第7話 氷の魔導士と精霊のノート
「すごい……これが、魔法都市……!」
ティムは目を見張っていた。
手には地図、肩には旅の鞄。隣では、アルがきょろきょろと街の景色を見回している。
「おいティム、あの塔、でけぇな! 飛べるかも!」
「いやいや、さすがに無理だって……!」
ティムが笑いながらたしなめると、アルはむすっとしてしっぽをふった。
旅を重ねて数日。ようやく辿り着いたこの王都で、ティムたちの目的はひとつ──魔導士ギルド。
アルの魔力進化に関して、さらに詳しい情報を得るため。ティムは魔力理論に関する文献を探すつもりだった。
ギルド本部は、王都中央区に位置する巨大な塔のような建物だった。扉の前には守衛が立ち、出入りする人々の中にはローブ姿の魔導士たちが目立っていた。
「……けっこう、緊張するな……」
「行け行け、ビビってんじゃねえよ」
アルに背中を押される形で、ティムはギルドの受付へと歩み出す。
「はい、見学希望……もしくは資料閲覧をお願いしたいんですけど……」
「未登録の方は、仮登録手続きが必要です。こちらの用紙に……」
受付の女性が淡々と説明する。その手際にティムがたじたじになっていると──
どこか遠くで、何かが“爆ぜた”。
「きゃあっ!」
ギルド内の奥、広場のような空間から叫び声が響く。
「何事だ!?」
受付の女性も立ち上がり、警報のような魔力が塔全体に走る。
「魔法演習場で……暴発だって!? 被験者は……ミリア=スノウ……!」
「ミリア……?」
ティムが首をかしげる間にも、見物人や関係者がざわざわと駆け寄っていく。
「氷魔法が暴走……? え、演習室が凍り付いたって!?」
「またあの子かよ、魔力は一流でも共鳴できてねぇんじゃな……」
そんな声に交じって、ティムは気づいた。
(……ミリア=スノウ。どこかで聞いたことがある……)
資料室で見かけた天才魔導士の名──確か、氷属性と精霊魔法の複合型。
そのとき、足元のアルがくんくんと鼻を鳴らした。
「ティム、行こうぜ。なんか“気配”がざわついてる」
その言葉に、ティムはぐっと頷いた。
「……うん。行ってみよう。なんか……放っておけない気がする」
受付用紙を放り出し、ティムは魔導士ギルドの演習場へと駆け出す。
そこで出会うのは──
この物語を大きく変える、氷のツンデレ少女だった。
* * *
魔導士ギルドの演習場は、まるで氷の庭園のようになっていた。
氷の柱がいくつも突き出し、床の石畳はつるつると凍りついている。凍結した観客席の一部では、慌てた職員が足を滑らせて転びそうになっていた。
「はあ!? リーヴルがまた共鳴してくれないからでしょ!」
凛とした声が、氷の吹雪をつんざく。
その声の主──白銀の髪をツインテールに結い、水色のリボンをなびかせた少女が、怒り心頭で杖を振り回していた。
「ほ、氷が天井まで!」「魔法暴走じゃないのかこれ……?」
「ミ、ミリア=スノウだってよ。あの貴族の……!」
観客席に集まった見学者たちがざわめく。
ミリアは王都でも有名な“天才魔導士”だった。氷属性と精霊魔法を併せ持つ異能の持ち主。だが、近頃の彼女は“共鳴不良”で演習失敗を繰り返しているらしい。
ティムはその場に立ち尽くしていた。
凍りついた床、怒鳴り合う魔導士、そして──
「あーあー……またやってるのねミリア。すぐ怒るから~」
手のひらサイズの妖精──雪の精霊リーヴルが、ティムの肩にひょこんととまった。
「えっ……えぇ!? え、君、見えるの!?」
「えっ」って声をあげたのはティムの方だった。人間には見えないはずの精霊が、なぜか彼にだけ普通にしゃべってくる。
「うん。君、なんか“ふんわりしてて”話しかけやすいから」
「いや理由ふんわりしすぎじゃない?」
「それでね、ミリアがあんな風なのは、ちょっと理由があるの」
リーヴルは、くるくると回りながら、ティムの耳元で囁くように言った。
「最近のミリア、なんか怖いの。前みたいに一緒に笑ったり、おしゃべりしたりしてくれない。お勉強ばっかり、失敗したら顔真っ赤にして怒るし……」
「……それって、焦ってるのかも」
ティムはそっと呟いた。
「自分が“強くなきゃいけない”って、思い込んでると、余裕がなくなって……大切なことが見えなくなる時って、あるから」
リーヴルがしゅん……としたように浮かぶ。
「ねえ、君……彼女に話してくれる? ミリア、誰の言葉も聞こうとしないけど、君の言葉なら……もしかして、届くかも」
ティムは少しだけ目を見開いてから、微笑んだ。
「じゃあ、話してみてもいい……?」
そう言った少年の声は、静かだけれど、どこまでも真っ直ぐだった。
* * *
朝の光が、ギルドの高窓から柔らかく差し込んでいた。
静まり返った資料室には、天井まで届く本棚と、開いたままの魔導書がいくつも広げられている。香ばしい羊皮紙の匂いが、鼻先をくすぐった。
「……ちょっと、どいてくれる? そこ、私の本棚なの」
ぴしゃりと言い放つ声に、ティムはびくりと肩を跳ねさせた。
「えっ、あ、す、すみません……」
「ほんと、無神経。魔導士ギルドはカフェじゃないのよ」
ミリア=スノウは、今日もばっちりツン顔で登場した。
彼女は昨日の暴走魔法演習の“当事者”だったにも関わらず、まるで何事もなかったかのように整った制服を着て、氷のような態度で歩き回っている。
「ミリアさんって……あの、昨日の……」
「ええ、そうよ。何か文句でも?」
「い、いえ……ないです……」
ティムはそっと視線を逸らす。ミリアはふん、と鼻を鳴らして棚を物色し始めた。
「君たち、ほんと正反対だね……」と、ティムの肩に乗ったアルがぼそっと呟くと、隣の光の中からリーヴルがぴょこんと現れた。
「ねえミリアー、そっちの段ボール、昔の精霊研究ノートじゃない~?」
「えっ……それ、まだ残ってたの?」
ミリアが驚き気味に引き寄せた箱から、数冊のくたびれたノートが現れた。
リーヴルが器用にぴらぴらとページをめくると、ページの間から小さな羽根飾りがひらりと落ちた。
「これこれ~! ミリアとリーヴルの交換ノート! 懐かしいな~!」
「……ああ、昔はよく書いてたっけ。演習のあと、今日の出来とか、魔法の気持ちとか……」
ミリアの目が少しだけ柔らかくなった。
けれど、ノートの最後のページを開いた瞬間、彼女の表情がふっと曇る。
「ここ……空白のままなのね」
「うん……あの時から、ミリア……書いてくれなくなっちゃったんだよね」
リーヴルの声が、どこか寂しげに揺れた。
「私が……勝手に、変わったからよ」
ミリアがぽつりと呟いた。
ティムはそんな彼女を見て、言葉を探した。怒っているように見えて、その実、傷ついたままの心を抱えた少女。
「それ、書き直してみたらどうですか?」
ティムの言葉に、ミリアが眉をひそめた。
「はあ? 何言って……」
「……また“始めて”みたらいいってことです。今のミリアさんが、何を思ってるのか。リーヴルさんに、伝えてあげたら」
「……っ」
ミリアはノートを見つめたまま、返事をしなかった。
けれどその手は、少しだけ震えていた。
* * *
夕暮れの光が、ギルド庭園を金色に染めていた。
木々の葉が風にそよぎ、小池の水面には小さな波紋が広がっている。
そのほとりに、ティムとミリア、そしてリーヴルが腰を下ろしていた。
「……これが、最後のページ」
ミリアの手の中にあるのは、あの精霊ノート。
古びた表紙には、小さな羽のレリーフ。中には、かつて彼女がリーヴルと交わした文字の記録が、びっしりと綴られていた。
「“今日の魔法はちょっと失敗。リーヴルが笑ってた”……ふん、子供っぽい」
ページをめくるたび、ミリアの口元が少しずつ緩んでいく。
「“リーヴルが変な顔で変な踊りしてた。わらった。あしたもいっぱい魔法つかう”……なにこれ、私、馬鹿みたい」
でもその声は、どこか懐かしさと愛おしさに満ちていた。
「ううん、楽しかったよ。毎日が、きらきらしてた」
リーヴルがぽわんと浮かびながら微笑む。
ミリアはふっとため息をつき、ノートの最後のページに視線を落とした。
空白のままだったそのページに、彼女はゆっくりと指を添える。
「本当は、書きたかった。でも、あの日、失敗して……“楽しんでる場合じゃない”って、勝手に思い込んでた」
その言葉に、ティムがそっと呟く。
「……強くなりたいって気持ち、大事だと思います。でも、心が閉じてたら、誰の声も届かなくなるって……僕も、そうだったから」
ミリアは驚いたようにティムを見る。
「あなた、意外とまともなこと言うのね」
「えっ、今“意外と”って言いました!?」
小さな笑い声がこぼれる。
そのときだった。風が吹き抜け、ミリアのツインテールに結ばれていたリボンが、ひらりとほどけた。
「あっ、もう……またこのリボン、すぐほどけるんだから!」
「貸してください。……よし、こっち向いて」
ティムはリボンを手に取り、器用に指を動かして結び直していく。
ミリアはむすっとした顔で頬を赤らめながらも、大人しくしていた。
「……ありがと」
「いえいえ。リボンって、心にも似てますね。ほどけたら、また結び直せばいい」
「なによそれ……変な例え」
でも、ミリアの頬にはほんの少し、赤みが残っていた。
「ねえ、ティム」
「はい?」
「……私、変わらなきゃって思った。リーヴルと、もう一度、ちゃんと向き合いたいの」
その声は、いつもの尖ったトーンではなかった。
静かで、でもまっすぐな意志が込められていた。
リーヴルがにこにこしながらくるくる回る。
「それが聞けて、すっごくうれしいよっ!」
夕陽が、三人の影を長く伸ばしていく。
ほどけたリボンと、結び直された想い。
心の距離が、少しずつ近づき始めていた。
✦――――――――――✦
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
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王都での出会いが、次なる物語を紡ぎます──!
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