第16話 黒銀の咆哮

火玉が着弾した地点には、炎と煙が渦巻いていた。

木々は焼け焦げ、土は抉れ、空気そのものが震えている。

烈道は火の粉を浴びながらも、冷静に周囲を見渡した。


焦げた木立の間に、何やらごそごそと動くものがある。

目を凝らすと、そこには──頭に木桶をすっぽりと被った大男・丑吉の姿があった。


六尺三寸の巨躯を、まるで山がうずくまるように縮め、焼けた木の根元にしゃがみ込んでいる。

その異様な格好は、どう見ても目立っていたが、当の本人は「見つかっていない」と信じているらしい。

木桶の取っ手を両手でぎゅうと握りしめ、肩をすくめて、小刻みに震えていた。


烈道は眉をひそめ、一歩、足を踏み出す。


もし丑吉が忍びであれば、蹴り飛ばして叱りつけていたところだ。

だが、あいにく丑吉は忍ではない。戦の折に呼び出されるただの山男である。

しかも、いまはそんなことに構っている暇もない。


烈道は無言のまま手を伸ばし、すっと桶をむしり取った。


「死にたいか、間抜け。……行くぞ」


そう言って、ぽすんと桶を地面に放り捨てると、声を押し殺して続けた。


「黙ってついてこい。裏山へ向かう」


烈道の静かな言葉に、丑吉はびくりと身を震わせ、咄嗟に背筋を正した。

そして烈道は、恐怖と驚きに呑まれ、丑吉が声を出すまいとの約束などとうに忘れているだろう──と、半ば諦めかけた。


だが次の瞬間。


丑吉は、口をきゅっと結んだまま、一言も発せず、ぶんぶんと何度も力強く頷いたのである。


それはまるで、「忘れてなどおりませぬ」と、命懸けで訴えるかのようだった。


馬鹿ではあるが、死を前にしてもなお、約束だけは守る。


その姿に、烈道は小さく鼻を鳴らし、再び前を向いた。


他の猛者たちには振り返りもせず、烈道は丑吉を連れて裏山の方へ身を屈めて進み出す。

煙の陰を縫うように、最短距離ではなく、あえて遠回りしながら──化け物に気づかれぬように。


それは、他の忍びたちが自ら囮となって道を作ってくれているという、何よりの信頼の証だった。





その頃──


火玉が着弾した林の一角には、なおも煙と熱気が立ちこめていた。

抉れた大地には煤が降り積もり、炭と化した枝葉が、かすかな風に揺れている。

一帯はまるで、死そのものが佇むかのような、沈黙に包まれていた。


黒銀の化け物が、その爆ぜた地を目指し、無言のまま歩を進めてゆく。

その巨体が一歩進むごとに、地が低く鳴り、小石が震えた。

急がず、しかし迷いもない足取り。

まるで、そこに“獲物”が潜んでいると知っているかのような動きであった。


兜のような頭部から伸びる兎耳状の突起は、動かぬまま空を睨み、

青白く光る双眸が、焼け焦げた木立の奥を無感情に見据えている。

その視線は、物の形を捉えているのではなく──わずかな息遣いや、熱の残り香に反応しているようであった。


やがて、尻尾の先から伸びた三枚羽根が、音もなく静かに開いた。

その根元が明滅し、次なる火玉の光が、じりじりと脈を打ちはじめる。


それはまさしく、“次の死”の兆しであった。





「化け物! こっちだ! どこ狙ってやがる! てめぇの目は腐ってんのかぁ!? 当ててみろ、この雑魚ぉ!!」


静まり返った林に、突如として怒号が響き渡った。


その声に反応するように、黒銀の化け物がぎくりと頭部を巡らせる。

兜の奥に潜む両の眼が、ぎらりと黄に光り、森の闇を貫いて迅太の居場所を正確に捉えた。


たちまち、尻尾の三枚羽根が音もなく展開し、回転の速度を増してゆく。

青白き光が脈打つように明滅し、化け物の全身が獰猛な殺気に包まれた。


兜の奥で目が鋭く輝き、長くしなる尾が一閃。


次の刹那──

尻尾の先より、小型の火玉が矢継ぎ早に放たれた。


ズガガガガッ――!


林に轟く破裂音が夜を震わせ、連なる火玉が怒涛の勢いで迅太を追う。


化け物は、挑発の声を確かに“敵意”と見なしたのである。

それは、忍びたちの仕掛けた策が、いよいよ動き出す合図であった。





迅太は、ひらりと身を沈めるや、地を蹴って大きく跳ね退いた。

その直後、赤白き火玉が爆ぜるような唸りを上げ、爆風とともに彼のもとを駆け抜けたが、そこに迅太の姿は、もはやなかった。


空を裂く熱風の中、迅太の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。


清之助の言っていた、あの厄介な小さき火玉であろうと──

自らの脚さえあれば、避けきれると確信していたに違いない。





その刹那、火玉が放たれた一瞬の隙を逃さず、林の陰に潜んでいた半九郎が、静かに弓を引いた。

狙うはただ一つ、化け物の眼──青白く光る、無機質な右の瞳である。


「……もがき苦しめ」


低く呟くと、これでもかと毒を塗り込んだ矢を、しなやかに放った。

矢は風を裂き、まっすぐに化け物の右眼を射抜いた──かに見えた。


──が、次の瞬間。


カシン、と甲高い音が響き、矢は弾かれた。

毒も鉄も通さぬ堅牢な外殻に弾かれ、矢は虚しく足元に落ちた。


「……目も、通らぬか」


半九郎は目を見開き、口元を歪めて悔しげに呟いた。


そのときである。


化け物の頭部と、尾の先が、ぬるりと同時に動いた。

まるで生き物のように、ゆっくりと半九郎の方角を向いたのである。

その眼には、じんと冷えた光が灯っていた。


次なる獲物を見定めたか──誰もがそう思った、その瞬間。


「おい! こっちだ! 近くに来ねぇと当たらねぇぞ、この鈍のろが!」


弥八の声が、別の方角から飛んだ。

あえて林の中腹に身をさらし、化け物を引きつけんと、大声で挑発を放つ。


黒銀の化け物が、異様な頭部をぐるりと巡らせる。

眼前に次々と湧き出る虫けらども──その姿を見据えるうちに、

その無機質であったはずの瞳に、わずかに“揺らぎ”が生まれた。


それは、まさしく。


この異形の鬼に、初めて“感情”めいた影が差した瞬間であった。


首が、わずかに傾ぐ。

まるで、不快そうに。

まるで、訝しげに。

まるで──怒気を、灯しているかのように。


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