悪夢をめしあがれ
昔、あなたと旅をしたことがあったのを覚えている? わたしがまだ幼かった頃。村のみんなが眠ってしまって、途方に暮れて、わたしは森へ行った。そしてあなたと出会った。
あなた、あのときはまだとても小さかった。檻のなかで縮こまったあなたを初めて見たとき、なんて哀れなのって思った。わたしはあなたを助け出すと決めた。そして、そうしたわ。
木枯らしの中を一緒に逃げた。手を繋いで、たくさん走った。あなたの蹄の足があれほど高く跳べなかったら、わたしたち、今もきっとあの木嵐のさみしい森の中で彷徨っていたでしょうね。
村へ帰ってきたときは、夢の続きを見るようだった。旅から帰って日常に戻ることが出来ないって、足を痛めて行商をやめたおじさまが言っていたこと、わたし、あのとき初めて理解できた。旅から帰って、日常に戻ることは、たしかにとても難しくて、簡単なことではなかった。
あのね。
村のみんなが眠ってしまって、わたしひとりだけ起きていた最初の夜、わたし本当は、とても楽しかった。だって誰にも邪魔をされない。歌っても踊っても、母さんが冬まで食べてはだめって漬け込んだ木苺の蜂蜜漬けを食べてしまっても、誰も怒らなかった。
弟もずっと眠っていて、面倒を見る必要もなかった。山羊だって眠っていて、お世話しなくてもよかった。なんてしあわせなのって感激した。最高だって。
三日経って、ようやくわたしは怖くなった。ううん、怖くなった、というのはきっと正しくない。食べるものが少なくて、洗濯や掃除もひとりでは大変で、誰かにわたしの面倒を見てほしくなった。みんな寝てるなんてずるい。そう、悔しくなったの。
わたしは身勝手でわがままで、いつだって自分のことしか考えていない。そういう子どもだった。――いいえ、今でも。
森へ旅に出たのは七日目。出来ればみんな自分で起きてきてくれないかなって思っていたらそれくらい経っていた。だってみんなのために行動したくなかった。だからそれが真実わたしのための行動になるために、時間がかかってしまった。
あなたを見つけたとき、わたしは嬉しかった。檻の中にいた小さなあなた。もし誰も目覚めなかったら、この子を働かせようって思った。わたしのために、いろいろなことをしてもらおう。そのために、たくさん恩を着せなくちゃ、って。
森の魔女は、きっとそういうわたしの狡さを知っていた。だから逃がしてくれたのね。あなたは檻の中から出ていてっても、この森からは逃げられない。わたしがこの村にいる限り、あなたは森で見守っているって、わかっていた。わたしが逃がさないことを知っていた。
村に住めない異形のあなたは、村の近くの森で優しいわたしを待つしかなかった。森の奥でさみしいあなたがひとりでわたしを待っていると思うと、わたしはいつだって、なんだって出来る気がした。わたしより惨めなあなたが、つまらないわたしに生きる価値をくれた。
夢守の娘のくせに村を悪夢に囚われたって貶められたって、なにも感じなかった。だってわたしから夢守の立場を奪ったのは弟だもの。弟が生まれて、わたしは夢守の術を奪われた。おばあちゃんはわたしを捨てて弟を新しい弟子にしたし、おかあさんはわたしをどこかへ嫁にやるために、女の手にしようとした。
だからわたし、村が悪夢に落ちていったとき、楽しくてしょうがなかった。だって、あんなに期待された弟はまんまと眠ってしまって、わたしだけが起きていた。楽しくないわけがなかったわ。
森の魔女は代替わりをするって、知っていた? わたし、ずっと祈っていたの。悪夢の力をください、魔女のかわりに、みんなを夢の中に閉じ込めて、あなたに悪夢をさしあげますって。
だからあなたは、もっとわたしを恨んでいいの。
わたしはあなたを助けたんじゃない。本当ならもう自由になっていたあなたを、新しい檻に入れ替えただけ。森の魔女は、とっくにわたしになっていたのだから。
ねえ、夢守の獏、悪夢を食べる異形のあなた。あなたが探した、悪夢はわたしよ。
大切な、大事に思ってきたわたしを食べるのは、あなたにとってどんなに悪夢なのかしら。きっとわたしはとても不味くて、喉ごしも悪くて、ずっとあなたのおなかの中で、あなたを苦しめ続けることでしょう。
さようなら、わたしのかわいい異形のあなた。
さあ、どうぞめしあがれ。
――――――
お題「木枯らし」「夏の思い出」「甘いかたまり」(甘くない)「気付け」「暗転」
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