第十話 -暗殺家業Case2その2-

『汝、我が万能にて意気を示せ。伏している暇は無いぞ。さぁ、目を覚ますのだ』


 頭に響いた声は、力強い男の声だった。目を覚ます少し前、あらゆる属性の知識が流れ込んできた。頭が割れそうだった。

 あれは一体なんだったのだろうか。万能。その言葉通り、俗に言う四大元素全ての属性の魔術知識が俺の身に宿ったのか、それともただの幻聴か。小屋へと急ぎながらでは、考えている暇は無かった。

「コンセィデとテルミノスはまだしも、ジャックとリベリは戦えるかわからねぇ!」

「ああ。微力かもしれないけど、俺たちが合流するに越したことは無い。急ごう!」

「わたし、今なら二人に奇跡かけれるかもしれない!」

「なんだって?」

「だから、奇跡かけれるかも!」

「もしやと思ったけど、へレアは恐らく光の精霊と対話が出来たんだ」

「マジかよ! ひとつ頼む!」

「まだ勝手が分からないから、一種類だけだけど、やってみる!」

 精霊と契約した場合、呪文法をとらなくても魔法を行使することが出来る。へレアが念じると、俺たちの筋力が増加した気がした。

「多分できた! さっきリベリがやってくれたのと同じ感じだと思う!」

「助かる! ペース上げるぞ!」

「ああ!」

 俺たち三人が小屋付近へとたどり着くと、戦闘の音が聞こえた。見れば、コンセィデとテルミノスがデーモンの大ぶりな攻撃を的確に見切り、寸でのところで躱しながら持久戦に持ち込んでいた。損傷がひどいのか、ジャックはまだ小屋跡の中でリベリに奇跡による治癒を受けている。

「加勢するぞ! コンセィデ!」

「うん。頼むよ!」

 スキプティという戦術がある。二人以上で共通の敵と相対した場合、交代で敵の間合いから逃れ、体力を回復しつつ、もう一人の戦闘を観察することで、敵を分析し、交代の度にそれを繰り返して行く。利点は長時間の戦闘を可能にすること。同時に、敵への有効打を短時間で割り出すことが出来ること。

 コンセィデが引くと同時に俺はデーモンの間合いに踏み込み、攻撃を仕掛ける。先程奴の背に与えた猛攻とは違い、手足の健を目がけた様子見の斬撃。どれも有効ではなく、デーモンはものともせず攻撃を繰り出して来た。

「クッソ!」

「エヴェルト! 細かな攻撃は殆ど効果が無いみたいだ! もう数十回は攻撃したけど、勢いが衰えない!」

 俺はコンセィデほど動きが身軽ではない。攻撃をいなし続けようにも、奴の攻撃は一発一発が重すぎる。アレを食らったら、体の芯を逸らそうが衝撃までは防げない。かすっただけでも致命傷は確実だ。唯一幸運なのは、奴の動きが多少鈍重であることだけか……。俺の体捌きでも躱すことが出来そうだ。しかし、攻撃がまったく効いていないとなると、スキプティも有効とは言えないか。

「エヴェルト! 代わるぞ!」

「シルヴァ!」

 マトモなダメージを与えられない俺たちでは、もはやどうしようもないが、野営の時見せたアイツのエーテル術ならあるいは……。

 デーモンの攻撃を躱し、脇腹を目がけて突き出したシルヴァ手から稲光のような光が走ったかと思うと、デーモンの右半身が爆炎に包まれた。

「やったか……?」

「いや……」

 巻き上がった土煙から姿を見せたデーモン。その右半身は多少焦げ跡が就いた程度で、火傷さえ見て取れなかった。

「どけ! シルヴァ!」

「イゥヴェンス?」

 先程まで全快に見えたテルミノスは、なぜか疲労を浮かべていた。その右手には、遺物と思しきガントレットが装着されていた。

「くらえバケモン!!」

 突き出したテルミノスの拳が眩い閃光を放ったかと思うと、太い光線がデーモンの右胸を貫いた。欠損したその孔からは、向こうの景色が覗いている。

「いいぞ! テルミノス!」

「くそ……」

「!?」

 力を使い果たしたように、テルミノスはその場に崩れ落ちた。右胸に孔が空いているにもかかわらず、殆ど変わらぬ様子でデーモンはテルミノスに向かって突進し出した。

「避けろ! テルミノス!」

「ダメだ! 間に合わない!」

「イゥヴェンス!」

 俺たち三人がせめて駆け出そうとしたとき、テルミノスの前にジャックが立った。

「まって。まだ治癒が済んでない!」

「来るな!」

 彼の行動を止めようと声を上げたリベリを、ジャックは制止した。

「オレはまだ生きてるぞ! こんなチンケな犬一匹殺せねぇのか山羊頭!」

 その挑発は、言語を理解しているのかそれとも、ジャックの気迫に応じたのか、デーモンは突進の勢いをそのままにジャックの頭を鷲掴みにし、そのまま地面へと叩きつけた。

「ッが!!」

 肺が潰されたような息とも声ともつかない何かを漏らすジャックを離さずに、デーモンは続けざまにジャックの身体を振り回しては、地面に叩きつけ続ける。見れば、ジャックは頭を離そうとしたデーモンの手に噛みついていた。そのせいで、彼は何度も地面にたたきつけられている。だというのに、俺たち全員を庇う為か、ジャックは顎の力を弱めはしない。

「やめろ……! やめろ馬鹿犬! もういい!! もう……やめてくれ……」

 腕一本動かせないのか、頭を擡げたテルミノスは血が滲むほど歯を食いしばり、悔しさからか地面に頭突きをかました。

 十七回目の地面との衝突を終えた時、とうとうジャックは力尽きた。地面に伏したジャックの上で、脚を上げるデーモン。何をする気か、すぐに分かった。そのまま踏みつぶし、治癒さえ許さないつもりだ。

「やめろぉぉぉおお!!」

 駆け出した俺たちよりも早く、彼の元にたどり着いたのはリベリとへレアだった。震えをこらえ、へレアは鎗を構え、リベリは素早くジャックの治癒を始めた。

「来るなら来い!」

 へレアがここまで声を荒げたのは、初めての事だった。へレアの放った突きは、デーモンの足裏へと突き刺さる。

「!?」

 よく見れば、奴の手のひらには傷がついていた。そして鎗が貫いたのも足の裏。奴の弱点はそう――

「手のひらと足の裏だ! へレア! そのまま奴の体制を崩せ!」

「加勢する!」

 駆け出したコンセィデは、絡みつくようにしてデーモンの上半身のバランスを崩し、その隙をついたへレアの薙ぎによって、デーモンは地面に腰を落とした。

「いまだ!!」

 満身創痍のテルミノスとジャック、それを治療するリベリを除いた俺たち四人が一斉に攻撃しようとした。その瞬間だった。

「な、なんだ!?」

 デーモンが空気が揺れるような咆哮を上げた。それを耳にした俺たちの動きが、駆け出した勢いも何もかもを無視して制止する。

「動けねぇ……!!」

「これは……呪いか!!」

 呪い。アンデッド系の魔物が稀に行使するという、呪術や闇属性に類似する魔法の一種。性質は様々だが、強制的に動きを止めるものや、エーテルの弱い者の命を強制的に奪うものなど、強力だという。

 身動きを封じられた俺たちに、瞳に愉悦を浮かべたデーモンがゆっくりと近づく。

「クソ!!」

 俺たちに、もう手立てはなかった。この場に居た全員が死を予感したその時。黒いローブを身に纏った一人の男が現れた。

「兄……上……?」

 フードを剥いだその男は、魔法学院三回生。闇のクラスの優等生にしてテルミノスの兄。ファスティディオム・テルミノスだった。

「今はルイナスに居るはずでは……」

「バカ! 分からねぇのかテルミノス! こいつは……!!」

 あのローブは、古城に出入りしていた一味と同じものだ。それはつまり、ファスティディオム・テルミノスがその一員であることを証明していた。

「我が弟ながら、その愚かさには辟易するな」

「兄上……何を」

「この地で民を攫い、それを贄として召喚した魔物を使役しているのは私だ」

「!?」

「なぜ……なぜです! 兄上!!」

「この帝国を、仕組みを、壊すためだ。お前に理解されようとは思わん。我が愚弟よ。お前は何も知らぬまま生きていくがいい。この世に正邪の道があるならば、我が道は正道だ」

 闇属性の呪術か、黒い霧のようなものがファスティディオムとデーモンを包んでいく。

「ま、待て!! そいつをどうするつもりだ!!」

「デラン人奴隷か。帝国が産んだ哀れな者共。喜ぶがいい。これはお前たちの為に使役するのだ」

「何を……?」

 霧が濃さを増し、光一つ無い闇の塊になったと思えば、やがてそれは霧散した。そこにはもう、奴らの姿は無かった。

 リベリと、彼女に教えてもらったへレアによる治癒の奇跡によって、翌日までには全員が普段通りの状態に回復した。支援任務二日目を迎えた俺たちは、日中の魔物討伐を行っていた。

「クソ……」

「機嫌悪そうだなぁ。エヴェルト」

「あたりめぇだろ! あんな勝ち逃げみてーなことされて納得いくか!」

「ひとまず、自供があった以上、ファスティディオムは倒さなくちゃならないんだ。リベンジの機会はあるさ」

 コンセィデは呑気なことを言っているが、まだコニウラツィオ・テルミノスが無実となったわけじゃない。殺す人間が二人になったのかもしれないし、それはテルミノスにとって全ての肉親を失うということだ。こんなに気分の悪い話はない。

「たとえ、父上が兄上の事を承知していなかったとしても、俺はもうあの人に剣を向けることに反対はしない。身内の犯行に気づけない人なら、既に城主の器にない」

 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、テルミノスは自分自身に言い聞かせるようにそう言った。

「剣を向けるって、何の話」

 リベリは真っ直ぐな目で訊いて来た。シルヴァは何かを察していたのか、効いていないふりをしていたようで、リベリの言葉に口を開けていた。

「ここまで巻き込んでしまったのだ。話してやれよハフ」

「あ、あぁ……」

 コンセィデはリベリ、シルヴァ、そしてジャックに対して、俺たちの事情を話して聞かせた。

「そう……」

「元凶が分かったと思ったけど、容疑者が増えただけって訳か。まぁ、もともとテルミノスの領主は食えない人だ。何か画策していたとしても不思議はない。その上、身内の凶事に気づかない程バカじゃない。容疑者が増えたどころか、二人ともクロかもしれないな」

「……」

 ジャックは黙っていた。自身の主、テルミノスの気持ちを汲んだのだろう。

「雑魚の片付けが終わったら、夜まで待機してあの小屋の地下から城に忍び込もう。どちらにせよ、君の父君の事は調査しなくちゃいけない。いいね。テルミノス」

「……ああ」

 かくして、俺たちはその夜、再び人工河川横の小屋跡地へと向かった。


 長い地下通路を抜けた先には、テルミノス城の地下牢が広がっていた。

「地下牢か。辺境の領主とはいえ、流石に貴族だな……」

「嫌味を言うなシルヴァ。町で罪人が出た場合以外、ここは殆ど使われていない」

 その牢の一つに、小ぶりだがレクススパイダーという魔物が居た。

「魔物も牢に入れるのか?」

「これは……」

「俺が戦った魔物の基本種だ。元になったのは、この町の子供だ……」

「それがどうしてここに……」

 コンセィデは自分で言っていて、明確に頭に浮かぶその答えを振り払いたい様だった。領主が一枚噛んで居なければ、こんな場所にその魔物を”保管”しておくはずがない。

「この時間、従者は?」

「眠っているはずだ。城内に衛兵はいない。父上の私室には簡単に忍び込める。万一見つかっても、俺を使えば切り抜けられるだろうな」

 そうして、俺たちはテルミノスに案内される形で、城内部へと潜入した。コニウラツィオの私室には、テルミノスの言葉通り簡単に侵入することが出来た。

「こいつは……」

 山のような書類をかき分け、見つけた一つの書簡。そこには魔物を召喚する遺物と、召喚した魔物の使役方法が事細かに書かれていた。

「クロか……」

 諦めたような脱力感を孕んで、コンセィデは来客用のソファへと座り込んだ。

「証拠としては十分だ。書簡の差出人は不明だが、宛名はコニウラツィオ・テルミノスになっている。言い逃れも出来ないだろうな」

「シルヴァ。お前……もういいから……黙れ」

「あぁ、悪い……」

 通夜のような雰囲気のまま、領主コニウラツィオ・テルミノスの寝所へと向かう。

「テルミノス。外で待っていていいんだぞ」

「殺す前に、真意を聞きたい。息子としてではなく、この先のテルミノスを背負う者として」

「そうか……」

「礼を言う。エヴェルト」

「僕らは君の気持を尊重する」

「ハフ。俺は……。俺に、出来るだろうか。民を導くことが」

「テルミノス。当主たる者はきっと、導き手じゃないよ。支柱だ。民を支え、中心を往く者だ」

「そうか……。……そうだな」

 珍しく弱気なテルミノスを尻目に、俺たちは寝所へとたどり着いた。扉を開けると、悠長に寝息を立てるテルミノスの凶事の元凶が居た。

「父上。起きてください」

 優しくも覚悟を感じる声色で、テルミノスは自らの父を起こす。

「……イゥヴェンスか。なぜここに居るのだ……。その者達は……?」

「あなたを断じに来たのです」

 コニウラツィオはその言葉を耳にしてなお、ゆっくりと体を起こすにとどまった。

「そうか」

「そうか……。それだけですか?」

「今更何を言えと申す。そなたらが見た物、聞いた事。全て真実だ」

「……。なぜです!」

 テルミノスは、義憤に握りしめた拳の行き場を探しているようだった。

「イゥヴェンス。そなたは知らぬだろう。ファスティディオムの母。我が侍女だった女がなぜ死んだのか」

「それが、なんだというのです……」

「あれはデラン人だった。この町、テルミノスは古くから存在する田舎町だ。風習も色濃い。デラン人を厄災を呼ぶと蔑む者も多かった。それはあれを我が妻としてもなお、牙をむいたのだ。言い様の無い侮蔑の目が常にあった。そして、ファスティディオムを生んだ後、民は純粋なアンセム人である我が息子さえ差別した。しかし、あれは明るく、強かった。問題はその後。あれはファスティディオムの弟。そなたの兄となるはずだった子を孕んだ。それを……。それを奴らは! 母子共々袋叩きにしたッ!!」

「なぜ……そんな……」

「許せるはずもない……。ゆっくりと、自然を装い十数年にわたってその時の加害者の子、親、兄弟に至るまで魔物に食わせ、時に召喚の贄とした。亡き妻と我が子の無念を晴らす為に……。後悔はしていない。懺悔もない。殺すなら殺すがいい。だが忘れるな。人は皆、この帝国。世界の仕組みの奴隷なのだと……」

 初日に見せた穏やかな顔は見る影もなく、怒り一色の深いシワが刻み込まれた相貌。その瞳には憎しみだけが宿っていた。

「テルミノス、少しいいだろうか?」

「ああ」

「コニウラツィオ・テルミノス。あなたに一つ聞きたい。古城に出入りしていた集団が、あなたに遺物という復讐の手段を与えたのか?」

 そんなことを聞いたところで、この男が吐くとは思えなかった。しかし――

「そうだ」

 意外だった。こういう手合は情報を抱えたまま死ぬものだと思っていた。

「彼らは一体?」

「私も知らぬ。ただ、奴らは世界を破壊し、新たな秩序を創ると言っていた。なぜだろうな。滅べばいいとしか思っていなかったはずが、もしも……。もしも民と妻、その子と共に暮らせる未来があったのならと……。そう、思ってしまったのだ。だから、奴らに手を貸した」

「手を貸した? いったい何を――」

 その時、その場にいる全員が動きを止めた。いや、動けなくなったのだ。昨日俺たちがデーモンにかけられた呪いが、その場に再現されたのだ。

「父上。あなたには失望しましたよ。こんなにも易々と憎悪を手放してしまうなど……」

 俺たちの背後、寝所の扉から現れたのは、山羊頭のデーモンを引き連れたファスティディオム・テルミノスだった。

「さようなら。父上」

 そう言うと、ファスティディオムは手にした刺突剣で自らの父親の喉元を静かに突き刺した。

「あ……兄…………上……」

「イゥヴェンス。よく口を動かせたな。お前は私に比べ愚鈍だと思っていたが、多少評価を改めなくてはいけないか。だがまぁ、それも詮無き事。お前はこれに敗れ、死ぬのだ。生きて再び相まみえることがあれば、今度は私が直接殺してやろう。では、さらばだ。我が愚弟よ」

 そう言い残し、ファスティディオムは黒い霧に包まれ、その場を後にした。呪いの効果によって、うまく体を動かすことが出来ない。しかし、そんなことを気にする暇もなく、デーモンは俺たちを薙ぎ払った。

「ぐあッ!!!」

 叩きつけられた壁がパラパラと木くずをこぼし、抉れた凹みから体を起こす。

「わかったぜ……コイツの呪いは、コイツが攻撃を繰り出せば解除される……!」

「ああ。おそらくだがな……」

「でもどうする。この狭い屋内じゃ、全部アイツの間合いだぞ!」

「シルヴァ、壁を破壊しろ!」

「いいのか!?」

「どのみちコイツが暴れれば、ここはタダじゃ済まない。いいからやれ!」

「あ、ああ!」

 稲妻のような閃光が走り、シルヴァのエーテル術が炸裂する。瞬間的に崩れ去った一面の壁から、寝静まったテルミノスの町が見える。

「いくぞ!」

「行くって!?」

「跳べ!!」

 テルミノスとジャックは、高い塔の上にあるこの部屋からすんなりと飛び降りていった。

「マジかよ……!」

「グオォォオオオオオオオ!!!」

 困惑する俺たちを無視するように、デーモンは雄たけびを上げ、俺たちに襲い掛かろうとしていた。

「ええい! ままよ!」

 コンセィデは意を決して飛び降り、それに続いてへレア、シルヴァ、リベリそして俺が飛び降りる。地面と夜空の間に揺蕩う夜風の中で、着地について考えていないことを焦ったが、下ではテルミノスが呪文法により風の膜を作っていた。

「あ、あぶねぇ……死ぬかと思った……」

「俺が風の精霊と契約していてよかっただろ?」

「助かったよ。テルミノス」

「お、おう」

 そんな会話をしている場合ではなく、デーモンもまた、あの塔の上からこちらに向かって飛び降りてきていた。

「来るぞ!」

「リベンジと行こうじゃねぇか!!」

 俺たちは散開し、奴を迎え撃つ。散開した俺たちのちょうど中央に飛び込む形でデーモンが姿を現すと、俺はすかさずある物を取り出す。

「攻撃を放ったら解呪されるなら、その攻撃をいなせばいい話だ!」

 かつてテオフラストスにへレアと教わった唯一のエーテル術。空間生成。概念的別空間に所有物を閉じ込めるというもの。所有物の概念は持ち上げることのできる非生物で、かつ手触り、重さ、硬さ、常温畤の温度などを多少の誤差の範囲内で記憶している物体。使い勝手はあまりよくないが、肌身離さず持つことのできる物なら数週間も寝食を共にすれば問題はない。

 俺が生成した空間から取り出したのは、グウィフの街の武器屋で購入した大盾。手持ちの金貨全てと数週間の店番をしてなお値切りに値切って手に入れた帝国兵御用達の逸品。

「リベリ! へレア! 俺にありったけの身体強化をかけてくれ!」

「わかった」

「やってみる!」

 俗にタンクと呼ばれる前衛の立ち位置がある。回避を得意とするタンクや、体力の続く限り攻撃を耐え続けるタンクなどが居るが、俺の俊敏さでは後者を選択するのが適切だった。以前からタンクについて考えていたこともあり、大盾を購入していて良かった。

「グギャォァァアアアア!!」

 雄叫びを上げたその瞬間、俺はわざとデーモンの間合いに飛び込み、大盾を構える。案の定、身動きが取れなくなったが、奴の大ぶりな薙ぎは大盾にあたって弾かれる。衝撃は凄まじいが、計九重にかかった身体強化を前にはほとんど無効化された。

「効かねぇなぁ!! 今だッ!」

 俺の合図を皮切りに、コンセィデとジャックがデーモンに組み付き体制を崩す。身じろぎ暴れて二人を振り払おうとした奴の腕に、シルヴァが剣を突き刺した。突きの的確さだけで言えばシルヴァのそれはローグさんに匹敵する。手のひらから突き刺さった剣は、そのまま前腕を斜めに突き抜け、尺骨と橈骨の間を縫うようにして切っ先を覗かせた。

「グァァアアアア!!」

 デーモンにも痛覚はあるのか、堪らぬといった様子で奴は剣の突き刺さった腕を大きく振り回し、組み付いていた二人とシルヴァを振りほどいた。

「来るぞ! 下がれ!」

「させるか!」

 大盾のすぐ近くに、テルミノスが立つと、装着したガントレットから閃光が放たれる。放たれた光線は奴の胸のど真ん中を的確に貫いたが、それでもデーモンは雄たけびを上げた。

 瞬間、俺は大盾を構えたが、失念していた。俺とデーモン、そしてテルミノスとデーモンの距離はほぼ同じ。どちらもデーモンの間合いの中だったのだ。

 まだ機能する左腕から放たれた、怒りを孕んだ一撃がテルミノスの身体を捉え、瞬く間にテルミノスはその場から消失した。いや、吹き飛んだのだ。体が自由になった直後、テルミノスが吹き飛んだであろう方向に目をやると、身体のひしゃげたテルミノスが城の壁を破壊して回廊に横たわっていた。

「クソッ!!」

「よそ見するなエヴェルト! まだソイツの間合いだ!」

 シルヴァの声に振り返った眼前には、使えなくなった腕を引きちぎり、武器のように振り上げたデーモンが居た。

 振り下ろされた攻撃は、長さを増した分、強靭な振り下ろしに遠心力が加算され、今までの比ではない衝撃を伴って大盾とそれを掴む俺の両腕を軋ませた。同じかそれ以上の猛攻が繰り返され、九重の身体強化をもってしても力関係が五分であったことを理解する。

「もう……もうもたねぇ!!」

「しっかり構えててくれエヴェルト!」

 攻めあぐねていたコンセィデを置いて、シルヴァがデーモンの間合いへと飛び込んだ。今までにないほどの眩い稲光が数回走ったかと思えば、熱と爆音。いや、正確には大盾越しでも血液が沸騰しそうな程の熱波と、瞬時に聴力を失うほどの轟音だった。炸裂した爆発に、デーモンの巨体が宙に浮いた。

 その隙を見逃さなかったのは、俺でもシルヴァでもコンセィデでもなかった。大盾の脇をかすめて、鋭い光線が走った。それは宙に浮いた奴の足裏を正確に貫き、そして脳天まで一直線に孔を空けて見せた。

「グギャァァァアアア!!」

 金切り音にも似た、悲鳴じみた雄叫びを反響させ、地面に打ち付けられたデーモンは動かなくなった。

「死んだのか……?」

「うん。間違いない。絶命したみたいだ」

 コンセィデが絶命を確認したその瞬間、緊張の糸が切れたのか俺はその場に崩れ落ちた。

「もう指一本動かせねぇや……」

 運び出された瀕死の功労者テルミノスは、かろうじて意識がある様で、口元だけを嫌味ににやけさせていた。


 朝日が昇ると、リベリとへレアの二人がかりで治癒を受けたテルミノスは完全復活した。城で眠っていた従者たちは、塔の壁を破壊した時点で避難していたらしく、運悪くデーモンを連れたファスティディオムに出くわした二人の門番と領主コニウラツィオ・テルミノス以外、命に別状はなかった。

 俺たちと言えば、夜間の学院生のみでの戦闘行為について、帝国騎士団の連中にひどく仕置きを受けたが、デーモンの攻撃に比べれば子供のようなものだった。逆に、テルミノスの町人たちは撃退したデーモンの死骸を目にして、俺たちに感謝を述べた。

「ありがとうって、言われてもなぁ……」

「まぁ、あまりいい気分はしないよね」

「ああ。でも、ここの人たちは二年前、テルミノスに来たばかりのデラン人のよそ者だった俺にひどく良くしてくれた。きっと、過去を悔やんでいる人も多いはずだ。俺はそう信じたい」

 シルヴァはそう言った。なんだかんだ気の遣えない男ではあるが、だからこそシルヴァの言葉には本心しか宿らない。テルミノスはいつの間にか、俯くのを辞めて前を見ていた。

 その後の話。結局、更なる問題は起こることなく、支援任務は無事に終わった。テルミノスは学院を卒業するまで当主代理を立て、卒業と共に爵位を継ぐらしい。当主代理は近年テルミノスを発展させた商会の会主、ヘイリ・メトゥーが務めるという。どういう人物なのか俺は知らないが、シルヴァは納得していたようだった。

 俺たちは暗殺に失敗した。だが、実行犯であるファスティディオムは失踪。学院からも自主退学し行方をくらました。結果、領主が死亡したという事実だけが宙に浮いた。これに対して、皇帝は暗殺が成功したということにしたいらしく、少しばかり多めに報酬を支払ってきたという。国民の無用な混乱を避けるため。だとかなんとか。

 とにかく、俺たちはまた一歩自由身分に近づいたわけだが、へレア、コンセィデ、俺の三人の気持ちは、とてもめでたしめでたしという訳にはいかなかった。

「後味の悪い任務だったな」

「任務がというか、向こうの事情がね……」

「結局、あのローブの人たちのことは分かったんですか?」

「いや。報告は上げたから、ハフ家の使いが調査しているだろうけど、今のところこれといった報告はないね」

 連中のような奴らが、最も醜悪だ。人の心に付け込み、甘言によって希望をちらつかせ操る。ま、利用されているという点では、レクス・ハフに対する俺たちも同じ様な物か。

「結局三人は、いつまでソレやる気なんだ?」

 シルヴァは相変わらず、察するということが苦手なようだ。

「僕は継ぐことになってるからね……いつまでと言われたら、いつまでも……」

「当主になったらコンセィデ。自分で決めていいんじゃないか?」

「!」

 はっとした表情を浮かべたかと思うと、コンセィデはぶつぶつと独り言を呟きながら考え事を始めた。

「ま、どうするかはコンセィデ次第だな。俺たちは自由身分が手に入ったら足を洗うつもりだが」

「そうだね。そうしたい」

「それで、自由になったら二人は何するの」

 いつの間にか談話室に居たリベリがぽつりと言った。その言葉に、俺は衝撃を受けた。先の事を何も考えていなかったからだ。我ながら、ここまで奴隷が染みついていたのかと自分自身に恥ずかしさと怒りが湧いて来た。

「俺は……あれだよ。あの~~~……。そう。傭兵か冒険者だな」

「魔法研究って夢はなんだかんだ叶っちゃったしなぁ。わたしもなにか探さなきゃ」

 その瞬間だけは、なぜだか故郷の匂いがした。

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