第12話 集う刃、ひとつ欠けて


「……頼むぞ、葵」


烈道は低く呟くと、静かに前を向いた。しゃがみ込み、指先をすっと上げて「寄れ」と合図を送る。すでに顔には、作戦を練る者の厳しさが浮かんでいた。


「権蔵、お前は忍び以外を、わしの館の隠れ蔵に誘導せい。志乃が待っておる」


「は、はいっ!」


権蔵は力強く頷き、すぐに背を返しかけた──が、その瞬間、烈道の声がもう一度かかった。


「……それとな。もし、才蔵が戻ってきたら、まずは隠れ蔵へ行かせろ。志乃がすべてを心得ておる」


語調は変わらず静かだったが、その言葉に宿るものは重く深い。何を意味しているのか、権蔵には明言されずとも感じ取れるものがあった。


「……心得ました」


深く頭を下げた権蔵の顔からは、先ほどまでの怯えが消え、代わりに僅かだが確かな決意の色が灯っていた。


そのとき、物陰から音もなく姿を現したのは、小柄な槍を携えた──弥八と、その息子、小次郎であった。


弥八は年の頃、四十。痩せぎすで目立たぬ風貌の中年の忍びであったが、その身のこなしには、数多の修羅場をくぐり抜けてきた者だけが纏う、静かな殺気と沈着冷静な“間”があった。


河童のように禿げ上がった頭とは裏腹に、動きには一切の無駄がなく、煤けた衣装にいたるまで、その姿はまるで影そのもののようであった。



一方、小次郎は、まだ十六、七の若者。父に似た小柄な体つきではあるが、肌は白く、頬にはあどけなさが色濃く残っていた。とはいえ、槍を握る手には確かな緊張が走り、その細い指が、わずかに震えているのが見て取れた。


それでも彼は決して目を逸らさず、父の背中を真っ直ぐに見据えていた。槍の穂先は地面を擦らぬよう持ち上げられ、そこには教え込まれた作法と、若き決意が込められていた。


烈道は頷くだけで言葉を返さず、二人の覚悟をその目に収めた。


弥八と小次郎は無言のまま、烈道の前に膝をついた。父は冷静に、息子は少しばかり息を殺しながら──まるで同じ血を分けた者だけが持つ独特の気配を纏って、次の命を待つ。


「時間がない。聞け、わしの言う通りに動け。あの化け物を──裏山へ追いやる」


烈道の声は低く抑えられていたが、その響きには緊迫した気配が宿っていた。化け物の脅威を誰よりも警戒していることが、その声色とわずかな目の動きから伝わってくる。


そして次の瞬間、その鋭い眼差しが、清之助へと向けられた。


「清之助……あの火玉、避けられるか?」


問われた清之助は、一拍置いてから頷いた。


「はい。確かに、弓より速い。ですが……放たれる寸前、一瞬だけ、光が走ります。その光を目印にして、十分に距離を取っておけば、避けれます」


その声には迷いがなかった。すでに彼の瞳は戦場を見据え、敵の癖と間合いを冷静に分析していた。


「それと……奴が連続で火玉を放ってくるとき、玉は小さくなります。そのぶん避けづらく、こちらのほうが厄介です」


清之助は言葉を選びながらも、的確に脅威を伝える。


「逆に、溜めに溜めてから放つあの大玉ですが……威力は凄まじいが、動きが大きいんで、放つ“間”を読めば見切れます。避けるのは、こっちのほうが容易いかと」


烈道は静かに目を細め、清之助の報告を咀嚼するように受け止めた。


「……よし。」


周囲の空気が、張り詰めた糸のように静まり返った。刻一刻と迫る化け物の再来に備え、誰もが息を潜め、次の一手を見据えていた。


烈道はゆっくりと頷き、視線を後方へと送る。



その気配を受けて、影から滑るように姿を現したのは、細身で俊敏そうな青年──太い眉と大きな目が印象的な、迅太であった。


動きには軽やかさがあり、視線は絶えず周囲を捉えて離さない。口は達者で、冗談や皮肉を平気で飛ばすが、その裏には冴えた頭脳が光る。才蔵の親友として知られ、仲間内では裏表のない人柄で信頼を集めていた。


耳の良さと観察眼は群を抜き、忍び衆はもとより、佐竹家の武辺者たちの間でも一目置かれる存在であった。年の頃は才蔵とほぼ同じ。二十余年を越え、血の気は残しつつも、無闇に刃を振るうだけの若さではない。修羅を見てなお、目に静けさを宿す齢──そういう男である。



続いて、静かに現れたのは、落ち着いた身のこなしを備えた男──長身面長の庄兵衛であった。年の頃は三十に差しかかるか、あるいは少し越えたあたり。若さ修羅場を越えてきた者ならではの重みをその身にまとっている。


鉄砲も弓もそつなく使いこなす器用者でありながら、己の技を誇るそぶりは一切ない。動きには一片の無駄もなく、鍛錬に鍛錬を重ねた末に得た“型”と、生まれついての勘の冴えがにじみ出ていた。


普段は穏やかに見える面差しも、この夜ばかりは違っていた。月明かりに照らされた目頭が赤く熱を帯び、そこに宿る眼光は鬼のように鋭く燃えていた。



烈道は、その顔を見て、胸の奥に小さなざわめきを覚えた。──庄兵衛に、何かあったな。


言葉はなくとも、彼の背にまとわりつく気配がそう告げていた。


しかし、この二人が姿を見せたことで、場の空気は一段と引き締まった。張りつめた静寂の中に確かな芯が通り、迅太の鋭さと、庄兵衛の静けさ。その気配が加わるだけで、皆の胸のうちに淡い安堵が広がっていく。


烈道もまた、胸中にかすかな光が差し込むのを感じていた。どれほど策を練ろうと、人の力が集まらねばどうにもならぬ。だが今、ここに集いし者たちには、勝ち目を見いだせる──そう思えた。


ただ、その一瞬の光の裏で、烈道は何かに気づいた。ふと、眉をわずかにひそめる。



「……待て」


低く呟く声に、誰もが一瞬、動きを止める。烈道の目はすでに周囲を見渡し、何かを探るように鋭く光っていた。


全てが整ったようでいて、何かが欠けている──そんな直感が、老練の戦士の胸に静かに鳴っていた。


「柊馬は……? 」


その名を聞いた瞬間、場に沈黙が落ちた。


忍び頭・清之助が苦渋の表情を浮かべながら言う。


「……見ておりません。もしかすると、やられ──」


「かぁっ……」


烈道は、思わず声にならぬ吐息を漏らし、拳を固く握って地に突き立てた。もはや焦りを隠すことすら諦め、まぶたを強く閉じる。胸の奥に渦巻く焦燥と悔しさを、喉の奥で噛み殺すように、ただじっと耐えてていた。




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