第6話

 チャリンチャリン…チッ…ジーガシャンガシャン

 自販機のボタンは無機質なオレンジの光を三回点滅させると、それに反応するようにスポーツドリンクが取り出し口に身を投げる。

 蓋を回すと、プシュッという炭酸が抜ける音とともに甘ったるいジュースの香りが鼻腔をくすぐる。私はその香りに少し顔をしかめるも一口それを口に含む。スポーツドリンク特有の甘さと、炭酸が舌を刺激し、思わずむせる。

「嫌いな味なのに…買っちゃった。なんでだろ」

 咳き込みながらペットボトルから口を離すと、私の口からはよだれの糸が垂れていた。

 あの悲惨な世界から学校という日常に舞い戻り一日が過ぎたが、いまだ惨憺たる人の狂気、現実味のない死の余韻がふとした瞬間に私を襲い日常に馴染めずにいた。

 死を越えた絶望がわずか1日の出来事、それも昨日の出来事だということに未だに実感がわかず、せっかく右足が今朝の手術により完全に元どおりになったというのに私はその憂鬱な気分を延々と引きずっていた。

 そしてあの老人が話したことも私を憂鬱にさせる理由の一つだ。

「…ニア気分悪いなら行くのやめようよ。今から本当に模擬戦受けれるの?私は全然棄権していいよ」

 ミロクは心配そうに私の顔色をうかがう。

「棄権なんてするわけないでしょ?…私があんたに心配されるなんて、私も落ちぶれてしまったものね」

「別に落ちぶれたとかじゃなくてさっ。ただニアのことが心配ってだけで…」

「心配はいらない。私に必要なのは圧倒的な勝利…これあげる、やっぱり嫌いなものは嫌いみたい。私はVR室に行くから」

 私は彼女の言葉を遮り、スポーツドリンクの缶を彼女に手渡す。ミロクは何か言いたそうに私の方を見ていたが、すぐに諦め目を伏せて私の後を歩く。

 そうだ、私はこんなところでつまづいているわけにはいかない。指揮官を目指していく以上、これから戦争での死なんて掃いて捨てるほどの存在のはずだ。

 こんなことで怖気づいていられない。

 自分の甘えを振り捨て、私はVR室の重い鉄製の扉をぐっと押した。

 すでに部屋の中央にレスキナ教官と私たちの対戦相手がスタンバイしており、遅れて入ってきた私たちを鋭い眼光で睨みつける。

「遅いじゃないか、主席次席コンビ。早く中央に来なさい、既に予定戦闘開始時間を過ぎているでしょ」

「はい、申し訳ありません」

 私が一歩前に出ると、遅れてミロクが私と横に並ぶ。

 男女バディの相手は私達の姿を見て一瞬眉をひそめると、女の方が口をぎゅっと結び声を絞り出すように話し始める。

「あら、まだ昨日のことを引きずってるの?結局戦績優秀者も、皮を剥いでみればただの臆病者なのね」

「ちょっとっ、いくらなんでも…」

 ミロクが何かを言いかけるのを私は手で制す。

「そうね、でもその戦績優秀者である私たちの相手をしなきゃいけないなんて貴方達も可哀想ね。廃棄に一歩近づいたってことなんだから」

「……っ!」

 彼らはその言葉で悔しそうに顔をしかめる。

「これより合同指揮模擬戦を始める。時代背景はドルトニア王国シュトラトス郊外、設定時間は672年1月14日午前6:00。両者ともに戦闘機40体、重装歩兵25000名、航空隊はなし。先に戦死者20000人を出した方が降伏、両者理解できたか?」

「質問よろしいでしょうか」

 ミロクは一歩前に踏み出し手をあげる。

「許可する」

「それぞれ軍隊はどの位置から開始するのでしょうか」

「ミロク生徒とアニア生徒は座標X軸−107、Y軸95から。トルトイ生徒とヨメイ生徒は座標X軸−87、Y軸115だ。他に質問は?」

 レスキナ教官が各人の配置を告げると、私たちは静かに目を伏せた。

「では各自持ち場につきヘッドマウントディスプレイとケーブルの着用を開始しなさい」

「はっ」

 私たちは壁に備え付けられたカプセルに横たわると、ヘッドマウントディスプレイを頭部に装着し首裏にケーブルを挿す。


《スタビライザー正常。FCS適合。ヴェトロニクスオフライン。索敵モードパッシヴ》

《エネルギー流路確保。ジェネレーターオンライン。全システム起動確認》

《コンバットシステムチェック完了。オールグリーン》

《システムアップデート完了。これより戦闘機動に入る》

《各部異常無し》 《脚部関節作動良好》 《背部スラスター出力上昇》 《各駆動系稼働問題なし》

《メインウェポンコントロールリンク確立。戦闘支援AIとデータ共有開始》


 装置を起動すると視界は真っ青になり何もない世界が映し出された後に、徐々に私たち生徒にとって見慣れた司令室が目の前に広がる。

 私は視点の微調整をするため右隣に立つミロクと目を合わせる。

「ミロク、私は大丈夫だから」

「わかっているよ」

 目の前に広がるスクリーンから金文字が打ち込まれる。

《現実現在時刻9:08:14 レスキナ教官からの指示が各員に送信されました。9:08:20までに起動を開始してください》

 機械音声のアナウンスに従って、私はカウント開始のボタンを押す。

《5……4……3……2……1。戦闘開始》

 文字が青い粒子の粒となり空中に消えていくと、吹雪と共に雪で白一色に染まった林間の大地が映し出される。

「ちっ、趣味の悪い時期を選んじゃって…捕捉レーダーに敵の機影がないか確認」

《捕捉レーダー確認開始》

 AIの無機質な声と共にスクリーンに地図が表示され、私たちの機体を示す多数の赤い点が浮かび上がるも、敵のは映っていない。

 普段の模擬戦ではAIサポートなど基本使わないが、現在他の学年は授業中で模擬戦サポート役として呼べないため、今回は仕方なくAIのダミーデータを使用することで比較的、普段に近いサポートをうけることができている。

「捕捉レーダーに映っていないってことは15km以内に目標はいないみたいね。小隊単位で散開しましょうか」

「いや、それはやめたほうがいいよ」

 ミロクは私が出した提案を一蹴すると、大きなスクリーンに注視する。

「おそらくだけど、こっちが散開するとあっちは高低差から有利に立ち回れる盆地内で迎撃体制を整えてくると思うよ。だから索敵範囲を広げると戦力が分散されるから下策だと思う」

「じゃあ、主席様はどんな意見があるっていうの?」

 ミロクは「うーん」と言って顎に手を当てて何かを考える。

「意見もないのに余計なこと……ってなんか少し揺れてない?」

 私は呆れた様子で皮肉を言おうとしたその瞬間、微かだが地面が確かに揺れているのを感じ取る。

「え?別にそんなにかわりないと思うけど」

「いや、さっきより微かに地面が…まさか。捕捉レーダーに私たち以外の機影がないか確認!!」

 私は隣で戸惑っているミロクを放置して、指示を出す。

 《捕捉レーダー確認開始》 数秒後にマップがスクリーンに表示されるも先ほどと同様、敵の機影はない。

「この時間帯、この時期、この場所では私が予習した内容が正しければ地震は起きていないはず。つまり、地面が揺れているとしたら敵の戦闘機と歩兵が近づいているってこと。なのにレーダーに機影が映っていないってことは…おそらく電波妨害されている」

 ミロクの表情に一瞬動揺が走るも、すぐに顔つきが冷静なものへと戻る。

「そんなわけ…チャフでも撒かれた?」

「いや、この捕捉レーダーがそんな古典的な手に引っかかるわけない。きっとジャミングか何かでレーダーを撹乱されている。つまり、あっちはズルをしているってこと…クソがっ」

 私は忌々しげに吐き捨てると、八つ当たりで机に拳をたたきつけた。

 普段の模擬戦では、お互い同じ条件で戦っているため同条件下でどう立ち回るかで勝ちが決まるが、これはそんな暗黙のルールが破られている。

 つまり相手は指揮官としての誇りを捨てて私たちに勝とうとしているのだ。

 苛つきを押し殺しながらミロクを横目に見ると、彼女の口角が少し上がっていることに気がつく。

「私たちが気づくってことは、もちろん教官も電波妨害に気づいているはず。なのにこの模擬戦を止めないってことは、私たちを試してるってことだよね」

「どういうつもりかはわからないけど、でしょうね」

 ミロクはスクリーンを数秒まじまじと見つめると、私に少し意地の悪い笑みを向けてきた。

「今回の指揮、ニアに譲ろうと思ったんだけどさ……妙案を思いついたこの私に指揮を任せるとかアリ?」

「ナシよりのナシだけど、あんたの作戦が100%勝てるものなら…任せてやってもいいわよ」

「了解。ちょっとミロ…私もこんなことになるって予期してなくて緊張しちゃうな」

 ミロクはわざとらしい独り言を言って辺りを見回すと大きく息を吐き出す。

デルダ1司令室より各兵士へ通達する。これより移動を開始する。Ⅳ-01からⅦ-11戦闘機40機はここから東北に1km以内にある湖へと全速力で向かえ。各機ごとに地雷を用意し目的地に付き次第、待機。指示を待て。全重装歩兵も同様、湖に向かえ」

 《了解》 ミロクの指示は迅速に各隊へ送られる。

「湖って……何を考えてるの?いったいこれが勝利とどう関係あるのよ?」

「レーダーが使えないのなら、おびき寄せるしかないでしょ」

 ミロクは不敵な笑みを浮かべ私の質問を軽くいなすと、通信機から連絡が入る。

 応答ボタンを押すと、ザッという雑音とともに野太い声が聞こえる。

《こちらⅣ-03パイロット。全戦闘機、湖前に到着。しかし湖が全体として凍っているもよう…映像をそちらに送ります》

 モニターに切り替わった映像には、鈍く光る銀白の湖面が広がっていた。地表の雪と見分けがつかないほどに厚く凍りついた湖は、まるで大地の一部と化している。

「あんたのいってた肝心な湖が凍ってるけど、どうするつもり?」

「ニアはわかってないなぁ。凍ってることも含めて、全て計画通りなんだよ」

ニヤリ、と口端に笑みを浮かべるミロクの表情に底知れない恐怖を感じる。

《湖の表面は完全に氷結しており、厚さは約40センチ。戦闘機程度の重量なら問題なく展開可能と思われます》

「了解。これより全戦闘機は湖の中心部へ前進せよ。到達後、湖の中心軸に沿って横一列に展開。各機、3メートル間隔を保ち、搭載している地雷を可能な限り設置せよ」

 いつもよりワントーン低い声でミロクは兵士らに指令を送ると、自信ありげに私を見つめる。

 その顔に苛つきつつ、私は「氷の上に……地雷を?」とミロクの突飛な作戦に、思わず疑問が口に出る。

「レーダーを使える彼らには、私たちの動きが筒抜け…ならそれを逆手にとって逆に罠をはる。私たちが湖を越えた先に戦力を集結させれば、敵は必ず追ってくる。そうなれば、敵がこちらに来るためのルートはふたつ」

「遠回りするか、凍った湖を突っ切るか…ってことね」

「そういうこと」

余裕綽々といった表情でミロクは私にVサインを作ってみせる。

「普段だったら、選べるルートは遠回りだけ。でも今回は違う。湖が凍ったことで、もう一つの『最短距離』かつ、一見安全に見えるルートが生まれた。あとはあちらが湖を渡った時点で、こちらが動かないまま勝手に罠に嵌ってくれる」

 ぞくりと背筋が冷えた。その作戦は、確かに一瞬で戦況をひっくり返すには十分すぎるほどの『奇策』だった。

「で、でももし敵が湖を渡らなかったら?もしわざわざうかつしてきたら?」

ふと湧いた私の疑問に、ミロクは顎に手を当てて少し考え込む。

「そのときはこちらも逃げるしかないね、鬼ごっこをする。でも私たちはレーダーを使えないからいずれ負ける」

 しかしミロクは怯むどころか、むしろ楽しそうに笑う。

「相手の行動で、こちらの勝利か敗北の一手が決まる。ワクワクしちゃうねぇ」

 ミロクは不敵な笑みを浮かべ私の質問を軽くいなすと、通信機から連絡が入る。

《こちらⅣ-03パイロット。地雷50個全て設置し終えました》

「了解。それでは設置完了後は直ちに湖を横断し、対岸にて待機。以後の指示を待て」

 ミロクが落ち着いた声で応答したその瞬間だった。

 ドォォォォンッッ!!!!

 轟音とともに、大地が大きな揺れを起こす。

「今の音は何!?地雷が誤発動したの?」

 動揺を隠せない私に比べて、ミロクはスクリーンを見てひどく落ち着いている。

「誤発動じゃないよ、鼠が罠にかかったんだよ」

《前方6200メートル位置に敵軍兵を視認!!》

 緊迫した報告が通信を駆け抜け、司令室の空気が一気に張り詰める。

 それはさながら豪雪の中、音速で飛来する砲弾が如く、黒い塊となってやって来る。米粒ほどに見えたものが徐々に大きくなり、それが兵士だと肉眼で視認できるようになるまでそんなに時間はかからなかった。兵士は足並み揃え近づいてくるたび凍った地面を震わし、雪崩のような地鳴りが聞こえてきそうな勢いでやってくる。

「準備は整った……運命のコイントスの結果がどっちに転ぶか、確率は五分五分ってわけね」

「いや、もう少し確率を上げる方法はあるよ。ニア、今からスピーカーをオンにして敵にコンタクトをとるから二人にいつもの煽りをやって」

「はぁ!?なんで今、こんなタイミングでっ」

「いいから」

 この続きから書いて。ミロクは私の返事など聞かずに勝手にマイクとスピーカーのスイッチを入れる。私は急なことに頭が追い付かないもミロクは小声で「はやく」と急かしてくる。

 あーもう!えいままよ。

「ズルをしてまで私たち勝ちたいなんて…随分と哀れな戦い方をするのね。さすがね…こちらのレーダーを使えないようにジャミングするなんて、落第生に近き人間の考えることは規格外だわ」

 咄嗟に口を突いて出た自分の煽りに、私自身が一番驚いていた。

 だが、そんな挑発に相手が簡単に乗るとは思えない。一か八かの賭け…私は息を呑み、敵の反応を待つ。

 数秒の沈黙。やがて、敵軍は湖の目前で足を止めた。そして、通信越しに一言。

《……は?》

 マイク越しに聞こえる、怒りと戸惑いが混じったような女の低い声。

 乗った。声の持ち主は図星を指されたのか急にまくし立てる。

《仮にズルだとして何が悪いわけ?優等生コンビには悪いけどズルも戦略、勝てば官軍負ければ賊軍っ…馬鹿正直にこの模擬戦を受けたあんた達が悪いのよ!!》

 唾がここまで飛んでくるのではないかと思うくらいの剣幕で話す敵の指揮官に、私はさらに追い打ちをかけるように言葉を紡ぐ。

「別にズルが悪いとは言ってないわ。ただ、私たちはあんた達みたいにそんな小賢しいズルをしなくても真っ向勝負、戦略なしに勝ってあげるって言ってんのよ。あんた達如きのズルは、ハンデとして譲ってあげるわ。可哀想だもの、どちらにしろ負けるんだから」

 ふっと笑い、煽りを言い終えた後に残るのは一仕事終えた爽快感だった。 

《よく言うわ……私たちに追い込まれてやけくそでここまできたくせいにっ!!各機へ通達する…これより作戦を開始、総員第一種戦闘配置、陸地戦出撃用意せよ。繰り返す、これより作戦を開始、総員第一種戦闘配置、陸地戦出撃用意せよ…泣きを見るのはあんた達よ》

 ドスの聞いた声で指示を出すと、スピーカーからの通信はプツッと切れる。

「いやぁ…こんなに煽ってくれると思ってなかったよ。まあこの煽りに意味があるかはわかんないけど」

「はあ!?じゃあ私はなんのために…」

「まあまあ、とりあえず一緒に待とうよ。この勝負の行く末を」

 その言葉に、私はようやく一度だけ息を吐くことができた。

 と、そのときだった。

《敵軍、湖面に進入開始!先頭部隊が氷上へ踏み込んだ模様!》

 再び通信が鳴り、モニターが切り替わる。敵の密集隊列が、まさに湖の氷面へと足を踏み入れた瞬間が、映像として映し出される。

「……勝った」

 ミロクの声は低く、しかしその奥にある確信は揺るがなかった。

 雪を蹴り上げながら突き進む敵兵たち。その行く先に、張り詰めた氷と、張り巡らされた罠が静かに牙を研いでいることも知らずに。

《前方4200メートル位置に敵軍兵を視認》

「敵重装歩兵が前方2000メートル位置に到達するまで攻撃を待て」

 《了解》 ミロクの言葉に、兵士が応答する。

「まだ勝ったかどうかを決めるには早いんじゃない…?」

 私は焦りながらミロクに告げるが、彼女は私の声など聞こえていないかのようにモニターに映る重装歩兵を見つめている。

《前方3000メートル位置に敵軍兵を視認。迎撃態勢を発令することを推奨しますっ!!》

「まだまだ…ギリギリまで待て」

 私は不安な気持ちを隠しきれずに彼女の背中を見るも、その横顔からはなんの感情も読み取れなかった。

 モニター越しでも敵兵士の氷の地を踏む足音、そして息遣いが聞こえてくる気がした。それほどまでに目標との距離は近づき、私たちは追い詰められているのだった。

《前方2300メートル…2200メートル位置に敵軍兵を視認っ!!》

 そして、とうとう重装歩兵が2100メートル位置を切ろうとした瞬間、ミロクが口を開く。

「全戦闘機へ通達する!!設置された全地雷、起爆せよっ」

 ミロクの指揮が司令室に響き渡るとともに氷結した湖面に設置された無数の地雷が、順次起爆されていく。

 敵兵の断末魔ともとれる叫び声がスピーカー越しに、鼓膜の奥深くまで鳴り轟く。

 敵軍兵は何も知らずに、ただ私たちのもとへと進撃し私たちに王手を下すまであと一歩というところだった。

 だが自分たちが歩いてる地が一気に爆発し、その靴の裏に触れる氷の地面が突然消え去った今、止まることを知らないはずの重装歩兵たちは重力に争うこともできぬまま次々と溺れていくしかなかった。隊列は崩壊し、軍としての機能は完全に停止した。

その隙をミロクは見逃さない。

「全軍、第一種戦闘配置!主砲用意……全砲門一斉砲撃開始!!混乱している今なら容易に無力化できる……好機を逃すなっ」

下された指令に答えるが如く、瞬時に戦闘機が動き出す。兵士たちはその動きに合わせて一斉に配置を整え、主砲を標的に向ける。空気が一気に張り詰め、次の瞬間、戦闘機の主砲が火を噴いた。

ドッカァァァンッ!!!

 重装歩兵の残存部隊は、突然の攻撃に反応できず、次々に爆発と衝撃に飲み込まれていく。指揮系統がすでに崩壊した敵軍共は、無秩序に逃げ惑うも、足場の湖が次々と崩れ、戦闘機も重装兵士も関係なく次の瞬間には水柱をあげて、無残にも沈んでいった。

 花を一気に摘み取るみたいに、一瞬にして5000人ほどの重装歩兵が消えた。

「やめて…やめてやめて」

 思わずか細い声になって漏れ出る。

 モニターを茫然と見る私の脳裏にあったのは勝利に対する喜びではなくディア生徒の最期とパンラオイス生徒の涙だった。

 わかってる…今モニターに映ってるものは全て仮想現実で、現実には命のやり取りではないことは理解している。

 だけど頭では理解していても、心にそれは追いつかなかった。

「ニアっ…蹲ってどうしたの?ねぇっ!!」

 脳が爆ぜるような痛みに私は脂汗を垂らしながら歯を食いしばる。

 なに、この脳に爆弾が設置されたみたいな痛みは……。脳内に直接流れてくる自分に対する憎悪、軽蔑の感情に思わず嘔吐しそうになる。

 今まで模擬戦での死を見ても何も感じなかったのに、なぜ今、私の脳は張り裂けそうなほどの悲しみで溢れているの?

 私を見下ろすミロクの腕に縋り付きながら、私の意識はぷつりと途切れた。



「ん……」

 ゆっくりと目を開けるとそこには見慣れたようで見慣れない白い天井があった。

 鼻につく消毒液の臭いから、私は病室のベッドの上で寝かされているのだと気づくまでにそう時間はかからなかった。

 ふと、何かに左手を握られている感触があることに気づく。それは温かくどこか懐かしいような感覚だった。

 重たい頭を動かし目線を向けると、ミロクが椅子に座りながらベッドに突っ伏して眠っており、だらんと垂らした私の左手をミロクの両手で包んでいた。

「目が覚めたようで安心したわ。アニア生徒」

「レスキナ教官、いたんですか?」

 気づけば、病室の扉付近にはレスキナ教官がタバコを吸いながら壁にもたれかかっていた。

「ミロク生徒はずっと倒れたあなたのそばにいたのよ。どうやらあなたがお気に入りになったみたいね。珍しいことよ、彼女は人にあまり興味をもたないから」

「それはあなたたちが無理やり私と彼女をバディにしたからで」

「違うわ、何事にも理由はあるのよ。あなたが知らないだけで」

 レスキナ教官は吸っていたタバコを灰皿に押し付けながら私の目を見る。

「特に脳には異常はないみたいだけど、班員の死とかあの侵入者とか色々あって脳が疲れちゃったのかしらねぇ。次席でも荷が重すぎたのね、明日の表彰式はあなたも表彰される予定だったけど…その体で参加できるかしら」

「…できます」

 私のどこか煮え切らない返事に、レスキナ教官は少し困ったような笑みを浮かべると懐から手紙を取り出し、私に見せつける。

「あなたにいつ渡すべきか迷ったけど実は昨日手紙が届いたの。ニエ・ジュイエ卒業生から」

「先輩からっ!?」

 やっときた先輩からの手紙に私は飛び起きようとするも、レスキナ教官は私を抑える。

「休みなさいって言ったでしょ?」

 そんな私に苦笑しながら手紙を差し出すと、私は急いで受け取り、先輩からの手紙の封を開ける。紙の上に走る鉛筆の細かな黒鉛の跡、微かに香るインクの匂いに私の心臓は高鳴る。

 ―拝啓ニアちゃんへ。

 私は逸る気持ちを抑えつつ、私は拝啓の後に綴られた私の名前の所を何度も繰り返し読む。

「この手紙を届けてくれて本当にありがとうございます。すごく嬉しくて私……」

 レスキナ教官は少しタバコを口から離すと私の頭を撫でる。その手から私はなぜかギーベリと似たものを感じた。

 そのまま私の頭から手を離すと、再度タバコを咥え病室の扉に手をかける。

「レスキナ教官っ」

「なにかしら?」

 呼び止められたレスキナ教官は首を傾げ、私を見る。

 なんでこんなことを聞くのか自分でもわからない、教官ならこの不安から解放してくれると彼女にすがりたかったのかもしれない。私がそんなわけないと思いながらも彼女の口から聞かされた真実に納得したいと思った結果なのかもしれない。

「この手紙は本当にニエ・ジュイエ卒業生から届いたんですか?」

 沈黙。レスキナ教官は驚いたような表情も焦るようなそぶりもせず、ただ無表情で私を見つめていた。ミロクの寝息が病室に響きわたり、この病室の中だけ時間が止まったように私は感じた。

「そうよ。当たり前でしょう」

「……ですよね。あまりにも嬉しすぎて変な質問をしてしまいました。申し訳ありません」

 それだけ言うと私は目線を下に落とした。レスキナ教官は「いいのよ」と言って病室から出ていった。ドアが開いた際、病院の特有の冷たい風が流れていた気がした。

 その時だった、ベッド脇からなにかうめき声のようなものが聞こえてくる。

「ふぁぁ…あれ今誰かいた?」

 目を擦りながら体を起こしたミロクは、寝ている間になにがあったのかとキョロキョロしていた。

「あんた…何で私をいつも助けようとするの?」

 私は小さな声で、でもはっきりと聞こえるように言葉を口にした。

 言ってしまった後一瞬躊躇ったが一度口にした言葉は、もう口の中に戻らない。

 ミロクは寝ぼけながらも私の問いに少し悩むそぶりを見せ、すぐにいつもの笑顔を私に向ける。

「そこに助けるべき人がいたからじゃない?」

 その言葉に、私は胸がキュッと締め付けられた。

「全然それは助けになってないっ!!うざいのよ…私を助けて自分が死んだらどうすんのよ?ばっかじゃないの…模擬戦と違って本当に死ぬのよ。あんたみたいな奴が私を助けて無責任に死んだらその後私は……それをどう償えばいいのよ?」

 私の口からは言葉が、声は堰を切ったように溢れ出る。

「でもミロクは死ななかった」

「ディア生徒は死んだっ!!」

 戦争という死が当たり前のように付きまとう世界で、彼らはどうして命を挺して目の前の人を救えるの…そんなの理解できない。

 ミロクは私の言葉をただ黙って受け止めるように私を見つめていた。

「ディア生徒とは全く仲も良くないし、情報収集のために彼女を知ったくらいの仲で昨日同じ班になって初めて喋ったくらいなのに…なんで私を庇って死んだの?せめて自分が戦った相手に殺されればまだ名誉の死なのに…」

 嗚咽が混じり、私の声は掠れて言葉も途切れ途切れになる。

 涙が止まらなくて、鼻水までダラダラと流れるけどそれを拭う気力もない。

「あんたもそうよ…なんであの時あたしなんかを庇ったの…?人一人守れない私はあの時爆発と共に死ねばよかったのよ…」

 私は唇をかみ締めて、自分の肌にに爪を立てて血が出るくらい強く握りこぶしを作る。こんな所で泣いている自分が嫌で、悔しくて…涙が止まらなかった。

 するとミロクは急に私にその身を寄せて、私の手に優しく手を置く。

「死ぬべき人間なんていないよ。その時死ぬことができなかったのは、次にニアが誰かを守ることのできる番だからじゃないかな」

「守る…番?」

「うん、命を懸けて誰かに守られたなら次はニアが命をかけて誰かを守る番なんだよ。私がニアを守ったのはニアがその誰かを守るための運命なんだよ」

 そう言ってミロクは私に笑いかけると、私の肩をぎゅっと握る。

「ニア?」

「先輩は…私をニアちゃんなんて呼ばない。あのグレイス帝国の老人が言ってたことは嘘じゃなかった。全部本当なのよ。先輩のために学校側の言うことを聞いてきたのにもう…」

 その先の言葉が出なかった。言葉にすれば現実になってしまいそうで怖かったからなのか、はたまた口にしてしまえば私が壊れてしまうと思ったのかもしれない。

「あんたが昨日言ってた通り私は学校に内通してたの。先輩の安全を保証する代わりに寮での生徒の生活を報告しなくていけなくて……ほんとは嫌だった。ほんとは人なんて大っ嫌いなのに人のことを気にしないといけないのが辛かった。毎週校長室に行って、生徒の問題についてあの暗い部屋で報告するのも嫌だった。でもそれが私の役目だから……しないと私の中の先輩が死んじゃうから」

 気づけば私はミロクの肩に額をあてて泣いていた。まるで悪さをした子供が泣きながら母に話しているようだったと思う。でもミロクはそんな私を拒絶することはせず、私の背中を優しくさすりながら、ずっと話を聞いてくれた。

 窓から冷たい風が流れ込むその病室には、しばらくの間すすり泣く声とミロクの手のひらが背中をさすっている音だけが響いていた。

「ずっと一人で背負ってきたんだよね。がんばったね」

「ごめんなさい……ごめんなさいっ」

 嗚咽交じりに謝罪する私だったが、ミロクはそんな私の背中をさすりながら首を横にふる。

「ずっと下を向いてるより、上を向くほうが景色が綺麗だよ」

「私に…もう上を向く資格なんて……」

「ミロクが上を向く理由をあげるよ」

 私が顔を上げるとミロクと目が合う。そこには迷いも曇りもない真っ直ぐな彼女の目があって、その目で見つめられると自分の全てが見透かされているような気すらした。

「上を向くために、まずこの学校から出よう」

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