第11話 暴走と沈黙、共に生きる力

 ティムがギルドの試験に合格してから、数日が経った。


 朝の王都は、日差しが街を染める静けさの中にあった。ティムはミリア、アル、リーヴルと共に、広場に面したカフェで軽く朝食をとっていた。


「パンがサクサクしてて美味しいね」


「うむ。だが、俺は肉が恋しい」


「朝から肉って……ほんと、あんたたち、育ちが違うわね」


 そんな他愛ないやり取りをしていると、急ぎ足の騎士団の伝令兵が駆け寄ってきた。


「失礼! ティム=フロスト殿ですね!」


「えっ、はい……!」


「近郊のグランツ村より、緊急の要請が届きました! 村の防衛魔獣が突如暴走し、住民に多数の負傷者が……現在、王国騎士団が出動中です!」


「魔獣が……暴走……?」


 ティムは一瞬言葉を失い、そしてすぐに立ち上がった。


「アル、行こう!」


「……おう、任せとけ!」


 ミリアがため息をつきながらも立ち上がる。


「まったく……落ち着いてパンも食べられないじゃない。でも、放っておけないわね」


 リーヴルもくるくると回転しながら、ミリアの肩に着地した。


「出動ーっ! れっつごー!」


 こうして一行は、緊急要請のあったグランツ村へと馬車で急行することに。


 道中、ティムは窓の外を見つめながら、思いを巡らせていた。


「……暴走魔獣って、どうして起きるんだろう」


「大抵は、“心のバランス”が崩れたときだな。契約主との関係が壊れたり、孤独だったり……」


 アルの言葉に、ティムは静かに頷いた。


 そして数時間後、村の入り口に着いたとき――ティムは見覚えのある背中を見つけた。


 鋭い目つきと整った鎧。王国騎士団の紋章。そして、厳格で冷たい背中。


「……兄さん……」


 ルーク=フロスト。かつて“出来損ない”と呼ばれ、家から追放した張本人が、そこにいた。


 緊迫した空気の中、兄と弟の再会が始まろうとしていた。


 


 * * *


 


 空気が重かった。グランツ村の広場を囲むように、王国騎士団の面々が配置されている。柵の向こう、唸り声とともに暴れる影が見えた。


「現場に素人を立ち入らせるな!」


 響いた怒声に、ティムは思わず足を止めた。視線の先、指揮の中心に立つのは――兄、ルーク=フロストだった。


 相変わらず整った姿勢と、冷たい目。誰よりも厳格で、誰よりも遠い存在だった。


「兄さん……」


 ティムの声に、ルークの視線が向く。その目には、あざけりも、怒りもなかった。ただ、冷たく感情の読めない色。


「ティム。なぜここにいる?」


「……村の魔獣が暴走してるって聞いて」


「騎士団が対応している。お前のような、実戦経験の乏しい素人が首を突っ込む場所ではない」


 その言葉は、まるで過去の自分を突きつけられたようで。ティムの胸に、かすかに痛みが走った。


 だが。


 その時だった。遠くの民家から、助けを呼ぶ女の悲鳴が響いた。


 ティムの瞳が、大きく見開かれる。


「誰か……! あの子を……!」


 ルークが制止の声を上げようとしたときにはもう、ティムの足が動いていた。


「今はそんなこと言ってる時じゃない!!」


 駆け出すティム。その背に、アルが飛び乗る。


「おいおい、また無茶な――けど、そういうとこ嫌いじゃないぜ!」


 突き抜ける風。民家の前に倒れ込む女性、その奥で唸る影。暴走した魔獣は、毛並みが逆立ち、目の焦点が合っていない。


「アル、僕の横に!」


「おうっ!」


 ティムは正面に立ち、ゆっくりと両手を広げた。


「……僕は、君を傷つけたくない。けど、止めるよ」


 牙をむき出しにして向かってくる魔獣。だがその一瞬、ティムの声が届いたのか――


 その足が、かすかに止まった。


「ティム!!」


 遠く、兄ルークの叫びが響いた。


 剣を手に駆けてくる姿を見ながら、ティムはただ前を向いていた。


 ――君を、信じたい。


 


 * * *


 


 広場中央に風が吹き抜けた。陽は西へ傾き、空は橙から深い藍へと変わり始めている。


 ティムは、唸りをあげる魔獣と、真正面から向き合っていた。


 相手は大型の獣型魔獣。四肢を踏みしめ、地面を割るほどの力を秘めている。だがその目は、理性を失った獣のそれではなかった。


 苦しそうに、もがいていた。


「……ごめんね。怖かったよね。ひとりで、ずっと……」


 ティムの声が、静かに空気を震わせる。


 アルが後ろで構えていたが、ティムは手をあげて制した。


「アル。今回は、“守って”じゃない。……僕が、話すから」


「……あいよ。けど、無茶はすんなよ」


 唸りながら、魔獣が前脚を振り上げる。


 その動きに合わせて、王国騎士たちが剣を抜こうとする――が、それよりも早く。


「待って!!」


 ティムの叫びが、広場に響いた。


 すべての動きが、止まる。


 ティムは一歩、また一歩と魔獣へ近づいていく。


「……君は、誰かに裏切られたんだよね。信じてたのに、切られて。……でも、それって君のせいじゃない」


 魔獣の目が揺れた。


「僕は、君を支配しない。命令なんかしない。……選ばなくていい。主なんて、探さなくていい」


 ティムは立ち止まり、胸に手を当てる。


「でも……それでも、お願い。――手を貸して」


 その一言が、風に乗った。


 次の瞬間。


 魔獣の体から、闇のような魔力が一瞬、吹き出した。


 だが、それはまるで潮が引くように、静かに消えていった。


 そして、魔獣の目尻から――一筋の涙が零れ落ちた。


 膝を崩すように、その巨体が地に伏す。


 ティムはゆっくりと駆け寄り、倒れた魔獣の体にそっと手を添えた。


「……ありがとう。止まってくれて、ありがとう」


 アルが静かに寄ってきて、魔獣の背をぺろりと舐めた。


 その様子を見ていたルークや騎士団員たちは、ただ言葉を失っていた。


 誰も命令しなかった。


 誰も力でねじ伏せなかった。


 ただ、願ったのだ。心から。


 “わかってほしい”と。


 “助けたかった”と。


 そしてそれは、確かに届いたのだった。


 


 * * *


 


 日が沈み、空が群青へと染まるころ。


 グランツ村の広場には静寂が戻りつつあった。暴走していた魔獣はティムの声に応え、膝をつき、そして力を失って倒れた。


 その巨大な体のそばに、ティムはそっと寄り添っていた。


「……ありがとう」


 その言葉に応えるように、魔獣がゆっくりとまぶたを開いた。瞳の奥には、ほんのわずかにだが、穏やかな色が宿っている。


 だがその瞳は、もう長くは開いていられなかった。


 アルが静かに隣に座り、魔獣の顔に鼻先を寄せる。


「ティム、こいつ……もう……」


 ティムは、小さくうなずいた。


 そのとき。


「……帝の……掟に……逆らった……」


 かすれた声が、魔獣の喉から漏れた。


「それが……罰だ……」


 その言葉とともに、魔獣の身体から微かな魔力が消えていく。


「え……?」


 ティムは顔を上げた。その場にいたミリア、ルーク、騎士たち――誰もが、同じように顔を強張らせていた。


「い、今……なんて?」


 ミリアが震える声で呟いた。


 ルークでさえ、厳しい顔を崩して言葉を失っていた。


 その場に、凍てついたような沈黙が訪れる。


 “帝の掟”――その言葉が持つ意味を、誰も完全に理解できていなかったが。


 だが確かに、その名が指し示すものはひとつしかなかった。


「“帝”って……まさか……魔帝国……?」


 ミリアの言葉に、ティムの背筋がぞくりと震える。


 アルは目を伏せたまま、じっと動かない。


 その姿は、まるで……“何か”を思い出しかけているように見えた。


 風が吹く。


 沈んだ空に、夜の帳が下りていく。


 


 * * *


 


 朝焼けが村を包み込んでいた。グランツ村の片隅、仮設テントが並ぶ一角で、ティムは焚き火を囲んでいた。


 昨夜の出来事――暴走魔獣を止めたことが、まるで夢のようだった。


「……君、本当にすごかったよ!」

「まさか言葉だけで魔獣が止まるなんて……」

「ティム=フロストって名前、覚えたわ!」


 村の人々や一部の騎士たちが、次々とティムに声をかけていく。


 ティムは照れくさそうに笑いながら、「ありがとうございます」と頭を下げ続けていた。


 そんな中、ミリアは少し離れたところで腕を組み、ぷいっと顔を背けていた。


「ちょっとくらい……感謝してくれても、いいんじゃないの?」


「えっ、なにかしたっけ……?」


「べ、別にっ!」


 と、そんなやりとりの最中だった。


「おーい、ティム!」


 がっしりとした声と共に現れたのは、あの男――バルゴ=クラットだった。


 昨日の即席チーム戦以来の再会に、ティムは目を丸くする。


「バルゴさん!? どうしてここに?」


「聞いたぞ。暴走魔獣を止めたんだってな。しかも、言葉だけで」


「……あれは、ただ、気持ちが届いてくれたんだと思う。僕がしたのは……ほんの少し、語りかけただけで」


 バルゴは、ふっと笑ってティムの肩を軽く叩いた。


「お前、やっぱり不思議なヤツだな」


「え?」


「テイマーとしてじゃねぇ……男として、仲間になりたいと思ったよ」


 ティムの目が大きく見開かれる。


「仲間、に……?」


「そうだ。信じられるやつってのは、口で言うより行動でわかる。お前が命令じゃなくて願ったこと……俺の胸にも、確かに響いたんだよ」


 ミリアがちらりとバルゴを見た。


「ふーん。見る目あるじゃない、バルゴ」


「……おう。まあ、お前にも少しは認めてもらいたいしな」


 ティムは言葉に詰まりながらも、ぎこちなく笑った。


「ありがとう、バルゴさん……!」


「バルゴでいい。お前はもう、俺の仲間だ」


 火の粉がぱちぱちと弾け、空が少しずつ明るくなっていく。


 ティムは空を見上げて、ぽつりと呟いた。


「支配じゃなくて、共に歩ける場所を……作らなきゃ、いけないんだ」


 その言葉に、ミリアが静かに頷く。


「ええ。あんたが言うなら、信じてみたくなる……かもね」


 そして、アルがティムの膝にちょこんと乗り、くぅんと鳴いた。


 ――少年の想いが、またひとつ、仲間の心を動かした。


 


 * * *


 


 夜の帳が村をすっぽりと包んでいた。


 村の高台にある小さな丘。その上に座るティムは、足元に転がる石を指で弾きながら、ぽつりとつぶやいた。


「……あの魔獣も、本当は、助けてほしかったんだろうね」


 隣にちょこんと座るアルが、くぅんと短く鳴く。


 その瞳には、どこか遠い記憶を辿るような色があった。


 背後からは、仮設テントの明かりがちらちらと揺れている。騎士団は撤収の準備を進めており、村人たちは安堵と疲労の混じった表情で夕食を囲んでいる時間だった。


「ねえ、アル」


 ティムは夜空を仰ぎながら続ける。


「今回のこと、すごく考えさせられたんだ。魔獣って、人間にとって“使役するもの”だって思われがちだけど……あの子は、ずっと寂しかったんだよ。誰にも信じてもらえなくて、誰にも触れられなくて」


「……俺も、そうだったかもな」


 アルがぽつりとつぶやく。


「お前に拾われるまでは、ずっと、誰にも見られなかった気がする」


「それって……ずっと一人だった、ってこと?」


「そう。存在してるけど、いないみたいなもんだった。けど、ティム、お前が“選ばなくていい”って言った時……心の中で、すごく楽になったんだ」


 ティムは笑った。


「僕もさ、誰にも選ばれなかった。でも、だからこそ分かるんだ。“選ばれないつらさ”ってやつ」


 そのときだった。


 どすん、と音を立てて、バルゴが重たい布袋を肩に担いで丘を登ってきた。


「よう、ロマン語ってんのはここか?」


「バ、バルゴ!? なんでここに……」


「んー? まあ、夜風に当たるのも悪くねぇしな。それに、何かあった時の“見張り役”だ。な?」


 彼はどかりとティムの隣に座ると、背中を預けるように仰向けになった。


「……あの魔獣を止めたときさ。お前の言葉に、俺も胸が熱くなった。やっぱ、お前、すげえやつだよ」


「そ、そんな……僕はただ……」


「ただじゃねえよ。お前、いつも“誰かのために”って考えてる。それって、簡単にできることじゃねぇ」


 アルがティムの手をぺろりと舐めた。


 そして、ふいにティムが立ち上がる。


「僕、決めたよ。……《キズナ牧場》を作る」


 ミリアとリーヴルが、いつの間にか後ろから近づいてきていた。


「へぇ。なにそれ?」


「うん。居場所がなかった魔獣たちが、もう一度、歩き出せる場所。そこを、僕が作りたい」


 夜風が、4人と1匹の髪や毛並みを揺らした。


「支配じゃなくて、共に歩けるギルド。誰もが“仲間”って思える場所。……それが、僕の“原点”だから」


 ティムの目が、月明かりに照らされて輝いた。


「ふぅん。いいんじゃない。ティムらしくて」


 そのときだった。


 遥か彼方、星空の向こうに、黒い何かが一瞬だけ横切った。


 それは、獣のような形をしていた。


 アルが、ぞわりと毛を逆立てる。


「……誰かが、こっちを見てる」


 遠く、遠くで。


 “何か”が、確かに目を光らせていた。




───⋆。゚☁︎。⋆。 ゚☾ ゚。⋆。゚☁︎。⋆───


読んでいただき、ありがとうございました。


「誰にも選ばれなかった少年が、“信頼”を力に変えて未来を切り拓く」

そんなティムたちの旅を、これからも応援していただけたら嬉しいです。


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