旅する右手

 長く質屋などやっていると、時折ふしぎな品が舞い込んでくることがある。

 今日訪れたのは身なりのあまりよくない女だった。布の質のわりにずいぶん色が鮮やかで、よくない染料を使っている、と一目でわかる。化粧が濃く、年齢が読みにくい。いや、そこそこの年齢であることはわかる。ただ化粧のせいで年の割に老けて見えているのかも、と思わせるような、似合わない色を身に纏っていた。

 総じておそらくたちの悪い客、ろくでもない品をとんでもない価格で買わせようとするつもりだろう。私は顔に笑顔の盾を貼り付けてカウンターに立った。

 女はさも重要そうに胸に抱えていた、幾重にも布で巻いた品をカウンターの上に置く。キャベツをむくように開いていくと、中からあらわれたのは木彫りの手だった。

 古い品なのだろう。年月で黒ずんだ表面はなめらかに艶を帯びている。ずいぶん精巧な品で、切りそろえた爪の端から、手首の骨張った筋、それから複雑に徴を結んだかのような指のかたちまで、実によく出来ていた。

「彫刻じゃないんだよ」

 女はもったいぶるように言って、指先でそっと木彫りの爪を撫でた。

「これはミイラの手なんだ」

 やっぱりうさんくさい話が出てきた。私は心の中で呆れた。これが木彫りの彫刻だとしてもそれなりに値段はつくだろう。それなのにどうしてこんな作り話をしようとするのか。私にはいつも理解できない。

 それでも、こういう話をする輩は一通りすべて聞いてやらないと値付けに一切納得しないものだ。私は「なるほど」と、さも意味ありげにうなずいた。

 由来があるなら聞きましょう、と促すまでもなく、女は唇を湿らせて、自身の昔話をし始めた。




 あたしの父親は、西で泥を掘っていたんだ。あたしはまだ小さくて、それがどういう仕事だか知らなかった。お父さんは西の湿原で働いていて、月に一度しか帰ってこない。そう聞いて育った。たまに来る知らない男が、あたしの父親だった。

 ある日、男は大きな塊を抱いてうちにやってきた。それで母さんに、これを隠しておいてくれって言った。布の大きな塊で、男には軽いみたいだったけど、母さんには重かった。あたしはまだ小さかったけど、力持ちだった。母さんとふたりでえっちらおっちら、家の中へ運び込んだ。

 母さんは布に包まれたそれが何か、わかっているみたいだった。気味が悪い、気持ち悪いといいたげな顔で、見るのも嫌みたいだった。母さんがそんなふうだから、あたしもなるべく見ないようにしていた。

 でも友だちが遊びにきたときにかくれんぼをしてて、何も知らない子が包みを開けてしまったんだ。誰かそこに隠れてると思ってしまったみたいで。それで、悲鳴をあげた。

 あたしたちみんなで見に行って、みんなで悲鳴をあげたよ。人の死体だった。黒ずんでいる、それでもまだ生きているみたいな死体だった。

 あたしは父親が人を殺して持ち帰ってきたんだと思って、みんなに「おねがいだから誰にも言わないでくれ」ってお願いした。あたしの家に死体があることを黙っていて、って。

 でも、子どもの約束だからね。結局、誰かからバレてしまったらしい。それで、ある日あたしの父親と、村長が一緒にうちへやってきて、死体を引き取っていった。

 あたしは父親にすごく怒られた。殴られもした。なんで人に見せたんだって。わざと見せたわけじゃない。あんなもの見たくなかった。そう言ってもどうせ殴られるだけだろうから、あたしは黙ってた。

 本当は遊んでて、右手がもげちゃって、床下に隠したってことも黙ってたんだ。

 その一件で、あたしは母親にも嫌われた。父親が帰ってこなくなったからだと思う。食事も少なくなってさ。友だちからも敬遠されるようになった。たぶん、黙ってて、ってお願いしたのに言っちゃったから、気まずくなったんじゃないかな、て今なら思うけど、当時はそんなことわからなかったから、あたしは落ち込んだ。

 落ち込んで、あの死体がきたからあたしは不幸になったんだって思った。あれは不幸を招くものだから、捨ててくればいいのかも、って。まだ家にあるからいけない、そう思った。

 それであたしは、床下からもげた右手を拾いあげて、捨てようとした。

 床下をあけて、あたしはすぐに違和感に気づいた。右手が置いた場所になかった。それに、握っていたはずの指が、開いていた。まるで土をかくみたいに。

 さあ、これは悪魔の手だとあたしは確信した。今すぐ捨てなければならない。そう思って意を決して手を掴んだ。すると手は、あたしの指を掴んだんだ。ぎゅっと掴んだわけじゃない。そっと撫でるように触れた。あたしは悲鳴をあげたけど、誰もいなくて、助けてくれる人なんていなかった。

 叫べるだけ叫んで、わあわあ泣いて、床下から這い上がって、見下ろすと、手のひらが上を向いた状態で落ちていた。

 なんでかわからないんだけど、あたしはそのとき、手が謝っているように見えた。ごめんね、って。驚かせて、ごめんね、てそう言っているように見えたんだ。

 その日はそれで床下の扉は閉ざしてしまった。でもどうしても、あの手が気になってしまって。あたしは後日、もう一度床下に降りた。右手はひっくり返って、やっぱり土をかくみたいな指のかたちになっていた。あたしは意を決して右手を掴んで、また手が指を掴んでも、今度は悲鳴をあげたりしなかった。

 あたしは手を捨てようとした。一度は捨てた。でも次の日に見に行くと、手は土をかく形になって、ほんの少しだけ移動している。手は、行きたいところがあるみたいだった。

 あたしは母さんからもらった鞄に、右手をしまって、いろいろなところへ出かけた。その頃には母さんはあたしを構わなかったし、前は一緒に遊んだ友だちも、あたしのことなんて忘れたように暮らしていた。

 あたしは旅に出て、手の行きたいところへ連れて行ってやろうと思った。どこへだって行ってやろうって。



 女は手にそっと触れた。まるで積年の友を撫でるような手つきだった。あるいは、墓標に触れるような手つきでもあった。

「でも、あたしはもう何処へもいけない」

 女の身にどのような事情がふりかかったのか、いくつかの事情が浮かんだが、どれが正解かはわからなかったし、聞くつもりもなかった。

「いくらでもいいんだ。この手が何処か違うところへ行けるなら、それでいい」

 あなたはいいかもしれないがこの手はどうなんだ、と私はふと思った。長年連れ添ってきた友だち――のようなもの、を売るのはどうなんだ。思ったが、口に出さないだけの面の皮はあった。

「あたしはミイラになれないからさ」

 笑おうとして失敗したような顔で女が言い、最後にもう一度、古枝のような右手をなぞった。右手は女の話のように動くことはなく、ただそこにあるだけだった。

 私はその右手を、精巧な彫刻と見なした金額で買い取った。おそらく末期の病であろう女の見舞金にでもなれば、という気持ちもほんの少しだけあった。


 その右手は今も私の質屋にある。かれの旅の終着点はここだったらしい――というか、かれにとって、おそらく彼女を家の外へ出すことが目的だったのではなかろうか。

 なぜなら彼女はその後、元気にやっているらしいからだ。たまにこの店を通りかかり、たまに店先のショーウィンドウに出す右手を、微笑みながら眺めて手を振る。そして通り過ぎていく。

 そのとき、ほんの少しだけ手の形が変わることを、今は私だけが知っている。




―――

お題「渡る」「当たらない」「模様」「使いつくす」「誓いの指」

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