ふどらいまとめ

黒い鳥

 森で射られたことがある。短矢は肩に深く突き刺さって、骨を砕くとともに、左腕を奪っていった。

「返しのついた矢は引き抜けなかったから、そのまま貫いて抜くしかなかったのだって。矢羽根をむしって、ぐいっと押し抜いたと聞くよ」

「ひどいことをするのね」

 長い睫毛を伏せて、女は気の毒そうに言った。少しへこんだままの肩口の傷に触れる指先は冷たく、くすぐったくて彼は肩をすくめる。ごめんなさい、と女が布を引き上げると、青年は居心地悪そうにはだけた襟を正した。

「矢が刺さったままじゃ、暮らせないだろ。それで、お姉さんの気は済んだかい?」

 突然に家へ訪れて、肩の怪我を見せてほしいと言われたのは日も暮れかけた夕方だった。彼とて不審を覚えなかったわけではない。けれど線の細い女性と、旅慣れた護衛と思わしき二人組を相手に、青年には関わらずに逃げ出せる未来を見いだせなかった。従った方が早く終わる、すぐ終わる、長い目で見れば得だぞ、と虐げられ続けた長年の勘が囁いたのだ。

「ええ、ありがとう。羽毛が残っているわね。一度開いて、取り除いた方がいい」

「切るのは嫌だよ」

 青年は思わず断った。そうしてから、少し戸惑って、唇を尖らせた。

「痛いのは、いやだ」

「そうね。なるべく、痛みがないようにする。傷も小さく、血もあまり出ないように」

「羽毛くらい残っていたって、いいんじゃないの? もう膿んだりしてもいない。毒だってもう抜けたんだよ」

 矢で撃たれた後遺症には長らく苦しめられたが、今はすっかりよくなった。左腕が動かない以外は、撃たれたことを忘れられる程度には。

 青年が村を出たことで、もう追ってくるものはいなくなったし、生活は安穏としている。冬支度をひとりでしなければならないから、夏の終わりから忙しい日々が続くが、それ以外では特に困ったこともない。盗まれることもないし、殴られることもない。

「でも、怖いでしょう?」

 女は青年の肩に衣服の上からそっと触れた。

「ここが、ふるえる夜があるでしょう?」

 ない、と首を振って追い出してしまえばよかったのに。言葉に詰まってしまった青年を、護衛の男がひょいと軽々と肩へ担ぎ上げた。

「おい、離せ!」

 青年は思わず抱えられた太い腕にしがみついた。暴れるよりもしがみつくことを優先したのは、この高さから落とされると結局、動けなくなり捕まることがわかっているからだ。言っていることとやっていることが噛み合っていないのは重々承知だが、持ち上げられることには恐怖心が勝った。

「やさしくしてあげて」

「時間がなかろう」

 女の抗議を、男がばっさりと切り捨てる。

 女は担ぎ上げられた青年の頭を仰ぎ、言った。

「すこし前に、この森に翼の色が変わる、不思議な鳥がいたそうなの。その鳥はある日、殺されてしまったそうね?」

「ああ、いつだったか、領主が狩りで捕ったっていう鳥だろう? あんまり美しかったから羽根の一本さえも大事にしていたって」

「そうらしいわね。いつしか清らかな力がやどっているのだといって、悪魔退治の矢に使えると教会が言い出して、その羽根を何本か奪っていったとか」

「ちょっと、俺の家でそういうことを言うのはやめてくれよ、巻き込んでくれるな!」

 教会の悪口なんて勘弁してくれ、と青年が声をあげると、女はごめんなさいと謝った。すぐに謝罪を口にするところが、なんだかむずがゆくて困る。

「その後しばらくして、領主の家が襲われたのは知っている? 黒い大きな鳥に」

「知らないよ。俺が森に引きこもった後なんじゃないか?」

 村にいればそういう話を聞くこともあったかもしれないが、残念ながら青年は森に引きこもっており、追い出された日以来、村を訪れてはいなかった。

「黒い大きな鳥は、羽根をすべて食べていったわ。あの鳥は、カケラを食べにくるの。教会も襲われた。あなたの肩に残っている、羽毛だってカケラだわ」

 青年は男の腕にしがみつく力を強めた。

「黒い大きな鳥なんて知らない」

「知らなくてもいい。あなたの肩に残った羽毛を、私は手に入れなければならないの。あなたは夜に怯えなくてもよくなる。私は安心する。本当に一時よ。痛くしない、約束するわ」

 女は青年の強ばった手に触れて、指に触れて、じっと青年を見上げた。痛いのと、煩わしいのと、数日間の熱と、安寧と。さまざまなものを天秤にかけて、青年はうなずいた。

「それであんたの気が済むのなら」


 女の細い指が青年の衣服を剥ぎ、肩の皮膚をさまよって、歪に閉じた傷口に触れる。肩上で自分では見えないのが、やけにもどかしかった。いっそ見えなければ何も気になるまい、と目を閉じようとした瞬間、とんでもない怖気を感じてぞわぞわと足下から頭のてっぺんまで毛が逆立った。

 羽毛。羽毛だ、触れていたはずの女の体からぶわりと一面に黒い羽根が生えて、翼が広がって、青年を包み込んだ。巨大な鳥。大きな、黒い鳥。羽根をすべて食べていった……。

 喰われてしまう、と頭が追いついて悲鳴を上げようとした瞬間、後ろから大きな手で瞼を覆われて、ついでに口も塞がれた。更に混乱して暴れようとしたところで、ちくりとした痛みが肩に走る。

「ぎゃあ!」

 大声で叫んで仰け反った体を、護衛の男に支えられた。目の前にはきょとんとした顔で小さな小さな何かを指につまんでいる女がいる。

「ごめんなさい、そんなに痛かったかしら」

「え、いや、あれ?」

 ぱちくりと目を瞬かせたが、女の白い肌には鳥の羽などひとつもなかったし、自分が何を見たのか、青年はもう信じられなくなっていた。

「きちんと取れたわ。よかった、もう大丈夫。傷口も開かなかったから、痛みが続いたりもしないはずよ」

 何かに騙されたような気がして肩を摩ってみるが、そこには痛みひとつなく、歪な傷口の手触りだけがした。

「夜分にごめんなさいね。ありがとう、失礼するわ」

「もうずいぶん暗いけど、まさか出ていくのか?」

 一晩は確実に泊めなければならないだろうと、自分の寝床の心配をしていた青年は驚いた。女は青年の驚きが理解できないように首を傾げている。

「用事が済んだのに、長居は出来ないわ。それに、ここにいては迷惑がかかってしまう。もうすぐに出て行かなくちゃ。臆病者が騒いでいるもの」

「臆病者?」

 女は少し肩をすくめるようにして、弾かれたように立ち上がって、家を出て行った。呆気にとられて見守ってしまったが、慌てて立ち上がって後を追う。護衛の男も青年のあとから悠然とついてきた。彼が慌てていないところをみると、これがいつものことなのだろうか。

「なにかしら合図をしてから走れ」

「合図なんてないわ。怖くなるだけ」

 男の言葉にそう返して、女はもうすっかり日の落ちた山向こうを見つめる。

「はやく逃げなくちゃ、捕まってしまうわ。連れて行って」

 女がいい、男が青年を追い抜いて、前へ出た。

 ぶわりと羽毛が舞った。

 黒い羽根が舞い、飛び散った。

 青年が目を開けると、ふたりの姿はもう何処にもなかった。飛び散ったようにみえた黒い羽根も、ひとつも残っていなかった。


 それから不思議なことに、青年の肩の傷口はゆっくりと癒えていった。腕が動くことはなかったが、傷跡だけは跡形もなく消えた。そしてあるとき村から人が訪れたが、青年のことを知るものは誰一人いなくなっていた。

 狩猟大会で不思議な鳥を射殺し、その成果を領主に奪われた。村一番の弓の腕前を嫉まれて、射られて肩の骨を潰された。教会が羽根を求めた後には、神の使いを射殺したと村を追われた青年を、誰ひとり覚えていなかったのだ。

 青年はどうしてこんな不自由な森にひとり暮らしているのだとひどく同情され、村へ戻ることになった。

 不思議なことに青年もまた、その頃には、自分の左腕は生まれつき動かないのだと記憶していた。

 ただ時々、夜になると黒い鳥を探して怯えることがあったという。



―――

お題「色変わり」「集める」「合図」「冬じたく」「食べられる」

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