16.ライバルはすぐそこに
こそこそ。こそこそ。
建物の陰や人の陰に隠れながら、慎重にお姉ちゃんを追っていく。
今のところは完璧。私たちは今、完全に背景に溶け込んでいる。擬態は、お手のものだ。
私は自信満々に、右手に持っている木の棒をフリフリと振った。
ちなみにこの木の棒はその辺に落ちていたやつを拾ったものだ。何か、特殊な加工が施されているとか、あるいは、特殊な技を繰り出すことができるとか、そんなものじゃない。
本当にただの棒だ。この、ただの木の棒のおかげで、木のフリをすることができている。
完璧。完璧だ。完璧に擬態、できている。
いっしょについてきてくれているスミレさんもあたたかい微笑みを向けてくれているし、失敗はしていない。
なら、問題はない。お姉ちゃん尾行作戦に、今のところ、支障はないようだ。
私たちはスタスタサッサッと歩きながら、お姉ちゃんの様子を観察した。
「ふむ。どうやら、ターゲットは厩舎の中に入っていくみたいですよ。スミレ隊員!」
「ふむふむ。シャレア隊長、どうされますか?」
「た、隊長……って私のことか⁉」
冗談で始めたことだったのだが、私のノリに、スミレさんが乗ってきてくれてしまうので、私はまた恥ずかしくなってしまった。
まさか、乗ってきてくれるなんてね。
まあ、スミレさんはノリの良い人だし、おまけに、天然さんっぽいところがあるみたいだから、乗ってきてくれちゃうのか。クレナイだったら、たぶん完全スルーを決めていたところだ。
頭の中でクレナイのことを思い浮かべてスミレさんとクレナイを比較し、スミレさんとクレナイが実に異なるタイプの性格の人間なのだと理解する。
クレナイはクール系な人で、スミレさんはほんわか系の人。
ああ、だからか。どうりで、普段とちがって、調子が狂ってしまうわけだ。
クレナイは口数が多い方ではない。背中で何かを語ることが多い人間だといえる。
それに対して、スミレさんは口数が多い方の部類の人間だと思う。背中で何かを語るというより、会話で独特なぽわぽわとした空間をつくり出して、和やかなムードにしていく。
私はクレナイと話すときのように、スミレさんと接していた。それで、私はいつもとはちがって、照れてしまったり恥ずかしくなってしまったりしているのだろう。
「ス、スミレさん。やっぱり、隊長と隊員ごっこはやめましょう……私が恥ずかしくなってきてしまったので」
「あら、そう……」
スミレさんが残念そうに項垂れた。内心、このごっこ遊びを楽しんでいたらしい。
「……えっと、シャレアちゃん? と、こちらのお姉さんは初めましてだけれど……君たちは、何をやっているんだい?」
横から私を呼ぶ声がしたので振り向くと、そこにはメレットさんがいた。
「あっ、メレットさん。こんにちは」
「こんにちは……まあ、こんにちは、なのかな?」
メレットさんが困り顔で、私たちを見つめた。
どうしたのだろう。何か、おかしいところでもあったのだろうか。
私も困り顔でメレットさんを見つめ返してあげる。すると、メレットさんが余計に困った表情と仕草をした。それが面白おかしいので、私はしばらくメレットさんの様子を観察する。
うん! 今日もメレットさんはナルシストだ!
スミレさんを見るなり、ウィンクをしてアピールをしているし、髪をわざとサッとかきあげた。これは、明らかにナルシストの特徴に当てはまっているといっても良いだろう。
やれやれ。顔がよくて、性格もマルなのに、これなんだから。
クレナイがこの間「メレットのあれはなんだ? 体調でも悪いのか?」と、言っていたのを思い出す。
遠回しに「メレットは良い奴だけど残念なところがあるからな」的なこともクレナイは言っていたような気がする。
クレナイも残念な人なんだけれど、その残念な人にメレットさんは残念な人認定されているという構図なんだから、笑ってしまう。
ただ、噴き出すのはメレットさんに悪い気がするから、噴き出さないようにはしよう。
と、私は思った。
「なんか、シャレアちゃん、とても失礼なことを思っていないかい?」
「気のせいじゃないですか?」
「……まあ、それは良いんだけど、君たち、そんな格好をして、本当に何をやっているんだい?」
「『そんな格好』とは?」
「そのヘンテコな……奇抜な格好のことだよ。今、シャレアちゃんが右手で握っている木の棒とか」
「えっ? メレットさん、私たちのこと、ただの背景だと思わなかったんですか⁉ ただの植え込みか何かの一部か、みたいな」
「いや、思わないけど。むしろ、遠くから見て、何をやっているんだろうと思えるくらいに目立っていたよ。だから、気になって僕は声を掛けてしまったわけだし」
「あちゃー」
まわりから見たらバレバレだったのか、と気がつき、少し悔しく思った。
「えっと、よろしければごいっしょにどうですか~? 人が多ければ多いほど楽しいでしょうから」
「ああ、ごめんなさい。僕はまだお仕事がありますので」
そう言って、メレットさんはスミレさんに向けてまたウィンクをし、去っていった。
軽薄な仕草を見せたけれど、どうやら、スミレさんからのお誘いよりも、仕事の方がメレットさんにとっては重要らしい。
まあ、仕事中みたいだしね。それが普通か。
仕事中、仕事中……?
あれ、スミレさんって今、仕事中なんだよね。一応。今日はプライベートで来たわけじゃなくて、お仕事で来たわけなんだよね?
私の額から冷や汗が垂れる。
私、もしかして、スミレさんのお仕事のお邪魔をしている?
スミレさんがお仕事で【逆バニーズハウス】に来てくれたのに、私はなんてことをしているんだ。
ど、ど、ど、ど、ど、どうしよう。すごい、申し訳ないことをさせてしまっている気がする。本当に、申し訳ないことをさせてしまっている気がする。
謝った方が良いかな? 謝った方が良いよね?
よし、謝ろう。心を込めて、謝ろう。
と、私が頭を下げようとしていたそのときだった。
「……シャレアちゃん! ペリシェちゃんが天馬に乗って厩舎から出てきたよ!」
興奮した様子で、スミレさんが言った。
「えっ、お姉ちゃんが⁉」
それを聞いて、驚いた私は、スミレさんが指差してくれた方を見た。
たしかに、そこには天馬に乗っているお姉ちゃんの姿があった。
私はそれを確認して、さらに驚いてしまう。
えっ。どうして、お姉ちゃんが?
首を傾げる。
私は騎手になったが、お姉ちゃんは【逆バニーズハウス】から出て、騎手の養成学校に入って騎手になった、という話は聞いたことがなかった。
そもそも、お姉ちゃんは【逆バニーズハウス】で働いてはいるものの、お姉ちゃんのお仕事は、天馬の世話や飼育といった内容ではない。
お姉ちゃんのお仕事は、基本的には、一般教養の勉強をしたり、炊事や居住スペースの掃除などをしたりすることだ。
だから、お姉ちゃんが天馬と触れ合うことはあまりないと思っていた。
そういうわけで、目の前の光景を、私は今、不思議に思ってしまっているわけだ。
「なんでお姉ちゃんが天馬に乗っているんだろう……?」
「ただ乗ってみたかっただけとか? それかもしくは、誰かに何か任されて乗っているとか……」
「いえ。それはあり得ないんです」
「えっ、どうして?」
「天馬は遥か高いところまで飛翔する生き物です。だから、知識がないと危ないんですよ」
「自動車と同じ感じかしら?」
「はい。天馬に乗るためには、乗る本人が天馬に乗ることを許される特別な免許を持っているか、または、同乗者がその免許を持っている必要があるんです。騎手はその免許を持っていないとまずなれないので私は持っているんですけど、お姉ちゃんは騎手じゃないから……」
「免許を持っていないはずだから、天馬に乗れるはずがないのね」
「はい。クレナイは免許を持っているから、クレナイが天馬に乗っているのは変じゃないんですけど、お姉ちゃんが一人で天馬に乗るのはどう考えてもおかしい。うむむ、大丈夫なのかなぁ……」
「大丈夫って?」
「自動車といっしょです。無免許運転は法によって裁かれてしまうのと同じで、天馬に無免許で乗るのも、発覚したら捕まりますから」
「ええっ⁉ それって、まずいんじゃないかしら⁉」
「ええ、まずいです。お姉ちゃんが天馬といっしょに空を飛ぶ前に、事情を訊きましょう」
私たちはダッシュでお姉ちゃんのもとへ向かう。
最初は、軽い気持ちで尾行していたのに、今は、まったくと言って良いほど軽い気持ちでいられない。
法を犯すとか犯さないとか、そのレベルの話になってきてしまった。
というか、法を犯すとか犯さないとかそれよりも前に、まず、危ないから止めなきゃ、という気持ちがある。
【逆バニーズハウス】で働いている人たちに迷惑を掛けてしまうし、オーナーのクレナイは世間に厳しく責められてしまうだろう。それは避けなくては。
私は持っていた木の棒を手からリリースして、走る、走る、走る。
まだ、飛んでいない。空を眺めているだけだ。
間に合う。まだ、止められる。
飛ばないで。飛んじゃダメ、お姉ちゃん。飛んだら、まずいことになっちゃう!
心の中で叫ぶ。その叫びが伝わったかのように、お姉ちゃんがこちらを振り向いた。お姉ちゃんは私たちを見て「あっ」と声を漏らす。
「……はぁ、はぁ。お、お姉ちゃん……飛んじゃ、ダメだよ……」
なんとか、言いたかった言葉が口から出た。
「うん? 大丈夫だよ、シャレア?」
「大丈夫じゃないよ、お姉ちゃん。全然大丈夫じゃないよ、お姉ちゃん」
「オッケー、シャレア。一回、落ち着いて?」
「うん、わかった。落ち着く」
落ち着くために、深呼吸をした。深呼吸をしたことによって、乱れた鼓動が落ち着いてきたような気がする。
はーい、一回、リラックス、リラックス。首も回して、肩も回して、ととのえて、ととのえて。
えっと、このくらいでもう良いかな? 充分、落ち着いたと思うし。
「落ち着いたね」
「うん……それで、お姉ちゃんはなんで天馬に乗っているの?」
訊くと、お姉ちゃんはニコッと笑って、両手で私の左手を掴んで、握った。
「……『王国記念杯』、勝負しようよ。シャレア」
「……えっ?」
「私、結構、頑張ったんだから。いっしょにワンツーフィニッシュ、しよう? ね?」
お姉ちゃんからの突然の提案に、私は戸惑いを隠せなかった。
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