第3話

小さい頃の私は、自分に自信がなかった。

おどおどと、周りの子達の意見に賛同するばかり。

そうして始まる、仲間落とし。

いじりと称し、いとも軽く形成中の尊厳を削り取っていく。

人間は群れるものだから、そこにトップの子が出るのは当たり前で。

彼女の号令は、これまでどうにか射線上に入らないように立ち回ってた私に向かって、定められたのだ。

友達の輪に入ると、まるで汚らわしいものが来たかのように、口すら利いてくれない。

机に落書き、私物を隠す。他のクラスまで知れ渡る噂話。

いまだに小学校の中という、薄く狭い世界しか知らない私にとっては、ひどく苦痛だった。

先生に相談しようかとも思ったけれど、いずれ対象は変わるだろうし、結局先生を頼ったことを槍玉に挙げ、このイジメが継続されたら困ると考えた。

私はひたすら耐えた。1週間、1ヶ月、2ヶ月。

ただ、いつか嵐が過ぎ去ることだけを信じて。

…唇を噛みしめてこの苦しみを飲み込んでいく。

だけど、ある女の子が加わったことで歯車が狂った。


…その子のことを、私は未来永劫忘れることはないだろう。


その子は、普段は玉木くんという、いわゆる「カッコいい」男の子の後ろに引っ付いている、優奈ちゃんという子だった。

けれど、玉木くんは優奈ちゃんだけにかまけている子ではなかった。当然、玉木くんは他の友達からも遊びの誘いがあるのだから、そちらに行くこともあった。

…残された優奈ちゃんは、頼れる幼馴染を失い、あわあわとするばかり。日頃、玉木くんに頼りきりで女子グループとは良好な関係を築けているとは言えなかった。

そこに目をつけた女子グループのリーダー格は、優奈ちゃんを仲間に引き入れ、いや、誘い込んだという方が正しいか。

そうして優奈ちゃんは、女子グループの一人となっていった。

それが、私にとって消えない傷の要因となるのだけれど。


ただ、私にとっても全てが最悪だったわけではない。

掃除当番を押し付けられて、一人で掃除していると、たまに玉木くんが話しかけてきてくれることがあったのだ。

玉木くんはイジメられていた私に対しても、何らなじることもなく、ただ話したいから話すというように会話を振ってくれる。

友達との会話すら久々な私にとって、言葉につまることも多かったけれど、玉木くんは何も気にせず話してくれた。

その時間だけが、私が学校に来るただ一つの理由となった。


玉木くんから「いつも花瓶の水、替えてて偉いな」とか、それだけの言葉に心が踊った。

玉木くんは足も速くて、彼が軽やかに走る姿を後ろから覗くだけで、彼の格好良さが伝わってきた。

家庭科の授業の最中に、「俺、おいしいご飯作れる人大好き」と言う彼にかわいさを覚えた。

いつしか私の幸せは、イジメの苦しみと引き換えに、彼の姿を追うことになっていった。


…そうなっていったのに。

人生の脆さを私はすぐに思い知ることとなった。


その日は偶然、玉木くんが学校を休んだ日だった。

先生は、確かカゼって言っていた。

玉木くんがいなければ、授業を受ける意欲なんて起きない。

私も保健室に逃げようかなと思いながら、トイレに入った矢先だった。


「ねぇ」


背後から声を掛けられる。

振り返ると、女子グループのリーダーが、取り巻きを連れて入り込んできていた。

そしてその中に、グループに引き込まれた優奈ちゃんもいた。


「アンタ最近調子乗ってるでしょ」


「ねぇ、なんとかいったら」

 

調子に乗ってるってなに?

私はただ、たった一つの楽しみを目的に学校に来ているだけなのに。

…そう言いたいのに、口は動いてくれない。 

言葉が思いついているのに、言葉として発することができない。


「ねぇ、いつまでモジモジしてるの!言いたいことあるんだったら言ったら?」


それで言えると思うのか。自分たちは人で囲んで、大きな声を出して相手を脅かそうとしてるのに。


「あー、もう本当に。なんでアンタみたいなキモいブスと玉木くんは話したりするんだろ」


「ねぇ、優奈?…アンタは玉木くんの幼馴染みとしてどう思う?こんなのと玉木くんが釣り合いとれるわけないよね。ねぇ?」


グループのリーダーは周りの取り巻きと私を笑い者にし始めている。

その中には、必死に作り笑いする優奈ちゃんの顔も見えて、痛々しさすら覚えた。

それと同時に、私は初めて優奈ちゃんの顔をはっきりと見た。

子どもながらに違いがはっきりわかるとても可愛い顔。

その瞬間、心の中に小さな怒りが点った。

グループのリーダーたちが私をイジめてくるのは理由がつく。

下だと思っていた子が、周りに好かれている男子と話しているということで劣等感を刺激されたのだろう。

いわゆる「調子乗ってる」だ。

ハハッ、とっても分かりやすいよね。

けれど、本来なら優奈ちゃんはそんなことをする必要がない人種の癖に、自らより劣っているであろう子にへりくだっていることに、今考えれば私は憤りを感じたんだ。


「なに。なんか睨んできてるんだけど。生意気じゃない?」


気がつくと私は優奈ちゃんに向かって睨んでいたけれど、それを自分に向かって反抗していると思ったリーダーは、私をなじる。


「その目、ムカつくんだけど。…ねぇみんな!このブス、キレイにしてあげようよ!」


「……!」


気がつくと、取り巻きが私の体を掴み、羽交い締めにするようにする。

振り解きたくても、数人がかりだから体に全然力が入らない。

リーダーはその様子を撮影しようと、スマホのカメラをこちらに向け、ニタリといやらしい笑顔をこちらに向けている。

取り巻きの一人が、洗面台に置かれていた雑巾を手に取る。

ネズミ色に染まっているそれは、明らかに使い込まれていて、大きな病原菌のようにも見えた。


「いやっ、やめてよっ!」


ようやく声が出たけど、遅かった。

周りの人間は、私がいたぶられる瞬間を今か今かと待ち望み、より掴む力を強める。

まるで、今の私の状況は蜘蛛の糸に絡まったエサだ。


「ねぇ、お願い!…優奈ちゃん!助けて!」


私はとにかくこの場から逃れたくて、さっき怒りを感じた相手に必死に助けを求める。


「だってさ。…優奈?どうする?…私が優奈の立場なら、玉木くんが可哀想だから、キレイにしてあげたいなぁって、思うんだけどさ。…優奈もコイツにイライラしてたでしょ?」


私の必死の叫びは、グループのリーダーの小さな耳打ちで充分にかき消された。

ほどなくして、優奈ちゃんが雑巾を持って私の目の前に立つ。


「こんなことして、何になるの!?ねぇ!やめて、やめてぇぇ!」


私の顔と心は、この人たちにとっては雑菌と同じで、この使い古され汚れた雑巾と、価値は同じなのだろう。

そうして私の世界は全てねずみ色で塗りつぶされた。

…淡い初恋を心の支えにしていたが、周囲の邪悪さに負けてあえなく膝をついたんだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


限界を迎えた私は、親に泣きついた。

後にも先にも、あれほど決死の覚悟を持ったことはない。

両親の意見は真っ二つに割れた。母は引っ越しするべきと言ってくれたが、父はそんな卑怯な奴らに負けるなと言い、頑として認めなかった。

その事がきっかけとなり、両親は次第に日頃の不満も絡みはじめた結果。遂には母が限界を迎え、離婚を切り出したことで母と私は別のアパートで暮らし始めた。

…人って、こんなに簡単に不幸の底に転げ落ちるんだと思った。


それからは色々な手続きがあった。

母が先生とやり取りをしてくれたり、転校の準備をしてくれたり。夜はとにかく働きに出ていた。


その間、私はただ部屋にこもっていた。

自分が両親の仲を壊したという思いがグルグルと頭の中を満たして、眠ることもできない。

時間だけはたっぷりあるため、嫌な妄想だけが頭に蔓延る。

無音の状態が辛すぎて、たまらずテレビをつける。

時計を見ると深夜に入りかけた時間帯になっていて、画面にはアニメが流れていた。

少女マンガだろうか?

主人公が嫌な奴に嫌がらせされたあと、その相手役が駆けつけて、主人公が慰められている。

それを見てしまった私は、余計に心が痛んだ。

フィクションの世界はあんなに都合が良くて、綺麗なのに。

私がいる現実は、都合が良いところは全てカットされて、汚いものだけが残る。

私とアニメ、何が違うんだろう。


…あぁ、そうか。私が主人公じゃないからか。

だから、私の相手役はいないんだ。


なら、主人公になるしかない。

結局、この部屋にこもっていたところで、私が慰められることはない。

行動するしかないんだ。

私は、決意を固めた。



幸いにも転校先は、私を温かく迎えてくれて、友達も作ることができた。

環境が変わると、自分が変わっていくのが肌でわかった。

あれだけ苦しんだ罵倒もない。嫌がらせもない。

ただひたすらに友情を育み、勉強し、運動に取り組む。

自己肯定感を持つことができると、全ての取り組みが上手く回っていった。

中学校に上がると、より顕著になっていった。

頭脳も運動能力も、容姿磨きもコミュニケーション能力も、これまで抑圧されていたものを放出していく。

苦労をかけた母にも、多少は恩を返せてきていると思った。

だけど一番考えていたのは、あの玉木くんにまた会った時に、魅力的に思ってもらうため。

明確な目標を持つことで、成長していくことができた。

いつか玉木くんに食べてもらいたいから、料理にも熱を持って取り組んだ。

玉木くんが美味しそうに食べてくれることを夢想しながら、腕をふるっていく。

日々変わっていく自分に、主人公になれる気がしていた。


それと、中学2年生時に型落ちのスマホを買ってもらったことで、ひらめいてしまった。

もしかしたら、SNSで玉木くんの動向を調べることができるかもしれない。

けれど、それらしきアカウントは見つからず、玉木くんのことを調べるのは諦めようとした矢先だった。

私のことをイジメていた奴らの名前で検索していると、当時のリーダーのアカウントがひっかかった。

投稿の中で明け透けに顔を晒していて、間違いない。

私はSNSで直接やり取りする機能を使い、そのリーダーにコンタクトを取る。

本名ではなかったからか、ブロックされることもなく、同じ女子中学生ということを伝え、意気投合したふりをして会う約束を取り付けた。


やっぱり頭が良くないなと、吐き捨てた。


後日、指定したカラオケで待ち合わせると、向こうは一瞬ギョッとした顔をしていた。

けれど、不思議と恐れというものはなくなっていた。

自らの成長から、取るに足らない人間だと理解したからだろう。

私はリーダーに声をかけ、肩を組みながらカラオケに入る。狭い室内に二人きり、リーダーは何が目的なの?と言った。

私の目的は2つあった。

以前私をイジメていたところを撮影していた動画ファイルの譲渡。

それと、できる限り玉木くんと榊原さんの進学先を探ること。これは一つの賭けだった。100%ではなかったけれど、そこは仕方がない。

というより、榊原さんの進路がわかれば芋づる式に玉木くんの進学先が掴みやすいと考えたのだ。

成長した私に気圧されていたリーダーも、すぐには首を縦に振らなかった。

当然だろう。イジメていた奴にこうやって一方的に要求を飲ませられるなんて、プライドが許さないのだろう。

けれど、取り巻きもいない裸の王様なんて、障壁にもならないよ。

私は耳打ちする。


私は貴女を赦しているけど、榊原さんのことは赦していないんだ。

だって結局、決定的なことを行ったのは榊原さんなんだから。

私の条件を飲んでくれるなら、もうこれ以上なにも言わないから。

貴女は悪くないよ。榊原さんが悪いんだから。


そう言うと、リーダーは力なく呟いた。私は悪くないと。

きっと、罪悪感があったけれど、それを榊原さんに転嫁できるチャンスだと思ったんだろうね。


「じゃあ、契約成立ってことで!一緒に写真撮ろっ?」


インカメで撮った写真には私とひきつったリーダーの顔が写っていた。


…やっぱり貴女の方が本当にブスだけどね!

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