのを楽しんだ。しかし少しづつつらくなった。社会の頂点にいたのに。でも、いま私はJ・K・ローリング先生に似た立場だ(生活保護でデビュー作を書いていること)。駅ビルにいると自分が下流社会にいることがはっきりわかる。高品質な服を着て、太っていない体で歩いている多くの中流、上流社会の人々が、人口の数パーセントしかいない「外見が服に映える、顔も体も美しくお金もある人」として向こうから来て、去っていく。私は視力テストのあと、眼鏡をかけ「これがいいです」と言った。女性店員は心の壁を作り、私とは心を通わさないようにしていた。二万五千円です、と店員は言った。

 そしてトレーナーも買って、生活保護課に「お金のため過ぎです。一部没収します」と言われないように「じゃんじゃん使っていくこと」ができた。次は焼き肉屋かな…… 川野さんが一番の友達だったのに、私を男と見ると「結婚しないのに付き合うのは意味がない」と思ったのか、離れていった。だから焼肉は一人焼肉だ。少し勇気が要る。それとも母と行こうか。

 人生の虚しさは超克したはずだ。

 頑張れ、潤。

 そう、帰ってきたらカロリーメイトブロックフルーツ味を食べながら、アイスティーを飲んで、小説の続きを書くのだ。それでいい。……



  十二


 ある日、夕食にトマトと豚ロース厚切り二枚を買って帰った。

 栄養豊富である。

 人生なんて。

 そう思った時には友里ちゃんに電話をかける。

「どうしたの」

「何か寂しい気持ちになった」

「そっかあ。……今日のご飯は?」

「トマトと、豚ロースのソテー・ナツメグ風味」

「美味しそうだね。……私達は二人ともオタクでインテリだから、話が合うね」

「ほんとだよ」

「今から行っていい?」

「いいよ」

「水まんじゅう持ってく」

「頼むね」

 水饅頭は弾力があり、瑞々しくて美味しかった。お茶は水出しの緑茶。

「私達はそのうち死ぬのか」

 友里ちゃんは言った。

「うん。一緒だよ」

 私は答えた。

 人はかげろう。死んでしまえばなきがら。

 友里ちゃんがレジ袋の中からエアリアルを取り出し、ボウルを要求する。

 ボウルに入ったエアリアル。ウェットティシューで指を拭きながら食べる不合理。

「僕、論理学『優』だったんだよね」

 僕は言った。

「私は法学が優だった」

 友里ちゃんは答えた。

「お互い、分裂気質だね」

「楽だよね、私達の性格って。嫌いなものをいつも切り離しているんだから。あとは好きなものしか残らない」

「珍しい性格だよね」

 十年以上前に付き合っていた山本さん(おじいさん)が大好きだった。よく一緒に食堂に食べに行った。

 彼は神経のガンで死に、私を含めた関係者は骨を拾った。

 人生とは何であろうか。

 それは友里ちゃんやカツ丼だと思うのだ。

 ワインが嫌いになった僕。

 夏真っ盛り! ……僕らは近くに出店を出しているかき氷屋に行って四百円でかき氷を食べた。二人ともメロンを選んだ。

「生卵。ゆで卵。」神保町の立ち食いそば屋でそんなアナウンスをしていた頃があった。そういう楽しい時代は過ぎた。年を取って、この世にはとてもつらいことがあるのだということを知り、あとは死ぬだけだとさとった。

 二人はそれぞれの部屋に戻り、二人とも同じ時間にキュウリのワサビマヨネーズ和えを作った。

 まあ、霊は置いといて。業界の楽しいこと(歌手の人達が私のために歌ってくれることなど)を楽しんだ方がいい。ユーチューブとマルチタスクで、ノートPCのメモ帳で小説を書いていく。

 人生の虚しさ。でも、友里ちゃんがいるではないか。まさかまた友里ちゃんまで私から離れていくことなんて、ないはずだ。

 トマトをかじり、豚ロース厚切りを焼く。焼けた豚ロースにナツメグをふりかける(生のままでないと香りが飛んでしまう)。

 麦ご飯とともに食べる豚ロースのソテー・ナツメグ風味は大変美味しかった。ナツメグは豚肉の生臭さを取る。

 人生の寂しさ。でも友里ちゃんがいる。友里ちゃんは「Dはしたくない」と言うのだ。Dとは口唇性愛のことである。それは私も意見が同じだった。

 村上先生のところに行こうか。「編集者は紹介しないぞ。編集者は自分で見つけるんだ」と先生は言った。

 でも、今はこのぬるま湯がちょうどいいかな。先生のところに行ってしまうと、人生ハードモードになりそうで。それは非社交的な分裂気質者の感情であった。

 私は冷蔵庫の中のオレンジを包丁でむいて食べた。甘酢っぱくて美味しい。私はもてていたのではない。まだ「パートナーいません」モードだったから、相手という相手からOKサインを出されていただけだった。

 スマホでも小説が書けるようにメモ帳アプリを探した。そうしたら、シナモロールの無料のメモ帳を見つけた(!)。人生の素晴らしさを感じた。ああ、こんな幸運な時ができればずっと続いていきますように……



  十三


 高級霊格というブライトパワー。中級霊は周りがみんな中級霊だから適応が簡単。だからブライトパワーなどなくとも力強く生きていくことができる。(私も力強く生きたい)

 私は共学校に通えば良かった。よく考えてみればすべて自分自身だ。それは「そうしないことが言い訳」とかではなく、そうしたら力強さが手に入るからだ。私は何とか工夫して親に共学校に行くことを認めさせるべきだったのだ。

 後半生の始まり。私は内科に行って問題のある化学物質を体内に入れていない。栄養学を身に着けているから、とりあえずリンゴ、トマト、麦ご飯、水出しのルイボスティーが体に良いことも知っている。(メカブのフコイダンを摂り入れることもある)

 PCとスマホ、難しい……

 私は普通人になることが、統合失調症を軽減する方法だと思った。昨日一日それで行けた。

 普通に鮭切り身とシマホッケ切り身を一枚づつ買ってきた。シマホッケは美味だった。


 私は自分が普通人になれば良いのだと思った。もう人生はくだらないと言う必要はなかった。基本的に幻聴は宇宙人で、「ダンダダン」のセルポ星人のような恐ろしい存在である。だから私が彼らを恐れる理由は十分だった。それと、普通人になること。いきおい私は一日三時間くらいは小説を書いたり、小説サイトに一日一章の小説をアップロードする作業をする必要があった。 


 でもある日「考想化声」(統合失調症で、考えたことが声になって聞こえること)について考えた。「自分の頭の中の考えが常に先で、幻聴は必ず後」だということから、私は病識を持つことができた。そして私は「誰からも見られていない自由」を喜んだ。

 人生など何でもない。嫌なものだ。しかしグループホームきららや、精神障碍者通所施設カトレアが私を助けてくれた。治ってくるまで二十七年もかかった。

 人生は虚しい。そう思った時はらーめん大にでも行って正油ラーメンを啜ろう。とにかく飲み食いだ。普段からコカコーラゼロを愛飲した。

 空を仰いだ。硫酸銅の色の空。これからだって青春らしいことはできる。この前だって友里ちゃんとキスをしたではないか。

 頭のいい友里ちゃん。私と釣り合う珍しい友里ちゃん。そうだ。友里ちゃんと出会ってキスをしたり、一緒にエアリアルを食べたりするために僕は生まれてきた。


 結局、「発作があった日」「なかった日」という一ビット情報だけから考えると、「原稿を書いたり小説サイトに小説の一章をアップロードしなかった日に発作が起きるが、そうでない日には発作が起きない」らしいという答えを導き出した。でもそんなの関係ない。私は影や闇を大切にすれば生きていける。声の主は多分父なる神かS牧師だ。

 今日はグループホームきららのスタッフさんと錦糸町のアルカキットに行き、トレーナー一枚、ベルト二本、眼鏡一本を買ってきた。眼鏡が届くのは先だけど、楽しみである。ベルトの片方の一本はきつい方で、これに合わせるためにやせなければならない。やせるモチベーションが上がるというものである。

「ダンダダン」と「ハンター×ハンター」を見ている。面白い。

 私が小説サイトに載せた小説に、最初に感想を書いて下さった方は、とても強くほめて下さっていた。こんな賛美をもらえるなら商業的にもあるいは、と思った。もちろんとても強くほめてもらえたこと自体、嬉しかった。

 昨日メロンを買った。私は見切った。私の短編小説は売れる。しかも百万部。いや一千万部かもしれない。

 執筆中に飲んでいるのは冷たいレモン水。聴いているのはかわさきみれいさんの「aqua」。この世界の美しいもの、希望、そして外敵。嫌なものも併せて全世界を描かれている。

 中村由利子さんは病院にいらっしゃるのだとか。

 アマゾンが置き配なので私はカルバドスも信玄餅も買えなくなった。(デパートに行けばあるのかな?)珍しいものはスーパーでは売られていないから。

 じゃあ、その開拓していない「デパート」に行ったらどうだろう。……いや、専門店に行けばいいんだ。酒の専門店、和菓子の専門店、香の専門店、……

 人生はどうもやり切れない。友里ちゃんとの絆はこのやり切れない世界を共に生きていけるようなご縁。

 ただ普通に生きるとシャンプーやリンス、ボディソープの緩慢な毒性がガンを生むかもしれない。だから私が頭を洗うのには無添加のシャボン玉せっけんを使っている。日本の人口の半分はガンで死ぬなんておかしいでしょう。そのことには何か仕組みがあるはずですよ。



  十四


 友里ちゃんは今日はエアリアルとあんまんを持ってきてくれた。セックスってあんまり面白くないね、と友里ちゃんは言った。そうだね、と僕は答えた。草食系カップルは、先進国では「子孫を残すべきでない、肉体の力や根性が足りない脆弱なカップル」ということかと思う。しかし私は召命型シャーマンなので、未開発国では「是非ともその血を次代に継ぐべき」と考えるそうだ。未開発国は知性を尊び、先進国は筋力や根性を尊ぶということですかね……

 でも、いつか一千万部売ってやる。印税は十五億円だ。私はキリスト者だから、毎年四百四十万円使って残りの大金は出版社のためにとっておこうかと思う。キリスト教では金持ちは天国に行けないというのである。

 人生はいよいよつまらなくはなくなってきた。人生は鮮やかに色づいた。これでいいのだ。


 赤102号に色づいたアキアミ(小海老そのものではない)と刻みキャベツを入れてもんじゃを作った。まあ、神様の前で思い煩っても仕方ないし、どんどん食べちゃう。リア充の世界では食べる人ほど太ってない。……ああ、私ももうリア充なのか。

 セックスよりキスが好きだった。そして友里ちゃんの髪のまとまりを抱きしめることも。 

 人生はつまらない、という言葉が私の人生から抜け落ちていった。

 友里ちゃんは理想の相手なので生涯の伴侶にしたい。

 だけど、私の文章を生み出す能力が低下し、普通に近い水準に戻らなければならないことが残念だった。それは多分統合失調症が治ってきたことを意味するから。病跡学では「病ゆえに創造を成しえた」のか「病にもかかわらず想像を成しえた」のかが争点となるが、私の場合前者だったのだろう。

 父なる神様に助けていただけたので、今後も信仰を続けようと思う。

 僕は友里ちゃんといるのが当たり前になった。

 そして私は二十歳頃と同じように砂糖入りのジュースを普通に飲むようになり、ゼロ飲料をのまなくなった。私の精神障害は、父なる神様を知らず自分勝手に生きた罰だった。

 神の愛は本当だった。私は父なる神様に感謝した。神の愛は、ウサギを飼う人間がウサギを大切にするようなものなのだろうか。


 キリスト教の祈りは感情を込めてどうこうではなく、形式を守って行なうことが大切であるようだ。だから、毎食前の祈り(主の祈り)を極力欠かさないようにする。形式は感情と異なり、グダグダにはならないのだ。

 また友里ちゃんが来て、今度は「里芋茹でてきた」と言って、「塩ない?」と訊いてくる。ああ、ここから進むと夫婦になるのか、と思いながらも、まだ私には生活保護以外の収入がなかった。だから祈った。小説家デビューできますように、と。セックスのあと、結婚のあと、子を儲けたあとは、もはや憂鬱の時期ではないらしい。


 しかし私はまたキリスト教をやめたし、またも神にだまされたことにうんざりしていた。

 シューストリングとソーセージ、切り干し大根煮を買ってきて食べる。

 ニューエイジミュージックの西村由紀江さんが編まれた「ドルチェ」というアルバムが素晴らしい。特に最後の「セレナーデは夢のなかで」は神懸かっている。

 今は冬だが、シャボン玉せっけんには肌をしっとりさせる成分も入っているので、手荒れは最低限で済んでいる。(ニベアも併用しているけれど)

 野菜中心、栄養バランス重視。これが大事らしい。

 鶏団子スープの作り方は精神障碍者通所施設「カトレア」の福田さんに教えてもらった。生姜を利かし、片栗粉をつなぎとして入れる。スープ自体には中華スープの素を使う。

 こうして私は日常へ戻っていく。日常に大きな悩みは少なかった。これが運命の車が回って「うまくいっている」状況だ。

 決してまた感情の嵐になってしまわないように……

 石の上にも三年。まあ私は石の上に二十九年いたのだが。

 自信作が思った通りとても高く評価され、(やっぱり!)と思ったのだった。読者様あっての書き手であった。

 これからは単なる仕事である。どうやったら売れるか、ということにも心を砕くのである。

 リア充は分裂気質者のような厳しい汚濁否定の心は持っていないし、結構ダメでもいいのだ。人間には弱点があるのが当然。弱点を減らそうと頑張るけれど、毎日生きているのもやっと、というのが私だったし、敵(悪魔)は非常に陰湿だった。リア充はそんなに完璧でなくていいのだ。それは「カトレア」のイケメンの男性スタッフから学んだことである。

 顔が良かったから最初からリア充になっていれば良かった。三十代ごろから「イケメン」と呼ばれるようになった。時間の無駄であった。……でも「今が一番若い」。

 友里ちゃんは「まだ印税ないの」と訊いてくる。「まだだよ」と私は困り果てて答える。「才能はあると思うんだけどなあ」と友里ちゃん。私は「ありがとね」と精一杯の答えを絞り出した。

 学術はリア充に絶対必要なものではない。でもあったらとても助かる(特に医学と栄養学が)。太っても成人病にまではならないで済んだ。リンゴ、トマト、麦ご飯、水出しのルイボスティーの常用により、不健康はだいぶ切り下げされていた。



  十五


 西村由紀江のアルバムを聴いたら、深夜の台風情報の時の曲だったので感動した。

 最後の一曲は「セレナーデは夢のなかで」という特別な曲だった。

 人生なんてつまらないという考え方が少しづつ抜けていく。

 鉄の弦から弾き出されていくメロディ。作曲家という楽器を世界が弾いたのだ。

 そして私という楽器を敵の武器が弾いた。私は荒すぎる演奏に壊れそうになった。

 荒すぎる演奏といえば芸術家・庵野秀明氏のエヴァンゲリオン旧劇場版。世界は彼を荒く弾いた。彼は壊れた。しかしその調べが美しかったので、彼は「シン・仮面ライダー」を担当するようにさえなった。私達クリエイターはやけを起こさず実直に仕事をしていくことが求められる。


 かわさきみれいのメロディの美しさ。危険な敵と、守護者の確かで静かな助け、そして危機からの脱出……のような、「敵を省いて考えない世界観」という全体性を際立たせているのがかわさきみれいの音楽の特色であるように思われた。


 人生なんて、とはもう言えない。楽しいことがいっぱいある。仕事にやり甲斐がある。素晴らしい。カフェラッテノンシュガーも口愛的な私が好きな製品だった。

 ニューエイジミュージックの表層をすくってみる。何だか陽気なメロディが聞こえてくる。挫折を知らない人なのかな、と思った。苦労を知っていることは宝なのだ。だからこそ、これ以上の苦労をしないように一生懸命原稿を書いていく。

 ある日駅南口のコージーコーナーで苺ショートを買って帰った。クリームが本格的だった。西友の苺ショートも美味しいのだが、どちらにもいいところはあると思った。西友の苺ショートのクリームはあっさり系で、これも美味しいのだ。本格的な生クリームと、どちらが美味しいか。人それぞれであろう。

 簡単に負けず頑張れるところまで頑張る。敵は悪いことをする悪者なのだから、本物の強さなんて持ってない。私がザクザク刺せばもう耐えられないほどの苦しみを感じているかもしれない。何で私につきまとっているんだ? この霊。

 意味わかんないよね。

 意味のあるきれいな話が書けなくなってきたら、筆を荒らす。これでOK。

 有名人に歌ってもらえる? だって私は明治大学に現役合格した男ですよ。私のことを眺めるなら料金を取りたいですよ。中退したのだって実力ではなく、二年次に退却神経症になり、三年時に強迫性障害になったからです。

 美しい人形は壊されていくんですね……

 でも、ファインナノバブルと、卵角膜と、キミエホワイトという美容の三つの味方がいる。白髪だってメンズビゲンカラーリンスで染めちゃえばいいじゃん。……


 今日も西友に通ってくる。統合失調症の心神耗弱状態においてこの店で万引きをした。しかし私は精神科病院に六年間軟禁されていたし、「身体拘束」という、国際法で禁止されている拷問(尿道を管が貫いている)も受けてきたから、もう罰はうけましたよ。西友は好きなので、もし店から追い払いたいなら墨田区の簡易裁判所で調停をしましょう。

 顔見知りの店員さんは一人いる。客の扱い方をよくご存じな方だ。

 私は回転ドア現象(退院したらまた入院し、さらにまた退院して、ということが繰り返されること)に巻き込まれたから、少なくとも「毎回治療は失敗した」ことで本当は精神科医に慰謝料を支払って欲しいのですけど。まあ新聞にも精神科病院の犯罪についてはほとんど載らないですし。泣き寝入りというか。数人がかりで抑えつけられてイソゾールみたいなものを注射されたり。何なんだあの怪物たちは。

 精神科病院でしていることは犯罪ばかりだよ。

 私のしてきたことは刑法39条の心神耗弱のため、責任は限定的です。もし裁判になっても尋常でない苦労をしてきた精神障碍者の情状は酌量されるでしょう。


 今日は明太子とトマトと麦ご飯。

 人生なんて、と口走るようになったのは、強制入院により毎回恋愛の糸が断たれたのもあるんですよ。一切恋が実らない。つまらなかった、この二十六年間。

 でも、人間万事じんかんばんじ塞翁が馬。統合失調症にならなかったら、川野さんや久川さんたち(カトレアやきららの法人の人)と出会うこともなかった。私と彼女たちの間には確かな絆がある。

 私は神様が付いているのだとさとった。神様がそう教えてくれたから。召命型シャーマンは神様に選ばれた人なんだって。

 かわさきみれいという楽器を世界が弾いた。そうしたら出てきた曲は困難を生きる善人のひたむきな心と、これを妨げようとする卑しい者の響き。ひたむきな心は神々の確かで静かな定法によって助けられ、やがて助かる。善と悪が袖を擦り合っていた。



  十六


 人生の虚しさは無知によって起こる。私(潤宏史)は自分がシャーマンであるにもかかわらず、シャーマニズムについてほとんど知らなかったのである。シャーマンは悩みの最後に「リターン」(共同体へと還る)するのだと文化人類学の論文に書いてあったが、私自身がそれ(浅く広く付き合うこと)を求めなかったために、問題は錯綜した。私は週二回、月曜日と水曜日、精神障碍者通所施設のカトレアに通い、他の日はパソコンをしていたかった。神様達は、私たちに任せなさいとおっしゃるので、私はそのようにした。

 でも同じような現象でも、未開発国ではシャーマンと呼ばれ、先進国では統合失調症と呼ばれるのであった。先進国では愉快犯を喜ばせないようにしているらしい。

 朝方、二時五十分。もんじゃを作って食べ、三時間ほどパソコンをしていた。食器やフライパンなどを「一つづつ片付ける」方法で、嫌々ながら片付けるのとは違う楽な片付けができた。

 闇に吞まれずに、光の中を生きていられる、その基礎は家族であるらしかった。とにかく、私が信じた悪者達の支配の強力さを今一度疑い、毎日を平和に生きようと思った。

 そう、特に男たち、彼らは闇の手の者ではなかった。みな家族の中から出てきた人である。

 友里ちゃんを思った。しかし私が五十一、友里ちゃんが五十であった。子供ができる可能性は低いと思った。私はそのことを残念に思うと同時に、「子育てをしなくていいんだから楽だ」とも思った。でも、結婚したり子供が生まれたりすると人は生きやすくなるともいう。

 次の朝、私はアイスティーを飲んでから押し麦を炊いたものにレトルトカレーをかけて食べた。米がなくなっていたのである。今日はカトレアからの帰りに無洗米あきたこまちを二キロ買って帰らなければいけない。

 光を信じる。その中核は家族だ。私にとって友里ちゃんは大切な人だった。私の一年間の平均収入は二百八十万円くらいだった。私は憂鬱な話を切り上げようと思った。例えば村山由佳先生はどちらかというとエンターテインメント系なのかなと思う。この世界の悪と戦う文学は、どちらかというとルポルタージュになってしまう。


 しかし「何々しなければならない」というのは私の不安神経症の曝露療法くらいで、「リターン」も光も必要ないではないか。幻聴に振り回されないことが大事である。私が好きなのはハードコアポルノだ。悲しければ泣けばいい。苦しければうめけばいい。素直さが大切である。

 私と友里ちゃんはわが町平井に一軒の普通の家を建てた。本当はセキスイの新築の屋上付き三階建てが良かったのだが、「とりあえず何か建てようよ」と言う友里ちゃんに言い負かされてしまった。

 人生は何だかあいまいなわらび餅みたいなもので、苦しかった。でも私は次の日、人参、タマネギ、ジャガイモとカレールー、豚小間を買ってきてカレーを作った。フェイスブックの友達の人数が増えていく。


 どうやら仕事をしている時間が短いと不安神経症の発作が起きるらしかった。

 一日八時間は働かなくては。

 人生は虚しい。何で三十七年間も精神障害になっていたのか。理由がわからないから困る。イエス様も随分お人が悪い。

 とりあえず執筆をすることにした。一日合計八時間。

 人生などくだらない。

 そう思っていると、悪魔ではなくイエス様の御力によって、友里ちゃんから野菜チャーシュー麺が運ばれてきた。

「ありがとう。美味しそうだね」

 私は言った。

「はかどった?」

 友里ちゃんが訊いてくる。

「まあね」

 小説家という仕事は確かに私にとって天職である。才能をもっと伸ばせばもっともっといい作品ができるだろう。

 麺の上に載せられた二枚のチャーシュー。

「健康を考えて二枚にしたの?」

「いや、それは関係ない。別に三枚でも良かったんだけどね」

 美味しいラーメンであった。スープを半分飲んだら器を返した。

「ぬか漬け食べる?」

「うん。体に良さそうだもんね」

 大根やキュウリのぬか漬けの味わいはひとしおであった。そして小説の技術が高まれば、印税も多くなる。そこで「心」と言う人もいらっしゃるとは思うのだが、心をどう測るのかがあいまいだ。ただ、太宰治に対して川端康成が「生活に厭な雲ありて才能の素直に発せざるところあり」みたいなことを言っている。不幸は誰にとっても良くないことで、太宰治は不幸だったのだから「哀れなり」とでも言った方が良かったのではないかと思う。



  十七


 カイワレ大根のポン酢和えと、プラスチックの丼を座卓に置いた。それらに背を向けて私はいま小説を書いている。明日あたり、コージーコーナーの苺ショートでも買って来よう。十七時三十七分。今日の主菜はメカブである。うちの食事は二人で知恵を出し合ってより栄養の摂れる食事にしてきている。明日は金曜日。カトレアに行って、スマホの中のシナモロールのメモ帳に小説の続きを書いていく。まだ使い方のよくわからないスマホのコピペを使いこなせるようになりたい。

(よく考えれば、小説界の上の方の先生方の権力はすごそうだから、まだデビューもしていない者は縮こまっていなければいけないだろう)

 ! 小さくなればいいんだ。難しいことじゃない。それは現実性を意味した。

 人生なんて無意味、と中学一年の頃から思いなした。そして私の人生は色付くことなく灰色のまま五十一歳まで過ぎた。でも友里ちゃんと交わす愛情は本物だ。

 権力が私を叩きのめした。もしかしたらTの純潔や、文鳥のポックの貴い命まで。

 悪の権力。私とは性質が反対であった。だからこそ私は十年くらい経って権力を手に入れるまでは縮こまって小さくなるのだ。残念である。

 庶民にはメカブやぬか漬け(時々は牛肩ロースステーキなども)を食べる楽しみのために生きていく日々しかないのか。そんな一瞬に、政府から、きっと国民全員に福利厚生を広げますから、というメッセージが、私の心の中に吹き込まれた。ああ、お上が敵であったのは昔の話なのか、と思った。私は「ありがとうございます」とひと言言って、仕事を月曜から土曜までの六日間、一日八時間営もうと誓うのであった。

 メカブに含まれるフコイダン。栄養なら何でも僕ら二人の口の中にぶっ込んでやれ。

 そしてその日の夕飯は百十円くらいの箱入りシウマイと、焼きはんぺん、鮭粕漬焼、大根の味噌汁だった。

 休学して強迫性障害になったのは大学生という看板を下ろしてしまったからだろうか。私には「なぜ看板を下ろすと強迫性障害になるのか」はよくわかりませんが。だってそうでしょう、政治的人間みたいに「いつも争う態度」を持たないと、そういう発想にはならないはずです。一歩遅れた者は虐待して彼の花を散らせてしまうだなんて。


 次の日もカトレアで。圧倒的な人生の虚しさの中、ケータイから西村由紀江の「dolce」が響いている。小さくなることのメリット。ケーキ屋やパン屋が「お客様」のために、あたかも服従するように奉仕する。そう、私はそういう風にならなければならないのだ。カトレアのスタッフもそんな感じ。

 小さくなることのメリットは何かあるのだろう。貧しい者は金持ちを嘲笑っているようではあるが。頭を下げると、心の醜い人はもっと頭を下げさせるためにもっと買い物をするのかもしれない。

 トウモロコシが食べたい。仕方がないので私はカトレアを出て西友で缶入りのコーンを買った。急いで帰り、フライパンで炒めてコショウを振って食べた。何ておいしいコーンなんだろう! やっぱり食べたり飲んだり、そして女の人と話したりが一番楽しい。

 私は打ちにくいケータイではなく打ちやすいノートPCで小説を書いた。ケータイに書いている小説とノートPCの小説は別である。

 法の下の平等がなかなか成立しないこの二十一世紀の日本は、まるで封建時代だ。だから店員にも客に頭を下げる者は少ない。最後のプライドなのかもしれない。

 ずっと原稿を書いて、五時になると麻婆茄子を作って、白飯とともに食べた。

 印税が入ってくるから、もう少し庶民的な態度で。まだ私はお金持ちではない。偉そうにするのはもう十年くらい待って。


 私の三十八年は人並みの顔をした男たちによって崩されていったのだが、私はその「喪失の文学」によってかえってエレガンスを表し、金も稼いでやろうと思っていた。



  十八


 友里ちゃんがいるからもう寂しくない。枯れ木も花の賑わい。花咲か爺さん、ありがとう!!

 早朝の執筆の合間に、トマトときのこのポタージュを一杯づつ飲んだ。

 もう人生の寂しさを感じなくて済むのだと思った。

 六時過ぎ、私は白菜や椎茸、豚肉、海老、人参などの入った鍋を友里ちゃんと一緒に食べた。小さくなると幻聴が怒らない。

 マグナムワインを飲んでふらつきながら自転車で隣の江東区へ通った少年時代。それでも僕の色は灰色だった。今はちゃんと色がついている。橙色かもしれない。

「初めて会った時、ああ、この人頭のいい人だな、ってすぐわかった。雰囲気が違ってた」

 友里ちゃんは言った。

「僕もそう思った」

「私達は何なの? インテリ以上の何者かではないのかな」

「分裂気質だよ」

「ぶんれつきしつ?」

「精神科医のクレッチマーが性格を分類した三つの分類のうちの一つ。上品で繊細で知性が高く、貴族的で孤独を愛するんだって」

「ああ、自分はほかの人達とは違うんだ、って考えていい根拠がちゃんとあるのね」

 友里ちゃんは両手を合わせて笑った。

「そうだよ。僕は分裂気質者だから神様に召命型シャーマンとして選ばれたんだと思うんだよ」

「あなたの存在が水晶みたいにきれいだから?」

「神様だって『いい奴だから召命型シャーマンとして選ぶ』側面はあると思うよ。でも本当は僕を選んだ第一の理由は、学術に長けていて、ネットで本当のことばかり言うから、神様は現代医学の廃止とかを、何よりも現実のものにしたかったんじゃないかな」

 私は十分に知らないことを述べることで少し恥ずかしさを覚えた。

「その恥ずかしがるところがいいんだよ。自分に誠実であろうとする宏史さんが」

 毎日生でしても友里ちゃんは妊娠しなかった。コウノトリの来る気配はなかった。

「やっぱりこの年になると無理かな……」

 友里ちゃんは言う。

「確率が低いだけで、全然妊娠しないとかじゃないと思うけどね」

 少しも慰めになっていない。

「現実を直視しなきゃ」

 友里ちゃんはバッグから取り出したガムを噛んだ。むしろ幻想の世界に跳んでしまいたいみたいだった。


 S出版社に行くと、編集者の野川さんが会釈し、ほうじ茶を汲んで、月餅を出してくれた。

「原稿は、潤さんに限って、はかどらないなんてことないわよね」

 そう言って野川さんは笑った。

「まあ確かに、二十九年間鍛錬したから、眠い時以外は、書けないってことはないです」

 私は答えた。

 私の体の中にはいくつもの霊が入っていて、私がヌシではあるが、霊達、または神霊がどうしても自由を許してくれない時がある。私は召命型シャーマンだ。霊媒師だ。学術を身に着けているので、もしかしたらムンスイと言うのかもしれない。私は霊治療や除霊などはできないが、栄養指導ができる。みなさん、リンゴとトマト、麦ご飯を食べて、水出しのルイボスティーを飲みましょうね。医者半分、ユタ半分。医食同源。

 机に向かってノートPCのキーボードを叩く。マルチタスクにしているユーチューブが浜崎あゆみの歌を流していて、その価値は中級霊に広く評価されるので、霊達は満足であるようだ。こんな楽しい気分になれるのは、その「中級霊達が満足する環境を作ったから」というのもあるらしい。中村由利子や西村由紀江、かわさきみれいの曲は波動が高すぎて、中級霊達には理解できない何かでしかないようだった。



  十九


 高級霊は世界のバグ取りをしている。部族を危機から救う(シャーマンだから)。

 トワイニングのカモミールティーを買ってきて二袋ピッチャーに入れ、冷蔵庫にしまった。カモミールには鎮静作用がある。苦くて味自体は好きになれない。でも何となく買ってきてまた飲んでいる。

 高級霊の何が具体的に違うのか、というと、生まれ変わった回数だとネットのスピリチュアリストは述べていた。波動が高すぎるので、低級霊からは「そんなの嘘っぱちだ」と思われがち。中級霊からは出会ってから手放しの賞賛を被ることが多い。

 白桃缶詰や黄桃缶詰が好きだ。桃は粘りのある液の中に浸かっている。トロピカルミックスはひと回り高い。

 おいしいいか塩辛に出会わない。桃屋のいか塩辛がどれだけ高品質だったのかがわかる。なくなってわかる有難み。

 人々はしるしを欲しがる。その小説がどんなであるのかは関係ない。人々はしるしがない限り潤節に酔い痴れることはないのだ。キリストも証明書を持っていれば磔刑に処せられなかったかもしれない。

 しるしを勝ち取ろう。何かの賞を受ければいい。

 酒は週一回がいいとわかっているが、何度も飲んでしまう。こういうことをだいぶ前、小説の中で「心身複合症」と定義した。とにかく酒を週一回でなく、何度も飲んでしまうなら、肝臓の健康に障る。それが認知面から改善されないと、そういう人のアルコール嗜癖は改善が難しいのである。かつて私も「人生の意味」に気づかず、毎日発泡酒やカクテルを飲んでいた(二十代の頃)。

「そんなに、たくさん食べて、成人病になっていくしかないのかな。いや、まだ対処法はあるだろ」

 私は最近そういう危機と戦った。そこに助っ人が現れた。糖分や炭水化物を摂りすぎると、寝ていていびきをかいていることに気づくのである。これが苦しい。いびきをかかないことのために、貪食をしないようにしようと思った。つまりいびきは体からの「これ以上多く食べるな」という警告だったのだ。素晴らしきカラダ。


 人生とは何であろうか。いかにして自分の理想に近い幸せな環境を作り出すかの方法。そして成人病にならずにしあわせな老衰死を迎えるためのお膳立て。

 AVEX系の曲が好きだ。TRFとか。リアリティがあるから。

 人生の虚しさは、友里ちゃんに出会って、セックスをして、だんだん少なくなった。人間においても、他の生物と同じように、セックスが意味を持つのだろう。

 友里ちゃんと豆大福を食べながらアイス緑茶を飲む。野川さんが来て簡単な打ち合わせをした。私はせっかくだから缶入りのクッキーを野川さんにあげた。え、いいんですか? 私クッキー大好きなんですよ、と言って喜ぶ野川さん。潤さん達も地味婚なんでしょう? と野川さんは率直に言った。そうですよ、派手婚高いですからね、と私は答えた。

 野川さんがいなくなると、やっぱり宏史君は女の編集者が付くのが運命だったんだね、と友里ちゃんが少しカリカリする。いや、僕は友里ちゃん一筋だから、と真実を言う。処女は一度も抱かなくてもいいの? と彼女は言う。友里ちゃんとの結婚の約束だからね、と私は言った。一回くらいはいいんだよ? と友里ちゃんが言った。「生でなきゃ意味ないじゃん。どのみち」と私が答えると、友里ちゃんはカラカラと笑った。そして、欲張りだねえ、と付け加え、八月末の冷素麵を用意してくれた。


 九月の秋刀魚ははらわたの周りの脂が美味だった。友里ちゃんは地味なスポーツシューズ。私は地味なデッキシューズ。

 自分の似姿のような分裂気質者に出会った。

 頭のいい友里ちゃんに出会った。

 重い成人病にはなりそうもない友里ちゃんに。

「私ローズヒップ買ってきた。あのヴィドフランスの裏の店で」

 友里ちゃんは言った。

「ああ、あの店にあったんだ」

 私は答えた。

 早速熱いローズヒップティーを入れ、ゴーフル二枚を食べた。

「あんまり食べちゃ駄目だよ。いまやせててカッコいいんだから、太っちゃ駄目」

「うん」

「AV男優みたいに素敵なあなたなんだから」

「うん」

 ゴーフルの片方を外してクリームを削って食べた。

「あなたいつもそれやるよね。ビッグマックセットの時も」

 ビッグマックセットを食べる時、私は一枚目の肉を外して食べるのだ。「牛肉百パーセントっていうのがすごく美味しくて」

「今度回転寿司行かない?」

 友里ちゃんは髪をくるくるやりながらそう言った。

「いいよ」

「私も家事をさせていただいておりますので」

「小説だってそんなつらくないよ。天職だから」

「そうなんだ」


 私は発作を起こすときに聞こえてくる声の野蛮さから、こいつらはあの中学時代の暴力教師のような連中なのではないか、と思った。いい歳して虐待か? と思ったが、暴力に対抗する手段は従順だけであった。大人なのだから仕事をしろと言うのである。まあたしかに「勤労の義務」というのは憲法に記載されている。そして小説界で尖っているのは桐野先生と私くらいなのであった。



  二十


 私は道徳に従うことではなく、わんぱく度を増すことだけで教師みたいな人達の暴力に対抗できると思った。小学校時代には精神障害になんてなっていなかったのだ。

 ただ、ちゃんと形だけの礼儀は表しておかなければならない。

 ある日僕と友里ちゃんはマクドナルドに行って二人ともビッグマックセットを食べた。ブラインドが下ろされていて、夏の陽光は部屋に入ってこないのだった。

「宏史君、あとで宝くじ買わない?」

 友里ちゃんは言った。

「そうだね、それもいいね」

 私は本気でそう言った。「宝くじは買い続けると当たるようになるんだって」

 ポテトの最後の一本を食べた私は、友里ちゃんの方を眺めていた。まるで高性能なコンピュータを買ったみたいな誇らしさがあった。

「今日はアジの塩焼きでどう」

「いいよ。焼き魚は好きだよ……メカブも食べたい。あとブドウも」

 庶民というよりは中流階級のちょっとした浪費が我が家のことながら鼻につく。

 トレイを片付けて私達は降りていった。晩夏の蝉時雨が私の心を落ち着けた。

 きっと私の人生はこうして良くなっていくのである。人は結婚すると丸くなるという。


 次の日は神保町で吉本先生に会った。お茶の水駅で待ち合わせた。行くのはカレー屋だった。欧風カレーを頼んだが、人参が大きく何とも満足感があった。

「最近活躍してきてるわね」

 吉本先生は言った。

「はい。ありがとうございます。ここのカレーは人参も豚肉も大きくて満足感がありますね」

「そうね。……潤君も、いつか『夢のきざはし』というか、人生がだんだん終わっていくようで終わらない老年期を知るのよ」

「老年期のことはあまり考えなかったです」

 先生はコーヒーを飲み、私の左肩を叩いて反対側にある私のアイスレモンティーを指差した。全然手を付けていなかったのだ。

「誇りある小説家なら、民放に出ていじられてイメージが崩れるようなことがあってはいけない」

 先生はきっぱりとそう言った。「特にあなた顔キレイだから、注意した方がいいわよ」

「はい、先生。アドバイスありがとうございます」

 各々料金を支払って爽やかに太陽の下に出た。

「じゃあまたね。今日も忙しいから、私はタクシーで違う方へ行くけど」

「先生、ありがとうございました」

 黒いタクシーが来た。先生は手を振って、笑顔で車に乗り込んだ。私も手を振った。

 JRで我が町平井に戻り、その日の買い物をして自宅へ戻った。


 分裂気質という一つのイメージは、柄ではない誰かが背負うと大変なことになるイメージであった。明らかに上品でも貴族的でもなければ、すぐボロが出て「あなたはそういうガラじゃないよ」と言われるだろう。でも上品さも貴族性も知性の高さもクリアしてしまった。ただ、私はインターネットから闇を拾ってしまったので、中学時代と同じようにどんどんどんどんどんどんどんどん、憂鬱な人になっていった。(まあ、恋愛して結婚すればよかったってこと)

 夜はトマトとパン二個だった。パンはシュガーレーズンブレッドと、塩バターフランスだった。塩バターフランスは百五十円と安かったが、バターが染み出てとても美味しかった。

 我が家には、人生のわびさびめいた暖かさがあった。友里ちゃんは「野菜も摂ろうよ」と言って白菜と椎茸の入った鶏鍋を作ってくれた。家庭の暖かさ……ついにここまで来たか、と思って涙した。友里ちゃんは洗ったリンゴを一つ私の前に置いてくれた。


 次の朝、風呂に入ってから、駅前まで買い物に行った。帰ってくるとコカコーラゼロを冷凍室で冷やし、原稿を書きながら、西村由紀江の「dolce」を聴いた。こんなユニークな曲が作れるなんて、と、西村由紀江の外見的な美しさにも酔い痴れながら思うのだった。

「昼ご飯。ジャガイモと明太子のお粥」

 友里ちゃんが丼を差し出しながら言った。

「どうしてお粥なの?」

 私は訊いた。

「たまにはいいでしょ。私が風邪をひいたときに父が作ってくれたメニュー」

「そうだったんだ」

 ジャガイモと粥というのが意外に合う。そこに明太子のアクセント。

 まあ、幻聴さんは真面目な方のようなので、私は時々ハードコアポルノを見たりしながら、毎日仕事をした。ある革命的な日に、私は自分の宗教に別れを告げた。


(終)

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分裂気質 水形玲 @minakata2502

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