六、自分と他人

 江ノ島での兄妹対決は、千の勝利で終わった。それと同時に、深見、バン、コウは部活を引退を宣言した。三年生トリオは、最初から全国大会の後に引退することを決めていたのだ。最初から最後まで下級生への相談はなし。勝手な先輩だった。緑も退部を表明していることから、事実上、千が言闘部の部長に就任した。

 帰りの電車で、彼女が新部長として最初に決定したこと。それは『言闘部の廃部』だった。完全なる独断。マネージャーの小麦は、それに対し異論を出すことはなかったが、やはりうるさかったのは深見だ。しかし、千はただ廃部を決めた訳ではなかった。

「部としての活動はなくす。けど、こういう考え方もあるってことは、色んな人に知ってもらいたい。だから、生徒の私たちじゃなくて、りゅー兄の預かりってことにして欲しいんだ」

「僕かい?」

 千の思いがけない申し出に、通路を挟んで隣りに座っていた理宇治は、少し考えてから訊ねた。

「僕にできるかな? 結局部活のこと、全然わかっていなかったし」

「わかってない自覚、あったんだ……」

 バンが冷たく言い放つと、行きと同じように座席を回転させ、向かいに座っている小麦が笑って反撃した。

「心配無用ですよぉ、バン先輩。事細かに部での活動をノートにまとめてきましたからー。特にバン先輩とコウ先輩のことは念入りに書いておきましたぁ」

 無言でバンが小麦を見やる。新たなバトルが勃発しそうな空気だった。

「にしても、姐さん、廃部にさせちゃって、いいんですか?」

 弘都がぼたんに聞くと、彼女は車窓に描かれていく水のラインを見ながら呟いた。

「部という形にとらわれることはなかったのだな。千の考えは全く愉快だ。また新たな見方を教えてもらったよ」



 大会中止から三週間。あと数日で夏休みは終わる。真っ青な雲ひとつない空をゆっくりと眺める時間も、あと少ししかない。そう思うと、今がいとおしく感じる。新しい部屋の窓から見える風景は、何もかも色鮮やかに思えた。

 午後五時。電車を乗り継ぎ、県北の緑の家を訪ねた。田畑に囲まれた中に大きな瓦屋根。竹刀の音が鳴り響く。そっと開放された道場をのぞくと、面を取った緑の姿があった。頭の手ぬぐいは、汗でびっしょりだった。

「梅田って、剣道強いんだね」

 まだ剣道着のままだった緑の前に、千はひょっこり現れた。

「松本、その格好……」

 いきなり目の前に現れたことと、いつもと違う千の服装に驚き、耳まで赤くなる。

「茉莉ちゃんに着せられたんだ。あと少しメイクもされちゃった」

 黒いレースのサマーカーディガンに、ドット柄のワンピース。リボンのついた、ちょっとかかとの高いサンダルが、千の長い脚を引き立てていた。

「……うそつきだな」

「は?」

「スカート。似合うじゃないか」

 突然の暴言に一瞬怒った千だったが、逆に褒められてしまい、今度は彼女が赤くなった。

 兄の方が、自分より女らしい格好が似合っていた。それがコンプレックスだった。でも、それが緑の一言できれいに消え去る。気恥ずかしい沈黙が流れる。梅田家に植えられている木が、風でざわめく。千の前髪が揺れた。

「ところで何か用か? うちまで来るなんて」

「報告。深見ちゃんたちの家に引っ越した」

 自然なことではあった。学校も一緒、部活も一緒。別居する理由なんて、本当はなかった。

 ただ、千が嫌がらせを受けないために、別々に暮らしていただけなのだ。

「きっと新学期に入っても、悪口が急になくなったり、無視されなくなったりする訳じゃないと思う。きっとすごく落ち込むことだってあるよ。でも、一緒に住んでたって、別居してたって、それは変わらないじゃない?」

 随分あっさりと答えを出した千に、緑は笑った。

「なんだ、それ」

「だから、複雑に考えすぎてたんだって気づいたの!」

 笑われて腹の立った千が、緑にチョップを食らわそうとする。が、簡単に避けられてしまい、右手がむなしく空を切る。その動作が、更に緑の笑いを誘った。

「でもさ、深見ちゃんの考えは結局わからないまんまだよ」

 千が小さな溜息をつく。それでも、深い悩みのものではなく、幸せな吐息だった。

「わからないから一緒に暮らすことにしたんだろ? それに、他人の考えなんかわかる訳ないよ。少なくても俺は、自分の思考回路すら理解してない」

 夏の、段々と夜へと移り変わっていく空を見上げ、緑は言った。

「ただ、俺も言闘部に入って気づいたことがある」

「何?」

 千が首をかしげると、少し照れながら頬をかいた。

「本当に闘う相手は、自分であって、人じゃないってこと。何だかんだ言って、深見先輩に教えてもらった」

 あまりにもくさい台詞に、思わず言った本人である緑はそっぽを向いて、話をそらせた。

「それより、何でわざわざうちまで来たんだ? 引越しの報告なら電話でもいいだろ?」

 緑の質問に、千は微笑んだ。

「前に心配してうちに来てくれたことあったでしょ? そのお返し」

 


 空が藍色に染まって、二人の頭上にいびつな星が鈍く輝きはじめた。まだ薄く、弱いその光の色が、あなたには何色に見えるだろうか。

                                                           【了】

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VS 浅野エミイ @e31_asano

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