菓子屋のごうつくばり
迷島めい
菓子屋のごうつくばり
何一つ選べない男だった。大変なごうつくばりで、沢山あるうちのどれか、というのが大嫌い。いつでもむっすりへの字に口を引き結んでいておよそ愛想などとはとんと無縁の頑固者だ。
そんな男が人生で唯一俺にはこれだけだとその手に選び取ったもの。それが、この命続く限り菓子を作り続けるという道だった。
念願叶って開いた最初の店は町外れにあるこぢんまりとした洋菓子店。どっしり大きな建物に挟まれた店は殊更に小さく見えたが男は全然気にしない。まずはここだ、ここからだ。
真っ白な煉瓦造りと薄ら青みがかったガラス窓はこの街の建物なら皆そうだから特別目立つということはない。この辺りの土の成分の都合で、煉瓦やガラスを作るとこういう色になるらしい。アンティーク調のオーク材の扉にもやっぱり青みがかったガラスが嵌め込まれていて、開けると上部に設置された金色のドアベルが一斉に揺れ動く。一つに選ぶことが大嫌いな男はいいなと思ったベルの全てを扉の上部に設置した。一つ一つは涼しげで軽やかな筈のベルの音色がけたたましく好き勝手に鳴り響くのに耳を痛めながら入店すると、ずらりとケーキが並ぶガラス張りの冷蔵ケースが真正面でお出迎え。
真っ白な生クリームに苺を乗せたショートケーキに大きな栗を使ったモンブラン、こっくり濃いめのココアパウダーを贅沢にかけたチョコレートケーキ、複数のベリーを使った丸いムースのケーキや真っ赤なタルトにアップルパイ。季節の果物を使ったケーキも複数あって毎月変わる。色とりどりのそれはそれは綺麗で美味しそうなケーキを前にした客は皆目を輝かせて、それからたっぷり悩み出す。どれにしよう? どれを買おう? たまにどうしても決められない客が、冷蔵ケースの向こうでむっすり仁王立ちしてる男にこう尋ねる。
「お勧めのケーキはどれ?」
選ぶことが大嫌いな男の返答はいつでも決まっている。
「全部だ!」
言うだけあって男が作るケーキはどれもこれも絶品だった。やかましすぎるドアベルが玉に瑕だがこの町でケーキ屋と言ったらここというくらい町の人々に愛されてるのに、何せ欲の深い男だからそれだけでは満足しない。ケーキ以外の菓子も作りたかったし、町以外の所にいる他の誰かにも自分の菓子を届けたかった。けれども男一人では一日に作れる数にも売れる範囲にも限界がある。幾晩も悩み抜いた末に男が出した結論がこれ。
「そうだ、家族を作ろう」
そんな経緯で出来上がったのが長男だ。何日も店を休み厨房に籠もって焼き上げ、オーブンから取り出した子供はどっしりとしたパウンドケーキ。密に焼き上げたからしっかりしていて真面目だけれど、勿論じっとなんかしていない。丸い木の実か胡桃のようにころころ弾んで転がって、小鳥や動物達と大の仲良し。焼き上げるとき森の木の実を入れ過ぎたのだ。
あんまりころころ転がっていくので男はしばらくの間背負い籠をして中に長男を入れてたくらい。
「父さん、これ」
幼い頃の長男が初めて作ったパウンドケーキには胡桃がたっぷり入ってた。菓子屋の肥えた舌には不足と未熟の多い味の筈だが、男は大層喜んだ。無愛想な父親が美味い美味いと平らげてくれたあの日のことが長男に確かな誇りを与えたのだ。それは自分に対する自信と信頼。誰かのために菓子を作る喜びを長男は父親から学んだ。
「お勧めのケーキはどれ?」
もしもこう尋ねる客がいたら、今では長男が必ず木の実か胡桃のように転がり出てくる。そうして頑固で口下手な父親がいつもの返答を怒鳴る前にしっかり笑顔で接客をして、
「一緒にそちらの棚の焼き菓子はいかがでしょう」
そう、男が丹精込めて焼き上げたパウンドケーキの長男は焼き菓子を作るのが一番得意。香ばしい各種クッキーにパウンドケーキにマドレーヌ。中に沢山入っているナッツやベリーは全て長男が森で採ってきたものだ。
「いらっしゃいませ」
たまに近くの森で美味しい焼き菓子を売ってる販売カートがあったらそれは長男で間違いない。店で一緒に焼き上げたお菓子は絶品で、森の住人や動物達に大人気。今や店の名と長男を知らぬ者はいないだろう、何せ町だけなく森にとってもなくてはならない菓子なのだから。
男が次に目指したのは水の中だ。町の人や森の動物達に食べて貰うだけでは満足できず、川の中や森の泉、いずれは青く広大な大海原で暮らす者達にも自分の菓子を届けたかった。
水の中の者達にはどんな菓子が好まれるだろう。生まれてこの方肺呼吸しかしたことのない男でもケーキや粉物の焼き菓子では駄目だろうというのは容易に想像がついた。
そうして幾晩も幾晩も悩んだ末に出来上がったのが次男である。水の中でも動けるように、決して困ることがないようにと男が丹精込めて作り上げた次男はぷるぷる硬めの寒天ゼリー。艶やかな肌の次男は見目麗しく、髪の一筋、まつ毛の先までが悩ましいまでの甘さである。
愛情なのか野心なのか俄かには判別のつかない父親の想いを一身に受けて冷蔵庫から取り出された次男は勿論水が大好きだ。少し目を離すとすぐに外の池など沢山水のある所へよちよち歩いて行ってしまうので、男は大きな水瓶に次男を入れ、それをどこにでも持って歩くようになった。
「お父様、僕のお菓子を見てください」
幼い次男が初めて作ったのは水飴に生クリームを混ぜて固めた菓子だった。誰に教えられたわけでもなく次男が自分で考えついたそれはよくある素朴な味のキャンディーだったが、受け取った男の手つきと態度はまるで宝石を扱っているかのようだった。お前は凄いと大きな手に髪をぐしゃぐしゃになるまで撫でられたあの日のことを次男は生涯忘れない。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
艶やかに微笑みながら次男は水底でキャンディーや水菓子を売り歩く。愛用しているキッチンカーは巨大な二枚貝がモチーフで、貝殻の下には頑丈な車輪がついている。これで水中のどこにでも移動するのだ。大きく開いた二枚貝の中には冷蔵ケースが設置され、中には赤や黄色、緑に青など色鮮やかな水菓子がずらりと並ぶ。背後の棚に並ぶガラスの大瓶の中では次男が作ったキャンディー達が宝石のように輝いている。
一際美しく煌めく真珠玉のようなそれはあの日作ったキャンディーに改良を重ねたもの。地上の木に実る果物をふんだんに使ったまさに宝石のような次男の菓子は水の中で暮らす者たちを魅了してやまない。
最後に男が目指したのは遥かな青い空の上。町の人や動物たち、水の中で暮らす者たちだけでなく高い高い上域で暮らす者たちにも自分の菓子を届けるためには自由に飛び回る能力が必要だった。芯から欲張りで自分の菓子を世界に轟かせんとするこの男が空を最後に回したのには無論それなりの理由がある。
青い空よ自由の空よと地上で暮らす者たちには羨望の眼差しを向けられることの多い空という領域は実の所とても気紛れで環境が変わりやすい、人が動き回るには厳しい場所だというのを男はちゃんと知っていた。生半可な覚悟では手を出せない領域だ。ここを自由に飛び回って菓子を売り歩くには空を味方にしなければならない。
心血注いで男が焼き上げた最後の息子三男はふわふわ甘めのシフォンケーキ。出来上がったその瞬間に笑って男に飛びつき、二人の兄の上を飛び回ってはしゃぐ、いつもにこにこ笑っている子供だった。そう、男の野心と願いに見事応えて焼き上がった三男は空を飛ぶことが出来た。
にこにこふわふわ人好きのする笑顔でいつも宙に浮いている三男は周りの者達に愛され、ついでに窓から入ってくる風や空にまでいたく愛され気を抜くとすぐに上空へ攫われてしまうので、男は三男の腰にロープをくくり付けそれを自分の腰にしっかりと結びつけておく必要があった。
「親父ー! 見て見て見て」
三男が初めて作ったのはダックワーズに似た菓子だった。香ばしいアーモンド粉とメレンゲを使ったこの外はサクサク中はふんわりとした焼き菓子こそは作るのが大変難しい。スピードが命と言われ、手早く作るためには手順の全てを頭に叩き込んでおく必要があった。幼い頃からロープで括られ、少し上から父親の作る全てを見下ろしていた三男は覚えていたのだ。幾度も失敗して悔しそうに一人で食べていたのを知っている。ふわふわ軽く焼き上がったその成功を男は我が事のように喜んだ。
「毎度!」
真っ白な自転車の販売屋台が今日も晴れた空を飛んで行く。当たり前に重たい鉄の塊であることを自覚している自転車屋台は空を駆け回ることなどは勿論想定外だった。重たいこの身にそんなことが出来るのか。不安でいっぱいだったが三男がにこにこ笑って「行こう」と言うので出来るような気がしてきて、飛んでしまった。
さほどスペースがなさそうに見える販売屋台の中から三男は次々と色んな菓子を取り出してくる。各種フレーバーを詰め合わせたクッキーのセット、季節の果物やナッツを贅沢に使ったパウンドケーキにマドレーヌ、宝石と見紛うばかりの美しいキャンディーが詰まった小瓶に果物を使った色鮮やかなゼリー、ほろりとと口中で溶ける雲のようなメレンゲクッキーに可愛らしい色合いのマカロン、アーモンドの良い香りがするさくさくダックワーズにシフォンケーキ。どれも少しずつの小袋だ。
もっと欲しかったら実はここに本店がとにこにこ笑う三男に教えられ、空を駆ける者たちは小さな町の外れにある白煉瓦の洋菓子店を目指す。
何一つ選べない男だった。こと菓子に関することでは一つたりとも諦めることが出来ない。
出来得る限りの全ての菓子を作りたい。それを町に森に大地の果てに、湖に川に海の底まで、遥かな山とその向こうの空の雲の向こうへ、届けてやりたいと願うようなパティシエだ。こんな野心たぎるぎらぎらとした男の矛先が菓子一点に集中しているのは世界にとっては全く幸運な話であった。
ある町外れで営業している白煉瓦の洋菓子店とその三兄弟は今ではとても有名だ。
「みんな俺が焼き上げた」
そう言って腕組みをする男に、
「僕は冷やし固められた、ですけどね」
と次男が付け加える。
町外れにあるこぢんまりとした洋菓子店。どっしり大きな建物に挟まれた店は殊更に小さく見えたが客足は途切れることがなく、男は全く気にしない。そうそう、まだ店の名前を言ってなかった。白煉瓦の壁に設置された黒い看板に踊る金の文字。その名前は──
「親父、店の名前は?」
三人の息子達が一斉に男を見る。いつもの通りむっすりとした仏頂面で男はこう返答する。
「全部だ!」
男と同じ感性を持つ長男は満足げに頷き、美意識の高い次男は悩ましげに眉間を押さえ、三男は腹を抱えて宙で笑う。
菓子をお求めの際には是非、洋菓子店ゼンブダのご利用を。遠くにお住まいの方もどうぞご遠慮なさらずに。
「いらっしゃいませ!」
金色のドアベルが一斉に鳴り響く。
菓子屋のごうつくばり 迷島めい @hid_rain
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