15.怪しい動き

「『東アンネリアカップ』、優勝おめでとう~」


「ありがとうございます。スミレさん」


 前回とはちがい、スミレさんはきちんとした正装で訪れていた。

 スーツ姿。ぽやぽやとした雰囲気はあるけれど、前よりも真面目な感じになっている。

 メガネまで掛けて、しっかりと決めてきているらしい。

 ビジネスバッグに、手帳。ビジネスバッグの中からチラリと見える、資料の数々。

 私はそれを見て、スミレさんが本当に新聞記者なんだと実感する。

 へえ。なんか、あまり似合わないようにも見えるけれど、スミレさんはしっかり新聞記者なんだ。

 若干失礼なことを思った。


「次は『王国記念杯』だったかな? ついに『一級賞』に出場するんだね」

「はい。『王国記念杯』、精一杯頑張ります」


 私は全身でグーをつくって、気合いを入れた。

 次は『一級賞』、『王国記念杯』なんだ。

『王国記念杯』は、推薦でしか参加ができない賞レース。

『一級賞』は、どの賞も、その時代の最強と呼ばれる天馬が出場する。『一級賞』は強い天馬しか参加しない。強い天馬しか『参加できない』のだ。

 その中でも、『王国記念杯』は特別だった。

『王国記念杯』は、最強の名を手に入れるためにやってきた天馬、もしくは、元々最強と呼ばれていた天馬だけが出場を許される。

『王国記念杯』で優勝した天馬は、その年の顔となるだろう。それくらい、『王国記念杯』は大きな賞レースだ。

 私たちは、『東アンネリアカップ』でレジェンドコスモに勝って一着を取ったために、『王国記念杯』に推薦され、出場することを許された。


 これは、前代未聞だ。

 私たちは、デビュー戦、『東アンネリアカップ』の二戦しかしていない。私たちには、積み上げてきたキャリアがまだまだ全然なんだ。

『王国記念杯』に参加する天馬たちはだいたい、キャリアをたくさん積んできたような天馬たちだ。何戦もして何勝もし、既に最強へのレールが敷かれた者たち、または既に最強と呼ばれている者たちが参加する賞レース。それが『王国記念杯』というもの。

 だから、おそらく、またデビュー戦や『東アンネリアカップ』のときのように、アウェー感を覚えてしまうことになるだろう。

 でも。私たちはそれで良い。私たちにはそれが良い。

 私たちは挑戦者だ。挑戦者の私たちが、強者たちを圧倒してやろう。

『王国記念杯』に『偶然』の二文字はない。『王国記念杯』は強者しか参加しないのだから、『偶然』は通用しないんだ。

『偶然』ではなく、『必然』の力で一着を手に入れて見せよう。頂点に立ったその光景を、スカイアンドホワイトとともに眺めてやろう。

 かかってこい。強者たち。


「うんうん。シャレアちゃんは、気合い充分だね!」

「はい! 気合い充分です!」

「お姉さんも気合い充分だよ! 今日はちゃんとアポ取ったし!」

「クレナイが言っていましたよ。『やれやれしょうがない』って」

「あの方、良い方ですよね~」


 いつの間にか、クレナイの話になる。

 スミレさんがアポ無しで【逆バニーズハウス】にやってきたために、クレナイはスミレさんをあまりよく思っていなかった。

 が、クレナイは根がとても優しい人間だ。私やお姉ちゃんのような境遇の子どもを、同情心から拾ってくれたわけだし、スミレさんの無礼も心の何処か奥底では許していたように思える。スミレさんが【逆バニーズハウス】にアポを取った日、私がスミレさんとまた会えるとワクワクしていたら、クレナイが私のその様子を見て笑っていた。無礼なことをされた、ということよりも、私のワクワクとした気持ちの方が、クレナイにとっては重要だったのだろう。

 と、いった感じで、クレナイが実に良い人間なのかは、それだけでわかる。

 クレナイに感謝を伝えるためにも、『王国記念杯』、絶対に優勝したい。私は、クレナイに恩返しがしたい。

 独りでに、うんうん、と私は首を縦に振った。


「シャレアちゃんは、オーナーさんともとてもなかよしなんだね」

「まあ、なかよしといえば、なかよしなのかもしれません」

「なるほどね。それはシャレアちゃんの才能だ」

「……才能?」


 首を傾げた。


「うん。シャレアちゃんって、誰とでもなかよくなれる才能を持っていると思うよ」

「あまり、思ったことはなかったけど……うーん? それに、それって才能なのかなぁ……?」

「誰かとなかよくなることって、とても難しいことだからね。シャレアちゃんは人とか天馬とか関係なく、なかよくしているように見える。私は、それは素晴らしいことだと思うよ?」


 スミレさんに言われて、私は照れてしまった。

 素晴らしいこと、素晴らしいこと……素晴らしいことかぁ。

 私は「えへへ」と声を出してしまった。

 たしかに、スカイアンドホワイトとは自然となかよくなっていたというか、最初から心が通じ合っていたような気がするし、もしかしたら、もしかすると、もしかしなくても、私にはそんな力が秘められているのかもしれない。

 いや、これはお世辞だ。お世辞を本気にしてはいけない。いけないよ、シャレアちゃん。シャレアちゃんイズ私。

 私は首を横にぶんぶんと振って、弛んでしまった表情をシャキッとさせる。

 危ない、危ない。あの薄暗い世界で学んだ心得を忘れていた。

 相手の話すことは、話半分で聞くこと、という心得。

 全員が全員、善人というわけではない。

 人間というのはすべて本音で話す生き物ではないのだ。嘘偽りを混ぜて、誰かを騙そうとする、所謂、悪人と呼ばれる者たちもいる。

 まあ、スミレさんはべつに悪人ではないけれど、悪人ではないスミレさんでも、嘘はつく。

 生きていれば、人間は何処かで、ふいに嘘をついてしまう。意識的にとか、無意識的にとか、関係なく嘘をついてしまうものなんだ。

 そう。これは、お世辞。スミレさんは悪人ではないけれど、私のことを気遣って、お世辞を言った――嘘をついたのかもしれない。

 最近の私は少し、危機意識というものがなかった。

 いや、べつにスミレさんに危険なところなんてないけれど。

 でも、私は他人を疑う気持ちをすっかりと忘れていたから、思い出さなきゃいけないと思ってしまった。

 ごめん。スミレさん。私って、こういう人間なんだ。こういうことを思ってしまう人間なんだ。本当にごめん。

 私はスミレさんに対して申し訳ないと思った。


「あっ! いけない、いけない、私!」

「あら? どうしたの~?」

「私、よく自分のことを責めるクセがあるんです。で、知らず知らずのうちにまた私は自分のことを責めるようなことを思ってしまっていたので」

「あら、お姉さんも同じよ? お姉さんも失敗したり間違えてしまったりしたときは、自分自身のことを責めてしまうもの」

「矯正した方が良いかと思っていたんですけど……」

「自然と自分を責めてしまうことがあるのよね?」

「うん……じゃなかった、はい」

「なら、変に直そうとしなくても良いんじゃないかしら?」

「えっ?」

「むしろ、無理に直そうとすると、却って、自分の心がいっぱいいっぱいになってしまうんじゃないかな?」


 言われて、「たしかに」と思った。

 これは、自然となってしまうことで、意識して制御しなければ、止めることはできない。

 しかし、制御をしてしまうと、今度は、このクセによってかき消されるはずだったストレスというものはどうなってしまうのだろうか。

 おそらく、胸の中に残ったままなのだと思う。

 マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる。その理論から持ってくるのなら、私の胸の中に溜まったストレスというマイナスは、この自分を責めるクセというマイナスを掛け合わせることによって、今まで、プラスになっていたこともあるのかもしれない。

 その片方のマイナスを制御してなくすということ。それをしてしまうと、私の心の中には、マイナスが残ったままだ。それでは、自分の心が潰されてしまう。

 はて。となると、私は今まで、このクセによって助けられたことがあったということなのだろうか。

 というか、私は、これによって自分の心を潰してしまっていたと思っていたのだが、それは実は間違いだった? 私は、むしろ、これのおかげで自分の心が次第に壊れていっている状態を抑えようとしていた?

 えっと、なんかよくわからなくなってきた。自分自身のことが。

 私は近くのテーブルに置いてあったティーポットを手に取って、ティーポットの中に入っていた紅茶をカップに注ぐ。そして、それをゆっくりと飲み干した。


「ア、アツッ!」

「ふふ。かわいい」


 ……スミレさんに笑われた。恥ずかしくなってきてしまう。


「……あれ? そのお姉さんが、新聞記者さん?」

「あっ、お姉ちゃん」


 スッ、と自然な感じでお姉ちゃんがやってくる。


 んんん?


 私はお姉ちゃんを見て、不思議に思ってしまう。その理由は、お姉ちゃんが尋常ではないほどの量の汗をかいていたからだ。

 何か、ランニングとか筋トレとかでもしていたのだろうか。それくらい、汗をかいている。

 天馬に乗って全力で大空を駆けてきたあと、私はだいたいこうなるが、お姉ちゃんは騎手ではないので、それはあり得ない。

 大掃除をしていた、とか? 将又、天馬たちのお世話をしていた、とか。

 いやいや、それでこんなに汗をかくかなぁ? いや、かくかなぁ? かくかもしれない。

 うーん、よくわかんないけど、まあ、いっか。べつに、悪いことをしているとか危ないことをしているとかってわけじゃないんだし。


「うん? シャレア、何かあったの?」

「ううん。なんでもない。それより、お姉ちゃんもいっしょに話そうよ」

「うーん、またすぐに行かなきゃいけないから、今度ね」

「むむむ?」


 お姉ちゃんの様子が明らかにおかしい。どう見てもおかしい。

 お姉ちゃんは私への愛情の込め方がガチ勢の域を超越しているので、だいたい、予定があっても私の誘いを断ることはない。

 だというのに、断られてしまった。これは変だ。

 よし。その理由を探ろう。今日は、お姉ちゃんの秘密を暴いて、楽しんでみることにする。


「というわけで、スミレさんもいっしょに尾行しよう!」

「お姉さんもいっしょに? (何も理解していないけど)わかったわ!」


 私はスミレさんといっしょに、お姉ちゃんの後ろをつけた。

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