9.スペシャルディナー
どっと疲れが出る。
呼吸。心音。私の身体の何もかもが乱れていた。
「……頑張ったね。スカイアンドホワイト。お疲れ様」
いっしょに戦ってくれたスカイアンドホワイトに労いの言葉を掛けた。
スカイアンドホワイトはただただじっと佇んだままでいる。
私はそのスカイアンドホワイトの姿を見て、自分の中にあった不安が少しだけ取り除かれた。
「……ごめん。私だけ、不安になるのは変だよね」
スカイアンドホワイトに謝った。
それでもまだ私の中には不安というものが残っている。
残っている不安。それは、スカイアンドホワイトとワンダフルブレイバーがほぼ同時にゴールインしたため、写真判定が行われていて、順位が確定していないということ。
勝った、と思った。私たちはやってやった、と思った。
けれど、スカイアンドホワイトが『怪物』なのだとしたら、ワンダフルブレイバーもまたべつの『怪物』だった。
私たちには絶対に勝ちたい理由があった。ダメ天馬だなんて言わせない、と強く思って、ここまでやってきた。
しかし、向こうも理由はちがえど、同じだった。向こうにも絶対に勝ちたい理由があった。
私たちも、向こうも、この戦いは絶対に負けられなかったんだ。
だから、私たちが勝った、と思ったそのときでも、アルマールさんとワンダフルブレイバーの目はまだ諦めていなかった。
『負けたくない』と、その一心で私たちに迫ってきていた。
ゴールインのあと、私はアルマールさんを見た。
険しい顔。悔しそうに地面を眺める目。苦しそうな呼吸。ガタガタと震えていた手。
アルマールさんは私を見ていなかった。
既に敗北を悟っていたのか、ずっと苦しい表情をしていた。
アルマールさんは、それほど必死だったんだ。
きっと、アルマールさんは最初、私たちのことを有象無象の騎手と天馬だと思っていたことだろう。
だけれども、レースの途中で、アルマールさんの顔が一気に変わった。
私たちを恐れるような顔。
どちらかといえば、私たちが挑戦者側のような立場だ。スカイアンドホワイトが八番人気で、ワンダフルブレイバーは圧倒的な一番人気なわけだし。
でも、アルマールさんはあのとき、余裕そうな表情を浮かべるとか気にも留めない表情を浮かべるとかするでもなく、ただただ『何か』に負けないように必死になって一着を狙おうとしていた。
ワンダフルブレイバーにスカイアンドホワイトが迫ったあの瞬間、たぶん、漸く、向こうは私たちを意識し始めたのだと思う。あの瞬間、漸く、私たちをライバルだと認めてくれたのだと思う。
だから、私は少しだけ嬉しかった。ライバルだと認めてくれたのだろうから、それにはしっかりと応えてあげようと思った。
でも。アルマールさんは絶望に打ちひしがれた表情をしている。今にも、壊れてしまいそうな表情をしている。
何故? 何故、そんなにもつまらない表情をしている?
私にはわからなかった。
「……あ、写真判定が終わったみたい」
観客席の方にある電光掲示板に、着順が表示された。
スカイアンドホワイトは――『一着』だった。
「やったよ! やったよ! スカイアンドホワイト!」
私はスカイアンドホワイトの背をいっぱい撫でてあげる。スカイアンドホワイトが嬉しそうにこちらに向かって顔で私の頬にスリスリとしてきてくれた。
一着、一着! 一着を取ったんだ!
感動する。思わず、私の目から、涙が溢れてきてしまった。
勝つことなんてできないと思われていた。一切、期待されていなかった。
観客もメディアも、みんな、ワンダフルブレイバーが勝つと信じて疑わない顔をしていた。
けれど、私たちは、その前評判も期待も全部裏切って、全部覆して、一着を手にした。
私たちは、大番狂わせを起こそうと躍起になり、それを見事に成功させた。
観客席を見る。私たちの勝利に拍手が送られてはいるが、心から嬉しそうに褒め称えてくれる者はほとんどいない。
ワンダフルブレイバーにたくさんの期待がかけられていたし、たくさんのお金もかけられていた。
けれど、それをすべてパーにするように有象無象の私たちが勝利をかっさらっていってしまったわけだ。
だから、私たちの勇姿に、心から拍手を送ることができないのだと思う。
さっき、観客席の方から、こんなような声が聞こえてきていた。「勝ったのはまぐれだ」と。
どうやら、ここにいる者のほとんどは、私たちが勝ったことをまぐれ勝ちだと思っているらしい。試合後も、やはりアウェーな雰囲気だった。
「負けてしまったか」
すぐ近くで、アルマールさんが悔しそうに呟いた。
さっきまで険しい表情をしていたが、今は、清々しそうな表情をしていた。
「おめでとう、新人くん」
アルマールさんは私の顔をじっと覗き込むようにして、称賛の言葉を送ってくれる。その言葉の意味は、他の者たちと、何処か異なるような気がした。
「ありがとうございます!」
「そういえば、名前を聞いていなかったね。教えてもらっても良いかな?」
「シャレアです。そして、このこがスカイアンドホワイト。所属は……【逆バニーズハウス】ってところなんですけど……あの、なんか口に出すのも恥ずかしい名前でごめんなさい」
「いや、全然。むしろ、インパクトのある名前の方が、みんなに覚えてもらえるから良いと思うよ」
所属先の名前をフォローしてもらってしまった。
なんか、本当に恥ずかしい名前でごめんなさい。
心の中でもう一度謝った。
「強かった。また戦いたいよ」
「私も、アルマールさんとワンダフルブレイバーのタッグと戦えて、光栄です」
握手を交わす。
恐れ、不安、苦しみ、絶望。負の作用を持っているいろいろな気持ちが、何処かに消え去っている。お互いに。
恐れがあった。不安があった。苦しみがあった。絶望があった。
悔しさの沼に叩きつけられ、地獄を味わった。暗い、暗い、奥深い、闇の底を踠いて足掻いて生き延びようとしてきた。
重い過去。沈んだ気持ち。焦燥。たくさんのマイナスが、私の背中にもアルマールさんの背中にも、ずっしりと乗っていた。
その背中に乗っているいろいろなものを落とそうとして、足掻いて、足掻いて、足掻き続けてきたけれど、それらは微動だにせず、私たちの背中にくっついていた。一つも落ちてくれなかった。
けれど、今この瞬間、それらは、パラパラと落ちていき、私たちを解放していく。
これが、【天馬競争】なのか。これが、私の憧れの世界だったのか。
と、私はこの【天馬競争】の良さに改めて気がつくのだった。
「……よくやった。これであいつも報われるな」
「あっ、クレナイ」
背後から突然、クレナイがクールに現れたので、私は思わずクレナイを指差してしまった。
行儀が悪いような気もしたが、私もクレナイも今はテンションが高いので、お互いに、行儀が悪いとか無礼とかそういったことが一切気にならない状態にある。
というか、そもそもクレナイはタメ口で話しても特に気にしない人間だし、悪戯をしようが、クールぶってスルーしてしまう人間だ。
私はたまに、クレナイの意外なリアクションも見たいと思うのだけれど、今のところ成功した試しがあまりない。
あまりない。まあ、成功したか成功しなかったか微妙なラインのものがあったから、あまりない、と思ってみたけれど、成功したことはないと思って良いだろう。
ちなみに、その微妙なラインのエピソードとは、クレナイの食べるご飯に激辛調味料を混ぜたらクレナイはどういう反応をするのか試してみたというものだ。結果は、ちょっとぼーっとした後、普通に食べ切ったという感じだったので、これは失敗ということにしておく。
うーむ。クレナイから面白い反応を引き出すのは、なかなか難しい。
「……はて? シャレア。どうかしたのか?」
「いや、なんでもないよ。ちょっと、自分の世界に浸ってみようとしただけ」
「そうか。まあ、そういうときもあるか」
私の奇行をクレナイは簡単に納得してくれた。
クレナイは、簡単に騙されてくれそうなタイプだな。と、私は思った。
「デビュー戦を勝利したから、次は小さめの大会の賞レースに参加することになるな」
「どの大会に出ることになるの?」
「まあ、一応、次は『三級賞』の『東アンネリアカップ』に出場させようと考えているが」
「次はいきなり『三級賞』なんだね」
『三級賞』とは大会の規模というか、グレードの話だ。
まず、『一級賞』が一番上にある。『一級賞』は大きい大会なので、観客もメディアもたくさん集まるし、基本的に知名度の高い天馬や競争成績の良い天馬しか出られない。
次に、『二級賞』が続く。『二級賞』はその名の通り、『一級賞』よりは一回り下のランクの賞だが、『一級賞』と同様に、有名な天馬やその時代の顔とも呼ばれるレベルの天馬もこのレベルの賞までは出場する。まあ、つまり『一級賞』はほぼ全頭が強い天馬で占められる最強を決める戦いで、『二級賞』はその最強たちに箔をつけたり、その最強たちに仲間入りできるような天馬を排出したりする役割を持った賞、的なやつだ。
で、最後に『三級賞』だけれども、これは基本的にデビュー戦で勝った天馬や、級数――賞のクラスが設定されていないほどのレースで勝った天馬たちで一着を決める賞だ。ただ、稀に『一級賞』で頂点を取ったことがあるような知名度も高くて成績も良い天馬が、『二級賞』と同様に箔をつける名目で参加する場合がある。
とはいえ、基本的には『三級賞』はデビュー戦で勝ったあと、無名の地方大会で何回か優勝したり良い順位を取ったりした天馬が参加する賞なので、最強の天馬と戦うことになるのはほとんどないだろう。
「本来はワンダフルブレイバーが一着を取って、『三級賞』への参加が決まるはずだったが、うちのスカイアンドホワイトが一着を取ったからな」
「ああ、それでスカイアンドホワイトは『三級賞』に挑むことができるようになったんだね」
「そういうことだ。血筋から、名天馬になることが期待されていたワンダフルブレイバーが参加するということで、このデビュー戦には『三級賞』への推薦枠があったわけだ」
なるほど。となると、【天馬競争】の初戦でワンダフルブレイバーという天馬と競うことができたのは、幸運だった、というべきか。
「さあ、もう帰って、休息を取ろう。今日は祝ってやる。夜飯はなんでも好きなものを頼め」
「えっ、なんでも良いの?」
「ああ」
「じゃあ……」
といった感じで、私はその日の夜、スペシャルなディナーを楽しんだ。
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