桜風に追想

月見トモ

第1話 桜



 君の灯火が優しく、柔く、静かに燃え尽きたことを、僕は知っていた。

 ある病院の一室。カーテンの隙間から陽の光が射し込み、それに瞼が刺激され目が覚めた四月十五日の僕の話だ。


 少し肌寒い三月の朝、僕は隣に眠る君にそっと口付けをした。君はふと意識を取り戻したように、優しく微笑んだ様に僕の瞳には映った。


 数年前から点滴と酸素マスクに繋がれることになった君の姿すら、美しく見え、僕は何故か若い頃を思い出していた。


 出産の時は随分痛い思いをしただろうに、開口一番、元気に産まれたよって笑った君の笑顔に、僕はどれだけ救われたのか分からない。

 君の為に煎った珈琲豆の匂いが部屋に充満し、換気くらいしなさいと君にこっぴどく怒られたことも思い出した。

 愛情を上手く言葉にできなくて、不器用に君を傷つけたりもした。

 それでも、君は隣にいてくれた。


 四日前の地鳴りから、もう誰の足音もせず、瓦礫で塞がれた扉もびくともしない。

 停電で医療機器と共に君の心臓が止まったことを知って、僕はここから出る事を直ぐに諦めた。

 瓦礫を掻き分けて出口を見つけることも出来たのだろうが、やはり君を置いて逃げるなんて出来なかった。


「……はぁ、はぁ」


 四日間の空腹と閉じ込められた空間の酸素不足の末、意識が朦朧として、僕は君の手をぎゅっと握った。


『……――――』


 あぁ、君はどんな姿でも美しいな。

 薄暗くなっていく視界の端に見える君の横顔に僕はまた見惚れていた。


 君は、幸せだっただろうか。


 こんな僕といることで、逆に幸せから遠ざかっていたのでは無いか。

 年収や性格も何一つ申し分無い、いい男が他にもいただろうに、どうして僕なんかと居てくれたんだ。料理だってまともに出来ない、趣味のギターさえ上手く扱えない、こんな僕と。


「…………どうして、」


 そんなことを言えば、君が叱りに来てくれるのではないか。そんな淡い期待が胸の奥を突き刺し思わず涙が溢れる。

 歪んだ窓の外では、ごぉぉっと風が吹いている。外は晴天。新しい季節と共に、新しい生命も芽生え、そして、みんな新しい場所へ行く。

 ふと、何処からか入ってきた桜の花びらが僕の元へひらりと落ちた。


「……あぁ、あぁ、僕も……同じだよ」


 その桜はまるで君からの応えのように見えて、僕は君の顔に目をやった。


 君は確かに笑っていた。


 幸せそうに、柔く、笑っていた。


 【完】

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桜風に追想 月見トモ @to_mo_00

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