18.私がなりたいからなっただけ
「……訊きたいこと、というよりは、お願いしたいこと、というのが正しかったか」
クレナイは目を逸らし、煙草を吹かし始めた。
おそらく、クレナイは気まずいのだろう。
でも、私からしたら、クレナイがどうして気まずくなってしまうのかがわからない。
重い、話。あまり、正面から言えない話だというのはわかる。クレナイの雰囲気や表情、仕草でわかっていた。
しかし、何故、言えない話になってしまうのかがわからない。
何かを、今まで隠していた。
隠していた、のだと思う。
私には言えない話。言いたくなかった話。だから、隠してしまった。
クレナイは、きっと、それを私が知ってしまうことで、私がショックを受けてしまうから隠していたのだと思う。
これは、私の予想。あくまで、予想。
予想なだけで、答えではない。正解は、私の頭の中には存在しない。
「お姉さん、少し、向こうに行っているね。部外者の人には、あまり話せないような話、でしょう?」
スミレさんが気を利かせて、去っていった。
それによって、空気が余計に重くなってしまう。
「……えっと、クレナイ。べつに、今さらクレナイのことを嫌いになれるわけないでしょ? 一人で考え込みすぎなだけだと思うよ?」
私だって、よく、一人で考え込んでしまうし。
だから、クレナイの心が、少し読めてしまった。
クレナイは、怯えている。私、という存在に嫌われることを怯えてしまっている。
クレナイは、私のこともお姉ちゃんのことも大切に思ってくれている。
大切に思ってくれているからこそ、クレナイはより、言い出しづらくなってしまっている。
嫌われたくない。責められたくない。ショックにさせたくない。
悩み、悩んで、それらを達成できる方法を考えた。
それが、事実を隠すこと。
私は、気持ちが塞がったとき、誰かに申し訳ないことをしてしまったとき、よく逃げてしまうことがある。
現実逃避。すべてを考えることをやめて、何処かに逃げ込もうとする。
逃げ込むために、私は嘘をついて、事実を隠してしまったことがあった。
クレナイに拾われるまで、私は自分自身を弱いと偽って、お姉ちゃんに守られてきた。
でも、本当は、それはただ、私が弱いと思い込もうとしていただけにすぎない。
弱者だということを主張して、誰かに守られようとしていただけ。
だから、私は――そんな自分が嫌いだった。
でも、そんな自分を変えてくれた人物がいる。
その人物は、クレナイだった。
「クレナイ。大丈夫だよ。私はクレナイが思っているほど、弱くないから。見くびらないで」
「……ッ⁉」
クレナイが、やっと、私の目を見てくれた。
私は、ニヤリ、と笑い返してやる。
「話して」
「あ、ああ……」
クレナイはハットを左手で押さえて、また、気まずそうに目を逸らした。
「……私がお前たちを拾ったとき、ウチは本当に人手不足だった。本当に、本当に、人がいなかったんだよ」
「うん、知っている。実際にこの目で見ていたし、クレナイと初めて出会ったときも、クレナイがそのことを話していた」
「ジャフカというジジイに影響されて、ここのオーナーを始めた、と言ったな」
「うん」
「そのジジイのあとを追いすぎたんだ。私は、騎手にもなろうとした。けれど、ダメだった。私は騎手になるための試験に落ちているからね」
クレナイが悔しげに手を震わせていた。
クレナイにとって、騎手になる、というのはとても大切なことで、だから、悔しがっているのだろうか。
クレナイは、ジャフカという人を大切に思っているのだろう。その人のようになりたかったのに、その人のようになれなくて、悔しがっている、のかもしれない。
私は、スカイアンドグレートに憧れた。憧れて、この世界にやってきた。
スカイアンドグレートのような、誰かの英雄になれる存在。それになりたくて、私は今、日々、奮闘している。
今の私は、過去のクレナイといっしょなんだ。
憧れの存在のようになりたくて、前を突き進んでいる。
でも、あるとき、壁が立ちはだかってしまったらどうなってしまう?
急ブレーキ。それは、おそらく、そこで止まってしまうのだろうと思う。
そして、その壁を越えることができなくて、悔しく思うはずだ。
「クレナイ。今の私を見て、どう思う?」
「……急に、どうした? 特になんとも思わないが」
「ごめん。過去のクレナイと今の私が似ているかもしれないと思って。きっと、クレナイは昔の自分と私を重ねていたんだ。クレナイとスカイロード、そして、私とスカイアンドホワイト。スカイアンドホワイトが勝ったとき、クレナイの目はキラキラしていた」
いつも。いつもは、何処か少し、暗い目をしていた。
けれど、私たちが勝ったとき、クレナイの目が輝いているような気がした。
クレナイは、本当に嬉しかったのだと思う。私たちが、勝ったことを、本当に、本当に、嬉しく思っていたのだと思う。
「……ああ。そう、かもしれないな……いや、そうだ。人手不足ということもあったし、ジジイの引退も迫っていた。だから、元々、私はパレードスターの騎手を引き受けてくれる奴を探していたんだよ」
「そのとき……たまたま、私たちに出会ったんだね?」
「ああ。それで、お前と出会ったとき、私は直感的に思った。『過去の私に似ている』って」
「……もしかして、最初は、私のことをパレードスターの騎手にさせるつもりだったの?」
「……どちらか。どちらでも良かった。シャレアでもペリシェでも、両方でも。とりあえず、どちらか片方でも騎手になることができれば良いと思っていた」
クレナイが片手でポンと私の肩を叩く。
「私は、お前に突き動かされた。スカイアンドグレード……スカイアンドグレートの騎手になって、頂点を目指そうと夢見るその姿を見て、私は過去の情熱を思い出した。……だから、お前にはスカイアンドホワイトの騎手になってもらった」
クレナイの目は真剣だ。本音で話してくれているのだろう。
「それで、お姉ちゃんを当初の予定通り、パレードスターの騎手にさせた、ってこと?」
「まあ、そういうことだ。ペリシェが姿を見せないことがあるだろう? あれは、ジジイの天馬牧場に向かわせて、パレードスターに会わせているからだ」
段々と、モヤモヤとした頭がすっきりとしてきた。
不思議に思うことがあった。疑問に思っていたことがあった。
それには、ちゃんと理由があって、私はそれを漸く理解することができるようになる。
クレナイは私に『嫌いにならないでくれるか?』と言った。
私はこの言葉に対して、今、こう思っている。
「私がクレナイのことを嫌いになってしまう要素って何処にあるの?」って。
クレナイは気まずそうだった。私がショックを受けてしまうかもしれないから、と、不安になっていた。
でも、話を聞いても、べつに私がクレナイのことを嫌いになることなんてない。
クレナイはきっと、クレナイ自身の私利私欲のために私たちを利用した、ということを申し訳なく思っているのだろう。
けれど、べつに、私は利用されたわけじゃない。
利用されて騎手になったわけじゃない。
私がなりたいからなっただけだ。だから、クレナイが自分自身を責める必要なんて、ないんだ。
お姉ちゃんだって、たぶん、そうだ。クレナイに利用されて騎手になったわけじゃない。きっと、お姉ちゃんにも何か理由がある。
「シャレア。私、シャレアが騎手になろうと頑張っている間、私も他の養成学校に行って、それで、試験に合格して騎手になったんだよ」
「……ねえ、お姉ちゃん。なんで、騎手になったの?」
直球に訊いてみる。
「……クレナイは命の恩人でしょ。最初は警戒していたけど、私だけじゃなくてシャレアのことも守ろうとした人。私はシャレアのことを一番に考えている。シャレアがクレナイのことを必要としているのを見て、仕方なく、騎手になってくれ、って話を受け入れたのよ」
「本当に申し訳ない」
「謝らないで。私はべつに、騎手になることが嫌だったわけじゃないし。それにさ、クレナイって、実はポンコツじゃない? 実はダメな人なんだよ。いっしょに生活しているうちにさ、私がなんとかしてやらないと、って思ったわけ」
お姉ちゃんのその言葉を聞いて、私は思わず苦笑いしてしまった。
「ペリシェ、お前……」
「だから、騎手になってやったのよ? もっと、感謝して?」
「二人とも、ありが、とう……」
クレナイの瞳から涙がポロリと流れ出た。クレナイが泣く姿を見たのは、初めてだったかもしれない。
「……クレナイのことを嫌いになる要素なんて、やっぱり、なかったじゃん」
ぽつり、と呟いた。
相手はあまり気にしていないけれど、自分がすごい気にしてしまうことって、よくあることだ。
私だって、いっぱいある。ありすぎて頭が爆発してしまいそうなほどに。
クレナイは、隠していたことをすごい気にしていた。自分のために私たちを利用してしまっていたと、罪悪感を覚えてしまっていた。
でも、本音で話し合ってみたら、実は私もお姉ちゃんも気にしていない。気にする必要も、罪悪感を覚える必要も、べつになかった。
なんだ。全然重たい話じゃないじゃん。気持ちが嫌になってしまう話じゃないじゃん。
むしろ、私はクレナイの本音を知れて、嬉しかった。クレナイが過去の自分と、今の私を重ねて、私のことを応援してくれているという心情を知って、頑張らないと、って気持ちになった。
うん。頑張らないと、って気持ちになったんだ。私は。
「クレナイがね、シャレアにバレたくない、って弱みをいつも私に見せてきていたの。それで、シャレアと私は別々の養成学校に入れられて、で、私は近くの養成学校に通学、って感じだったから、クレナイの面倒を見てやったわけ」
「なるほどね。お姉ちゃんとクレナイがいつの間にかなかよくなっていた理由がはっきりとわかったよ」
私はうんうんと首を縦に振った。
「……あれ? でも、なんで、お姉ちゃんは今、その天馬に乗ろうとしていたの?」
「飛ぶ練習だよ。パレードスターと会える日は、限られているから」
「そっか。じゃあ、お姉ちゃん、いっしょに練習する?」
「うん。そうしよっか」
「クレナイも見ていてよ」
「……わかった」
クレナイが、フッとクールに笑う。
「……あらあら。仲睦まじいわね。とても微笑ましい光景だわ」
去ったはずのスミレさんがいつの間にか戻ってきていて、ニコニコと微笑んでいた。
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